園庭の石段からみた情景〜春の書き下ろし〜 2020.3.27
<帰郷2020春>
 年を明けてから年度末にかけまして、大いに流行り僕らの生活と意識をこんなにも急変させた『新型肺炎』。危機管理意識に欠しいこの僕も改めて周りで起きている物事の現状把握とその対処施策の立案・調整を、シミュレーションではなく実体験する場と機会を与えられました。日々刻々と変化する状況の中にあって、きちんと道理を通した上で抜け落ちが無いようにと考えに考えた判断を行なって来たつもりでしたが、やはりそこには『欠け』があったりレスポンスの遅れがあったりと色々反省もありました。しかしそんな僕や幼稚園に対して保護者の皆さんが多大なご理解を示し協力・賛同して下さったこと、本当に感謝でありました。リスクヘッジのため日程を早めることを決断した卒園式。行事の日程を変えることはおおごとです。それぞれ年度末の予定を抱えたこの時期にあって、多岐に渡る関係各所と調整をするのも困難を伴います。ですから世間では「もうそうなったらしょうがないよね」と言う想いで『座してその時を待った卒業・卒園式』だったのが、小さな小さな日土幼稚園では「どうしても7名の子ども達の卒園式をしてあげたい」と言う担任の想いに動かされ、一週間の前倒しを実現してしまったのでありました。
 小回りが効く園の小ささもあったかもしれません。しかし事が決まってからは短い時間に卒園までの準備を行なって、その分子ども達の想いを満たすために練習の後は心と体ごと子ども達と一杯遊んでくれた先生達。卒園生・そして在園児の子ども達も、集中しがんばった達成感とその後思いっきり自由を味あわせてもらえた開放感で、例年にないほどの満たされた想いを感じてくれていたようでありました。そんなこの子達の表情を見つめながら「これで出来るんじゃん!」「この方がよっぽどいいじゃん!」と言う気付きも与えられた年度末。これも今回の有事を用いて神様が僕らに与えて下さった試練とそこからのブレイクスルーだったと思うのです。
 僕らは足りているのに「まだ足りない」、無くなるかも知れないから「もっともっと」とマージンを多く求め過ぎているのではないかとそんな風に思うのです。家にトイレットペーパーが一袋分もあるうちから「無くなるかもしれないから」と買占めに走り世の中の混乱を助長した騒ぎもありました。それと同じ構図で卒園式も「もっと出来るはず!」「もっと感動的に!」を求める想いが強すぎるがゆえに、子ども達の満たされた心で輝くはずの幼稚園生活の最後の時を、せわしく世知辛くしてしまっていたのかも知れません。教師も子ども達もそしてお母さん達もそれぞれの出来る限りを全うし、「よかったね!」「がんばったね!」と喜び合えるそのことこそが、幼稚園を巣立ってゆく卒園生への何よりの『はなむけ』となるのです。色んな満たされない状況があった中で、ただただ「出来て良かったね!」「卒園おめでとう!」と喜び合えた卒園児とお母さん・そして教師達。何より純粋で美しい想いを最後に僕らに魅せてくれた、そんな卒園式でありました。ここにみんなで唱え心に刻んで来た聖句『いつも喜んでいなさい。たえず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい』の御言葉に改めて想いを馳せてみたいのです。今、与えられている幸せを共に喜び、先の見えないことには「良き導きを与えてください」と神様に祈り、与えられた結果に対して「御心のままにしてください」と感謝して受け止める心。僕らはその心を育むべくこの子達と共にここまで歩んで参りました。その想いを子ども達ばかりでなく、先生達とも・そしてお母さん達とも分かち合えたことを本当に嬉しく思うのです。そしてこれからもそんな幼稚園であり続けられるように神様に祈りながら、新年度の新しき道を歩んでゆきたいと思う春休みです。

 今年は『新型肺炎』の影響でありましょうか、はたまた昨年は佐和子先生の葬儀が子ども達を招いたのでありましょうか。前年には高校・そして中学校を卒業した子ども達がこの時期に幼稚園への『帰郷』を果たし、嬉しい再会の時を持つことが許されました。それが今年のこの状況。人が集まることや行き来をすることを自粛するようにとのオフレが出る中で、やはり待ちわびる子達は来られない様子。進学が決まり首都圏に旅立とうとしている子の近況も聞こえて来るのですが、当人もその家族も不安ばかりが募っているよう。また昨年進学で関西圏に出て行った女の子は現地の状況から実家に帰って来たのですが、同じ日に同じ空港を利用した人が発症したと言う報道を聞いて、これまた親子共々不安に苛まれていると言うそんなお話も聞きました。こんな様子を耳にしますと、「やっぱり今年は来ないのかな?」と思ってしまいます。そんな中、思いがけない帰郷者が園を訪れたのでありました。
 それは卒園を待たずに年中で転園して行った男の子。去年の夏に偶然愛南町のプールで出会ったのですが、最初あまりの変わらなさに「弟君?」と聞いてしまったほど。その彼がお母さん・弟と3人で幼稚園を訪ねてくれたのでありました。男同士はつまらぬものです。再会の嬉しさを言葉に出来ないもどかしさ。そんな僕らを知ってか知らでか、卒園記念写真を見て盛り上がっているお母さんと潤子先生。そのお母さんがふと「この先生はまだいらっしゃるんですか?」と尋ね指差したのは美香先生でした。「お姉ちゃんの先生だったんですよ」との言葉を聞きまして、美香先生を呼んで来たならお母さんと二人で互いに「あー!」。たちまち話に花が咲き出します。「あの子も車で待っているんですよ」と言って駐車場に呼びに戻ったお母さん。『卒園生ではない』と言う遠慮からか、車で待っていると言ったお姉ちゃんも上がって来まして美香先生と顔を合わせたなら、これまた互いに「かわってなーい!」。そこから女子3名による怒涛のおしゃべりが始まったのでありました。女の子が早熟と言ってもまだ15歳。そして美香先生との最後の別れは6歳の春で9年ぶりの再会だったのではなかったでしょうか?当時幼稚園児で教え子だったお姉ちゃんが美香先生に対して、旧知の友達に会った如くしゃべりまくり、先生も嬉しそうにそれに応えます。「女の子ってすごいなぁ」と思った情景でありました。このお姉ちゃん、6歳にしてもう大人並の認識力を備え持っていたと言うことなのでしょう。「あの時はどうだった!こうだった!」と美香先生と対等に渡り合って当時のことを嬉しそうにしゃべっているのです。今でも歳の差はその時と変わらずにあるはずなのですが、もう同級生が同窓会でしゃべているような言葉のやり取りに、「この子達の言語コミュニケーション能力は本当にすごい」と思ったものでありました。これは言葉で僕ら男が勝てるはずありません。
 そんな女子のおしゃべりが終わるのを待ちわびつつ、男の子と弟君は自らの記憶と思い出を確かめるように幼稚園のあちらこちらを見て回ります。「もっと大きかったのに」とか「ここは○○だった」などと言葉数少なく呟く男の子。僕が驚いたのは、彼が転園して行った時にはまだ入園前の年齢で本当に幼くかわいかった弟君が、眼鏡を掛けたしっかり風の小学校中学年男子になっていたこと。この7年の長さを最も大きく感じた再会でありました。それぞれなりの帰郷と再会に満足し、帰って行った男の子一家。「またおいでね」と声をかけて別れたのでありましたが、今度はどんな想いでここに帰って来てくれるでしょう。そしてその時には僕らは少しはマシな気の利いた言葉を交わすことが出来るでしょうか。でも言葉でない想いの伝え方・感じ方もあっていいとそんな風にも思うのです。僕らは男同士ですから。

 さてさて、その次の帰郷はご近所さん。幼稚園の山に張り巡らされた木製の手すりが傷んで来たので、このたび金属製の鉄パイプでやり直すことになりました。これまでは和彦さんがせっせと手入れしてくれていたのですが、2〜3年ですぐに朽ちて来てしまう木杭ではなく少々長持ちする鉄パイプで出来ないかと業者さんに相談したところ快く引き受けて下さいました。その業者さんと言うのが、僕が十数年前にここから送り出した卒園生の実家が営む左官屋さん。そしてそのお父さんも御兄弟で日土幼稚園に通ってくれたお得意さん。最近こちらに仕事をお願いすると、17年前と14年前に卒園し今では立派な青年となった男の子兄弟が手伝いに来てくれるようになりました。彼らのお父さんもご兄弟で左官屋さんを継いでおり、今ではご一家にお世話になっている間柄。この日は若者二人に彼らのお父さんのお兄さん(伯父さん)と言うメンバーで仕事をしに来てくれました。そして嬉しいことにご隠居さんとなりました彼らのおじいちゃんと、従妹の高校生もお手伝いで久しぶりに幼稚園に顔を見せてくれまして、なんか気分は一気に十数年前にタイムスリップしたのでありました。朝、彼らと顔を合わせて久々の挨拶を交わした僕。当時は「○○!」と怒鳴り飛ばしていたやんちゃな幼稚園児だったあの二人が、礼儀正しいしっかりした社会人になっていることをとてもうれしく思います。こちらも礼には礼で返さねばと、丁寧にお願いをしてその場を後にし、仕事の所用に出かけました。鉄パイプを打ち込む「カン!」「カン!」と言う甲高い音を、遠ざかる背中で聞いていた僕。やっぱり男同士、交わす言葉は多くなかったのですが、僕の嬉しい想いは彼らに伝わってくれたよう。勇ましく鳴り響くカネヅチの音に彼らの想いが現れていたようでありました。その日の夕方、僕が幼稚園に帰って来ると、彼らが一日の仕事を終え帰り支度をしているところに間に合いました。見渡せば見事に手すりが出上がっているではありませんか。伯父さんの目論見だと2〜3日はかかるだろうと思っていた作業が、彼ら若者のがんばりで一日で終えることが出来たと言うのです。久しぶりに友人に会った時に、「今はこんな仕事をしているんだ」と自慢半分の話を聞くことはありますが、僕にはあまりその言葉が自分の中に深く入って来ることはありません。うらやましいとも思わないし、「すごいんだろうな」と思うくらいのもの。でもこうやって目の前できちんと仕事をやってのけて見せてくれた彼らには、「すごくなったなぁ」「立派になったなぁ」と言う想いもひとしおです。職人としてはまだまだこれからのこの子達でありましょうが、きっと彼らはこれからも自分の仕事に誇りを持って、真摯に自分と向き合って行ってくれることでしょう。これも嬉しい今年の帰郷でありました。

 そして今回の最後は小学校の卒業生達。今年はこれまた『新型肺炎』の影響で、園長の来賓としての卒業式への参列が見送られました。いつもなら卒業式の会場で子ども達の姿を見守ることでこの6年間の時の流れを反芻する僕なのですが、今年はそれも出来ません。しかも式への参列が無くなったことでこの子達の巣立ちの日のことをついつい忘れてしまっていました。そんな所にあるお母さんから電話が入ります。「これから行ってもいいですか?」「はい?」と最初何のことか分からなかった僕に、「みんなここにいるんです。今、喜須来小学校の卒業式を終えて」。「ああー」とそこで初めて状況を察することが出来た僕。「どうぞ、お待ちしています」と答えるとそこから僕のワクワクドキドキが始まったのでありました。すぐにそのお母さんと女の子4人が到着します。運動会や学習発表会でたびたび遠目に見かけた彼女達だったのですが、こんなに間近で見つめたのは本当に久しぶり。『二分の一成人式』で二年前に幼稚園にやって来てくれた時はどこかよそよそしい『借りて来たネコの子』のようだった彼女達。そんな様子から「幼稚園、あまり好きじゃなかったのかな?」と思ったこともあったのですが、今日のこの子達は喜びに満ち溢れています。いつの間にすらーっと背が伸びて、かわゆいジャケット&スカートから長い脚がしゅっと伸びたアイドルグループかと見紛う素敵なイデタチ。本当に大きくきれいになりました。やはりなかなか言葉の出て来ない僕にお母さんが助け舟で色々聞いてくれまして、嬉しい近況報告をみんなから聞かせてもらいました。幼稚園時代から切磋琢磨で互いに励み合って来たこの子達。小学校に上がってからもこの子達の間で競い合い、お互いを高め合って歩んで来てくれました。時にはお互いの真っ直ぐな想いがぶつかり合ってきしみ合い、不協和音を奏でたこともあったでしょう。でもこんなオフタイムにはキャッキャ言い合いお互いに軽口混じりに笑顔で会話を弾ませられるようになったこんな姿を見ていると、これこそがこの6年間の何よりの成長だったのではないかと思うのです。幼稚園時代はもっとお互いの関わり合いの中に重さを感じさせていたこの子達。「どっちが上」と自分達に順位をつけるように、お互いのことを見つめ合っていたそんなところもありました。でもそれは幼稚園が至らぬせいでもあったのです。日土幼稚園では今やっと『キリスト教保育とは何ぞや』・『それをどう保育に落とし込んで行けるのか』と言うことを教師一人一人が保育の中に体現しようと、自分達の保育を見つめ直すことが出来るようになって来ました。この子達が今の日土幼稚園に入園して来たなら、もっと自由な想いでもっと他人との比較に捉われずに伸び伸びとその心を育てて行ってあげることが出来たのかも知れないと、そんな風に思うのです。しかし神様はそんな僕らの至らなさをこの子達の小学校生活の中で補い育てて下さいました。人への優しさ・思いやりの大切さを説いたイエス様のお話を聞いて育ったのは彼女達も同じ。しかし自分自身が救われた・認められた・大切にされていると言う想いが伴なわなければ、なかなかそんな自分になろうとすることは出来ません。自己肯定感が伴なわない時に他人に優しくしてあげようと試みても、どこかで「やっぱりもう無理」ってなってしまうもの。そんな投げかけが当時の幼稚園には足りなかったのかも知れません。今の僕らならば『誰に見捨てられようとも、神様は私を愛してくださる。神様だけはいつも私を良き者として肯定してくださる』と言う真理を子ども達に語ることが出来ると思うのです。そして『何にも勝る自己肯定感を与えて下さる神様と言う存在』を受け入れることが出来た時、その時に初めて私達は他人をも肯定してあげられる存在なのだと言うことを、もっと早く知ることも出来たかも知れません。しかし神様は彼女達にこの6年間の時の流れのその中で、自らの体験と気付きによって成長を与えて下さいました。そうして彼女達は時間をかけながら、沢山の愛を身にまとい成長して来てくれたからこそこんなにも、美しく笑い語り合える子どもになることが出来たのだと、この情景を見つめていて思ったものでありました。そんな僕の感慨など知るはずもなく、彼女達は背筋をすっと伸ばして美しい後ろ姿の残像を僕に残しながら、幼稚園の坂道を下って行ったのでありました。

 彼女達とすれ違いにやって来たのは日土小学校の卒業式を終えた男の子。この年、幼稚園卒の日土小学校生は彼一人でありました。でも幼稚園のお隣さんと言うこともありまして、卒園後も度々顔を合わせ一緒に遊びもしたものです。サッカークラブに入った頃、僕とサッカーをしたいと日曜学校に遊びに来てくれたこともありました。僕が預かり保育の子ども達と下の川で魚釣りをしているところに下校途中の彼が通りかかり、「僕もやる!」と走って帰って荷物を家に置いてから、一緒に太公望を気取りつつ釣りにいそしんだこともありました。そこで釣れたハヤをしばらく家で飼っていたなんて話も聞いています。そんな一対一の関わりが多かったその男の子と僕。あれよあれよといつの間に6年生にもなりまして、最終学年の年となりました。それが今年の学習発表会では、当日になってまさかのインフルエンザ。その数日前、清水医院に行った時にそこで働いているお母さんから「インフルエンザ、流行っているから気をつけて」と言ってもらっていただけにびっくりでした。6年生ともなりますと観客席から遠目に舞台を見つめたその時に、衣装や被り物のせいで誰が誰だか分からない時が多々あります。それでも「この子はちがう」「これもちがう」と消去法で探していた劇の中、放送席にいた担任の先生がセリフを代読する声が聞こえて来ました。その瞬間、「このクラス、誰か休みなんだ」と言うことを察し、姿を確認出来なかったあの男の子なのでは?と言う想いがよぎりました。感動の舞台が終わった後、来賓席にいた校長先生から「今日○○君がお休みで、しかも今日急にインフルエンザで…」と言う話を聞きまして、僕の予感が当たってしまったことを知らされます。この一件をお母さんは「(代読したことを)担任の先生が良い思い出になったって言ってました」とこの『帰郷』の際に教えてくれたのですが、それに続いての今回の『新型肺炎』。来賓としての卒業式への出席は出来ませんでしたが、でもあの1年生から5年生までが一人一人セリフを担いながら想いを込めて投げかける在校生送辞も行なうことが出来たとのこと。生徒数が少ない日土小学校ですが、この在校生送辞・卒業生答辞の濃さゆえに卒業式の長さは他校と同じかそれ以上。それほどに大切な送辞を在校生の出席も許され行なうことが出来たそのことが、なによりだったと思うのです。『小さき群れ』が仲間を送り出す時の想いと覚悟はそれほどに大きなものなのです。それは日土幼稚園も同じです。『卒園生のみ』の卒園式でなく、来賓招待・祝辞紹介を除いて全ての事を例年通りきちんと行うため、色々なことを考え施策として準備し挑んだ今年の幼稚園の卒園式。それと同じようにそこに込められた小学校の想いを、お母さんの話から感じ垣間見ることが出来たのでありました。そしてこうやって一つ一つのことを受け止めながら、色々と不満や不本意なこともあったでしょうが、「出来て良かった」と感謝して受け止められる人々の心に、改めてこの状況下で『僕らに必要なものは何なのか』と言うことを感じさせられたものです。こうして色んな思い出の甦りと共に、僕にまた新たな気付きを与えてくれた今年の『帰郷2020』。帰って来てくれたみんなに感謝すると共に、いつまでもここでこの子達の『帰郷』を待っていられるように、神様の御心によってこの地で活かされるものであり続けたいと祈る僕なのでありました。


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