園庭の石段からみた情景〜園だより4月号より〜 2019.4.14
<天まで届け!僕らのバベル>
 4月に入ってもいつまでも肌寒く、関東では『なごり雪』の季節をだいぶ過ぎての積雪があったりと、今年度もなんか不順な季節の巡りを感じさせる始まりとなっています。予定調和を好む現代人の僕らからしてみれば何ともとんでもないことのように感じられるものでありますが、でも桜満開&花吹雪の入園式・始業式で子ども達の門出を祝うことの出来た特別な2019年度の初日ともなりました。気候の移ろいの巡り合せで、今年はドラマティックな『はじめの一歩』を踏み出すことの出来たそんな春だったとも思うのです。きっとこれも神様の御心。今年も色んなことがあれやこれやあるだろうけど、その中にもひとつひとつ意味と意義と神様のみめぐみをしっかりと感じ見つけてゆきたいと、そんな風に思います。はらはらと舞い散る桜の花びらをみつめながら、ハラハラとさせられた想いなのにでも半分心の中で笑ってしまった入園式を思い出していた僕なのでありました。

昨年のバザー収益から幼稚園に買っていただいた子ども用シャベルが砂場デビューした今年度の第一週。そのピカピカな新品アイテムを握りしめた子ども達、誰からともなく「山を作ろう!」と言い出しました。おろしたてでカッコイイ大型シャベルなのですが、それを使うのは同じ子ども達。いくらカッコよくてもそれだけでは山にはなりません。子ども達も一生懸命砂を掘って積んでしているのですが、そのせっかくの勤労も空回り。その姿を笑いながら見つめていた僕にお呼びの声がかかります。「しん先生も手伝って!」。その言葉にまんざらでもなく「よし、ちょっとがんばっちゃおうかな!」と久しぶりにその気のやる気モードに火が入った新先生。鉄製のシャベルを引っ張り出して来て、本格的に山づくりに参戦を始めたのでありました。デカ山づくりのコツは山頂をイメージした位置から少し離れた所の砂を掘って積み上げてゆくこと。そうすることによって掘った所が底となり、山頂の高低さを大きく表現することが出来るのです。また砂を自然に積み上げた時に山となる勾配も決まっていまして、あまりに切り立っているとその山はおのずから崩落して行ってそれ以上高くなりません。そのセオリーに基づいて山を作り始めると瞬く間に砂山は子ども達の背丈ほどの高さに積み上がりました。デカ山の出現に大喜びしたのは子ども達。『僕もやる!』とちびっこ君達もシャベルを担いで砂場にやって来たのでありましたが、「さく!」っと格好良くシャベルで砂を掘るところまでは良かったものの、それを抜いた拍子にシャベルの砂が辺り一面に撒き散らされまして近くにいた子達は大騒ぎ。彼にとって大きすぎるシャベルのコントロールがつかないが故のアクシデントだったのですが、傍から見てたらつい笑ってしまう吉本新喜劇のコントのようなその情景でありました。また別の男の子は「もっと高くする!」と言って更にその山の上にシャベルで救い上げた砂を乗っけようとするのですが、どうしても頂に届きません。そこで頂上目がけてぱぁ!っとシャベルの砂を放り投げたなら、砂は山頂を飛び越えて反対側のすそ野で砂遊びをしていた女の子に降りかかってしまう大惨事に。その現場を先生に見とがめられてこの作戦は禁止事項となってしまいました。そんなこんなで一つの砂山が子ども達に自らの身体を使ってやりたいことを実現するための訓練の場となりまして、それぞれの学びの場となってくれたのでありました。

そんな中、これまた別のちびっこくんが砂場遊び用の自動車を握りしめ、「こうそくどうろ!」と僕の所に言って来ました。最初は何を言っているのか分からなかったのですが、「車を走らせる道を作って!」って言っているのだろうと思い高速道路建設を始めた僕。複数個の山を作りまして、その上に超大型ブロックで橋を架けたなら『高速道路』の出来上がり。その上を大喜びで車を走らせていた子ども達でありました。そんな一連の砂山遊びを見つめていたすみれの男の子。何かにひらめき、もっと素敵な『砂場お山ランド』を思いついたのでしょう。「こっちの山を崩してこっちに積み直して」と大工事を始めました。最初はそれについて乗って来た年中・年少児達。そのすみれ君を現場監督とした彼の陣頭指揮でみんなが働き、楽しい砂場遊びが体現出来ているかのように見えたものでありました。しかし先生達でさえ手こずる個性の持ち主であるこの子達。次第に好き勝手に工事や遊びをやり始めたものだから、現場監督の彼が怒る怒るさあ大変。そこに先生が入って行って「どうして欲しいのか、○○君がちゃんと教えてあげないとみんなだってわからないよ」と執り成しますが、一度爆発してしまった彼の想いはどうにも治まりません。結局彼が目論んだ『砂場お山ランド計画』はそこで頓挫してしまったのでありました。
旧約聖書の中には有名な『バベルの塔』の話が出て来ます。人間が力を合わせて天まで届く塔を作ろうとしたのですが、神にも並ぶ者となろうとした人間の思い上がりに、神様は彼らの言語を別々な物にして意思の疎通を阻み、その計画を挫折させたのでありました。同じ日本語を話すこの子達ですが、その言葉をやっと使えるようになって来たこの幼年期。なかなかに想いを言葉で伝えることは難しいでしょう。でも実現したいことがあるならば、想いを伝え合うことによってそれを体現してゆく学びを得てゆくのもこの時代。言葉が伝わったとしても想いが伝わらなければ相手を動かすことは出来ません。そんな学びを語学としてではなく、こんな自由遊びの中でこそ体得して行って欲しいと思うのです。『バラル』(混乱)から名付けられたこの『バベルの塔』。混乱を解き放つのは、言葉を伝え合い受け入れ合い思い合える愛の力であると、彼が分かってくれる日はいつか来るでありましょうか。彼と共に自分達のこととしてもそのことを神様に祈り求める僕なのでありました。


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