園庭の石段からみた情景〜園だより4月号より〜 2023.3.31
続々・帰郷2023春
 今年はこの季節に嬉しい帰郷が続いております。今回は『一年生同窓会』。例年、夏休みに行われる同窓会なのですが、真理先生のおめでたと重なり今年はその時期を見送り年度末までやって来てしまいました。春休みを機に、まだ生後半年の赤ちゃんのお世話に大わらわの先生に無理を言って、なんとか開くことの出来た今回の同窓会。ご本人である真理先生とそのご息女は勿論のこと、気持ち良く送り出してくださったご家族に心より感謝でありました。朝一番に幼稚園にやって来た真理先生。僕がその朝、公民館の桜を撮ろうと道の下からカメラを構えていたら、懐かしい彼女の愛車が山道を走りゆくのを見かけました。「来た来た」と思い園で待っていたのですが、待てど暮らせど現れません。「別の車だったかな?」と思っていたならば、他の先生達の登園を待って一番後ろから現れた真理先生。「彼女がここでは一番の古株だったのに」と思いつつ、相変わらずちょっと変なところに気を遣う真理先生に「かわらないねぇ」と嬉しく思い出迎えた僕でした。
 そこに子ども達がやって来ました。集団下校のお迎えで毎日顔を合わせているおなじみさんから・ピアノで出会う週一さんもある中で、ほとんど卒園以来と言う『懐かし君』の顔も見られ、嬉しい再会の時を喜び合いました。またピアノで毎週出会う女の子、ここの姉妹はみんなそうなのですが、在園時には僕の膝にいつの間にかすすっと乗って来るほど懐いてくれていたはずなのに、小学生になったとたん知らん顔のよそよそしさ。それは乙女の恥じらいなのでしょうか…。でも今日ばかりはホールの礼拝であの頃の熱いまなざしを僕に送って来てくれまして、本当に嬉しかったです。そう言えば幼稚園の合同礼拝でも人一倍じっと僕の方を見つめ話を聞いてくれていた彼女。心の中で「おかえり」と言葉をかけながら、嬉しい開会礼拝を守ったものでした。ひとり町中の小学校に進学して行ったこの女の子。小学校に行っても幼稚園に帰って来ても、ひとりアウェイ感を感じていたのでしょうか。でもこうして卒園生が一同に集まったこの同窓会では、『日土幼稚園の子ども』と言う連帯感が彼女の心を照らし出してくれたのでしょう。この日一日、あの幼稚園の頃の明るく人懐っこい笑顔を輝かせてくれた彼女の姿がありました。「今日って良い同窓会だよね」と思いつつこの会を始めることが出来たことに本当に感謝でありました。
その久方ぶりの合同礼拝。昔と同じ作法で進行してゆく僕に対して、何か噛み合わないこの子達。お約束の「準備はいいですか?」「いいですよ!」のキャッチボールを投げかけているのに、「準備は良いですか?」「はい!」と小学生流の応答で返して来る子ども達。「え?違ったでしょ?」とまた繰り返す僕に、やっと「いいですよ!」を誰かが思い出したなら、みんなそろって「あーあーあー」。また卒園式で歌った讃美歌『小さな赤ちゃんだったのに』や聖句『光の子として歩みなさい』を投げかけたなら、最初は「えー?」って顔をしていたこの子達だったのですが、最初の一言をヒントに振ったらそれにインスパイア―されまして、みんなで謳うことが出来ました。そんな昔の記憶と対峙する場面を迎えるたびに、「なんだったっけ?」とわちゃわちゃ隣と顔を見合わせる子ども達。誰かの記憶を糸口に一つずつ思い出して行ってくれました。そんなこんなをやりながらではありましたが礼拝が終わるその頃には、みんな『日土幼稚園の子どもの顔』にすっかり戻っておりました。昔だったら僕の問いかけにぴんと来た賢しい数人が言葉を返して来たものだったのに、今日はみんなみんながナイスリターン。ちょっとピンボケ解答もありましたが、それでも僕の言葉掛けに、自分の想いを自分の言葉で返して来てくれたこの子達。その姿や発言の中に一年分の成長を感じます。さらっと流れたならあっと言う間に終わってしまう礼拝も、こんな子ども達とのやり取りのおかげでたっぷりと、『今のこの子達の姿と想い』を垣間見せてくれた素敵な礼拝になったのでありました。

 そんな開会礼拝を終えまして、そこから真理先生とバトンタッチ。幼稚園を離れてから11か月も経っているのに、子ども達の前に立つとちゃんと『先生』になれる真理先生。これには感心してしまいました。久しぶりの登壇に緊張とプレッシャーも感じていたのかもしれませんが、一年生に対する言葉選びやこの子達を鼓舞しようと言う生きた言葉の投げかけに「真理先生、また進化したね」と思ったもの。言葉の一つ一つにより優しさと心強さを感じたものでありました。『後はよろしく』と久しぶりの先生に丸投げしちゃった無責任な僕だったのですが、ここで培って来たキャリアが光ります。「じゃあ…」と言いながら即座にプログラムを組み立てて、同窓会を進行して行ってくれた先生でありました。まずは一年生達に『がんばったこと・これからがんばることインタビュー』をすることにした真理先生。久しぶりの顔合わせに、みんなもやっぱり『どうぞどうぞのダチョウ倶楽部』ってそんな顔。「はい!」と手を上げる子も何人かいたのですが、「じゃあ、まず私から!」と近況報告を始めた真理先生。『続く子ども達がしゃべりやすくなるように』の想いもあったのでしょうが、本当に『私もがんばったんだから!』の想いを聞いて欲しかったみたい。真理先生ががんばったことと言えば出産&子育て。身振り手振りを交えた「いたい!いたい!いたい!」の再現寸劇から始まった自己PR。ただいま奮闘中の愛娘ちゃんとの関りについても、「幼稚園では『〇〇してくださーい!』『はーい!』でみんなは分かってくれたでしょ。それが赤ちゃんは『あーん!あーん!』。『おなかすいたの?』『あーん!あーん!』、『どこかいたいの?』『あーん!あーん!』、そうしゃべれないの。だから大変」と子ども達に語って聞かせてくれた真理先生。この半年における人生初体験の試練と感動の数々を、みんなに話して聞かせてくれました。頭では・知識では『分かっている』ことではあるのですが、身をもって体験することによってそのことが何倍もその人の中に沁み渡り、血となり肉となってゆくのです。僕らもそうですが、幼稚園の保育・家庭の子育ての中で子ども達に対して「こんなに言っているのになんで分からないの?」と思うことが多々あります。でも基本『私とあなたは違う人』、それを言語コミュニケーションでつなぐには多大なる共通理解が必要です。逆にその『共通理解』を先に培ってゆくからこそ、言葉の喋れない赤ちゃんとお母さんの間でも意志の疎通が行えるようになってゆき、『子育て』が徐々に成り立ってゆくようになるのです。幼稚園の子どもと教師もその前提は同じはず。日本語と言う言語は共通だとしても、それを使いこなして想いを伝え合うためにはお互いの信頼関係の構築と人間理解が必要です。言葉が足りない・文法的に成り立っていない『相手との会話』を想像力によって補い合い、『お互いのくせ』とも言うべき『独特の言い回し』を補完補正して理解しようと想いを寄せてゆくことによって初めて、つたないながらも『言葉によるコミュニケーション』を成立させることが出来るようになるのです。そう言う意味では真理先生の育児の日々は本当に大変だったと思う一方で、『とても良い学びの時を与えられたね』と子ども達への言葉を聞きながら嬉しく思った僕でありました。
 真理先生の近況報告に引き続き、子ども達が前に出て発表を聞かせてくれました。『学校でがんばっていること』、それは勉強であったり給食のことであったりそれぞれだったのでありますが、この一年の自分について誇らしげに聞かせてくれたこの子達。続いて『二年生になってがんばりたいこと』の段になりますと、多くの子達が「今度入って来る一年生に優しくしたい・親切にしてあげたい」と言う抱負を聞かせてくれました。小学校に入ってから早一年。学校生活の中の様々な場面で、先輩達に優しくしてもらった嬉しい体験があったのでしょう。その喜びを糧に、学年が一つ大きくなる自分達が「今度は、入って来る新一年生にそうしてあげたい」と想いを温めても来てくれたのでしょう。例年、夏休みに同窓会を行なっていた時にはあまり聞かれなかったこの言葉。その時期は入学したての自分自身のことでみんな精一杯。それが一年を終える時期に行った今年の同窓会ではこんな嬉しい言葉が聞けまして、「一年後の同窓会もいいもんだ」と思った僕でありました。
そんな発表会で近況を交わし合ったその後は、子ども達リクエストのゲーム大会が始まりました。「何がしたい?」と聞いてくれた先生の言葉に対して、「あれがしたい」「これがしたい」と、9人しかいないこの子達なのにこれもあれもと一杯提案が飛び交います。中には先生達の方が忘れていたような『何かの集会で一回だけやったゲーム』まで出て来て、「なんかやったことあるかも…。よく覚えているね」とそんな嬉しい驚きをも味わせてくれたこの子達でありました。そんな中でも一番盛り上がったのは椅子取りゲーム。椅子の周りをあの頃よりたくましくなった健脚で走り、椅子に向かってダッシュした子ども達。早々にゲームに敗れてしまった男の子に「泣かないじゃん!」と言ったら、「泣かないわよねぇ」と先生にも言われて一緒に笑ったものでした。でも後ろに引っ込む姿を目で追えば、そのまなこが徐々にウルウルして来るのが分かります。人前で泣くのをぐっと我慢して、蔭で悔し涙を流していたその姿に彼の成長を感じます。一年前だったらその場で涙があふれ出し、どうしようもない自分の想いを御することが出来ずにグズグズになっていたであろうこの男の子。相変わらず感度の高い素敵な感受性はそのままに、そこでぐっと踏ん張ってがんばれる男の子になりました。他にもフルーツバスケットや宝探しなど、いくつもの室内ゲームをホールで楽しんだこの子達でありました。

 その後、記念写真を撮りまして、そこからお外に飛び出した子ども達。これも考えてみればこの季節だからの特別メニュー。夏休みの始まりは一番暑い頃と重なって、「水遊びなら出来るけど…」とそんな感じの外遊び。でもこの日はみんなでドッヂボールを楽しんだり、「自由!自由!」とお待ちかねの自由遊びに大喜びしていたこの子達。懐かしの幼稚園で昔の想いを反芻しながら遊んでいたこの子達でありました。みんなでのドッヂボールを終えますと、数人で誘い合わせてサッカーを始める子、地面に書いた3×3のマス目の上を行き来するゲームで盛り上がる子達と、様々な自由遊びが始まりました。そんな子達の中で園庭に台車で線を引き、その線路上を三輪車でまったりサイクリングして遊ぶ男の子がありました。入園前にお姉ちゃんについて幼稚園にやって来ていたあの頃からずっと変わらないこの子の姿。懐かしいものと出会ったような気がしてついつい笑ってしまいました。みんなで一緒にがんばる時も過ごしながら、やっぱり幼稚園に帰って来たならこの『ひとり園庭サイクリング』を楽しんでいた男の子。『三つ子の魂百まで』を地で行っているこの子の姿を嬉しく見つめた僕でした。「この子だったら10年後にふっとやって来た時も、まずはきっと一人で三輪車に乗るんだろうな…」なんて思いながら。
 そんなこんなの自由遊びの時間をたっぷり取って遊ばせてもらったこの子達。実に満足そうな顔をしてお家に帰ってゆきました。例年の同窓会では、夕涼み保育の思い出をリスペクトしたカレー作りをみんなでしたり、先生達が準備してくれたプログラムに興じて過ごしたり、それはそれで素敵な同窓会なのでありますが、「今年みたいなこんな同窓会もいいよね」とこの子達の姿を見つめて思ったもの。真理先生の事情があっての春休み開催と、コロナのことがあっての『食事なしプログラム』となったのですが、子ども達は大好きな幼稚園で大好きな仲間達との再会を喜び合い、『大好きな自由』を心ゆくまで好き好きに謳歌し遊んで行ってくれました。それが何よりだったと思ったこの同窓会。『例年通り』では見つけられなかった素敵な想いと気づきを与えてくださった神様に感謝です。温かくこの子達を迎えてくれた先生達にもありがとう。そしてみんなみんな、また遊びに来てね。


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