園庭の石段からみた情景〜園だより6月号より〜 2022.6.15
純心自然保育
 今年もようやく梅雨に入りました。例年より8日、去年より32日遅い梅雨入りとなりましたが、おかげさまでお天気に恵まれお外で一杯遊ぶことの出来た一学期前半戦でありました。そうなればなったで梅雨前からピーカン照りの暑い日が続く年もあるのですが、今年は数回夏日があった程度で、『爽やかで涼やかな5月』を過ごすことが出来たことにも感謝でした。一方『日照り続き』で二週間ほど雨が降らない頃もありまして、今年は思ったほどタケノコが取れなかったり、川傍の農業用水路の『いでご』に水が入らず毎年沢山捕れていたオタマジャクシにいまだ出会えていなかったり。自然遊びの素晴らしさを謳っている日土幼稚園ですが、『毎年同じ体験が出来るとは限らない』と言うことをひしひしと感じさせられている今日この頃です。『せっかくの日土幼稚園』を子ども達に提示・提供出来ない日々にちょっとめげがちになってしまう僕ですが、でも子ども達はそんな僕を横目に与えられた自然の中で与えられたものに真正面から向き合って、心のままに思いっきり遊んでくれています。蝶が飛べばみんなで追いかけ、ダンゴムシが見つかれば嬉しそうに一杯集めて回る子ども達。そんなこの子達に励まされながら、僕も一緒にモンシロチョウやタテハチョウを追いかけながら野山に繰り出し、日土の自然を改めて味わっているところ。僕ら大人にしてみればなんてことのない昆虫採集も、この子達にとっては『初体験』や『初挑戦』のチャレンジがてんこ盛り。地面に停まった蝶に『てんこ』をたたきつけるだけだった子ども達が、その羽を傷めないようにそっと網をかぶせたり、空中キャッチを試みたり。特に虫籠に移す時に痛めてしまうことが多いので、『蝶に触らずに籠に移す術』を彼らの前で披露すれば、大いに感動して見せてくれた子ども達。籠の中で元気に飛び回る蝶の姿を嬉しそうに見つめておりました。こうして小さな生き物の命を大切にし関わることを通して、相手の痛み・そしてかけがえのない命について、自分の心と体をアンテナにして一杯一杯感じながら学んでいるこの子達の姿を嬉しく見つめている僕なのです。

 時より上天気の日には少々陽射しの暑さを感じるようになった先月の終わり、丸 井戸の上に日よけのテントが立ちました。「涼しいね」と誰からともなくこの蔭に集 まって来た子ども達。園庭を吹き抜ける風と相まって、絶好の避暑地となりました。 そこにすり鉢を持って来て『草花色水遊び』を始めた美香先生。その不思議な所作から生み出される奇麗で魅惑的な液体に子ども達の目が吸い寄せられてゆきます。 先生のお得意は花の色水。僕も色がしっかり出るアサガオやオシロイバナは色水素 材に用いることもあるのですが、美香先生はムラサキカタバミ・マリーゴールド・ タンポポなどなどあまり色水遊びになじみのない花を摘んで来てゴリゴリゴリと擦り始めます。そして「これはあまり出ないねぇ」とか「これは出たねぇ」と子ども達と会話を交わしながら、観察・考察を繰り返しているのです。そんな姿を見ていると「なるほど、それでいいんだよね」と思えて来るから不思議。僕などは子ども達に何かを教えようとする時は『自分が知っていること』が大前提。実践して見せながらも結果を知っている予定調和の線上で「ね、そうなったでしょ」とやってしまうのです。でもこれって俯敏の目線で見てみれば、『子ども達に教える』と言う行為を用いての自己顕示。そんなつもりはないのですが『僕ってすごいでしょ』って認めてもらいたい想いがこの行為の中に潜んでいるのかもしれないとふと思ってしまいます。それに対して美香先生は子ども達と共に答えを探してゆこうとする共感型。『再現性』とか『理屈・理論』よりも「へぇー、こうなったねぇー。おもしろいねぇー」を伝えようとする寄り添うスタイル。この方が子ども達の心に残るのは間違いありません。知識やデータの構築ではなく、『探求心』の種を蒔くことに重きを置いている素敵な保育だと思うのです。そんな先生とのやり取りの中である男の子が「昨日は上手く行かなかったのに今日は上手く行った。なんでだろう?」と上手に抽出出来た色水を見つめながら感嘆の声をあげました。その姿を見つめながら「探求心の芽、一本出ました」と嬉しく思った僕。自分自身で『なんでだろう?』の想いにたどり着くことが出来たこの男の子。遥か彼方の未来につながるかも知れない彼の感動をまばゆく感じた情景となりました。

 それからも美香先生と子ども達の大発見は続きます。色水に砂を入れたら色が変 わることを発見したばらさんに、一日置いておいたらこれまた違う色になることに 気が付いたすみれさん。これは酸化か沈殿か、理屈を探せばきっと何かに行き当たるはずですが、今は「ふしぎー」って思える心を持てることが何より大事。そこから興味や探求心が生まれ育ってゆくのだから。でも自然でないものはこの様な変化を許しません。色味・形状が変わらず長く保たれること、それが工業界における『品 質』だから。絵の具の色水やペットボトルのジュースには見られない変化です。果汁 100%の生絞りジュースにならあるかもしれませんが、いずれにしても無添加の自然物だからこそみられる経時変化。そんな不思議体験を遊びの中から得、 感動や疑間をいだき「どうしてだろう?」と感じてくれているこの子達は、きっと色んなことを考えて発明したり道筋をつける人になってくれることでしょう。『三つ子の魂百まで』『末は博士か大臣か』。この子達を称賛する言葉が次々と思い起こされて参ります。でもこれまたこうやって『因果関係』『起承転結』をもって物語を綴 ろうとしてしまう僕は『不純』なんだろうなと思ってしまいます。ただただひたすら純粋に、「きれいだねー」「ふしぎだねー」と子ども達の心に寄り添える素敵な保育、そんな保育が出来る教師に僕もなりたいと思い見つめた情景でありました。


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