園庭の石段からみた情景〜園だより11月号より〜 2021.11.16
松ぼっくりがあったとさ
 「今年はこのまま冬になるの?」と身も心も凍え過ごした先月中頃。そこからこの秋も持ち直し、ようやく秋らしい爽やかな陽気の中を過ごせる日々となりました。しかし残暑厳しかった運動会から幾分も経たぬ間における気温の急転直下には、やはり不順を感じたもの。自然もこの季節の気まぐれさについてゆけず、幼稚園の山も青い実のまま落ちたどんぐりが一杯に転がっていたり、紅葉することなく冬支度を済ませた『裸の木』が淋しそうに園庭に佇んでいたり。『変化』が僕らの『対応力』を向上させるものであることは分かっているのですが、しかしその場限りの行ったり来たりには、どうついて行って良いのかも分かりません。そんな僕らを横目にその見慣れぬ青いどんぐりを嬉しそうに拾い上げていた子ども達。不思議そうな顔をしながらもその時与えられたものを感謝して受け止め受け入れる、そんな子ども達の純真な心に自らの想いの至らなさを感じた僕。この子達のように『行ったり来たりの不順な日々』を真っ直ぐ受け止め乗り越えながら、穏やかな『移ろい』に導かれたこの国の美しい四季が再び巡り来てくれますようにと神様に祈ったものでした。

 そうは言ってもこの季節、子ども達にとっての一番のお楽しみは日土のお山を巡り歩く『おさんぽ探検』。幼稚園の周りをぐるっと歩いてみたならば、思ってもいなかったところで思ってもみなかったものと出会います。先月の終り、久しぶりにおさんぽに出かけた大きい組の子ども達。よっぽど嬉しかったのでしょう。みんな口々に「また来ようね」と言っておりました。それから半月ほど経ったある日のこと、その日は珍しくみんなお弁当が早く終わったので、急遽おさんぽに連れて行ってもらえることになりました。11月に入ってから忙しく過ごして来たこの子達。おいも掘りから始まって収穫感謝礼拝や焼いもの準備、サッカー教室に日土のめぐみへの玄関先慰問・そして消防署見学などなど。毎日やること一杯でなかなかおさんぽにも行くことが出来ませんでした。でもそんな毎日の中、真理先生はあの「また来ようね」の言葉を大切に温めてくれていたのです。うきうき身支度をしている子ども達を見つめながら「おさんぽ行くの?」と尋ねる僕に、「ちょっとそこまでなんですけれど…」と恐縮して答える真理先生。「でもそのちょっとのことが嬉しいんだよ」と心の中でつぶやきながら、彼らの後をついて行った僕でありました。
 前回のおさんぽから日土の山も季節は進み、冬の装いを呈して来ました。その間、小さい組の子ども達が幾度か散歩に出かけては嬉しそうにどんぐりを袋一杯持って帰って来たこともありまして、「もうあんまり残っていないんじゃないかな?」と思いつつ向かった梶谷岡のどんぐり&松ぼっくりポイント。今回は前回と逆ルートで歩いて行ったので、JA倉庫あたりからなだらかな上り坂を歩いて行った子ども達。するとその途中で「松ぼっくりあった!」とお目当てのものをさっそく見つけた女の子がありました。不思議に思い辺りを見回してみたのですが、そこはミカンの木はあれど松ぼっくりを落としてくれるような木はありません。そこは例の『松ぼっくりポイント』に至る途中の坂道であることも鑑み、「これ、きっと転がって来たんだね」とそう言う推論に達した僕ら。するとその言葉を受けて別の子が「ころころころころあったとさ」と歌ってくれるではありませんか。その歌に「そうだよね、そう言うことなんだよね」と改めて合点が行ったような気がしたものでありました。
 こうしてみると松ぼっくりはすごいものです。例のポイントから数十メートルも離れた所まで種を届けてくれるのですから。さっきその子が歌ってくれた童謡にもそのことが謳われていたのですが、これまでは歌詞として聞き流していたのであまり印象に残っておりませんでした。僕らが日頃目にする松の木は公園などの平地に植えられたもので、その実が『ころころ転がる』と言うイメージはあまりありません。でも今回のことで「あの笠の開いた松ぼっくりは『疑似球形』に自らを形成することによって、本当にころころ転がるんだ」と言うことを改めて僕らに実感させてくれました。そしてその気づきの考察をさらに深めてくれたあの子の歌のひとふし。作詞をされた先生は今の僕らと同じような気付きと感動を得られたのに違いないと思うのです。「なんでこんなところに松ぼっくりがあるんだろう?」と言う自らへの問いかけから歌の世界観がインスパイアーされて行ったであろうこの童謡。周りには松の木はないけれど、目の前に転がる松ぼっくり一つ。ふと遠くを見渡せば山の頂上に立派な松の木が立っていたのでしょう。『ころころ』のくだりは実際に見たのか今の僕らのように推察したのか分かりませんが、松ぼっくりと松の木を結びつける描写として描かれます。最後の『おさる』のくだりは作者のユーモアが書かせたファンタジーかもしれません。「でもそんな光景、いいよね!」と言う多くの人の想いが、この童謡を名曲として今日まで伝え残して来てくれたのでしょう。
 そんな深く深く満たされた僕の想いを知ってか知らでか、子ども達は例のポイントに着くとお猿のようにどんぐりや松ぼっくりを拾い集めておりました。最初こそ「ない!ない!」言っていた子ども達でしたが、よくよく探して見てみたならば落ち葉や地面に半分埋まった木の実達が次から次から見つかります。中には片側だけ削がれたような松ぼっくりもありまして、「これは誰かがかじった痕かな」なんてそこからまた素敵な物語が広がってゆきます。そんなこんなやりながら、やっぱりみんな袋一杯に木の実や葉っぱを拾い集め、満足そうに園まで帰って来た子ども達。「あるかな?」「ないかも…」って心持ちで出かけて行った僕らに、今日も一杯の恵みを与えてくれた神様と日土の自然に感謝。更に日頃の保育の土壌の上に(今回は歌でありましたが)ひと滴の『体験』と言うエッセンスが加われば、こんなにも豊かな気付きと学びが得られることを、改めて教えられたような気がした僕でした。


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