園庭の石段からみた情景〜園だより11月号より〜 2022.11.12
共に育つ子育て実践
 急転直下の気候変動が続いて来た『2022年』でありましたが、秋の気配を感じる頃になると比較的落ちついた日々を過ごせるようになって来ました。それは幼稚園の会議室で仕事をしていた時のこと。背後でガサゴソ物音がするので振り返ってみれば、スズメ大の小鳥が一羽、窓外の藪から飛び出してくるのが見えました。「何かな?」と後を目で追いその姿を注視すれば、喉元に鮮やかな紅色が見えました。『ノゴマ』です。春から秋にかけて北海道で見られる小鳥なのですが、季節の変わり目には本州でも見られると言う渡り鳥。僕も数十年の人生の中で「なんでこんなところで見れるんだろう?」と言う時と場所で数回見たことのある不思議な鳥。それが『この鳥を見るためにフィールドに出かけて行って見た』のではなく、『朝学校に行こうとした時に玄関先で』とか、『幼稚園の門前で掃き掃除をしてた時』、そして今回などなどと、みんな何気ない日常の一コマで見られたと言う実に不思議な相性を持った、僕にとって実にかわゆい小鳥なのです。期せずしてそのようなものに出会えた時には「なんかいいことあるかもね」と嬉しくなってしまいます。季節がゆっくり移ろいゆくそんな時には、その季候に乗っかってこんな珍客が僕らの日常にやって来てくれることもあるのです。でもそれは彼らを迎える自然がここにあるから。何にもない田舎町ではありますが、ここは僕らにとっての素敵な桃源郷。だからこの喜びを皆さんにもおすそ分けしたいと思い、ここに想いを綴る僕なのです。『自分の日常を好きになる』って、実はなにより幸せなことだと思うから。

 さて、子ども達の日常に目を移せば、雨の少ない晴れ続きの秋となったこともあって、日中はポカポカ陽気の下で元気に活動出来る時を一杯与えられた一ヶ月となりました。『第一次どんぐりフィーバー』によって一通り拾われてしまった幼稚園の『山どんぐり』だったのですが、週末をはさんで週明けの通勤道の足元に新たなどんぐりが落ちているのを見つけた僕。ゆっくり進みゆく季節に促され、中二日の間にまた供給されていると言うサスティナブルな自然環境に改めて感謝したものでありました。子ども達の中には「あれ採って」とまだ木に生っている青色どんぐりをねだる子もあったのですが、「熟して落ちて来るまで待とうよ」と先週諭したばかり。「今欲しい!」と言うのが人間の『情と欲』なのですが、程よく時をかけて想いを満たしてくださる神様の差配の塩梅は、本当に絶妙だと思うのです。そんな神様の御心に感謝しつつ、幼稚園までの通い路で幸せ気分を味わせてもらった僕でした。
 この喜びを子ども達にも伝えたくって、登園バスの添乗から帰ってすぐに新館に出向いた僕。彼らの顔を見た瞬間、「これはたんぽぽさんだけに教えちゃおうかな」と言う想いが心を巡ります。どんぐり拾いが大好きなのに、いつも思うようにゲット出来ないたんぽぽさん達。目も手も早い上級生と比べたならハンデのあるこの子達の肩をそっと持ちたくなってしまいます。と言う訳でこれは眞美先生にだけこっそり伝えたトップシークレットとなったのですが、その日も子ども達はどんぐりを拾いに山へ出かけてゆきました。上の子達は僕からの『情報』を持ち合わせていないのに、山を歩けば次から次へとどんぐりを拾い上げてゆきます。その後を歩くたんぽぽさんは僕らが「ほらそこ!」って指差しているのに、みんながみんなその上を跨いで通過してゆくものだから「あれれれれ」。『どんぐりが地面に落ちている画像』がしっかり頭にインプットされ、再生・照合出来るようになって初めて、「あそこにどんぐりが落ちている!」と識別出来るようになるのでしょう。まずは教えてもらいながらではあっても、『自分の目と手でどんぐりを拾う体験』を一杯一杯積み重ねなければ、自分でどんぐりを見つけて拾えるようにはならないのかもしれません。そんな訳でこの日もどんぐり一個二個の収穫で終わり、ちょっぴり寂しそうな顔をしていたたんぽぽさんでありました。
 それならばと年長・年中も手の出せない手すり柵の外に落ちているどんぐりを採ってあげようと、身を乗り出し拾ってたんぽぽさんに手渡した僕。久しく待ち望んだお土産を、柵の向こうで待っていた5人のたんぽぽさんにプレゼントすることが出来ました。そんな子ども達の笑顔に気を良くしまして、張り切りどんぐり拾いをしていた僕の足元に、素早く動く影一つ。柵外に身を乗り出してどんぐりを拾う僕の姿を見て「その手があったか!」と思ったのでありましょう。ももの男の子が同じようにしてどんぐりを拾い始めたものだから、あたふた慌てふためいてしまった僕。「マネしないでね」と言いつつも、「こんなこと出来るのは僕しかいないから大丈夫」と思っていたのが自身の驕りでありました。子どもとは誰かがやって見せたなら『自分にも出来る』と思い込める『前向きスピリッツ』を持っている生き物だと言うことを改めて見せつけられました。最近は『怖いものには手を出さない』いわゆる『おりこうちゃん』の子が多くなった気がしていたのですが、それは単に経験不足と言うことみたい。自己体験もそうですが、他人がやっている姿を見たならば、『自分も出来る』と言う根拠のない自信が生まれ来て、自分を『行動』へと突き動かしてゆくのです。運動能力も高く、確かに大丈夫かもしれないその男の子ではあったのですが、「ごめんごめん、やっぱりマネしないでね」と謝りつつ、子ども達の前での軽率な行動を反省した僕でした。しかし反省しつつも勇猛果敢な姿を見せてくれたこの子の姿に、『現代の子ども達が決して退化している訳ではない』と言うことを、嬉しく感じたこの日の僕でありました。

 この秋はこんな『やって見せればついて来る』と言う子ども達の姿を、他にもあちらこちらで見かけたもの。実際、サッカー教室でもやっている『パチパチ・キャッチ』やそこから派生して足でボールを蹴り上げる『ハイパント』も子ども達の目の前でやって見せたなら、それに追従し挑戦してみせてくれる子がありまして、「おー、なかなかやるじゃん!」と頼もしく思ったもの。『いつもつまらないことを言っている新先生が出来るんだから、きっと僕にも出来るはず』と言う敷居の低さもあるのでしょう。野球でも山に向けてバコーン!とボールを打ってみせれば、『自分もやるやる!』とバットを持ち出して来た子ども達。僕にとっては昔ながらの、この子達にとってみたら目新しいそんな遊びが、すみれ・ももさんの間でちょっとずつ見られるようになって来たある日のことでありました。一人のたんぽぽさんがボールとバットを持って来て先生の目の前にやって来ました。今年のたんぽぽさんがこんなものに興味を示す姿、これまであまり目にしたことがありませんでした。「なにをしたいんだろう?」とその様子を見ていると、ジェスチャーで何かを訴えます。『〇〇して』と言うお願いを言語化するところまでは行かないのですが、野球道具を持って一生懸命先生を見上げるたんぽぽさん。この子の心に想いを馳せて、『打つのやりたい』と言う無言のメッセージを察してくれた先生がその子達にお付き合いしてくれまして、たんぽぽさんの『野球ごっこ』が始まります。するとその子、先生にボールを渡して自分はバットを構えるではありませんか。そして先生がボールを投げてくれたなら、それに合わせてバットをブーンと振るのです。「ちゃんと野球になっている!」とこの子の『物の理解』の正確さに本当に驚かされたもの。当たる当たらないはともかくとして、『野球ごっこ』が嬉しくて仕方のないたんぽぽさん。「もう一回」「もう一回」と先生のお付き合いをおねだりします。するとその姿を見ていた他のたんぽぽさんが次々とバットを持ち出して、「僕も!」「私も!」の『無言のまなざしリクエスト』。こうして思いもしなかったたんぽぽさん達の野球教室が繰り広げられた不思議な情景でありました。
 これもすみれさんが野球をする姿を見つめてか、はたまた少し前に盛り上がったNPBの日本シリーズをお父さんと一緒にテレビで見ていたか、もしかしたら休日に家族で一緒に遊んだのかもしれません。どこかで見かけたその姿に憧れを感じながら『自分もやってみたい』『僕にも出来る』と思ったことがきっかけとなって、この子達の遊びに大きな展開があったことをとても嬉しく思ったもの。習い事のように「はい、やってみましょう」ではなく、外部情報を自らの五感を通して取り込んで、自身の好奇心にイザナわれてその気になれること、これが自己啓発の始めの一歩となるのです。未知なる物事に対してこう言う想いで向き合うことが出来たなら、きっと色んな事がどんどん出来るようになってゆくはず。「これまで砂場に座り込んでの砂遊びばかりだったこの子達が…」と思うと感無量。嬉しい秋の実りをまたまた見せてもらったような気がしたものでありました。

 最後にもう一つ、これは親子遠足での出来事。お昼ご飯を終えて公園で遊び出した子ども達。目の前にはロープ作りのジャングルジムがありました。上まで登れば5mほどの高さになろうかと言うこのアスレチック。ロープ仕立てですので剛性がなく、一番下でもユラユラふらふら揺れてしまいます。就学前の子ども達ですからそんなの怖いに決まっています。最初は下の方でうろうろ行ったり来たりしていました。そのうち階層の2段目3段目へと登ってゆく子が現れました。他所で同じ様な遊具で遊んだことがあるのか、もしかしたらこの公園に来たことがあるのかもしれません。するする登ってゆくその子の姿を見ているうちに段々チャレンジに加わる子が増えて来ます。中には普段、運動遊びをあまりしないような子が高みを目指して登ろうとするものだから、「え?君がやるの?」とこちらがびっくりしてしまいました。まあ手を離さなければ落ちることはないのですが、それに伴う手足の運びには一考が必要なこのロープ登り。でも『僕にも出来る』の想いだけで登って行ったその子は案の定、行き詰ったかと思いきや、足がかりをなくし手だけつかまっての宙ぶらりん。周りにいた大人がみんなで慌てふためきながらも、手を差し伸べてくださったお母さんによって抱き留めてもらった一大事でありました。その時の僕はロープの上でビデオカメラを片手に、もう一方の手はロープを握り自分を支えるのが精一杯。「親子遠足で良かった」と思いつつ、冷や汗をかいたものでありました。
 しかし『怖がり&消極的な子達』がこうして次々と未知なる自分にチャレンジしたこのアスレチック。やっぱり誰かが『やって見せた』ことがこの子達のモチベーションにつながったのでしょう。客観的な自己評価はついて行かなかったけど…。でもそのうちに、かの『宙ぶらりん君』も段々とスキルを上げてゆきまして、その日公園を後にする頃には2段目3段目まで軽々と登って行けるようになりました。この短時間における急成長をまばゆく見つめながら、『経験値』の持つ力の大きさを改めて感じたものです。『やって見せる』&『やってみる』、自分の想いを持ってじっと見、集中して取り組むことが出来たなら、きっとこの子達はどんどん色んな事が出来るようになってゆくことでしょう。『やらなくちゃ』『出来なかったらどうしよう』から始まる挑戦ではどうしても腰が引けてしまいます。それに対して僕らが嬉しそうに・楽しそうに物事に取り組む姿を見せてゆくことが出来たなら、それが何よりの彼らへの『学び啓発』になるのです。カッコ悪くてもいいのです。時々失敗の姿も見せながら、その時にも笑って「もう一回!」と繰り返し挑戦する姿を自ら示すことが出来たなら、この子達は勇気と憧れを持って新たなる自分に挑戦して行ってくれるでしょう。そのためには私達も、自らの自己啓発を重ねてゆかなければなりません。でもそれこそが、僕らの『共に育つ子育て実践』となってゆくはず。後々振り返ってみた時に、「あれがこの子とのかけがえのない思い出になったんだよね」と懐かしく思えるであろう、素敵な素敵なおまけつきの。


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