園庭の石段からみた情景〜園だより12月号より〜 2023.12.9
みんなが嬉しくなれるクリスマス
 今年の秋冬シーズンは例年より一週間から10日早く巡りゆく様相を呈しているみたい。いつもなら幼稚園のクリスマスが終わって脱力のうちに帰る坂道から見渡していたイチョウの紅葉が、今まさに盛りを迎えているのを不思議な気持ちで見つめている師走の始めです。このイチョウや坂道口に佇むカエデモミジの色付き具合から『季節が早い』と思ってしまうのですが、朝晩の冷え込みこそ厳しいものの昼間には気温が上がり、温かな陽だまりの中で外遊びも楽しめている僕ら。思えば本当に寒い年には、聖劇の出番待ちにホール入口で待機する子ども達が気の毒になるほどの木枯らしが吹きつけて、あわてて透明ビニールシートの風除けを作ったこともありました。そう言う意味で言ったなら、気象庁の長期予報が言う『今年は暖冬』と言うアナウンスもあながち外れてはいないのかな…と思ってしまいます。いずれにしてもこれまで私達が経験して来た『秋』や『冬』を定義づけて来た『季節の形』が変わって来ていることだけは事実なのかもしれません。

 そんな季節の狭間を過ごしながら、クリスマスまでの日々を歩んでいる子ども達。アドベントも第三週目までやって来て、ページェントの取り組みも佳境に入って来ています。そんな中でも驚かされているのは小さい子達のモチベーションの高さ。『星に導かれる博士』の幕では星と博士の掛け合いがあるのですが、「おーほしがひかる、ぴっかっぴっかー」と歌う讃美歌で押しまくっているのは星の子達。「らーくだがとおる」と歌い返す博士達はどこか不安顔で歌声にも張りがありません。しかもセリフや所作もピリッとせず、幕裾にいる先生にずっと顔をむけて「これでいい?」ってそんな感じ。そもそも人前が苦手だったりセリフを覚えるのが得意でなかったり、どちらかと言うと舞台上で規定種目を見てもらう『ショート演技』が苦手なこの子達。身体と心を自由に動かし自分の想いに導かれながら、その時々に生まれて来るパフォーマンスを見てもらう『フリースタイル』の方がより良いものを生み出してくれるタイプです。運動会での取り組みから始まって、それ以降色んなことが出来るようになって来た彼らは、そのことを証明して来てくれました。そんな子達にとって台本やセリフと言う『型』がある聖劇は、『こうしなくっちゃ』と言うプレッシャーと向き合うところから始まる『大いなる課題』だったのかもしれません。そうは言っても「去年も聖劇に挑んだ体験があるはずなのに、どうして?」と思うのですが、『役が違えばやっぱり別物』と言うことみたい。それが分かったのがある日の練習、羊飼いの子が休んだ時のことでした。その代役に立ったのは去年羊飼いをやった男の子。一年ぶりの羊飼いだったにもかかわらず、その代役をしっかりやり遂げてくれました。「あれだけ去年がんばったもんね」と嬉しくて声をかけた僕でありました。それにしても『一生懸命はその身を助く』と言うのは真実。『あれだけやって出来るようになった』と言う自信が彼に、一年ぶりではあってもあの『ハマリ役』をも一度名演させてくれたと言うことなのでしょう。そんなこともありつつ、練習が積み重ねて行かれたこともあり、『やったら出来るようになる』と言うことを思い出せたこの子達。彼らの『博士』がそれぞれにどんどん良くなって行ったのでありました。それに対して星の子達。段々と自分の置かれた状況が分かって来たのか、何も考えずに挑んだ最初の一発目が最高に良かった分、ちょっと伸び悩みの姿も見せています。でもばらさんがあそこまでやっているのですから、あれはあれで相当立派。あとは本番でお母さん達を前にして舞台に上がった時、あの一発目の『星をやる喜び』『自分を見てもらえる嬉しさ』を思い出すことが出来たなら、またあの素晴らしいパフォーマンスを僕らに見せてくれることでしょう。

 聖劇の役決めにおいて今年も、自分の想いを叶えられなかった子がありました。その子は違う役でがんばってくれたのですが、ある日お休みの子の代役で念願の役が出来る機会に巡り合いました。違う役を承諾してくれたものの、やっぱりよほどやりたかったのでありましょう。練習の中でもその役をじっと見つめて来たことを感じさせるように、セリフも所作も完璧に、更には想いの込もった演技は見ている僕らの心にその熱情を感じさせる素敵なものでありました。その日の練習が終わった後、みんなの前でその子の演技をリスペクトし褒め讃えた僕。「人がやっているのもちゃんと見ていたら、今日みたいに突然『やって!』って言われてもこんなに上手に出来るんだよ」と自分の出番以外においても聖劇に心を留め置きみんなで作り上げてゆくことの大切さを改めて語ったものでした。それが相当嬉しかったのでしょう。その子はまた自分の役をがんばりながら、大いなる熱量をもって聖劇の練習に参加してくれています。そんなその子がある時ふと「〇〇ちゃん、ずっと来なかったらいいのに」と吐露しました。そう、それが本当の想いなのでしょう。『役に身が入らないあの子より自分の方がこんなにちゃんと出来るのに…』、そんな想いが生まれて来るのは自然なこと。「でも、それはちがうよ」と一言だけ伝えた僕。具体的に『何がどう』と言葉にすることが出来なかったのですが、とっさに出た言葉が「クリスマスはみんなが嬉しくなれる日。〇〇ちゃんが来れなかったら、みんなが嬉しくなれないよね」だったのです。
 『幸せの形』は人それぞれ違います。でもその形を少し変えてでも皆が嬉しくなれるようにするのが愛だと僕は思うのです。想い合い・譲り合い・分かち合うことによって初めて世界に平和が訪れます。イエス様はその身の痛みと十字架の苦しみをもってご自身の愛を私達に示してくださいました。その愛に倣って私達も互いに赦し愛し合いたいと思うのです。世界中の人々に嬉しいクリスマスが訪れるように。


戻る