子育て保育講演会ディスカッション 『ちょっとピンボケ』 第五信     2024.11.2
<『自己肯定感』に関するディスカッション3>
○私が感情的に怒るとそれに反応して子どもも同じ熱量で怒って来ます。子は親の鏡なんだなぁと面白くなってしまいます。めざせ!『諭す』です。

<新>聖書から引いた言葉がみなさんの実感とつながってくれたこと、とても嬉しいことでした。人とは不思議なもので自分のこと『第一人称』・近しい人との間のこと『第二人称』のやり取りについては感情的になって冷静に受け止められないことが多いもの。それが「そう言う人があったんだって」の『第三人称』となると「そう言うこともあるよね」と聞くことも出来るのでなんとも不思議。「あなたは間違っています」と言われれば「間違っていません!」と激高するのに『こんな失敗をした人がいるだって』と言う話には客観的評価も出来るみたい。聖書とはまさにその『第三者の失敗話』をもって多くの真実を説いている不思議な書物なのです。
 『自分のことを言われれば熱くなる』、それはお互い様のところもあるのですが、僕も口論になった時、相手の口調に応じて強く言ったり弱く言ったり…になってしまいます。すると相手に「なんで怒らんといかんのか?」と言われて「そちらが先にそう言う言い方したんでしょ」と答えれば、「こっちは怒ってない!」と返され平行線の「…」。人間、出力と入力では感度が全然違うよう(補足しておきますがこれは夫婦喧嘩ではなくうちの親子喧嘩(僕と父親)の構図)。それでしばし会話が途切れるのですが、時をおいて次に話しかけて来る時には父は前のことなどなかったように別のことを話し始め、先の会話が蒸し返されることはありません。昔からそんな感じだった父に「あれだけ怒ったのによく固執せずに別の話が出来るな」と子ども心に感心したものです。親の言葉掛けは兎角くどくど引きずられるものなのですが、その点だけは僕が父をリスペクトしているところです。
 また『相手がそうだから』と自分の態度を変えるのは『感情的』と言わざるを得ないところはあるのですが、でも人とはそう言うもの。相手の出力感度が自分の入力感度とニアリーイコールであればお互いの感情も伝わりやすいのですが、この感度が大幅に違うと価値観を共有しにくく感じてしまいます。人それぞれ感じるポイントが違うので仕方のないことかもしれませんが、でもそれも長く付き合っていればその人のひととなりも分かって来るもの。その対応の仕方にも気遣いが出来るようになって来ます。でも最初はそんな気遣いも、出来る方が出来ない方を慮って合わせて行ってあげなければいけません。始まりはそうであってもその想いにいつか相手も気付き応えてくれることを信じながら、想いと思いやりを投げかけてゆくことが大切なのでしょう。親子関係において、主に慮るのは親の方なのですが、でも子どもにそんな大人のするようなことをさせるより、子どもらしく自分らしく主張するその中で彼らが気付きを得てゆく方がずっと良い。子どもに気を遣われる『イタイ親』よりも。そんな関わりの中で親の想いを彼らが感じ成長して行ってくれたなら、子ども達がこんな不器用な僕らのひととなりをリスペクトしてくれる時が来るかもしれません。そうしてこの子達が親となり、子育てに悩み、答えを探し求めてゆく中で、僕らの振舞いや信念が何かのヒントとなり、それを彼らが心の糧として行ってくれたなら、僕らの投げかけて来た想いと言葉がいつか報われる時が来るかもしれません。子育てとは・僕らの子ども達への投げかけとは、いつ芽が出るか分からない・実りが与えられるか分からない作物の種を蒔き続けることに似ています。撒いたからと言ってすぐに彼らの中に芽が出ない僕らの小さな想いの種。その時が与えられることを信じて、そのためには時が必要だと言うことを受け止めながら、この子達に向き合って行けたなら、それが僕らの生きた証となるのでしょう。
 そうは言ってもリアルタイムのやり取りの中で、感情に大きく左右されるのが子ども達への想いと投げかけ。それは仕方のないことであるし、相手に対する感情が『無』にならない限りそれはなくなりません。でも相手への想いと感情はお互いにとって大切なものであるし、それを無くしてしまったら『子育てに心を込めること』も出来なくなるのではないでしょうか。ではあるもののそれがお互いの関係を難しくする原因でもあるならば、それはその時々において『想いを寝かせておくこと』もありだと思うのです。一度心を落ち着けて、そこから子どもを『諭しなおしてゆく』ことに心を砕くことが出来たなら、今の悩ましい僕らと子ども達の関係はもう少しだけ受け止め易いものに変って行ってくれるのではないかと、そんな風に思うのです。すぐには答えや手応えを得られはしないかもしれないけれど。

 さて、いよいよ再来月に迫りましたキリスト教保育講演会。講師の小見のぞみ先生から私達に向けて講演題と招きのメッセージをいただきましたのでご紹介いたします。先生の想いと言葉にふれながら一緒に学びを重ねて来て約半年、今改めて感じること・疑問質問などあれば、またお声を聞かせてください。どうぞよろしくお願いいたします。
<小見先生より講演題と招き【講演題:タネくんの旅、わたしたちの旅】>
現代を生きるわたしたちは、いつも忙しく、たくさんの情報と周囲の声にふりまわされて毎日をすごしています。また、技術は進歩し賢い生成AIまでありますが、いたるところで人を傷つける暴力がふるわれ、激しい気候変動は地球を人が住めない星にしてしまいそうです。そんな今とこれからを生きる子どもたち、わたしたちの人生の旅に、ほんとうに必要なものは何でしょうか。タネくんのお話からご一緒に考えてみましょう。


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