園庭の石段からみた情景〜園だより12月号より〜 2022.11.12
神様のお約束
 ぬくぬく陽気の晩秋を過ごして来た11月。それが突如『12月下旬の寒さ』と言われるほどの寒気がやって来て、身を震わせたものでした。『今日は最高気温が20℃なのに明後日には10℃になる』と言う週間予報を見た時に、「何をどうしたらよいものか」と思考が停止したことを覚えています。いつもなら徐々に重ね着を増やしてゆくことで、「ああ、これでこんな感じ?じゃあ明日はもう一枚」って感じでアジャストしてゆくこの季節。それなのに外で子ども達と走り回っていたならば暑くてフリースジャケットを脱ぎ捨ててフランネルのシャツが表着となるようなそんな日に、『気温が半分になる』と言う日のことを考えるなんて僕には出来ません。いったん寒さに身をさらし、その中で「さあ、どうしよう」と考えることしか出来ない朴念仁。でもだからこそ事前情報に振り回されて戸惑うことが、人より少ないのかもしれません。『思い悩むな。その日の苦労は、その日だけで十分である』と言う聖書の御言葉が僕の救い。そのおかげか『悩み・不平不満を述べるより、信念は守りながら順応・適応出来る人になる』と言うのが僕の信条となっています。
 今年はカラカラ天気が続いた後、まとまった雨がざざーっと降ると言ったそんな気候の繰り返し。そのせいでしょうか幼稚園の下を流れる喜木川も、よくよくその様相を変えています。12月のある朝のことでした。送迎バス添乗の為、駐車場まで下りて来た僕が見つけたのは、川中の砂防ダムの下にあった水面から15cmほど突き出たでっぱり。「あんなところに岩があったかな?」と思いつつ川面を見つめながら近づいてゆきますと、頂上あたりに暖色系の色がついているように見受けられます。目を凝らして見てみるとそれはカワセミ。カワセミはコバルトブルーの美しい鳥なのですが、そのお腹はオレンジ色。大水で流されて来たコンクリートの塊が水面から一角を突き出したその頂に、ちょこんと留まっていたのです。野鳥は人の気配を感じるとすぐに飛び去ってしまうものなのですが、その姿見たさにずけずけ近づいてゆく僕を気に留めることもなくそのカワセミはじぃっとその場を動きません。砂防ダムから水が流れ落ち滝壺になっているその下には、この地方に生息するハヤが集まっているのでしょう。小魚を狙ってじぃっと水面を見つめているカワセミ君。川っ淵に近い所であったならいつ何が跳び掛かって来るか分からないところを、川の真々中に突き出た『停まり木』に陣取っていたならば、後は上空の敵にだけ気を付けていれば良いのです。ここが『安全なところ』であると言うことを本能と経験によってちゃんと分かっているみたい。普通、自然の者は環境の様相が変わると怪しんでそこに近づかないものなのですが、このカワセミは短期間のうちに観察と試行錯誤を繰り返し、その停まり木が安全且つ有効なものであることを突き止めたに違いありません。川底まで十分な深さのあるポイントの上にこんな停まり木がある場所は、あまりこの辺では見かけません。「このカワセミ君は自分の知恵と適応能力で、絶好の漁場を見つけたんだな」と思うと、その勇気とがんばりにエールを贈りたくなります。彼が見せてくれた新たな環境への順応力・適応力の力強さに、色々と教えられたような気がした僕でありました。

 今年もアドベントに入り、聖劇の練習も始まりました。去年の聖劇を終えた頃には、『来年度の総園児数が8人』と言う厳しい予想の中、「ページェント、出来るかなぁ」とみんなで心配したものでしたが、今年のアドベントは18人の子ども達と迎えることが出来ました。今年何度もどこにでも書いて来たことですが、このこと本当に感謝でありました。神様の御守りと御心故のことなのですが、心を砕きこの園のことを心配してくださったお母さん方・そして先生達一人一人の想いがこうしてこの幼稚園を支えてくれたことを決して忘れません。またここまでの歩みの中で、今年も行事を皆さんと喜び合う形で一つ一つ実現出来たこと、本当に嬉しい事でした。更にこの状況を用いて、これまで当たり前に行なって来たことの一つ一つを改めて省みて、改善したり新たに提案させていただいたことも沢山ありました。その中でお互いに互いを想い合うことにより与えられた新たな変化が、また新たなる嬉しい想いの花も咲かせてくれて、やはり感謝の一年でありました。
 そうした中で迎えた今年のアドベント、聖劇についても見直してみると色々な課題があることが分かって来ました。例年、『どの役も大切なんですよ』『喜んでやることが何よりのイエス様への捧げもの』と子ども達にメッセージを送りながら過ごしているアドベント週間。それでも今のこの時代、譲り合うこと・認め合えることの大切さを貴びつつも、現世的な不公平はなるべく作らないようにと、配役やセリフなどに考慮して参りました。大規模園ならきっとそうはならないであろう配役問題。一クラス30人もいたならば、みんな同じボリュームの配役やセリフなんて出来っこないことも肌感覚で分かります。それが微妙な小規模園だったことによりまして、少ないクラスメイト同士の間で「あの子と私、違うのなんで?」と二人称の問題として不平を感じることにつながって行ったのかもしれません。少人数園ならではの『手厚い保育』によって子ども達に寄り添っていたつもりの僕らだったのですが、その少なさが子ども同士・お母さん同士の感じ方に必要以上の『相対性』を持ち込んでしまったのかもしれません。それが限界集落のように本当に担い手がいなくなって初めて、一番大切なことと向き合うことが出来ました。本来、聖劇は聖書ありき。子ども達に合わせてストーリーを変えたり、クリスマスのメッセージをゆがめたりすることは赦されません。『今年はすみれに女の子がいないからマリヤはいません』なんてことは出来ないのです。すみれ・もも・ばら・たんぽぽの数、それは人の営みの中の大人の都合で決められてしまうもの。しかしその子達は、神様によって選ばれこの園に導かれて来た、私達にとって大切な一人一人。ならばその神様の御心を汲んで、与えられたこの子達とこのクリスマスに出来る一番のことをやろうとするそのことが、何よりの『捧げもの』だと思うのです。こうして今年のページェントに挑むために一歩を踏み出した僕らだったのでありました。

 そんな想いで歩み始めたアドベント。でも実際にやってゆくと色んなことが分かって来ます。まずは年長と年中と言う一回り違う子ども達が担うことになった役の取り組みについて。例年、年長が主になって挑む聖劇でも、最初はセリフ回しがおぼつかず、四苦八苦している姿が見受けられます。それは四週間の時をかけて段々とその身についてゆくものなのですが、今年はそれを年中児が中心になって挑戦してゆこうと言うのです。「大丈夫かな?」と思いつつこの子達のファーストタッチを見ていると、意外と出来ちゃっている子ども達の姿にびっくり。ももの3人娘です。彼女達は3人ともお兄ちゃんがいて、しかも同級生。彼らが演じる日土幼稚園の聖劇に入園前から慣れ親しんで来てくれました。しかもお家で全役を一人で喜び演じてしまうような聖劇の大ファン。例年ならば年長が艶やかに演じるマリヤや天使を憧れのまなざしを持って見つめる立場にあるはずが、今年は「やって!」と言ってもらえたことに大喜び。しかも人数の足りなさからいつもは数人で分け合っているセリフも一人で担うと言う『てんこ盛り』。それを喜んでやって、それなりに出来ちゃっているからなおさら驚いてしまうのです。多少のセリフや演技の指導は必要ですが、それについてもしっかり真正面から受け止めて、精一杯履行しようとする姿勢が感じられます。『好きなものをやらせてもらえること』の生み出す力の大きさを、改めて見せつけられた素敵な情景となっています。
 『ヨセフさんとマリヤさんが若い年中児カップル』と言うのも初めてのこと。本当はひとつひとつあれやこれや言いたいマリヤさんがヨセフさんに手を引かれ、宿屋を求めて静々とベツレヘムをさまよいます。男女観についてあれこれ言われる現代ですが、これは『その姿が良い』と言って顕していることではありません。夫であるヨセフが住民登録を行うために彼について来たマリヤさん。天使からの受胎告知を受け入れたものの、現世で頼れるのは夫ヨセフだけ。そんな彼を信頼して共に歩む姿を顕してくれていた幼妻マリヤさん。『受胎告知の幕』ではあれほど堂々と演じていた彼女が、この場面では心細そうなマリヤを表現している姿を見つめながら、このキャスティングの妙に加えて彼女の天性の演技と役理解・そしてそれを求められた神様の御心を不思議に感じたものでありました。一方のヨセフさんも「僕は宿探しなんてやりたくないんだけどなぁ」って感じの表情に『彼らしさ』を浮かばせながらも、「ここは僕がやらなくっちゃ」と言う責任感が自分を突き動かしているそんな演技で奮闘中。お互いに譲り合って支え合って暮らしている若夫婦の姿を二人でよく顕してくれています。『新婚でラブラブ』だけじゃない、お互いに不満も不安もありながら、でもそうして支え合っているリアルな姿と想いを感じさせてくれる『新たなヨセフ&マリヤ像』を魅せてくれている名場面となっています。

 さてさて、また別の子に目を向けてみますと、途中入園の子ども達、やっぱり最初は勝手が分からず戸惑っていたみたい。この聖劇、ばらの頃から身近に見て触れて来たからこそ流れやリズムを自分の中に受け入れて、なんとなくながらも理解を深めて来れるもののよう。彼らは初めて・もしくは去年は入園直後の聖劇だったこともあって周りをじっくり見ることも出来なかった子達で、やっぱり不安が大きかったよう。最初は『ドキドキ』と『ハテナ?』で、「ああ、やっぱり難しかったかなぁ」と思ったものでした。それが練習を重ねてゆくうちに、ドンドン上手くなってゆくのが分かります。最初は様子見から入るのだけれど、その間によくよく人の言うこと・やることを自分の中に取り込んでゆくこの子達。『自分の中で正解を見い出したなら後は体現するだけ』とそんな感じで、ある時から急にスイッチが入りまして、「普段だってこんな大きな声で喋らないのに」と思うばかりの大きな声で歌いセリフを回してくれるようになりました。それを僕らが「良かったよ!」「上手だった!」と声を掛けたなら、嬉しそうな笑顔で応えてくれたこの子達でありました。
 練習が終わった後、一人の男の子がそそっと僕の膝元にやって来て「上手だった?」と顔を見上げながらのクエスチョン。もちろんさっき「良かったよ」と言ったのだから良かったことは伝わっているはずなのですが、もう一度『賞賛の言葉のおかわり』が欲しかったのでありましょう。いつも控え目のこの子がこんなに自己顕示の姿を見せてくれたのは予想外だったのですが、「実は普段も、もっとリスペクトして欲しかったんだろうな」と自らの接し方に反省をしたもの。僕も自分から『見て!見て!』と自己アピール出来る方ではないのですが、「これやって」と言われると「それじゃあ」とその気になってやるタイプ。この子と似ているところがあるみたい。だからその想いが分かる気もするのです。こうして彼は『自分の得意なもの』に出会うことが出来ました。「きっとこれからも舞台に上がればスイッチが入り、人一倍頑張って見せてくれるはず」と大いなる期待を感じています。
 また羊飼いを一人で任された男の子、5匹の『たんぽぽ羊』のお世話を一生懸命いたしながら頑張ってくれています。自由気ままな羊さん。彼らの『歌って・ひれふし・起き上がって』のタイミングは毎回バラバラ、動いてくれないことも多々あります。天使登場の際も「おじぎして」と言う先生の言葉に、『ハイハイ』から『ひれふす』への姿勢移行を試みるのですが、そのまま前脚を前方に投げ出せば良い所を、後ろ脚までも投げ出して『ペチャンコかえるちゃん』みたいになっている子もあって思わず笑ってしまいます。でもこの子達からしたら一生懸命の羊の演技。今度ヤギ牧場に行った時に、足を折りたたんで日向ぼっこしているヤギの『後ろ脚』を見せてあげなくっちゃ…と思ったもの。羊ちゃんのそんなこんなの動きを見届けながら自分のセリフのタイミングを計っている彼は、なかなか自分の入り所が掴めません。先生達は「羊はいいから、どんどん行って」と言ってくれるのですが、心根の優しい羊飼いさんは『さまよえる小羊』を置いては行けぬよう。「羊飼いが言ったら、羊はついて来るから大丈夫」と励ましながら練習を重ねています。スポーツ万能で明るい彼なのですが、実は根は真面目な緊張しい。こう言う舞台もあまり得意でない様子。それでも『お家で羊飼いの唄を歌って自主練している』なんて話が伝え聞こえて来たりすると、思わず嬉しくなってしまいます。それぞれの子がそれぞれに自分の課題と向き合って、頑張っていることを嬉しく見つめている毎日です。

 さあ、やっと主役のすみれさん登場、『博士の幕』です。ばら4人の星達と博士が唄の掛け合いをするのですが、この星がまた派手な『爆発型変光星』。星には明るさを変えるものがありそれを『変光星』と言うのですが、ばらの四つ星の変光はかなり過激。彼らが歌うは今月の讃美歌でもある『おほしがひかる』、それがなかなかにすごいのです。礼拝ではちゃんと歌えているように聞こえて来るのですが、それはすみれ・ももさんが一緒に歌ってサポートしてくれているからこそ。『ばらだけ』となると途端にうる覚えと自信のなさから、入りの「おーほしが」小声になってしまいます。それを受けて僕らが『がんばれ!』って顔をすると続く「ぴっ!かっ!ぴっ!かー!」がスタッカート&アクセントの大ボリュームに。「なにがーなにがー」の所がまたしゅるしゅるしゅると小声になったかと思うと、リフレインの「おーほしが」でまた大爆発と言ったむらっけたっぷりの歌唱を披露しています。練習時点ではこんな風に頑張りつつもなんとも派手にきらめく四つ星となっているのですが、そんな不思議な星だからこそ博士達が注目してくれたのも歴史上の事実。そのような見方をしていると聖劇もまた楽しく見えて来るから、これまた不思議です。
 そんな星を見つめて3人の博士さん。トップバッターはももの大型博士君。「帽子が入らない」とこぼす彼に、「頭に乗っかっているだけでいいから気にしないで」と声を掛けています。去年の大型すみれ君でもなんとか被れたこの博士帽。色画用紙の『折り紙折り』造りで、サイズアップはなかなかに難しい伝統の帽子です。久しぶりに見た彼の『困った顔の八の字眉毛』を懐かしく思いながら、ベストを尽くしたい彼の生真面目さを感じさせてもらった気がしたものでした。それからも彼は持っている巻物を差し出して「何が書いてあるの?」「なんでりっくんだけ読んでるの?」と質問の雨あられ。真面目な性格と生まれ持っての好奇心からの質問なのですが、そうして一番博士の『ひととなり』について探求し役作りをしてくれているのかなぁ…と嬉しく思ったものでした。お次はその巻物を読む博士。長らくの戦線離脱から復帰してすぐの聖劇練習、「また不安一杯なんだろうな」と見つめた舞台上だったのですが、朗々と大きく張った声でセリフを言ってくれた姿に感動してしまいました。彼も『任されたらがんばる子』。きっと不安はあったでしょうが、それを跳ね返す強い想いを持って復帰戦に挑んでくれたこと、本当に嬉しくまた一つ大きく成長した姿を見せてもらったように思いました。そして三番博士のすみれさん。喉カラカラ声でセリフを一生懸命言っている彼を見ていると、本当に緊張していることが伝わって来ます。まだ練習なのですが、彼は逆に『任されると緊張するタイプ』。何気なくやったら上手にそつなく出来るのですが、『僕がやる』と言う自意識が芽生えた瞬間にその想いが体を縛りあげてしまうのでしょう。普段は太い大らかな声をしているのに舞台に上がると裏返ってしまうその姿から、『力が入っちゃうんだね』と思ってしまいます。でもそれを踏まえて「ここから前を向いて行かなければ」とも思うのです。そんな自分に向き合って、ある時「なんてことないじゃん」「僕、出来てるじゃん!」って自分で感じてくれたなら、すっと自分の中から力が抜けてゆくことでしょう。そして今の彼はこの現状を自分で捉えてその場で踏ん張れる子になりました。その彼を信じつつ、この子の頑張りに神様が素敵なクリスマスプレゼントを与えてくださることを信じつつ、見守ってゆきたいと思っています。

 そして最後はみんなそろっての大団円。今年は『ばら・たんぽぽが合計9人』と園児の半数を占める大所帯となっているので、彼らがいる・いないでは全然違う舞台の厚み。例年、「たんぽぽさんは最後まで出るのはしんどいよね」と言う想いから、彼らはこの幕には参加していませんでした。それが今年は羊と言う大事な役も与えられ、最後にみんなで歌う讃美歌まで一緒に出てくれての大奮闘。「羊がうろうろフラフラするのはそれでいいよ。だってそれが羊なんだから」と言いながら、今年の聖劇を支えてくれた功績に心より感謝をしています。『今まで通り』だったら「出来ません」と言うしかなかった今年のページェント。これまで『すみれはこう』『ももはこう』と定義し不公平がないようにと自らに足枷をはめて来たことに「それでいいのかな?」と自問自答し続けて来た僕ら。でもそれは贅沢な悩みだったことに気付かされた今年の聖劇。『こうしなくてはもう出来ない』と言う処に置かれたことによって初めて、新たな考え方やチャレンジが生まれて来て、それに向かって先生達・子ども達と一緒になって歩んで来れたこと、それが本当に嬉しいことでした。この一年間、日土幼稚園に与えられた試練とそれを乗り越えるために賜った知恵と業を振り返りながら、「これは神様が『いつも私は一緒にいるよ』とおっしゃっている言葉を体現されているんだな」と思ったもの。僕にとってはこれまでで一番素敵に感じられる今年のページェント。そんな想いを与えられた今年の聖劇は、ご自身の御心を私達に示すための『神様のお約束』であるように思えたものでありました。


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