園庭の石段からみた情景〜園だより3月号より〜 2025.3.9
もうひとつの発表会回想録
 先月行われた発表会において、それぞれ名演・名場面を見せてくれた子ども達。皆さんと喜びを分かち合った本番もそうでしたが、オフシーンにおいて僕の心に残っている彼らの姿を今回はご紹介。それは本番二日前の『3匹のこぶた』の練習風景でのこと。3匹のこぶた達のお家が出来、いよいよオオカミ登場。こわおもてを作って登場して来たオオカミ達。そんな彼らに客席から『きゃぁ!こわい!』と言う素振りでリアクションを返した僕。それが目に入ったオオカミ君は『お調子スイッチ』に火が入りました。『にやっ』と笑って益々恐そうな声と仕草であの「そこにいるのは、こぶただなぁ!」をやってくれまして、舞台を盛り上げてくれたのでありました。おふざけ・お調子は大好きなのですが、それ以上に周りをよくよく見、周りの見ているその目を気にするこの子達。それが普段の自制につながりこのクラスの秩序が保たれているところはあるのですが、それ以上に何をやるにもはち切れられないのが玉にキズ。「本当にこれしていいの?」と何度も僕らの顔を見つめながら、何度も叩いた石橋をやっとのことで渡る、そんなセンシティブな子達なのです。
 それは僕ら大人にも責任の一端があるのかもしれません。『これはOK、ここからはアウト』の基準が彼らに分かりにくい声掛けをしてしまっているのかも。大人が子どもを諫めるために声を上げる時、その時々の気分に左右されてしまうことが多く、またその解説に時間を割くことが出来ないことも往々にしてあります。また子ども達がそのような行動に至るまでの場面や前提を見逃して『その行為』だけを取り上げて叱ってしまったり、後に自分の稚拙な判断に気が付いてもプライドが邪魔して(家庭では意地になったりすることで)訂正したり謝ったりすることもなかなか出来ない。すると彼らは『何が・どうだったから、イケナイ』と言うロジックなしに、『大人がダメって言うから、したらいけない』と言う思考回路を導き出してしまいます。『大人の本意』が分からないから一つ一つ「これはいい?」「これしていいですか?」と聞く子になってしまう。本当は『それを判断出来る子ども』になって欲しいのに、逆にその想いと能力が退化してしまうこの矛盾。更に賢しい子は『地雷を踏まないように』とそこばかりに意識が赴き、『大人の前では正論を述べる』『悪いことをするなら大人の目のないところで』と言った処世術を編み出してゆくかもしれませんし、それが将来いじめ問題やSNSトラブルにつながってゆく可能性も否定出来ません。いずれにしてもそれは僕らの願っていることではありません。大人が作った『正解』『正論』ばかりを返して来る子どもになって欲しいのではなく、『自己実現を大切にしながらも、それがみんなにとって嬉しいことにつなげてゆけるセンスと能力』を、実体験をもって学び・体現して行って欲しいと思うのです。

 そんなこの子達の今の姿を汲み取って、美香先生も『キッチン音楽隊』と言う企画を彼らに投げかけてくれたのだと思うのです。「これ絶対ダメなやつ」と子ども達が経験的に分かっている『大やんちゃ』を「やっていい!」と言われて、最初は信用してくれなかったこの子達。でも『これは発表会の合奏でやるからいいんだよ』『それ用に準備したお鍋だからいいのよ』『お家の大事なお料理道具ではしないでね』と、『今回はなぜやって良いか』を子ども達に丁寧に話し聞かせてくれた美香先生。そしてそれを分かって受け入れられた子ども達。そこで初めてこの企画が成立するのです。初めは『好きに叩いていいよ』と言われて、ジャンジャン!ガチャガチャ!叩いていた子ども達。好きに叩けばそうなります。初めこそ嬉しそうに叩いていたのが、段々と他人の音をうるさいと感じ耳をふさぐ子が現れます。そう、自分一人なら気分良く叩いていたキッチン楽器も、人の音も聞こえて来ると言う状況下では『不規則な音はただただうるさい』と言うことも体感したこの子達。『じゃあどうしよう?』『こう言うのはどうかな?』と美香先生からのアドバイスが全体のリズムを形作り、この子達のドンチャン!を合奏へと昇華してくれたのです。
 最初から『こうしなさい』と『型』で教えてゆくのが日本の伝統文化。『修行』にも通ずるその学び方は極めた先に『自分の型』が生まれると言うとても息の長いもの。そのためモチベーションを持ち続けることが出来ず、早々に挫折してしまう者も多いのです。ましてや幼稚園児の発表会。どこにその目的と目論見があるか、それをやる子ども達はどのような子達なのか、総合的に判断して臨んだ今回の美香先生の『キッチン音楽隊』。その成り行きを興味深く見つめて来た僕でありました。

話しを劇に戻しましょう。そんなちょっと食傷気味の子ども達が今のその想いを乗り越えるために必要なもの、それが彼ら本来の『お調子』なのです。このお調子を肯定し受け入れてあげたなら、この子達は自分の中に棲む弱気に打ち勝って『自らの想い』を朗々と顕してくれる子ども達です。これはTPO。いつもおふざけで先生の話も聞かず、自分のやるべきことに向き合うことが出来ない姿、それは僕らにとっても困ったもの。でも舞台の上で・自分を顕す起爆剤として用いることが出来たなら、それはこの子達にとって何より大きな味方となるはず。練習ではあれこれ言って助けてくれる先生も、本番舞台では『あとは神様にお祈りするだけ』となってしまう時、多少台詞が違おうと手順が前後してしまおうと、そんなことより自らの想いを持ってこの劇に挑むことが出来たなら、自分の役に入り込むことが出来たなら、その方がよっぽど素晴らしく尊いものだと思うのです。
 年度末の幼稚園発表会において『なんで劇をやって、その子ども達の姿をみんなで喜んでいるのだろう?』と考えた時、それは決して『一字一句セリフをたがえず覚え述べる子ども達の能力を見たいため』ではないはず。それならそれに特化した大会を催し自己啓発を促した方が適切。では目的は何かと考えたなら、『与えられた課題に対して自分なりに解釈し、自ら表現することによって見ている人に想いを伝える力の分化』を促すことなのではないでしょうか。幼稚園ではまだまだ自分の想いを教師や友達に言葉で伝えられない子もあります。そんな子達も『演技と言うツールを使えば今の自分の想いを相手に伝えることも出来る』と言うことを学び会得する場だと思うのです。そしてそれは日常の人間関係にもフィードバックされ、自分の得意とするやり方でコミュニケーション能力を育むことにつながるはず。自分の役について考える時、それは『自己客観視』にもつながり、それをどう伝えたら相手が受け入れてくれるか・嬉しいと思ってくれるか、そのシミュレーションの場となるのが演劇。ただただ自分の想いをそのままぶつけたなら折り合うことが出来ない関係性の中にあって、物語を成立させるためのストーリーがそこにある。でもそれをやらされるままにやっていたのでは自分自身面白くないし、自己発揮出来ずに演じても見ている人にとって『面白い!』『楽しい!』と心惹かれる演技にはなりません。そこに自分らしさのエッセンスを加えながら、みんなが嬉しくなれる物語を紡いでゆく。そのためにも『お調子に乗ってやってくれたらいいな』と思うのです。勿論、劇の中のことなので、物語が無事に終われないような調子外れはみんなが困ります。でも自分の気持ちを乗っけて、声の大小で演出をしてみたり、表情や仕草で表現してみたり、『役になりきる』ことが出来たなら『自分の演じたい演技』がそこに生まれて来るはず。それこそが自己発揮の自己実現になると思うのです。
 
 そんな『なりきりマインド』はオオカミ達だけのものではありませんでした。兄弟がお家を作る際には、他のこぶた達も一緒に「〇〇のおうちがいいね!」の歌を歌いあげ大ハッスル。自分の役では動きもあるし緊張もあるので『一番の声』はなかなか出ないのでありますが、『ガヤ』の時は素の自分が生きて来るこの子達。張り切りばらさんは勿論、いつも人前ではテレテレのたんぽぽさんも大声で素晴らしいアシストを送っておりました。それがどの家の時もみんな「れんがのおうちがいいね!」になってしまったのはご愛敬。歌詞の正しさよりも『みんなの前で自分を出そうとする想い』の方がよっぽど素敵。そんな裏方さんのがんばりもあって大いに盛り上がったこの『お家紹介』の場面でありました。
 またオオカミに追い詰められて逃げ隠れするこぶた達の場面では、あの「ちがいますぅー」も気持ちを入れてやってくれていたこの子達。大真面目の上でちょっぴりコミカルに聞こえるこぶた達の返しがなんとも愛らしい。そんなやり取りを経てお家が飛ばされてしまったなら、「たーすーけーてー」と自らも風にあおられながらクルクルふわふわ飛んでゆきます。そんな互いの演技に触発されて、益々盛り上がりながら先へと進んで行ったこの日の劇。兄弟達が弱々しく「ちがいますぅー」と言っていたのに対して、元気一杯「そーだよー!」と答えるちいぶたちゃん。最近、自分自身の姿が段々見えるようになって来て、以前のような自信満々の顔が見られないなぁ…と思っていたこの子達。でも、おおぶたちゃんがダメ、ちゅうぶたちゃんも追い出され逃げて来たレンガのお家に、あのオオカミがやって来ます。『3匹のこぶた』の物語をよくよく知っているこの子達は、「でもわたしは大丈夫!レンガのお家はだいじょうぶ!」と人並みならぬ自信を持って「そーだよー!」と答えます。逃げも隠れもしないのです。「わたしはここにいるから、かかってこーい!」と言わんばかりにオオカミを呼び込みます。そのあっけらかんとした「そーだよー!」の声の響き、これは正に素のこの子達です。作るのが大変なレンガのお家を選び、「早い方がいいもん!」「楽な方がいいもん!」と言うお兄ちゃん達から「なにやってるのー!」と見下された末っ子ちいぶた。本によってそのくだりが表わされているもの・いないものがありますが、物事を深く考え真面目にコツコツ働く勤勉さは、神様の御言葉に従い大水に備えて箱舟を作った『ノアの箱舟』のノアに通ずるところがあるように感じます。そしてどちらも自らを驕ることなく、ノアは動物達を箱舟に招き、ちいぶたは兄ちゃん達をかくまって助ける、そんな『心正しき者』として顕されているのです。そんなこの子達の「そーだよー!」は、一番幼いながらも誰よりも純真な心がその想いを顕している言葉。そしてそれに自分の想いを乗っけて、明るく朗らかに表現してくれたこの子達の演技だったように思うのです。吹き飛ばそうとするオオカミに対して踏ん張り耐えるちいぶた達。そして助けてもらった恩義からか、はたまたちいぶたへのリスペクトからか、末弟を立てながらみんなで協力して攻撃を受け止める兄弟達。最後は「がんばれ、ブロック―!」とみんなでオオカミの鼻息に打ち勝った三兄弟でありました。

さあさあ、最後の大団円。勝利に喜び勇んで出て来たこぶたの三兄弟。嬉しそうな笑顔で舞台に並びます。一方のオオカミも『やるだけのことは精一杯やった』と言う満足感からか、とっても良い顔をしての再登場。みんなみんなが素敵な笑顔で「バイバイ!」と手を振り舞台の幕が閉じた、その日の練習風景でありました。その姿を見つめつつ、『僕らが発表会で目指すべき姿はこれなんだよ!』と思ったもの。子ども達が自信に満ち・お調子に乗って・気持ち良く自己発揮が出来る発表会。そのためには客席のオーディエンスも一体となってこの子達のパフォーマンスを後押ししてあげることが肝要。そんな発表会を目指して、お母さん達にも『楽しい』『嬉しい」『面白い』の想いを客席からもっと発信出来るような環境と関係性を作り積み重ねながら、次の一年間を過ごしていけたら…と思ったものでした。記録も大事ですが、『記憶』こそが一番。お母さん達が手を叩いて喜んでくれた記憶が、この子達の思い出と『次なる挑戦への糧』になるはずと、そう信じている僕なのです。



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