園庭の石段からみた情景〜園だより5月号より〜 2022.5.11
二十四の瞳
 今年の初夏の入りもまた暑かったり寒かったりの行ったり来たり。その寒暖差が10℃以上もあるものだから体調管理も難しく、なんだか心も体もシャキッとしない日々が続いています。そんな気候の中、自然に目を向けてみるとこちらも『不自然さ』を感じることが多々あります。門前の掃き掃除をしていると毎朝数えきれない程の桜木のさくらんぼが落ちているのが目に留まります。一ヵ月程前は昨年に引き続いて大量の桜蕊(さくらしべ)が降り注ぎ、真っ赤なじゅうたんが敷き詰められたこの門前。でも去年はさくらんぼがこんなに落ちていなかったような気がするのです。さくらんぼと言っても小さく硬く野鳥でも食べなさそうなそんな実達。熟する前にみんな落ちてしまったのでしょう。風で落ちたと言うよりも、桜の木が自ら落しているかのように、毎日毎日小さなさくらんぼが足元に転がっているのです。この不順な気候によってダメージを受けているのはこの桜の老木も同じよう。体力的にも盛りを過ぎ、そのうえ一年を通して不順な気候にさらされたなら、自らの生存を脅かす程に余力を削られてしまうのかも知れません。そんな時には秋に自ら木葉を落とすように春の実りも諦めて、体力を温存しようとするものなのでしょう。でもそれは決して手抜きではありません。わずかばかりに枝に残された熟しつつあるさくらんぼ。少数精鋭のこの実達が立派に育ってそれを鳥が食べてくれたなら、彼らが気ままにどこそこでする糞に交じって種も遠くへ運び蒔かれて、また新たな命をつないでゆくこととなるのです。出来る限りの精一杯を一生懸命やり続けようとするその姿、それが自然と言うもの。『不自然』なパフォーマンスやうわべだけのアピールではない、『そのようにしか出来ない事』をその時々に応じて体現し命を紡いでゆく営みが、その姿の中に息づいているのです。こうして長きにわたって門前に立ち続け、毎年花を咲かせては僕らを喜ばせてくれた桜の木。今年の桜花も見事でしたが今から思えば「結構しんどかったのかも…」と思うことも。でも『恨み言』一つ言わず粛々と花を咲かせ散らせて行ったこの桜の男気に感銘を受けたものでありました。僕らもこの桜のように、神様によって与えられた目の前の子ども達・そしてこんな時代にあっても日土幼稚園につながってくださっているお母さん達に想いを馳せながら、一人一人を大切にしながら歩んでゆきたいと思うのです。派手さや豪華さはない慎ましい小さな幼稚園の精一杯ではあるけれど、そこに育ち与えられる一つ一つの実りは決して他所に引けを取るものではないと固く固く信じながら。

 連休を明けて子ども達が元気に幼稚園に帰って来てくれました。そんな一人一人の想いをいつも真っ直ぐ受け止めてくれる美香先生。外遊びや自然遊びにも率先して連れ出してくれるので、子ども達も嬉しくって仕方がありません。彼らが外遊びに出て来た賑わいを感じて僕も外に出てゆくのですが、この子達は「美香先生、これやって!」「美香先生、どうやったらいい?」と先生にラブコール。用があると言うよりも『自分に構って欲しい』と言う想いが強いよう。どうにかして先生をキープしたならば、最初のお願いはそっちのけで自分のお話を延々と語り聞かせてくれる女の子もあって思わず笑ってしまいます。また用と言ってもそんなにたいしたことでない時には「それぐらい僕もしてあげられるよ」と言うのですが、それでもみんなみんな「美香先生!」「美香先生!」。昨年度より持ち上がりの子達もあるとは言え、このひと月の短い間にみんな『美香先生の子』になっちゃったなぁと嬉しく見つめた情景でありました。
 今年はばらからすみれまでクラスも一緒なので、みんなで一緒に行動することがとても多くなりました。外遊びをしていても季節ごとの自然の旬を感じながら、「今日はさくらんぼ採り!」「今日は野いちご摘み!」「今日はシークワーサー!」とみんなで山に出かけては自然遊びを堪能しています。『自然遊び』は年齢に関係なくみんな大好きだから『共通満足度』のとても高いカリキュラム。それぞれの想い想いを大切にしている僕らですが、ここぞの『みんな一緒』もいいものだと心から思える学びの場です。出かけるにしてもみんな一緒なのでお留守番は潤子先生にお願いして、眞美先生・美香先生・僕とみんなで11人の子ども達に付き添い見守りながら自然散歩を堪能しています。カメラ・ビデオ係でついて行っている僕は大体においてあまり役に立たないので、お散歩では眞美先生・美香先生が大活躍。さくらんぼの木によじ登って食べ頃の実を収穫したり、藪の中に手を差し伸べて野いちごを摘んでくれたりする先生達に子ども達は大喜び。その瞳をキラキラさせながら先生の一挙手一投足に熱い視線を送っておりました。
 大人も子どもも数が減った日土幼稚園ですが、こうしてこの子達一人一人の『嬉しい!楽しい!』を大切にしながら『日土幼稚園らしい保育』を守りながら、また多くの子ども達が集まって来てくれるその時を待ち望みたいと思うのです。園児数を増やすために経営的な戦略を次々に繰り出してゆくことが本当は必要なのかもしれません。でも経営能力のない園長が、ただただ子ども達の『嬉しい顔』が見たいがために理念を掲げ祈りを捧げているこの幼稚園。それに応えるように、新たな保育の形を体現してくれている先生達と、幼稚園のことを我が事のように心配しながら度々園に足を運び支えてくださっているお母さん達、そしてそんな大人達の愛に育まれながら日々自己実現の達成感に満たされてニコニコ笑いかけてくれる子ども達がいる。こんな何気ない暮らしの毎日を、感謝しつつ最も嬉しく受け止めているのはこの僕なのかもしれません。一番子どもみたいな僕も加えた『12人の子ども達』のために、日土を舞台に先生・お母さん達が大奮闘してくれているこの物語。『二十四の瞳』と銘打って映画にでもして残したい、そんな想いの今日この頃です。


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