園庭の石段からみた情景〜園だより9月号より〜 2021.9.13
夏の終りの『自然保育』
 長い夏休みが明けた後、幼稚園が始まった途端にちょっと涼しさを感じさせる季節となりました。思い返せば今年の四国は長梅雨で、一学期が終わってから本格的な夏が始まり数週間の猛暑を過ごしたその後で、『ダブル台風』の影響で冷夏・多雨のお盆シーズンを過ごしたと思ったら、最後にまた酷暑到来。そんなジェットコースターのような夏でありましたが、子ども達に見せてもらった夏休み帳には楽しい思い出の絵や写真が散りばめられていて、嬉しい想いのおすそ分けをもらったような気がしたものです。そこには『コロナ』のことも気にかけながら『楽しい夏の大冒険』の演出をしてくれている親御さんのご苦労が感じられ、みんなでがんばり過ごしたこの夏を誇らしく思ったもの。こうして慎ましく自重をしながらも、こんな時代にあって子ども達に様々な体験をさせてあげられたことを本当に嬉しく思うのです。都会の華やかな暮らしに憧れもする田舎暮らしでありますが、幼子を育てるためには何よりの環境であることを改めて思わされます。日常の買い物ついでにちょっと河原に足を延ばしたなら、満開のひまわり畑で花を愛でることも出来ました。山遊び・川遊びだって『県またぎや都市部との不要不急の往来自粛』の要項を守った上で楽しむことも出来ました。煩わしさを排除するために『暮らすところ』と『遊ぶところ』を完全分離して形成される『都会生活』。一方、『手入れ』や『受容』を生活の一部としつつ、自然の恩恵を子育ての中に生かすことの出来る『田舎暮らし』。日常における草引きや枝打ちなどの煩わしさはあるかもしれませんが、それがただの労働ではなく子ども達との共有体験ともなるのであれば、実働以上の価値をその中に感じ見出すことも出来るはず。そこにあるもので何が出来るか、その体験によって子ども達の心にどんな素敵なひとしずくを落としてやれるか、田舎生活にはそんな無限の可能性が秘められているように思うのは僕ばかりでありましょうか。

 新学期が始まって元気に幼稚園に帰って来てくれた子ども達。夏の間しばらく会わなかったヤギ達と久方ぶりの再会を果たしたのですが、思った以上に彼女達が大きくなっていてびっくらこ。それもそのはず。以前にも増して食欲も太くなったヤギ子ちゃんは食べるわ食べる。いつでもおなかは腹ペコです。そんなヤギ達、子ども達の差し出したはっぱをムシャムシャ食べ尽くしては「もっとちょうだい!」ってそんな顔。子ども達は自らの成功体験から『ヤギはこの葉っぱが好き』と言う研究・考察をそれぞれしているようでして、ある子は「これ!」と桜のはっぱを指さして、またある子は「こっち!」と柿の葉をおねだりして来ます。これってその時々のヤギの気まぐれによるものなのですが、「この葉っぱを食べた!」と言う印象がそれぞれの脳裏に深く濃く焼き付けられたのでありましょう。こだわりのはっぱを口元に届けては、ムシャムシャと食べてくれるヤギに大満足のしたり顔を浮かべる子ども達。そのドヤ顔を見つめながらついつい笑みがこぼれる僕なのです。
 そんな子ども達にそっと柿の実を差し出した僕。「こんなのたべないよ」って顔でスルーする男の子。確かに以前は食べませんでした。しかしこの夏を越えてヤギ子ちゃん達にフルーツブームが到来。山辺に鈴なりに生っている花桃の実もまだ青い柿の実もむさぼり食べています。捨て置かれた柿を他の子が拾ってその足元に転がせば、飛びつくように食べ始めたヤギ子ちゃん。「柿、食べるじゃん!」とたちまち潮目が変わりまして、「かち!かちとって!」とおねだりを始めた子ども達。最初は聞き取れなかったのですがこの子達の目線の先には青い柿。「かち?ああ、柿ね」とようやく分かって採ってあげたなら、ヤギの元へと馳せ参じる子ども達と「青い実なんておいしいのかしら?」と呟く美香先生。でも当のヤギは自分の口に余るほどの大きい柿までもその身をこそぎ取るようにかじって見せるから、これまたみんなびっくらこ。「じゃあこっちは?」と完熟のどろどろになった柿を差し出せばこっちも食べるヤギ子ちゃん。「そうそう、そっちの方が美味しいでしょう」とヤギの食べ物にも想いを寄せてくれる先生の何気ない言葉が何だか嬉しかったです。
 そんなヤギの姿を受けまして「ヤギちゃんは何でもよく食べるね。みんなは『野菜きらーい!』って言ってない?」と尋ねれば、「言ってなーい」と即答する子ども達。お家での食事の様子を噂で聞いているのでなんとも怪しいリアクションなのですが、でもヤギに対して見栄を張るなんてかわゆい所があるものです。またヤギが柿の取り合いを始めたなら「けんか、けんか!みんなもさっき『これ僕のはっぱ!』って喧嘩してたもんね。ヤギと一緒?」と投げかけたなら「けんかしてなーい!」とこれまた全力否定。熱くなった時の自分のことはまだまだ分からないこの子達ですが、目の前でヤギが『依り代』となってその姿を客観的に見せてくれたなら、『これは良いこと』『これは良くないこと』って言うのは分かるみたい。分かったからと言ってすぐさま実践出来る訳ではないのですが、心の中に理想の自分の姿を思い描くことが『そうなりたい自分』へのはじめの一歩。ヤギちゃんはこの子達にとって良きパートナー&反面教師。そんな愛しいヤギ達に寄り添うように、自分の心とも向き合って行って欲しいと思ったものでありました。
夏の終りのこんな季節、雨上がりの丘で青草を刈ったり園庭の草引きをしたり、伸び過ぎた木々の枝を高枝バサミではらったり、はたまたそうして手に入れたはっぱをヤギに食べてもらったりと、この里山の自然を愛する仲間達と山の手入れをしています。そんな『手入れ』の体験の一つ一つが子ども達の心にきっと一生モノの何かを残してくれると信じているから。こんなにも子ども達の想いを生き生きとさせてくれるこの『自然保育』は何物にも替え難い日土幼稚園の宝物。不便さも煩わしさもありながら、この地で幼児保育を行う理由はその中にこそあるのだから。


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