園庭の石段からみた情景〜園だより7月号より〜 2020.7.1
<『本物』が僕らに教えてくれること>
 先月末、クラスにおいて『生き物ミーティング』が行われまして、小さな命との向き合い方について改めて考える時を持ったすみれ組。真理先生の涙交じりの訴えに感銘を受けた子達が多くあり、それから毎日飼育ケースの中の生き物達を一生懸命見守り、自ら率先してお世話をしてくれています。ある男の子が家で見つけ持って来てくれたアマガエル、これは正真正銘の『ニホンアマガエル』だったのですが、このカエルを『逃がすか・飼うか』で葛藤の涙を流した男の子。一度は「逃がす」と言ったもののどうしても諦められない彼が、もう一度自分の口で「飼う」と言ってくれたことが嬉しかった僕でした。みんなが「かわいそうだから逃がす」と言う世論を形成してゆくその中で、「それでも飼う」と言うのは大変な決心と覚悟が必要だったことでしょう。他の子達は『逃がしてやるのが正義』と言う論調に乗っかって「にがす!にがす!」と簡単に言ってのけるのですが、自分が捕まえ幼稚園に持って来た彼にしてみれば、『にがす』の重みが違います。そしてそんなプレッシャーに彼が弱いことも重々承知の僕と真理先生。男の子が「飼う」と言った言葉を受けて、「僕も応援してあげるから」とその背中を後押ししたものでありました。さてさてそんなこんなもありまして、それから生き物達の面倒をよくよく見てくれるようになった姿を「さすが、その気になった時のこの子達はちがうねぇ」と嬉しく見つめている僕。それまでは「うえ、うんち!」と言ってみたり、「クモー!無理」とあとずさりしていたこの子達が、割り箸でカエルの糞をつまんで掃除したり、蜘蛛を捕まえてカエルの給餌を手伝ってくれたり。「ほんとに変わったね、この子達」と、行動で魅せてくれる子ども達の頼もしさをひしひしと感じている今日この頃です。

 そんな盛り上がりも寄与したのでありましょうか。僕らの『生物研究』も段々と良い方に転がり始めました。本物の『ニホンアマガエル』を目の前で毎日見ることが出来るようになったおかげで、先輩の『シュレーゲルアオガエル』と比較することが出来、それぞれの特徴などもよくよく分かるようになって来ました。『ニホンアマガエル』を「イケメン!」と推す真理先生。アオガエルにはそれほどご執心ではなかったのですが、その顔の造形に惹かれるところがあったみたい。初めその言葉を聞いて「???」だった僕も、よくよく二匹を見比べてみると目の周りの黒模様以外に『目鼻立ち』にも違いがあることに気付きます。とんがり顔のアオガエルに対して、『テルマエ・ロマエ』風に言うと『平たい顔』のアマガエル。そこにクマドリが施されているその顔は『アジアン・ビューティー』と評することも出来るのでしょう。いずれにしてもそこまでカエルの顔をまじまじと見つめたことのなかった僕には、とても良い学びとなりました。やはり図鑑の写真は『一個体の一枚の写真』に過ぎないので、個の確定の根拠とするにはやはり難しい。それが生きた本物をあっちこっちから見つめることによって見えて来るものもあるのだと言うことを、このアマガエル君のおかげで悟った僕。そしてこれが次なる発見につながるのです。
 今年松岡いでごで捕って来て、幼稚園で育てて来たオタマジャクシ。足が生え手が生え、もうじきカエルになろうと言うところまでやって来ました。このオタマのお世話を熱心にしてくれた女の子があったのですが、自然に帰す時にはぜひこの子にさせてあげたいと思いまして、第一期生のカエル達を巣立ちまでの数日、もも組で預かってもらうことにいたしました。飼育ケースを覗きながら嬉しそうにしていた子ども達。いざカエル君を放すその日がやって来ました。最後のセレモニーをビデオに残したいとカメラを持ち出した僕。ももの部屋での様子もビデオに写真に撮影をしたのでありました。カエルと言っても体長1cmほどしかないちび助君です。普通に見ても「あ、カエル」程度にしか認識出来ないのですが、映像機器とは本当にすごいもの。カエルをアップで撮ったものをパソコン上のモニターで見た時のこと。「このカエル、クマドリがある」。そう、目の周りにうっすら黒い線が入っているのがこの画像で確認出来たのです。すみれさんと真理先生にもこの写真と今部屋で飼っているアマガエルと見比べてもらったのですが、「こっちの方が似ているよね」と意見は一致。シュレーゲルアオガエルを「ニホンアマガエル!」と誤認識していたことが分かって以来、あの毎年オタマジャクシから育てて幼稚園で放してやっているカエル達も「当然、アオガエル」と思い込んでいた僕。毎年放している場所で捕獲したカエルを僕の甘いロマンティシズムによって、『あの子が大きくなって帰って来たのだ』と勘違いしてしまっていたことが分かってしまいました。素敵なお話に舞い上がってしまう僕は、どうも科学者にはなれないみたいです。

 それからも僕らが飼っているオタマ達は、カエルにまで成長するたびに日土の里に放してやっています。その気になっているすみれさん達。「僕が持っていく」と張り切ってくれるのですが、この勢いでぶんぶんケースを持って回ると中に入れている石にカエルがつぶされてしまいそうなので、「ちょっと待って」と石を取り出します。そのケースを受け取ったすみれさんが3分も経たぬうちに「がっしゃーん」とそれをひっくり返しまして「石、のけといてよかったー」。こんなおっちょこちょいはこの子達の日常茶飯事。彼らの『やる気の空回り』に気を配りながら、でもその『やる気』と『自己実現の達成感』を大切にしながら、これからもこの子達と・そして山の生き物達とつきあってゆきたいと思うのです。だってこれがこの子達の個性。感受性が高く・すぐにその気になり・それが過ぎてお調子に乗って大目玉。そんなこの子達のこよなく愛する『実体験』に基づく成長を、神様に祈りつつ依り頼みつつ、見守ってゆきたいと思う僕なのでありました。


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