園庭の石段からみた情景〜園だより12月号より〜 2024.12.10 |
<時を超えて想いを紡ぐページェント> 季節は秋から冬へ。「キー」と日土の谷に響き渡っていた『モズの高鳴き』に替わって「ヒーチッチッ」と鳴くのはジョウビタキ。ヒタキ科の冬鳥で、山里・町中でよく見かける野鳥です。ジョウビタキの古名を『ヒタキ』と言い、その語源は鳴き声が火打石で火をおこす時の音に似ていることからつけられた『火焚き』だとか。日本より北の国からやって来てこの国で越冬し、また北へ帰ってゆくジョウビタキ。調べてみたなら今年話題になった清少納言(主役は紫式部でしたが)の枕草子にも出て来ると言うジョウビタキ。そんな記事からこの国の四季は千年も昔から今と同じように繰り返し、この小鳥も遥かなる海峡を渡って飛んで来ていたと言う事実に巡り合い、ちょっと僕も気分高揚。これはジョウビタキと言う野鳥を自らの日常の中にこの目で愛でながら、もののことわりに触れ知的欲求を満たしつつ、更に時を超えて先人達とも想いを通わせ合わせたと言う、『時空を超えた至極の感動体験』。これが『野鳥を見た』『古典に触れた』『知見を得た』と言うそれぞれの断片的な体験だったなら、それぞれ「ふーん」で終わってしまったかもしれないのですが、それらがつながることによって『自分事』として僕の中に深く沁み渡ってゆきました。同じように幼稚園の子ども達も、裏山に登りどんぐりを拾って「どんぐりころころどんぐりこ(本当はどんぶりこなのですが)」と歌ったり、お散歩に行った先で松かさを見つけ「まつぼっくりがあったとさ」と口ずさんだり、そんな『本物』に触れることによって湧き上がって来るインスピレーションが自分のこれまで学んで来たこと・やって来たことにつながると、それはただの『見分』ではなく『自分の自我を支え形作ってゆくモノ』へと昇華されてゆくはず。幼稚園児ならば子ども番組等で『どんぐりころころ』を聞いて知っている子も多いはず。でもお山で拾ったどんぐりが手元を逃れてコロコロと坂道を転がって行ったのにやっと追いつくことが出来た時、この歌を思い出し口ずさむ体験は彼らの心の中で何物にも代えがたい財産となってくれることでしょう。そう言う『リアル』と『ファンタジー』もしくは『知識』の掛け渡しは子ども達の心と知恵を豊かに育んでくれるものとなります。そしてそれこそが日土幼稚園の得意とするところ。神様から与えられたこの環境を活かしつつ、また子ども達に想いと言葉を投げかけてゆきたいと思う僕なのです。 さて、時節はアドベント週間に入りまして、子ども達はページェントの練習に励んでいます。少人数園であるが故にちょっと難しい役や多いセリフ量を担ってもらう子が毎年出て来るのですが、それが大概年中児に回ってしまうのが申し訳ないところ。大昔はすみれだけで聖劇をやっていて、その頃に清水佐和子先生が書いた台本を踏襲しつつアレンジし紡いでいる日土幼稚園のページェント。当時は年長児が一人ひとセリフずつを受け渡しながら複数人で演じていた場面を、今は年中さんが一人で受け持って四苦八苦…なんて情景も。練習を始めた頃には『こんなのわからんよ』って困った顔を浮かべつつ、モチベーションも低いまま沈んでいる男の子もありました。彼は役決めの際、第一希望・第二希望とも叶わずそれでもその役を担ってくれた人。僕らは「どれも大切な役よ」と慰めの言葉を投げかけるけど、彼にしてみれば頭で理解するのと心で受け入れるのは全く別次元のこと。意を決してその役に取り組んでみたものの、今度はそれがうまく行かなくて…となれば面白いはずもありません。「そりゃあ沈んじゃうよね」と同情にも似た想いで彼を見つめた僕でした。それがある時、彼が急に変わったのです。そのきっかけは『教えてもらったことが出来るようになった』こと。『やるからにはちゃんと出来るようになりたい』と言う生真面目な男の子。先生が口移しで教えてくれるセリフを追いかけて口にするも、なかなか覚えられず同じように言えません。それをがんばって教え続けた先生も偉かったし、それを受け続けた彼も偉かった。二人のちょっと不器用な真面目さんが練習を重ねて来た結果、彼の言葉が台本通りになり始めたのです。がんばって出来るようになったらそれはやっぱり嬉しいもの。喜びを得、自信も取り戻して、いつもの満面のニコニコ顔で練習に励んでくれるようになった男の子でありました。 歌の方もあの役独特の一拍子の拍取りに相当苦労していた男の子。その昔はこの一拍子に乗せて杖を一歩一歩つきながら舞台の上を歩く演出がなされていたのですが、この舞台上で『動く』と言う演技が子ども達にはなかなかに難しい。羊飼いもそうですが、その後に着いて来る羊達を動かすのが年々難しくなって来たそれ故に、『立ち姿での斉唱』となって現在に至ります。でも「あの一拍子に合わせた一歩一歩があの歌には大事だったんだな…」と改めて思わされた今回のリズム練習となりました。実祐先生もとてもがんばっていて、聖劇の歌を全部手書きで書いて壁に貼り付けています。でも歌う時にあの一拍子を半分の二拍子で刻んでレッスンをしていたので、「これはその倍の間隔でいいよ」とアドバイス。そう、普通なら「いち、に、いち、に」とマーチのリズムを刻みたくなるのですが、この歌をよく解析してみると四拍子にしても裏拍で言葉が入るシンコペーションが組み込まれており、拍を細かく刻めば刻むほど拍子が取りにくくなる複雑な曲になってしまうのです。それをその子にどう伝えようかと思っているところに目に入って来たのが先程の壁に貼られた手書き歌詞。「この一拍目に〇をつけてそこで拍を取りながら歌ってごらん」と言うとすぐさま赤丸をつけ始めた実祐先生。「こう言うところ、まじめなんだよね」と思いつつ彼女達のがんばりとその成果に想いを馳せた僕でした。すると次の日の聖劇練習で早速拍のあった歌を聞かせてくれた男の子。いつも真面目で一生懸命な彼は、コツを掴めばコツコツ努力していつの間にか出来るようになって行ってくれる人。「すごい!」とみんなで喜び合いながら彼のがんばりを讃えたものでありました。「がんばった人に神様は、きちんとご褒美を与えてくれるんだね」と喜んだものの、でもそれも束の間のことでした。二番に入って一拍子で拍を取っていたところまでは良かったのですが、「イエス様おがみに」のところで『イエス』の言葉を一音一音当ててゆこうとした男の子。四分音符二拍のうちに『イエス』の音を流し込まなければいけないところを一拍ずつ真面目に入れて行こうとした彼。それで間に合わなくなってしまって、その後がぐだぐだになってしまって悲しい顔。「言われた通りにやったのに…」と実に切ない顔をしておりました。こんな時の彼の顔は『がんばったのにどうしてこうなっちゃったんだろう?』と言う時の『おさるのジョージ』の表情を思い起こさせます。『ピュア過ぎる者』であるが故にいだくジレンマから生まれる『切な顔』。そんな彼に「大丈夫、君は一生懸命がんばってるよ!」と慰め励ましてあげたい想いに駆られる僕なのでありました。 自由人だった佐和子先生(僕の祖母なのですが)。同志社女子短大英文科卒で英語にことのほか思い入れの強い人でした。70年代『はっぴいえんど』らによって始まった日本語ロックが成熟期を迎え、80年前後に佐野元春や桑田佳祐が英語のように複数音にまたがる日本語を一つの音符に乗せて歌うポップスを発明し革命を起こしたと言われているのですが、それよりはるか昔に彼女はそんな符割りで作曲を行なっていたのです。それも彼女が英語に精通していたからかもしれません。そんな『譜面にしたなら複雑だけれど、その構成にきちんと意味のある歌』の歌い方を実祐先生に伝えていなかった僕の怠慢がこれらの事の起こりだと言うことを改めて感じさせられたこの事件。もっともこれらのこともこうして彼が壁にぶつかって、「どうやって教えてあげたらいいんだろう」と僕に考えるきっかけを与えてくれたからこそ導かれた考察であり、何事も無かったら『当たり前のこと』としてこれからもその意味も分からぬまま続けられて行ったことでありましょう。大正10年生まれの佐和子先生、今年の12月で生誕103周年・年が明けた2月には没後丸7年となります。人にチヤホヤされるのが大好きだった彼女が「近頃、私のこと忘れてない?」と訴えるために企てた事件だったのかな…などと思いながらも、彼女とこの聖劇の歴史を改めてリスペクト出来たことを嬉しく思った僕でありました。 さてもう一つご紹介したいストーリーはマリアさんの物語。すみれ紅一点の彼女は無選抜でマリアさんに選ばれたのですが、それ故余裕があり過ぎるのかすごく自然体なマリアさん。宿屋探しの幕では『年下ヨセフさん』の大奮闘にもニコリともせず「まだ歩くの?」ってそんな顔。台本に描かれた『心の優しいマリアさん』と言う設定により、『マリアさんっていつでもどんな時でも笑っているもの』と言う勝手な先入観で彼女を見ていた僕はある時ふと気付かされました。「マリアさん、心配だよなぁ。心細いよなぁ。おなかに赤ちゃんもいてしんどいよなぁ」と。そう思えば彼女の表情はリアルなマリアの心情を表したものであり、あれはあれで名演技なのかもしれない…と。そんなマリアさんが3周も宿屋を探して舞台を歩き回り、最後の宿屋で「馬小屋でも構いません。泊めてください」と言った時、少しだけ明るさが戻るあの表情は、僕らがどんなに演出しようと言葉を重ねようとも決して顕すことの出来ない名演技のように思うのです。思ったことがすぐに表情に出る女の子。最終幕の大団円の場では生まれた赤ちゃんイエス様を抱いて嬉しそう。外を散々連れ回されていたのが、やっと落ち着くところを与えられ、無事に赤ちゃんも生まれたところに羊飼いや博士もお祝いにやって来てくれるのです。それは喜ばしいことでしょう。それまでの「もう!」って顔とのギャップが、彼女をより一層素敵に見せてくれます。でもこれらが全部演技でないのが彼女のすごいところ。その時々の自分の気持ちがそのままに顕された表現となっている凄みを感じた今年のマリアさんでありました。でもこれがマリアの本当の心持ちだったかもしれません。毎年『マリアさんになりたくてなりたくて…』でなった女の子達は、もうマリアでいるだけで幸せ絶頂。衣装に身を包むだけで笑みがこぼれます。でも本当のマリアはきれいな服もなく粗末な普段着に身を包み、赤ちゃんがすぐにも生まれそうなのにヨセフは宿屋を探せないし、自分は体がしんどいし…で、ヨセフについてゆくのがやっとのことだったでしょう。そんなマリアに想いを馳せることが出来たのは今年のマリアさんのおかげ。これも『言葉にできない想い』を彼女に体現させて僕らに気付きを与えてくださった神様の御心だったと思うのです。「みこころのままにしてください」と言ったものの、不安は尽きないし体はしんどいし、そんなマリアの心の内。僕らもそうです。「がんばります!」と一生懸命やろうとしても、想い通りにならないこと・思うように出来ないことが溢れんばかりにこの身に押し寄せて来た時には、受け止めるだけで精一杯。それでもその現実から逃げずに『神様の御心』としてそこから先に進んで行こうとがんばって生きているのです。そうして『生きる』と言うことこそが大事であり、それが神様によって与えられたこの命に対する僕らの責務なのです。『何が出来る』ではなく『何をする』でもない。与えられた御心に対して精一杯応えてゆくことが、私達の生きている証しであり、神様の望んでおられることと、そんなことを感じさせてくれた本番前の練習風景でありました。 他の子達もみんなこうして精一杯取り組んでいる今年の聖劇。彼らが数十年後に迎えたクリスマスの中で自らの幼き日の想いと一生懸命を思い返すことがあったなら、それはきっと生きてゆく上での大きな心の糧となってくれるはず。『リアルとファンタジーの想いの融合』『現在と過去の心の遭遇』、僕がそうだったようにそんなもの達が彼らの生きてゆく上での支えとなり糧となってくれたなら、ここで学び過ごした日々がこの子達の確かなる財産になってくれると信じている僕なのです。 |