園庭の石段からみた情景〜園だより11月号より〜 2020.11.1
<帰郷2020秋>
 ついこの間まであんなに暑い夏を過ごして来たのに、季節は早、木枯らしが吹く頃となりました。我が家から幼稚園の横を抜けて清水医院へと向かうその道すがら、空を舞う物体に目を奪われました。それはくるくると水平方向に回転しながら喜木川の向こうへと飛んで行こうとしています。「なんだろう?」と思いよくよく目を凝らして見ると、青桐のはっぱだと言うことに気付きました。幼稚園の母屋裏に生えている己生えの青桐の木。毎年その木の下にコロコロの青桐の実のつぶてが落ちているのですが、それがくっついている青桐の葉。反り返った小舟のような形をしているその両脇に、コロコロのつぶが数個ずつ付いている葉っぱです。と、ここまで文章を書き進めて来て、「本当にはっぱでいいの?」と我に返った僕。青桐のはっぱと言えば天狗の団扇のような巨大なカエデ状のものがその葉です。早速ネットで調べてみますと、あれは果実の皮が割けて数個に分裂する『刮ハ』と言うもので、青桐の場合にはそのひとつひとつが船のような形になるのだとか。だからあれは果実の一部なのです。なるほど葉っぱにしては他に見ない曲面形状をしているのですが、あれが中空の球体が分かれて出来たものだと分かったならば、なんか納得してしまいます。そしてそれが足元に落ちていた時には気付きもしなかったのですが、このように風に乗り数百メートルも飛ばされてゆく様をこの目で見ていると、あの形状はサーフィンのように風の波に乗りながら自らを遠くまで運ばせ新たな土地で芽を出すための『作戦』によるものなのだと言うことも分かって来ます。長年、子ども達と『秋の自然物』として集め遊び、製作などにも用いていた青桐の実ですが、自然のままの姿を見て初めて気付いたこの事実。ふと目に留まったことから『新たな気付きと学び』を得たそんな出来事でありました。
 でもこれは子ども達に関してもきっと同じ。ふと目に留まった子ども達の姿から新たな気付きが与えられることも一杯あるはず。でも僕らは日頃忙し過ぎる。いつも何かに心騒がし、それを自分の理屈を持って御することを望んでいる。だから「なんで!なんで!」ばっかりで、自分の想いから外れたものを全部全部否定してしまう。「あれはなに?」と言う目で『我が子』をただただ見つめることが出来たなら、そこから与えられる新たな気付きがきっとあるように思うのです。

 神様の御守りのうちに運動会も無事終わり、コロナ禍のせいで行事も少なくのんびり過ごすことの出来た10月後半。そんなまったりムードの幼稚園に保内中の中学生が職場体験学習でやって来ました。在園児のお兄ちゃん・しかも自身も日土幼稚園の卒園生である男の子と、在園児のいとこのお姉ちゃん、そして校区の交流で日土幼稚園や僕と面識のあった女の子の三人で、いつになく嬉しい子ども達の『帰郷』となりました。やはり知った子達の里帰りは一味違います。中学校からお話をいただいた時、この男の子の名前が一番先に出て来たので、「これはこの子の遊び友達の男子連がこぞってやって来るのだな」と思ったものでありました。中学校が行事の代休で平日休みのその時に、保内あたりで朝からふらふら自転車に乗っている彼らの姿を園バスから幾度か見かけたことのあった僕。「朝から遊び歩いて…」と思いつつ笑い話としてお母さんに話をしたならば、「あれ、魚釣りなんです」。「ああ、そうですか。ゲームセンターとかじゃない分、よっぽどいいですよね」と笑い合ったものでした。まったくもってゲームやらなんやらよりよっぽどいい。そう言えば見かけた場所は宮内の交差点近くで、あそこの釣具店で餌を買い求め釣りに出かけるのが常なのかもしれません。幼稚園の時は『ワイルド』と言うよりは軟弱なイメージだった彼が、『自然遊び大好きな中学生』に育ってくれていたのを知り、「さすが日土っ子」となんだかうれしくなってしまいました。ばら組での音楽発表会前のこと、舞台が嫌でずーっと担任の先生に抱っこされていた彼の姿ばかりが思い出され、「たくましくなったねぇ」と今とのギャップに驚くばかりの僕でありました。
 中学校とのやり取りの中で、そんな彼の名前と共に告げられたのが後に女子2名であると分かり、これまたびっくりしちゃった僕。最初に聞いた時には性別を確認しなかったので、先ほどの情景の記憶からてっきり男の子だと思い込んでいたのです。職場体験学習では『初めて仕事場に立つことの心細さ』から、大概仲良し同士でやって来るのが常。そう言う意味でも「勝手知ったる幼稚園で、仲間と楽しく過ごせればいいや。別に幼稚園の仕事をやりたい訳ではないけど」ってそんなノリで彼がここを選んだのかなとも思ってしまった僕がいた。でもそれがそうではなかった。僕が完全に彼のことを見損なっていたことを心の中で詫びたものでありました。彼は僕の予想以上に素敵に大きくなってくれている。そんな彼がやって来るその日を心待ちにしつつ、実習日を迎えた僕でした。

 そんな彼の『帰郷』第一日目は「あーあ」の第一印象から始まりました。保育前の朝の職員会はいつも聖書の輪読から始まります。潤子先生が隣に座っていた女の子に『一節ずつ聖書を読んで隣の人が引き継いでゆく』と言う作法を説明して、僕らの聖書輪読は中学生3人を交えて始まりました。毎朝僕から始めて潤子先生へ、そしてその隣へと輪読が続いてゆきます。中学生達の番になり、促されて最初の女の子が次の一節を読み始めました。それを受け継いで隣の女の子が次なる一節を引き継ぎ、さて卒園生の男の子の番となりました。しかしいくら待っても次の朗読が始まりません。潤子先生・そして隣の女子達に促されて彼が発した言葉が「んー?」。「次の節を読んで」と言われて「どこ?」と尋ねる男の子。読むべき聖書の節を指さされると、やっとそこを読み始めた彼。なんとか読み遂げて隣へバトンを渡すことが出来ました。輪読は続き、二周目に入りました。再び彼の所までやって来ると「…」。一度勝手が分かれば、次は構えて待っていそうなもの。またもや彼は他人の朗読を聞いておらず、続く自分の読む所の一節を読むことが出来ませんでした。確かに彼に対して説明が足りなかったのかもしれません。でも同級生への説明を横で聞きながら、その流れの中に身を置き、一周目の体験を踏まえてもいたのですから、「わかってよー」と言うのが僕らの期待と想いでありましょう。しかし完璧に無頓着を決めてくれた彼によって、それが自分達の驕りだったんだなと改めて思わされたものでありました。『こうして欲しい』と言うことを相手に理解してもらうには、『相手が分かるまでちゃんと伝えること』がこちらの使命。それはごもっとも。幼児相手の保育現場では特にそう。でも僕達教師・そして我々大人は、自分の技量や仕事を棚に上げて「なんでわからないの!」と相手に不満をぶつけてしまいがち。お互いに生身の人間がリアルタイムでやり取りしているのです。そう言うこともあるでしょう。でも伝わらなかったことを省みた時、『自分に非があったのでは』と考えることも大切なこと。それが『裸の王様』にならぬための自己研鑽なんだよねと、改めてそう思ったものでありました。
 そんなこんなで相変わらず『突っ込まれ所』の多い彼でありましたが、それを平然と受け・そして流せる『懐の深さ』に改めて感銘を受けた僕でした。意見を求められたり「質問は?」と問われて、その場を仕切りやり繰りするのはいつも同級生の女の子。挙句の果てに彼女達から「なんかないの?」とつっつかれて「あー。ない」と答えるマイペース。彼女達の言葉にムキになる訳でもなく、自分を出すでも変えるでもない彼の態度。女子からしたらきっとイライラするであろうその言動に、更なる言葉攻撃を浴びせたくなるかもしれませんが、彼は動ぜず騒がず相変わらずのマイウエイ。でも本当は頭のよく回るこの男の子。幼稚園時代はその口さがなさから彼の発した言葉によって揉め事になることもよくあったのですが、この8年間で彼なりに色んなことを学んで来たのでありましょう。柳の枝のごとく上手にあれこれ受け流していた彼の姿に、進化した『今の彼』を感じたものでありました。

 オリエンテーションの時、女の子達から「実習で○○をやってみたいんですけど」と言われた言葉を受けて、先生達に「この子達、なにかやってみたいことがあるそうだから聞いてあげて」とお願いした僕。初日の担当となったクラスの先生が彼に「お帰りで絵本でも読む?」と尋ねたら「やらん!」と即答。「そうだよな」と思いつつその場を後にした僕だったのですが、クラスの時間にまた覗いた時のことでした。『焼いもじゃんけん』で遊んでいたすみれ組。じゃんけんリーダーが次々と変わってゆく中、この男の子を指名した真理先生。するとまんざらでない風に指名を受ける彼がいてびっくり。『嫌なことはやらない・はぐらかす・最後は泣いてでも逃げおおせる』と言う幼稚園時代の彼の姿が頭に焼き付いていた僕。なんか照れながらも嬉しそうに子ども達に相対している彼の姿を見つめながら、「へー、大人になったじゃん」と感心してしまいました。それはそう。8年も経っているのですから。実習でやって来ているのですから。でもそんなところに感動してしまう僕がいる。こんな彼の姿を見つめながら「ただ『楽そう』だからって言って幼稚園に来たんじゃなかったんだ」とこれまた嬉しく思ったものでした。僕はこの子のことをどれだけ見損なっていたのでしょう。事前に提出された『職場体験自己アピール書』と言うものには『僕が希望した理由は、僕は日土幼稚園にお世話になったので、次は何かお手伝いが出来ると嬉しいと思ったから希望しました』と書いてありました。こう言う文章を上手に書ける中学生はいくらもいます。最近は学校の指導に基づくひな形がキチンと整備されていて、『こう言う風に書いたらいいよ』と言われて書いたような文をよくよく見かけるものでもあります。しかし事前面接で相変わらずの不器用さを露呈して行った彼が、このような所信をしたため残し、そしてその言葉を具現化しようと一生懸命現場で先生のオファーに対応しようとしていた姿を受けて、「この子、本気だったんだな」と確かにその想いを受け取ったような気がしたものでありました。
 そう、月日が経つと言うことはそう言うこと。僕らの知らぬところで、確かに幼き日に彼の中に蒔かれた種が芽を出し枝葉を伸ばしながら、こうして大きくなって来てくれたのです。そんな瞬間が実は数年前にも一度ありました。日土小学校の卒園式に出席した時のこと。彼が式の中で述べた言葉を今でも覚えている僕。「大きくなったらミカン農家になりたいです。お父さんの働いている姿がとってもかっこいいから」とそのような言葉を彼の口から聞いて、この時も「素敵に大きくなったな」と思ったものでした。あれから一年半、「彼は自分の想いを行動で体現出来る、そんな素敵な男の子になったんだな」とそう僕に思わせた一コマでありました。

 そんな彼でありましたが、飾らぬその振る舞いが子ども達には大人気。すみれさんの実兄と言うこともあって、すみれと一緒にいる時には特にフランクに子ども達の中で存在感を発揮しておりました。ある日のこと、自由遊びの後の『お片付け』となりまして、みんながあくせくしながら片付け残したものを探し回っていた時のこと。『お片付け終盤』ともなると大方片付けられて、みんなが手持ち無沙汰となる『逢魔が時』がやって来ます。誰かに魔が差す時が来るのです。『お片付け』だと言うのに揺れるブランコが視界に入り、「だれー?お片付けの時にまだ遊んでいるのは?すみれさんじゃないよねぇー!」と声を掛けるとその先にいたのはあの男の子。「あちゃー」と思った僕とは裏腹に、『にやー』っと子ども達に笑顔が広がります。「お兄ちゃん、怒られてやんの」って感じの子ども達でしたが、それに動ぜず何事もなかったようにブランコを止めてその場をフェードアウトして行った彼の姿に思わず笑ってしまいました。他所の子だったらその場で委縮してしまったであろう状況(もっともその場でブランコなんてこともなかったでありましょうが)ですが、その堂々とした立ち振る舞いが子ども達の尊敬の念を一身に集めたのでありましょう。そんな親近感・共感もあってこの男の子の人気度は益々上がってゆきました。あまりにフランク過ぎてすみれ男子から呼び捨てにされて、真理先生が子ども達に「○○くんでしょ!」とたしなめるほど。もっとも呼び捨てにされてもそんなことは全く気にもしない彼の度量の大きさゆえのことだったのですが。そう言う意味でも小心者なのにお調子者であるすみれ男子にとっては、とっても身近かつ理想的なお兄さんだったのでありましょう。偶像ではない実像として、本当に良い仕事をして行ってくれた男の子でありました。

 そんな彼でありましたが、彼なりに緊張も遠慮もしていたのでありましょう。最初の頃、自由遊びのドッヂボールでは幼稚園の子ども達を『あしらっている』感じがあった男の子。ボールを取っても高い緩い球を投げ返し、『らしからぬ』ほど子ども達への配慮を感じさせる対応を見せておりました。その姿を見つめながら「大人になったね」と思うと共に「らしくないね」とも思った僕。それが最終日には打ち解けた子ども達との仲もあり、またこの三日間で自分自身の保育に対する体現の形を掴んだこともあったのでしょう。『等身大の自分』で子ども達に向き合う姿を見せてくれたものでありました。子ども達とのサッカーでは、向かってくる園児に対して一歩も引かぬ想いで相対し、バンバン子ども達の顔にボールをぶつけては「ごめん!ごめん!」と謝罪の弁を述べておりました。そう、それがスポーツ。特に幼稚園の保育現場では、故意でなくてもやってしまったならば「ごめんね」と赦しを請い、当てられた方もスポーツの上での出来事として「いいよ」とその謝意を受け止める、それを体現する実にもって良い関わり合いの場を演出してくれたものでありました。他の女の子達もそんな彼に自分の想いを引き出されるように、伸び伸びと子ども達と関わり遊べるようになってゆきました。きっとそんなことを意図したものではなかったでありましょうが、彼の屈託なさが子ども達に・そして同級生にも伝播して、彼を中心に良いコミュニケーションが形作られ、「この子、この仕事向いているのかもね」なんて思ったものでありました。
 しかし天性のお調子君であるこの男の子。多勢に無勢で向かってくる子ども達に対して、段々とタガが外れて参ります。高く上がったボールを手で扱ったり、ハンドボールのようにそれをゴールに投げ入れたり、往年の『わがままいたずらっ子ぶり』を発揮し始めました。それに対する対抗措置で子ども達も同じように反則だらけのサッカーをやり始めるものだから、もう収拾が着きません。そこで僕が割って入り、「それはダメなんじゃない?」とゲームを正しく立て直したのでありましたが、良くも悪くもみんなに影響を与えるその子の姿に思わず笑ってしまいました。そして「そんなところは幼稚園時代と変わらないなぁ」と『三つ子の魂百まで』のことわざを思い出していた僕でありました。

 こうしてそんな中学生達の3日間の職場体験学習は終わりました。最後に幼稚園の子ども達一人一人に折り紙で作ったメダルをプレゼントしてくれた中学生達。しかも僕らにまで「ありがとうございました」とメッセージをしたためた手作りメダルを贈ってくれたその想いに、ちょっと感動してしまいました。「こんな細やかな心遣いも出来るようになったんだね」と。折り紙メダルを30個も40個も作るのは本当に大変なことです。僕らも作るたびにその大変さを感じます。でもそのひとつひとつに想いを込めて作る充実感と、それを受け取って笑顔を返してくれる子ども達に、「がんばって良かった」といつもそう思うのです。そんなお仕事を『実習の課題』として言われてやったのではなく、自分達の想いから準備してくれたこの子達。本当にこの仕事に対するセンスはとてつもなくあるのかもしれません。最終日、最後のお別れに際して、手応えを心一杯に感じてくれたことでありましょう。
 翌日も「あの子がやって来るのではないか」と心のどこかで待っていた僕。「勉強やだし、幼稚園来ちゃった!」と笑って来てくれるのではと。でも彼は自分の居場所に帰ってゆきました。しばらくしてまたここに帰って来てくれたその時に、またちょっと成長した姿を見せてくれることでしょう。往々にして男は成長の遅い生き物なのかもしれません。僕などは50年かけてやっとここまで成長して来て、この先もちょっとずつ成長してゆくつもり。彼のお父さんもその昔の先生達にケチョンケチョンに言われて来たものでありましたが、今では日土を支える好青年。小学校の運動会などでは率先して働き、学校の先生達にも声掛けしている、まばゆく凛々しい姿を見かけます。僕もケチョンケチョンに言われて来た身ですからそんな姿を見かけると、「僕もがんばらなくっちゃ」と言う気にもさせてもらえます。きっとこの男の子も女子からやいのやいの言われながら、時間を一杯一杯かけながら、これからも更にちょっとずつ素敵になって行ってくれることでしょう。『急激なる成長』は人の目を引くものがあるかもしれませんが、自分自身が変わってしまいそうな気がします。それに対して緩やかなる成長は、昔の自分らしさをしっかり心の中に持ったまま、自分らしさを糧にちょっとずつ素敵になってゆく、そんな成長だと思うのです。大樹が一つ一つ年輪をその幹に刻んでゆくように。次なる帰郷の際には、どんな嬉しい成長に気付かされるでありましょうか。『気付くか気付かぬか分からぬほど』の成長であっても、それに気付ける心を持ち続けながら、神様への感謝と祈りを献げながら、僕はこの子達の次なる『帰郷』を待ち望みたいと思うのです。


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