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<僕らの夏の思い出の一頁> 今年の夏は地味に暑い夏でした。夏休みに入ってからは曇っているのに30度越え、夜でも最低気温が27〜28℃とそんな日が続き、「何時ほっと出来るのだろう?」とそんな想いで毎日を過ごしたものです。しかしそれでも関東地方の『連日猛暑日で記録更新』と言うニュースを聞きながら、「日土はまだマシなんだろうね」と山と緑に囲まれたこの里の『地の利』に感謝したものでありました。「これがアスファルトとビル群に囲まれた大都会であったなら、その体感温度は如何ほどばかりか」と思いつつ、知人に宛てて残暑見舞いを綴ったものでした。 それが夏休みの終わり頃、突然涼やかな気候が訪れて『真夏日&熱帯夜』が解除されるようになりますと、「これが日土の夏だよね」と本当にほっとひと心地つけたような気がしたもの。子どもの頃、「暑い暑い」と言いながら外で昆虫採集をしていても、熱中症だのなんだの言われずにひと夏元気に過ごせた頃の記憶が甦ります。夕方になると一時間ほど焚口に座り込み見様見真似で自ら沸かした五右衛門風呂に入って汗を流し、夜は雨戸と障子戸が開けっ放しの部屋で蚊取り線香を焚きつつ涼を味わい過ごしました。翌朝陽が昇る時分になりますと、雨戸板の節目に空いた穴がピンホール・隣の障子がスクリーンとなる『ピンホールカメラ効果』によりまして、外の景色がぼんやりと障子に移し込まれる幻想的な絵を眺めながら目覚めたもの。BGMはキジバトの「デーデーポッポー」と言う声か、はたまたジージーと暑苦しく鳴く蝉の大合唱。毎日どこに行って何をする訳でもないのですが、田舎のばあちゃんの家(まさにこの幼稚園の母屋)に遊びに来てそんなゆったりまったりした時の流れの夏休みを満喫して来た僕にとって、この夏の終わりに訪れた心地良さはそんな記憶を思い出し、ノスタルジーを感じさせてくれるものとなりました。 今年の夏休みも預かり保育があったのですが、なにせ自分の夏休みのイメージがそんなものなので、僕が当番の時はちょっとゆるモード。「なにせ、夏休みですから」と。それが伝播したのでありましょう、預かりの子達もいつもよりちょっとぐうたらモード。「まだ遊びたい」とか「礼拝したくない」なんて言って来るから思わず笑ってしまいます。普段ならクラスの仲間を相手に競うように「はい、お片付け!」とか「礼拝せんと!」なんて言って優等生を演じている子達だけに「おーおー、いいねぇー!」と思いつつ、「そんなわがままにも付き合ってみようかな」なんて気にもなりました。『お帰りの時間には間に合うように』『どこかのタイミングで礼拝はちゃんと守る』と言う縛りだけ決めて、『あとはこの子達に付き合ってみよう』なんてことをやってみることにいたしました。いつもの時間に「そろそろお片付けしない?」と投げかけると「まだ!」と言うので「じゃあ、もうちょっと」。「もういい?」「まーだー!」の度々にわたる再延長を繰り返していたら、その日彼らが遊んでいた『ニューブロック』がすごい巨大な作品となってびっくりさせられたものでした。あふれんばかりの時間が与えられたならこの子達、創作活動に集中してこんなにすごいものを作れるんだと言うところを見せてもらって、ちょっと感動してしまいました。最後の最後、『もうここまで』と言うタイミングに真顔で「お片付けしよう」と言うと、すんなり受け入れてくれた子ども達。でも「また後で遊ぶから壊したくない」と言うので、そのままその場に据え置いて違うところに椅子を並べて礼拝を守りました。元々物分かりが良いこの子達のこと。何度も譲ってもらった『借り』をここできちんと返してくれたのでしょう。しかしその顔は決してイヤイヤではなく、自分達の想いを受け入れてもらったことへの満足感が浮かんでいるような、「今度はこっちが聞いてあげるよ」と言わんばかりのすがすがしさで輝いておりました。 また別の日、僕とある男の子が一対一でお弁当を食べていた時のこと。その日は気分が乗らなかったようで、なかなか食が進まなかった男の子。僕は早々に食事を終え、マスクをつけて柱に背をもたれながらゆったりと彼の完食を待っておりました。そんな僕に話しかけて来る彼に言葉と笑いを返しながら、「〇分経ったよ」「〇時になったよ」と時々急かす言葉も投げかけます。そんな中、「ゆっくり食べていたら遊ぶ時間なくなるよ」と諭す僕に対して「いいよ!」と答えた男の子。いつもだったら「いやだー!」と返して来るシチュエーションなのですが、その時の彼には全くもって悲壮感はありません。また「このお弁当、食べれん!」と言う感じでもなく、このゆったりまったりした昼食を楽しんでいるかのよう。「そうか、今この子はランチを楽しんでいるんだ」と気付いた時、今日はこの子の『ゆっくりランチ』に付き合ってあげようと思ったのです。「なにせ夏休みですから」。機嫌良くそんなペースでお弁当を食べ進めてゆく男の子。時より『合いの手』のように「〇時になったよ」と声掛けをしながらも、一緒にこの時を楽しんでいた僕がいました。彼にしても「お帰りは何時?」と聞きながら、ぎりぎりの線は把握していた様子。実に一時間半かけて僕らのランチが終了し、これは僕と彼の『夏の秘密の武勇伝』となりました。お弁当を食べ終え、お帰りの準備をしていたらちょうどお母さんがお迎えに来るくらいのタイミング。お昼からは遊べなかったけれど、その日の彼はとても満たされたような顔をしておうちに帰ってゆきました。夏休みでなかったら、いつもの通常保育だったらまず出来なかったであろう『僕らののんびり預かり保育』。それは彼らも重々承知していたようでして、夏休みを明けてからの幼稚園では、またいつものように『頑張り優等生』に戻ってくれています。『受け入れられること』の充足感が、なにより子ども達の想いを満たしてくれるものであることを、改めて僕に教えてくれた夏の一頁となりました。派手に何かをした訳ではないけれど、夏休みを思う存分ゆったりまったり楽しめた時を与えてくださった神様に感謝です。 |