園庭の石段からみた情景〜春の書き下ろし〜 2023.3.25
続・帰郷2023春
 今年も春休みに入ってから一気に春がそのあゆみの歩を進め、一年で一番華やかな花盛りの時を日土の里にもたらせてくれました。雨が降るごとに季節が進むのは時節の常なのですが、せっかく咲いた桃や桜の花を前にして、『一週間も雨&曇り模様の天気予報』を見せつけられたなら何ともがっかりしてしまいます。質量や歴史の重さを表現するには曇天や雨空と言うのも良いのですが、『桃源郷の花盛り』を表すにはやっぱり上々天気がふさわしい。このタイミングの一致と言うのはなかなかもって難しく、「次の晴れ予報の日にはもうこの花は散っているだろうな」と残念な心持ちで咲き誇る花々を見つめたものでありました。そんな曇天ウィークであったのですが、雨上がりの朝方や、お昼過ぎから急に光が差し込んで来るひと時など、時よりお天気も訪れます。「この時を逃しては…」とカメラ片手に外に飛び出したなら、今年も素敵な春の写真が撮れました。しばらくすると予報通り空はすぐに曇天に戻ってしまい、本当に千載一遇のワンチャンスとなったのでありました。何もない不便な田舎暮らしなのですが、こんな芸当が出来るのもこの幼稚園の里山に佇む暮らしをしていればこそ。いつの時代も若者は自らの可能性と刺激を求めて都会に飛び立ってゆくものですが、都会から帰って来た老兵はここまで生きて来た人生とそんなこんなを経て今ここに与えられた環境を神様に感謝しつつ、一期一会の出会いを待ち望みながら散りゆく花々をひとり見上げるのでありました。

 それは小学校卒業式の前日のこと。愛娘の下校帰宅を出迎えようと、幼稚園下の橋までおりたのですが、その日は1年生から6年まで一緒の集団下校でありました。今年はコロナのことで卒業式の来賓招待も取りやめとなり、卒園生達の卒業を見送ることも出来ません。集団下校ご一行の中に、今年卒業となるうちの卒園生の男の子を見つけました。明日お祝いの言葉をかけてあげることが出来ないと分かっている僕が「卒業、おめでとう」と声をかけたなら、表情も変えずに「明日です」と応えた彼。そんなことは重々承知の上に『照れ隠し』もあってのことであると分かっていながらも、「こんにゃろう!」と思ったもの。でも同時に幼稚園当時はぼーっとしていて「大丈夫かしら」と思わせた男の子が、そんな言葉の切り返しをもって僕にギャフンと言わせるような子になるなんて、ちょっと嬉しい気もするのです。気の利いた返しも出来ずに彼の言葉をただただ受け止め見送った僕。こうして振り返り文章を組み立てながら考えたなら、言葉の端々に色々な想いや事柄を盛り込むことも出来る僕なのですが、リアルタイムの言語コミュニケーション能力は幼稚園レベルなのかもしれません。でもその無言の賛辞が何よりの『贈る言葉』であると、凛々しく歩き去る彼を嬉しく見送った僕なのでありました。

 さて、翌日の卒業式当日、式を終えた足で幼稚園にやって来てくれた一人の男の子がありました。お母さん・妹と一緒の来園に、懐かしい写真を用意して出迎えた潤子先生。3人とも日土幼稚園の卒園生で、アルバムをめくりながら昔話に花を咲かせます。口数少なく、でも久方ぶりの来園に懐かしい想いをにじませる男の子。それとは対照的に嬉しさ相まってあれこれ思い出話を披露してくれるお母さん。中でも僕らも初耳だったのが、先々代の園長であった佐和子先生が、お母さんが二十歳になる年に『成人祝いの手紙』を送っていたと言う事実。僕らも卒園6年後の小学校卒業時にお祝いのハガキを送っているのですが、『二十歳のお祝い』までは考えたことはありませんでした。「その手紙が嬉しくて感動しました」と言う話を昨日のことのように語ってくださったお母さん。「ぜひ!」と言われたその言葉に生返事しか出来なかった僕でしたが、そこまで長きにわたって子ども達に向き合って来た佐和子先生の想いを改めて教えてもらったエピソードでありました。夕食後、テレビをつけながら食堂の机を前にずっと座っていた佐和子ばあちゃん。何かは分かりませんでしたが、書き物をしていた姿もよくよく覚えています。その若いお母さんの年から逆算すれば、それは僕が日土に帰って来た前後の話であり、「そんな手仕事の後ろ姿を僕も見ていたのかなぁ」と感慨深く思ったもの。佐和子先生が亡くなって早4年。もう嬉しい思い出は増えることはないと思っていたのに、この卒園生一家のおかげでまたひとつ祖母の新たな思い出を心の中に刻むことが出来た僕でした。

 その日の午後、4人の子どもとお母さん達が声を掛け合い連れ立ってやって来てくれました。男子1人・女子3人で来てくれたこの子達。一人は卒園時には転勤でこの地を離れていたのですが、再び異動で戻って来て、同級生と一緒に遊びに来てくれたのです。お姉ちゃんとお兄ちゃんはここの卒園生。久方ぶりに見せてくれたその笑顔が、4年前中学卒業の時に遊びに来てくれたお姉ちゃんの顔と瓜二つ。背丈は彼女の方が高いようにも感じられたのですが、すらっとした美人さんになっておりました。もう一人は先週お姉ちゃんが中学卒業の報告に来てくれた女の子。その子に連れ添って二週連続の来園となったお母さんはやっぱり今日も嬉しそう。幼稚園の頃は人一倍おしゃべりで自己主張していたこの女の子が、小学校に上がると『恥じらう乙女』になりまして、園に遊びに来ても口数少なくもじもじしていたのを覚えています。そのたびに「あんなにピーチクパーチク言っていたのに」と思ったものでしたが、嬉しい彼女の成長もその姿の中に感じたもの。みんなが相まみえたその部屋には、その週届いたばかりの新しいピアノ(中古なのですが)がありまして、そんな彼女に「弾いてみて」といきなり無茶振りをした潤子先生。楽譜も何もないと言うのに、彼女が「いや」と言っても当然でしょう。でもそれに被せて来たのはお母さん。「あれ弾けるでしょ。散々弾いて来たんだから」と言う言葉に背中を押され、ようやくその気になった女の子。ピアノの前に座り、『花は咲く』を弾いて聞かせてくれました。その演奏を聴いていて、ピアノ楽曲とはちょっと異なる編曲に「合唱曲の伴奏?」と尋ねれば、「全校合唱の伴奏をやったんですよ」とお母さん。幼稚園時代であれば自己顕示の想いが強かった彼女のことです。自分からこの武勇伝を大宣伝していたでしょう。それが自分の口からは一言も言わず、ただただピアノを弾きあげることで『不言実行の姿』を見せてくれた女の子。「素敵なお姉さんになったなぁ」と思わされた情景でありました。
 もう一人は物静かにお母さんの横にずっと佇んでいた女の子。お母さんは潤子先生が出してくれた歴代卒園生の卒園写真を見つめ大盛り上がり。日土在住の彼女達は卒園写真の中に次々と知った顔を見つけてゆきます。更にどんどん遡って行きまして、自分の旦那さん世代までやって来たなら「この人!」と指差し大爆笑。それはそうでしょう。今ではいいおじさんとなっている知り合いが、ちっちゃな椅子にちょこんと座って写っているその姿は、それだけインパクトがあるのでしょう。『小さい頃から知っていての大人の姿』より『大人で出会ってから付き合って来た人々の、こんなあどけない幼姿』の方が、何倍も爆発力があるに違いありません。どこか面影がありながらも、今の姿からは想像出来ない愛らしさ。大いに楽しんでもらえたようでありました。一方の女の子の方はお母さんの投げかけに微笑みをたたえながらその話を静かに聞いています。こんな大人しい彼女なのですが、実はうちの娘が大ファン。小学校に上がり一緒になった掃除班で優しくお世話してもらったことがよっぽど嬉しかったらしく、「〇〇ちゃん!」とその子の名を呼んでは大いになついておりました。普段の姿から察すれば大人しく受け身的な感じのするこの子が、小さい子達には能動的に働きかけてくれていたと言うことがなかなかに頭の中でつながらなかった僕。でも入学したての右も左も分からぬ一年生に、決して押しつけがましくなく、でも困った様子の子達の想いを察し声をかけ手を差し伸べてくれた彼女の姿に、うちの娘も信頼と好意を寄せたのでありましょう。こう言うのって生まれ持ったセンス。「お世話をしてあげたい」と張り切り過ぎれば無意識のうちに押しつけがましくなってしまい、距離の近さを嫌がる人は無意識のうちに離れたがるのでそれを感じて相手も近づいて来てくれません。「大きくなったらこの幼稚園で先生になってくれたらいいのになぁ」とそんな想いで彼女を見つめた僕でありました。

 このような時を過ごし共に分かち合ったその後でみんなで外に出たのですが、そのとたんワイルドに遊び出した男の子。タイを外し、シャツもビロビロの姿で山の大滑り台に駆け上がり、見ている僕らがはらはらさせたもの。嬉しくなっちゃうとお調子爆発になっちゃうこの子の姿を見つめつつ、「変わらないねぇ」と思いながら思い出していたのは6年前のあの事件。それは彼らの卒園式当日のことでした。式のために髪を短く切り整えて来た友達に「はげちょろりん!」とからかって、『卒園式の晴れの日』にも関わらず真理先生に爆おこられした事件がありました。「普段は仲良し同士のこの子達がよりによってこんな日に…。うれしくなっちゃうと魔が差しちゃうんだよね」と思ったことを覚えています。酔っ払いおやじのようにネクタイを頭に巻いて、園庭を駆け回る今日のこの子の姿を見つめながら、「小学校の卒業式は大丈夫だったかな?」と笑い交じりに思ったものでありました。
 やり替えたばかりのブランコで遊ぶ卒園生達。「かわってる!」とは言うものの、やっぱり新しい遊具は嬉しいもののよう。彼だけでなく女の子達もスーツのスカートをひらひらさせながら、幼稚園児に戻ったかのようにブランコを揺らしまくります。なくなってしまった古い遊具を名残惜しみ寂しがるには、まだいかにも若すぎるのでありましょう。こうして新しい遊具を瞬時に受け入れてくれる子ども達の姿を見ていると、「センチメンタルなのは僕ばかりかな?」と思ってしまいます。でも周りがこうして新たな環境を肯定し喜んでくれる姿を見つめていたなら、少しずつ始まった幼稚園の新陳代謝を僕も受け入れられるような気がして来ます。6年間で体も大きくなりまして、本当に飛んで行きそうな勢いでブランコに揺られているこの子達。そんな姿を見ていると、このブランコもやり替えて良かったのかなと思うのです。幼稚園児が勢い良く漕ぐと言ってもこの子達は桁が違います。運動エネルギーの計算式から導けばその力は質量・そして速度の二乗に比例し、大きくなった体とそこから繰り出されるブランコを漕ぐ力によって、支柱にかかる負荷は軽く2倍は超えているはず。建てられてから50〜60年は経っていると思われる先代のブランコ。撤去した際は結果としてまだ大丈夫だったそうですが、ライフサイクルの終盤にこんな過負荷を加えられたなら、やはり『絶対大丈夫』とは言い切れないでしょう。卒園して行った子ども達がこうして帰って来てくれた時、園児時代と同じように思いっきり遊んでも大丈夫なように、こうしたなだらかな新陳代謝は必要なのかもしれないなぁ…とそんな風に思ったものでした。

 久方ぶりに幼稚園にやって来て、思い出深い今の学び舎を心一杯味わって行ってくれた子ども達。大いに遊んで・はしゃいで、これまたひと騒ぎの記念写真を撮って園を後にしてゆきました。そんな来客を門前で見送った僕と愛娘。これからこんな嬉しい惜別を、幾たびここで重ねてゆけることでしょう。そのためにもやはり、ここに立ち続けることの大切さを、こんな再会・そしてこんな卒園生達の嬉しい『帰郷』をもって私達に諭してくださる神様の御心に従いながら、目の前の子ども達一人一人にしっかり向き合ってゆきたいと、改めてそんな風に思わされたもの。懐かしの幼稚園に帰って来てくれた沢山の子ども達に感謝です。また遊びに来てね。


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