園庭の石段からみた情景〜園だより3月号より〜 2020.3.10
<『もも』が『すみれ』になりゆく季節>
 温かい冬を過ごして参りましたが最後に寒の戻りも体験し、「やっぱり冬は寒い!」をしっかり感じた弥生三月の月初め。しかしそれが過ぎればぐぐんと春も近づきまして、戸外での『お花見弁当』なども楽しむことが出来ました。もっとも   寒桜の川津桜ははや散り去りゆきました幼稚園。代わって猫柳が花をはぜさせて、菜の花も子ども程の背丈にまで伸びて咲き誇り、足元にはホトケノザ・ハコベにオオイヌノフグリ・そしてムラサキサギゴケにスミレもいよいよ咲き出しまして、この世の春を謳歌しています。もっともそんな春のしるしに喜んでいるのは僕ばかり。当の子ども達は「ほら、そこにスミレ!」と言っても「どこどこどこ?」と探した挙句、そのはっぱをずけずけずけと踏んづけてゆくそんな有様。『すみれ組』・『すみれの花』と聞くとモチベーションの上がるもも組の子ども達。でも実際の『すみれ』がいかなるものか全然分かっていないのも、今のこの子達の姿なのです。それはそう。今年のすみれさんだってこの一年間をかけながら、『すみれ』として自分自身と向き合いながら、やっと『すみれとはなんぞや』と言うことが分かって来ました今日この頃。そうそう、みんなそんなもの。まずは今回『スミレ』を初認識出来たももの子ども達。これからスミレの・そしてすみれ組に対するイメージを一杯一杯心の中に蓄えながら、「そんなすみれになりたい」と祈り願いながらゆっくりと歩いて行ってくれたならそれでいいと思うのです。やっと今、ももとしての花が咲きつつあるところのこの子達なのだから。

 やはりこのように陽気が良くなって参りますと、行きたくなるのがおさんぽです。「○○公園で桜が咲き出したから見に行きましょう」と言うのが一般の園外保育のおさんぽでありますが、うちは園庭からふっと山路を見渡せばもうここそこに『春・春・春』の春爛漫。子ども達はビニール袋を握りしめ、あれこれ取って来る気満々です。先日の午前中、ばら・たんぽぽさんはおさんぽに出かけてモノの数秒歩いた所で、出会ったてんとう虫とシークワーサーに引っかかって早々に足止め。真黄色に熟したシークワーサーをほおばって「甘い!」だの「酸っぱい」だの大盛り上がり。シークワーサーは本来は春のものではありませんで、もっと早い時期に青い実をギュッと絞って酸味と香りを楽しむものなのですが、この子達にとっては今が旬。嬉しそうにいくつも口に運んでおりました。またてんとう虫は驚いたり捕まったりするとよく死んだふりをするのですが、しばらくするとまた動き出して高いところへと登ってゆきます。そんなてんとう虫の生態を、発見から一部始終じいっと眺めていたこの子達。一人の女の子の掌の上で転がっていたてんとう虫が動き出し、その手の上をうごうごと動いてゆく様をまばたきもせずに見つめています。そして満を持して空へと飛び上がったてんとう虫を追いかけながら、「飛んだ!」と大喜びしておりました。そこで10分以上を費やして、ふと我に返って「先に行こう!」と歩き出した眞美先生。きっとそんなこんなの連続だったのでありましょう。その日の帰園はお昼間近で、一時間にもわたるのんびりまったりおさんぽでありました。
 その同じ日、やはりお外で遊んでいたももさん数人が「筍を取りたい」と言い出したのをきっかけに、自然発生的にお散歩に行くこととなりました年中児。せっかち君からのんびりちゃんまで、十人十色のこの子達。ペースが合うはずありません。先に先に行こうとする男の子をなだめながら諫めながら、なんとか全体の歩調を整えようと奮闘する美香先生。「先頭さん!」「リーダー!」「みんなをお願い!」と手を替え品を替え言葉を替えつつ声をかけると、どれに心地良い響きを感じたのでありましょう、男の子。さっさか歩きゆく足をピタッと止めてみんなの方を振り返り、「こっち!」「はやく!」と仕切り始めたではありませんか。「あ、これ効くんだ!」と思いながら、「やはり子どもの自尊心を大切にしてあげるのは大事なことなんだな」と思ったものでした。そしてそれと共に、そこまで自我を育み『自分がどう見られているか』と言うことに想いを馳せることが出来るようになったこの子の成長を嬉しく感じたものでありました。その彼の大真面目な表情にちょっぴり笑いながら、後続の子達をあおりつつ彼の大奮闘をサポートして歩く僕ら教師陣。でもその魔法の言葉も効果はほんの数秒。また先に先に行こうとする彼にあれやこれや代わる代わる言葉を投げかけながら、そんなこんなを繰り返しながら、園の敷地沿いの山道をコースを変えて丸二週歩き切ることが出来たのでありました。でもせっかち君の彼もそうですが、体力のないインドア派だった女の子達もいつの間にこんなに力をつけたのでありましょう。これは大いなる喜び&驚きの発見でありました。
 そして冒頭の『スミレ』の段に辿り着きます。スミレの花を見つけると我先に摘み始める子ども達。同じ野に生えている草花です。『菜の花を摘んで良くて、スミレはダメ』と言うのは道理に合いません。勿論、摘んでも摘んでも後から生えてくる菜の花や、辺り一面に咲き敷き詰められたホトケノザと比べて、希少価値が高いスミレの花。でもそれは僕らの数の理論・経済の理屈。子ども達の想いを大切にしてあげたいと思いつつ、「すみれさんもまた見に来るだろうから、摘むのはほどほどにして少し残しておいてあげて」と苦しい言葉掛け。すると二つも三つも摘んだスミレの花を見つめながら、「じゃあこれ、すみれさんにあげる!」と言ってくれたもも組の子ども達でありました。そして園に帰りすみれさんにスミレをおすそ分けしていたこの子達。自然の草花や仲間達との触れ合いを通して、優しい心が育ってくれていることを本当に嬉しく思ったものでありました。数え上げれば未達は色々一杯あるでしょうが、こんな子ども達の優しさと想い合いの心を育ててくれた『日土の自然と巡る季節・そして神様の御心』に感謝したものでありました。


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