子育て保育講演会ディスカッション 『ちょっとピンボケ』 第六信     2024.12.1

<『なぜ幼稚園に行かないといけないか?』>
○幼稚園の行きしぶりが悩ましいです。「なぜ幼稚園に行かないといけないのか?」に対する正しい答えが難しいです。『子どもは幼稚園に行くのがお仕事』『大人になるための準備・おべんきょう』『誰でもがんばらないといけないこともある』。なかなか子どもにとってはピンと来ないかと思います。今は分からなくてもどうにかこうにか連れて行って、行った先で色々な経験をしてもらうのがいいのかな…と自分を納得させています。

<新>今回は難しい質問にどう答えを探して行こうかとずっと考えているところ。でも一つの方向性には気付けたような気がしています。それは先月の子育て講座を準備している時のこと。小さい子達のために数曲を練習していた僕。『となりのトトロ』や『てのひらを太陽に』など、前回しなかったものをさらっていたのですが、やっぱりこれも…と『アンパンマンのマーチ』を歌ってみた時に一つの歌詞が僕の心に触れたような気がしました。『なんのために生まれて、何をして生きるのか。答えられないなんて、そんなのはイヤだ』。答えるのは『自分』なのです。誰かに「こうしなさい」って言われてやったところで、それは『やらされているだけ』。『何のために生まれて、何をして生きるのか』、それを見つけ決めるのは自分なのです。だから『分からないなんて』ではなく、『答えられないなんて』なんです。ロジックで『こうすればいい』と分かった所で・教えてもらったところで、それが自らを突き動かすものでなければいつか「なんでこんなことをしなくてはいけないんだろう」とまたそこに戻ってしまうはず。「楽しいからやる」「好きだから出来る」とそこに行き着かなかったら、それは答えではないのでは…と思うのです。
 戻って「なんで幼稚園に行かなければいけないか?」。『何々が出来るようになるために〇〇をする』と入力と出力が直結する答えは分かりやすく、説得力があるように思います。ネット社会がそう。『これを具現化するためにはどう言う手法がありますか?』、それに対して検索によって求められる一元的な答えは確かに分かりやすく結果を得やすいもの。でもそれは『How To』。人生に答えを与えてくれるものではないその場その場の答えであり、状況や条件が変わればまた違う答えが必要となって来るもの達。そこで『なんのために幼稚園に行くか』。「『なんで幼稚園に行くか』に自分で答えを見つけるため」と僕は答えようと思います。「それは哲学だよ」とか「言葉遊びじゃないの?」と言われる方があるかもしれません。でもこれを展開してゆくと「幼稚園に行って自分は何が楽しいのか?」「何を苦手だと感じるのか?」を『自分自身で感じるため』となるのです。つまり『自分とはなんぞや』と言うこと。全て今の自分の想いや自己満足に満たされている環境の中では自分を客観的に見られないのが我々人間。それは家でゲームしたりユーチューブを見ている方が満足度は高いかもしれません。そこでは自分に向かって来る『外乱』がないから。煩わしかったらそこから降りてしまえばいい。リセットしてしまえばいいのです。そんな中でも自ら課題を課してストイックに自分を高めてゆける人であればそう言う『自分探し』もありかもしれません。でもまだ自分の外にどんな世界が広がっていて、『それのどこが素晴らしいのか?』『それが自分にとって言う存在となり得るのか』を知らない年代のこの子達。『周りの子どもは何を考えどう感じるのか』『大人が自分に対して何を求め、自分はそれに対してどう感じるのか』『設定課題に対して向き合うことが自分を新たにしてくれること』『課題や負荷が課せられる状況にあってこそ、人は成長してゆけると言うこと』などなど、幼稚園で子ども達に感じて欲しいことは一杯一杯あるのです。単に『〇〇が出来るようになって欲しい』とトレーニングばかりをしているのではありません。だから幼稚園・そして学校は『自分と言う人がどんな人なのかを知るために行くところ』、そしてそれを踏まえて『自分がどんな自分になりたいかを感じ、それに対してどうしたら自己実現出来るかを学ぶところ』と言ってあげたいと思うのです。だから行きたくない時、行きたくない日があってもそれはそれでいい。それによって大変な想いをする方々(先生やお母さん達)のご苦労は分かっての上。でも『行くことが目的ではなく手段』であるとしたならば、そここそ一度リセットして一日二日のお休みがあってもいいのかな…と思うのです。特に体調の悪い時、発熱や症状がまだないうちから子ども達は自分の異変を心で感じます。それを言葉で表現出来ないし、学術的・定量的な裏付けも提示出来ないから、『ただのわがまま』と思われてしまうことも。幼稚園で自分・そして課題と向き合えば少なからずストレスも感じるでしょうが、それ以上に「あそこに行けばあれがある!」「先生や〇〇ちゃんが僕を待っていてくれる!」と言うポジティブな想いを持つことが出来たなら、子ども達はおのずと「幼稚園に行く!」と言ってくれると僕は信じています。そのような環境を作り整えられるように、僕は子ども達に自分と自らの想いを呈してゆきたいと思っています。

 小見先生の言葉をお借りして言えば「『教え込む教育』ではなく『自ら体験して学びを得る教育』それがキリスト教保育」。『なんで幼稚園に行かないといけないのか』と自らその疑問に辿り着いたその子は今、学びの時とチャンスを与えられていると思うし、その答えを僕も彼と一緒に探してゆけたら…と思っています。それは子ども達だけに課せられた問いではなく、僕らに与えられた課題でもあるから。僕らがここで幼児保育を行なっている意義と意味に一つの答えを与えてくれるものだと思うのです。そのあたりもまた講演会の場でお話を聞けたら…と思っている僕です。



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