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<冬休み、非日常の感動物語> この年末年始はおかげさまでゆったりとした日々を過ごした僕。外界ではコロナの感染者数や死亡者数の多さが取り沙汰される中であったので、普段でもそうなのでありますが極力日土の山に引き籠りながらなるべく過密空間へ出ないように過ごしたものでした。そんな時に『八幡浜くらし応援マイナ商品券』なるものをお小遣いにもらいまして「どう使ったものか?」と思案していたところ、お散歩がてら日土のAコープに行くことを思いつきまして、小春日和のある日に愛娘と一緒に梶谷岡路をゆく『ご近所小旅行』へと出かけたのでありました。幼稚園がある日には普通にしていても一日一万歩は軽く行く僕なのですが、お休みになった途端歩数が滞り運動不足の大ピンチ。娘はクリスマスにもらったすみっコぐらしのスマートウォッチの万歩計機能を使いたくって、双方とも満を持してのお散歩紀行となりました。歩きながら丘の上から見下ろす幼稚園の風景を写真に収めたり、クリスマスプレゼントを身に着け嬉しそうにポーズを取る我が子のスナップを写したりの散歩道。梶谷岡橋までくだり川べりまでやって来た時、川面にまたもやカワセミを見つけました。いつも携帯しているウエストバッグの中から単眼鏡を取り出して二人で代わるがわるバードウォッチング。そんなこんなのお散歩自然探索を堪能しながら日土のAコープまでたどり着いた僕らでありました。娘のお目当てはご褒美の『ピノ』。品揃えは少々不安定なこのお店ですが、ピノだけは必ず置いてありまして、それが嬉しくていつもついて来てくれる彼女。一年一年どんどん大きくなってゆくこの子がいつまで『ピノ一箱』でついて来てくれるか分かりませんが、今はその幸せを感謝して受け止めている僕なのです。 「地元を大切にしたい」と思いつつ、忙しい日常&決められた予算の中ではなかなかこの店に足を運ぶことの出来ない僕。だから『冬休みで』『娘とお散歩』『予期せぬお小遣い有り』『それも使えるところが限られている』とそんな条件が重なり合ったこの時は、「こんな時間とお金の驕り方もいいんじゃない」と思ったのです。けちんぼな僕なのでいつもなら手の出ないひとパック千円ちょっとする焼き肉用の『日の出豚』(これは晩御飯)と娘のピノ、そして昼食に焼きそばを作るためにその店に置いてあったあり合わせの食材を買い求めて帰宅の途に就きました。4人分欲しかった焼きそばも『2人分一袋』しかなかったので、もう一つは焼うどんになってしまったのですが、それもおいしかった。本当は沢山仕入れたいのはお店の方。でもそれが買われずに売れ残ってしまう状況が常態化してしまったなら、本当に必要最小限の物しか置けなくなるのはものの理。でもそれが進んでこのお店がここからなくなってしまったなら、その時はそれを残念に思い「もっと使ってあげればよかった」と後悔するはず。建物こそ変わってしまいましたが、ここは僕が子どもの頃、祖母に連れられて通った思い出のお店。時より訪れる気まぐれな客が一つのお店を支えることになどならないことは重々承知。でもJAが最終判断を検討するその時に、『子連れで訪ねて来て、喜んで買い物をしてゆくお客さんがありました』と言う物語がその場で語られたなら、また違った潮目を生み出すことにつながるかもしれません。使う側も小さなお店故の『値段が高い・安い』『不便・便利』があるかもしれませんが、選択肢の許容量が大きい時にこの店のことを思い出すことが出来たなら、何かが変わってゆくかもしれません。僕らもそうやってみなさんにこの幼稚園をつなぎ残して来てもらったのだから。今は『自分が生きること』が大変な時代ではありますが、こんな支え合いの想いも大切にし続けてゆきたいと思うのです。 さて、そんな幸せな冬休みを経て、再び子ども達の前に立った僕。彼らは「どこに行った」「なにが楽しかった」とそんな話を一杯してくれます。お休み中に乗った他所の電車が嬉しくって仕方がなかった男の子。僕も知らないような伊予鉄の路線名や駅名を次々披露してくれまして、その興奮がひしひしと伝わって来ました。また郊外の公園に連れて行ってもらった子ども達はその道筋について大討論会を繰り広げます。「おおずのもりこうえんは、こっちから行って右に曲がるんで!」「いいや左!」。そもそも『大洲の公園(ふれあいパーク)』なのか『王子の森公園』なのか、何について論じているのか分からないこのディスカッション。でもこの子達の頭の中には自分が行った公園の映像がありありと浮かんでいるからこそ、こんなにも熱っぽく語り、なおかつ全く交わらない『ねじれ位置』に相対する議論を延々と繰り返しているのでしょう。『ねじれ』とは平行でも垂直でもない位置関係のこと。垂直であればいずれ交わるし、並行であったなら距離がずっと変わらないことからその相対関係に気付きます。でも『ねじれ』は交わりもしないしその距離も遠ざかったり近づいたりする関係性。「土のお山があって…」なんて話が出て来ると「それってふれあいパークのことじゃない?」と思う一方、「リニューアルした王子の森公園って小山があったような気も…」と聞き耳を立てながら『ミルクボーイの漫才』のようなこの子達の『ねじれやり取り』を面白おかしく聞いていた僕でありました。いずれにしても冬休みに『家族と過ごした非日常』を一杯心の中に詰め込んで帰って来てくれた子ども達。どの子の口からもその嬉しかった思い出が熱っぽく語られるその様から「良い冬休みだったんだな」と感じます。年末も日常と変わらずに保育があったなら、その分仕事や経済活動は出来たのかもしれません。でもこんな感動の物語を子ども達の口から聞くこともなかったはず。この喜びとモチベーションを燃料に、三学期もまたこの子達と張り切り頑張って行けたならそれが何よりだと思うのです。子育てにはこんな『非日常の感動』と家庭の支えが欠かせないと信じつつ、『幼稚園』を続けることに誇りを持っている僕なのです。 |