園庭の石段からみた情景〜園だより3月号より〜 2021.3.10
<遊びが育てる想いと力>
 のんびりとした春を過ごしている今日この頃。お天気も暖かくなったり・寒くなったり、朝から雨降りだったのが・それが上がってまばゆい陽射しが降り注いで来たり、と『様々なバージョンの春』を惜しげもなく大公開しているような今年の春です。去年は『晴れならずっと晴れ続き』『雨が降ったら大豪雨』と白黒はっきり分かれたお天気模様でありました。幼稚園の下を流れる喜木川も、ひとたび日照りが続けばすぐにカラカラの『水無川』に化してしまい、大雨が降れば幾所かの砂防ダムが益々もって崩れゆき、この川はどんどんと高低差を失い平坦になってゆきました。そんなこんなで喜木川は今では浅瀬続きの川となっております。そのように様相を改変したこの川は僕らが釣りをするには浅すぎて、ここ一年ばかりは『預かり』の子達と出かけて行っての魚釣りは休業状態。預かり部屋の『ハヤの水槽』も住む主がいなくなり、『水のない水槽』となって久しからずと言ったところです。
 そんなフラストレーションを感じている僕らに対して、逆にその功に預かったのは水辺の仲間達。水が少なくなった川の浅瀬にコサギからダイサギ・アオサギまで様々なサギがひとところに集まりまして、釣りで言うところの『入れ食い状態』の釣り堀で魚を捕っておりました。また川に泳ぐ鯉達も堰が壊れたおかげで行動範囲が広がったよう。「あれ、うちの方にいた鯉だと思うんよな」と川上に住む男の子が言うように、川のあちらこちらで自由に泳ぎまわっています。そう、確かに以前は堰に仕切られ、この辺の鯉は防川の堰の下ぐらいにしかいなかったのが、今ではあちらこちらを悠々と泳いでいます。幼稚園の駐車場横にある新堂の堰はまだ健在なので、そこから上には昇って行けないようなのですが、広い遊び場を想いのままにあっちにこっちにのらりくらりと泳ぎながら春の訪れを楽しんでいるようなその姿は、今の幼稚園の子ども達の姿にも重なります。自分達の日常を分断していた『行事』と言う堰が大幅にカットされたこの一年、その合間をかいくぐって行われた最後の発表会も精一杯やり遂げて、今は心ゆくまであっちにこっちに『この季節のお楽しみ』を探しながら、日土の自然に抱かれて遊んでいる子ども達の姿をあちらこちらで見かける今日この頃です。

 少し前のこと、嵐の晩の明くる朝、砂場に沢山の椿の花が落ちていました。それを喜んで拾って集めるのはばら・たんぽぽの子ども達。一杯拾ってはビニール袋に詰め込んでいます。そんな姿を横目に見ながら、落ちている花を小枝に刺し始めた美香先生と子ども達。裏側のガクの方から刺してゆけばオシベの束をかいくぐって枝が突き抜けて出て来ます。この季節には毎年椿を使って遊んで来た僕らでしたが、それはお初に見かけた情景でした。「こんなに簡単に刺せて、花も崩れないんだ」と新たな発見に驚かされたものでありました。それをいくつもいくつも刺してゆけば、小枝に椿が咲き乱れているようでなんとも美しい風情です。それを持って帰るのかな?と思って見ていたら、椿の木の根元にその枝を刺し出した子ども達。大地から生えいずる『ミニチュア椿の木』の群生に満足そうでありました。『椿の花』と言えば『ままごと料理のツマ』としてお皿に添えられるのが定番。そんな頭があったので、こんな楽しみ方を編み出した先生と子ども達に大いに感心したものでありました。そんな僕の感動も冷めやらぬその日の夕方、そこにお散歩帰りのヤギ達が通りかかった時のこと。「美味しそうな花の串焼き!」と思ったのでありましょうか、次から次からムシャムシャ食べてしまったヤギ子ちゃん達。その情景に「やっぱりヤギには敵わない」と天下無敵のその食欲に笑ってしまったものでありました。次の日はもう別の遊びに想いが行ってしまった子ども達。無くなっていた『椿の花畑』に気付きもせずに、それがなくとも一向にお構いなし。それほどに日土の山は、毎日僕らに遊びの材料とひらめきをふんだんに与えてくれているんだと言うことを改めて感じさせられた『ヤギがお花を食べちゃった事件』でありました。

 また今、女の子達の間で再びブームになりつつあるのが『ゴリゴリ君の色水遊び』。初めは菜の花をゴリゴリやって薄黄色のジュースを作っていた子ども達。それがお次は、その葉っぱがこれまた良い色を出すことを突き止めて、『緑茶・伊右衛門』のCMのような透明感あふれる緑色のジュースを生成し始めたのでありました。その色があまりに奇麗だったからでありましょう。それを入れるのにふさわしい容器が欲しいと申し出て来た子ども達。なるほど光に透かしてみて初めて、その色の美しさが分かることを経験のうちに感じ取っていたのでありましょう。そこで僕の廃材ストックの中からうがい薬『リステリン』の空きボトルを出してあげたなら、それが大いに気に入った彼女達。この製品も奇麗な紫色の液が『効きそうなイメージ』を演出しています。それを入れるボトルは透明度の高いプラスティック製で、そこに入れられた『薄緑色の葉っぱリキッド』は、太陽光を透過しつつなんとも美しく見えたものでありました。あれこれ注文をつけて来る時には「そんなにこだわらなくてもいいのに…」と思ったりもするのですが、こうしてその結果を具現化して見せてくれると、「さすがの美的センスの彼女達!」と納得させられる僕なのです。
 それに続いての『色水材料』に選ばれたのがあの椿。「椿をゴリゴリしても色なんか出ないんじゃない?」と思っていた僕。やったこともないのに。しかし彼女達にはそんな先入観など微塵もありません。ゴリゴリやってみたならば、儚げな薄紅色のジュースが出来ました。あの花のように鮮やかな真っ赤ではないのですが、そうは言っても色が出ることを証明してくれた彼女達。『どっちが生徒か先生か?』、僕は教わるばかりです。その日はそれで時間切れのお片付けになりまして、「冷蔵庫に入れておく!」と作ったものを『仕舞い棚』に入れに行った女の子。翌日、それを取り出してみたなら大ビックリ。椿の花の液が橙色に、しかも昨日より色も濃くなっているではありませんか。驚きの声をあげる彼女につられて僕もびっくり。「酸化したんかね?置いておいたらこんな色になるんだ!」とベニバナのようにその装いを変える自然の妙のエンターテイメントに、世紀の大発見をしたような心持ちでありました。あの顔から想像するに、きっとこの子は僕以上に感動したでありましょう。彼女が将来『リケジョ』となって、化粧品や薬品の開発に携わるなんてことになったなら、「この子の志の原点はここにあります!」って胸を張って言える場面に立ち会うことが出来たことを、本当に嬉しく思う僕なのでありました。

 さてさて、幼稚園のあちらこちらに佇んでいますと、子ども達のいろんな遊びの情景が目に飛び込んで来るので、ついつい嬉しくなってしまいます。集団遊びも楽しいけれど、みんながみんな『右へ習え!』ばかりではつまらない。かと言って『スタンドアローン』も家で黙々とやるならそれはそれでいいのですが、『せっかくの幼稚園』と言う環境の中に身を置いているのだからそれではなんか味気ない。そこで『少数精鋭ながら同じ想いに浸って遊べる友達』との交わりを味わってもらいたいと、あちらこちらに種を蒔いて歩いている僕なのです。如何せん僕の種ですから、賛同してくれる子ども達は大人数とはなりません。でもコアなファンがそれにはまると、ちょっとしたブームを巻き起こすこともあるのです。今回はそれが砂場遊びでありました。自由遊びの時間があまり取れなかった発表会前。鬼ごっこやサッカー・ドッヂボールなど『みんなでの集団遊び』が流行り始めた頃とも重なりまして、なかなか砂場にじっくり座り込んで遊ぶ時がありませんでした。それが発表会後、いっときの集団遊びに一通り満足した子ども達が、新たな刺激を求めて別の遊びを探し始めました。そんな中、一人の男の子がふらりと砂場にやって来まして、シャベルで砂を掘り始めたのです。久しく子ども達によって耕されていなかった砂場だったので、硬くなっていて思うように掘れません。そこで彼が僕に声を掛けて来たのです。「しんせんせいも手伝って!」。請われればオファー以上にやる気になってしまう僕のこと。倉庫から鉄製のシャベルを取り出して来て、ザックザックと耕し始めます。ある程度砂が柔らかくなった頃、その子に「なにしたらいいの?」と尋ねると「山を作る!」。その勢いのままザクっと突き刺したシャベルの砂をひとところに投げ集めます。すると面白いように山がどんどん大きくなってゆきまして、男の子は大喜び。手持ちのローラーを持って来て、山肌をコロコロならし始めます。そんな彼と対になって砂をかき集める僕なのですが、如何せん体力が続くのが3分間。初めのうちは調子良くシャッシャと砂をかいていたのですが、そのくらいで彼に「あとはよろしく!」とシルバーワークのお手伝い終了を告げて一息つきにエスケープ。そんな僕を振り返りもせずに、まだまだ山作りを続ける男の子。この集中力は本当にたいしたものです。気が向かなければ『言われても箸一本動かさない』そんな彼が、自分の想いで始めたことには際限なく向き合うことが出来るのです。「これはすごい力だよな」と思いながら、彼の姿を見つめた僕でした。
 そんな想いに駆られたのは僕ばかりではなかったようです。一人黙々とやり続ける彼の姿を見つめながら、周りにいた子ども達が「私も○○君を手伝う!」と奉仕を買って出てくれました。彼が命名したそのプロジェクトは『日土電気のお仕事』。今から跡を継ぐと宣言している彼が会社の銘を冠したそのプロジェクトに、「僕も日土電気やる!」と3〜4人の同志が所信を表明するではありませんか。更に砂を積み上げる子、山肌をトントン叩いて整える子、勝手にトンネルを掘り出す子と、彼が「××ちゃん、なになにして!」と指示する訳でもないのに、彼の想いに賛同した子ども達がそれぞれの想いでお手伝い?(自分のやりたいように)をやっているのです。そんな仲間のお手伝いを快く受け入れている彼。ちょっと前なら自分のやっていた遊びに介入し触られでもしたならば、怒って怒って大変だったのに…。「ああ、ちょっとそこはこうして」と修正しながらも仲間達の手助けと想いを受け入れているその姿に、「大きくなったね」と思いつつ見つめた情景でありました。
 こうした『人に任せる』と言う処世術を覚えた『社長君』はしばらくすると、ふっと別の遊びに出かけてゆきました。その社長のいない現場、後に残った従業員達がせっせせっせと自ら工事を進めています。勝手に水を流したり、道路を作って車を走らせてみたり、別の遊びを交えながら。でもこの山を守り保全しながらこの子達の砂場遊びは続いてゆきました。これには本当に感心してしまいました。『人にお願いすること』が苦手な僕。何でも自分でしようとしてしまうので、一人工以上の仕事は中々出来ません。でも仲間に後を任せながら、時々帰って来てはまたこの事業に参画し、またどこかに出かけてゆく彼の姿を見ていると、この子こそ『天性の社長』だなと思ったものです。「僕よりよっぽど経営者の才があるぞ」と今まで知らなかった彼の能力を発見したような、そんな想いがしたものです。

 人それぞれ、得手不得手は沢山あります。でも得意なものから自分を伸ばして行くのが一番の近道。その成功体験が新たな挑戦へのモチベーションとなる上に、そこで培ったアプローチ手法が他分野でも応用出来たなら、それは自分を活かすノウハウにも成り得るはず。いずれにしてもそうやって実践をもって『自分を知ること』が生きていく上で何より大事。頭でっかちであれこれ考え悩むより、手足を動かし・体を動かし『やってみること』それこそが、僕らの・そして子ども達の力を伸ばすエクスサイズとなるのだと思うのです。そんなことを思い起こさせてくれた僕の目の前で遊ぶ子ども達。この子達の春は近いうちにきっとやって来ると信じています。


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