園庭の石段からみた情景〜春の書き下ろし〜 2023.3.20
惜別2023春
 この春、幼稚園で一番古いグランドピアノが『お役御免』で引き取られてゆきました。『もう調律出来ない』とか『いつ弦が切れるか分からない』と業者に言われて買い替えることになったのですが、考えてみれば僕が人生で一番弾いたのがこのピアノだったのかもしれません。これでも僕も幼少期にピアノを習ったのですが、小学生の中頃にレッスンが嫌でやめてしまいました。その時弾いていたのは自宅にあったアップライトピアノ。幼稚園から習い始めたとは言えそれを弾いたのは5〜6年のものだったでしょう。始めた頃は喜んでやっていたのですが、次第に『聞いたこともない練習曲』を楽譜通りに弾かなくてはいけないことに嫌気がさし、練習嫌いも相まって早々にやめてしまいました。でもこの間に学んだことも多かった。調律されている楽器を弾くことによって音感が鍛えられたことは大きく、これは音痴の矯正にもなったはず。また弾きながら音楽の規則性を自ら聞き取り、音楽理論を構築することも出来ました。『オクターブ』と言う概念、『8つ音が上がったら同じ音になる。この繰り返しの螺旋階段で出来ているんだ』と言うことが分かったのもピアノのおかげ。更に伴奏って『ドミソ』『シレソ』『ドファラ』の3つがあれば大体曲が弾けてしまうと言うことが分かったのもこの頃。いわゆるこれが『スリーコード』なのですが、学校での音楽授業で習う遥か前にそんなことも体得出来たのです。後に高校あたりでギターを弾き始めた頃に、これがC・G・Fだと言うことが分かり、これだけだと微妙に音がぶつかっている感覚を感じるようになります。そこで他のコードDやEなどの方がしっくり来ることもあることや、歌謡曲に多用されるAmやDmなどのマイナーコードも効果的であることなども分かって来ます。音楽の授業では『真ん中の音の半音上げ下げで長調・短調になる』と言うことを学ぶのですが、実際に自分で弾いて感じてみることが何よりの理解につながること、そして視覚的にそれが理解しやすいのはピアノの白鍵・黒鍵だと言うことも分かって来ました。ギターは『カポ』と言う補助器具を使うと自由自在に移調出来るのが素晴らしいところ。相対音感がきちんとしていれば、後は自分のキーに合わせてどんな歌でも歌える素晴らしい伴奏楽器です。でも全てのフレットがただただ半音ずつ並んでいるので、ドレミファソラシドの中の半音・全音の概念が分かりにくい。それがピアノだとEとF・そしてBとCの間に黒鍵がなく、そこは半音しか違わないと言うことがよく分かる。僕の音楽理解においてピアノとギターはどちらも無くてはならない、大切な教育機材だったのです。
 そんな僕が再び本格的にピアノを触るようになったのは、日土に帰って来た20年ほど前のこと。幼稚園の子ども達と一緒に歌を歌う際、旋律とコード伴奏が一挙に弾けるピアノの力の大きさを改めて感じたから。その当時はピアノが弾けると言っても左手はハ長調の『ドミソ』『シレソ』『ドファラ』のみ。そこにギターで学んだ他のコードを組み合わせながら、レパートリーを増やしてゆきました。昔から『聞いたメロディーはピアノで再現出来る人』だったので、その音にぶつからないコードを探りながら左手伴奏をつけてゆきます。曲によっては『間違っていないんだけれどなんかしっくり来ない』なんて箇所もあってその曲のコード譜を見たりもするのですが、そんな時には大概メジャーセブンスとかディミニッシュなんて渋いコードを使っていたりして、その音を探しながら伴奏をつけたりしたものでした。そんな僕の次なる課題は移調。基本ハ長調しか弾けなかった僕。これは伴奏としては致命的。歌のキーが合わないのです。そこでまず挑戦したのはヘ長調。これは黒鍵フラット一個のハ長調の次に優しい音階。Fを基準としたコード展開を鍵盤の上で弾きながら音を聞きながら、へ長調をマスターして行きました。そして次に次にひとつずつニ長調・ホ長調なども弾けるようになって来ました。でもこれでやっと半分。これらはみんなへ長調以外は♯系の移調。白鍵が主音になるので分かりやすいのですが、♭系の移調は『変ニ長調』とか言って主音が黒鍵から始まるので分かりづらいし弾きづらい。先生達は「楽譜通りに弾けばいいだけですから」と涼しい顔で言うのですが、ただでさえ滑り落ちそうな黒鍵を常に左の小指で弾かなければならない難しさや、この黒鍵基準で他の音を探して行かなければならない複雑さ、これは情報処理速度の遅い僕の頭には相当な負担です。結局何も考えずに楽譜通り弾くことの大切さが、ここに来てまた課題として僕にのしかかって来たのです。でも20年かけてここまでやって来れた僕。その練習にずっと付き合ってくれたこのグランドピアノには感謝しかないのです。

 業者に『いつ弦が切れるか分からない』なんて言われたこのピアノ。彼らは売るのが商売ですから口巧みにそうも言うでしょう。『そうなってから次を考えたらいいじゃない』とノスタルジック&センチメンタルに物事を考えてしまう僕。経営者としては全く向いていないのです。僕が子どもの頃からずっとここにあって遊ばせてもらった・見守ってくれた物が一つ一つなくなってゆく様を忍びなく見つめ感じている今日この頃。僕よりよわいを重ねた大人達が平気で次々と古いものを捨ててゆこうとするその姿に感じる違和感。うちの母兄弟が子どもの頃、このピアノで練習をしていると、部屋の裏手にある台所で夕食の準備をしていた佐和子おばあさんから「ちがう!」とハッパが飛んで来て、大人になってからも口々に「あれは嫌だった」とこぼしていたイワクつきのこのピアノ。良い思い出のない人も多かったのかも。でもそこから数えても70年の歴史を持つこのピアノ。本当に長い年月、沢山の人々に弾かれて来ました。本当に本当にお疲れさま。最後に弾いた『アンパンマンのマーチ』が高らかに鳴り響いたあの音を、僕はいつまでも忘れないでしょう。


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