園庭の石段からみた情景〜園だより6月号より〜 2024.5.10
僕らの里山保育
 前号で登場した幼稚園の丘で見かけた一羽のキビタキ。例年なら2〜3日で姿を見せなくなり、更に山奥へと入り込んでゆくものなのですが、今回はちょっと様子が違うよう。初めて見かけた後、例によって数日で姿を消した彼だったのですが、それから一週間ほど経った頃、再び彼の姿を見かけました。しかも木々の梢を渡る彼の先をゆくもう一羽の小鳥がいるではありませんか。彼の鮮やかなる黄色とは違うシックな風合い、おそらくメスのキビタキです。状況証拠からの推察でしかありませんが、この季節に共に飛び交う二羽のキビタキ、カップルが成立したのかもしれません。後から渡って来たメスにプロポーズし、受け入れてもらった結果だったなら嬉しいことです。そして今年は三たびこのキビタキを見かけることになりました。それはつがいを見かけた10日ほど後のこと、今度はオスのキビタキだけが梢で鳴いておりました。メスは抱卵中だったのでしょうか?いずれにしてもこんなに長い期間、幼稚園の丘でキビタキを見たことはなかったのですが、このキビタキ君、ここが気に入ってこの地で子育てをしようとしているのでありましょうか。

 昔この丘はニューサマーオレンジ(いわゆる小夏)がびっしりと植えられ、そのあと手入れが行き届かずにその葉がうっそうと茂る森でした。収穫しようにも木が高くなりすぎて、高枝ばさみでないとその実が採れない有様。そこに農道がつけられたのは20年ほど昔。丘の上に我が家が建ち、下の母屋と行き来するための小路と幼稚園に車で乗り入れられる道が出来たのはこの時の事。この上からの道がついてから幼稚園を囲む環境は大きく変わりました。古民家由来である園舎に対して改築云々が出来るようになったのもあるのですが、一番はこの幼稚園の丘が僕らと子ども達の生活の一部になったこと。以前はうっそうとし過ぎてあまり足を踏み入れることもなかったこの丘が、子ども達の日常・そして大冒険の舞台になったのです。「舗装せんでいいの?」と業者の方に言われた小路も「舗装しない方がいいんです」と押し通し、こだわりの山路が出来上がりました。夏には草が生い茂り長手鎌を駆って草刈りをしたり、雨上がりには滑りそうになる足元に気をつけながら坂を行き来したりなどなど、決して利便性に優れたものではありません。でも地道のままにしたおかげで、この法面や台の上には十数年にわたって数々の卒園記念樹が植えられて、今では豊かな多様なる雑木林となりました。春には川津桜から始まって陽光桜に大島桜が次々咲いて、その後には『桜のさくらんぼ』が生り小鳥達の恰好のデザートに。その季節の合間に咲くのは花桃。春休みのこの丘は桃の花が咲き乱れ、「桃源郷とはこんなもの?」と遠い昔に栄えたと言う遥かなる異郷を夢想させます。またこの花桃は一口大の『桃の実』をつけ、ヤギ達の御馳走となっています。秋になれば幾種ものどんぐりがその実を落とし、子ども達は子リスやくいしんぼうネズミのように手当たり次第全部拾ってゆきます。それを滑り台上のビャクシンの切り株にずらっと並べてご機嫌顔。「お片付け!」の声に背中を押され、お宝を置いたままその場を立ち去れば、翌日には下の子達や動物達がおすそ分けをいただいて行って…なんて言う情景も見られます。その様は杜における本物の小動物達の関わりを見ているようで思わず笑ってしまいます。ため込んだありかを忘れてしまったリスのお宝を他の誰かがいただいたり、土に埋められた木の実が回収されずに芽を出して次世代の杜の苗木になったり…と、自然は『効率を最良のものとしない圧倒的な数と多様性』をもって緩やかな新陳代謝を繰り返しているのです。

 己生えの大木にまで育った樹木こそまだないものの、豊かなる多様性を雑木林の中に顕してくれている幼稚園の丘。明るい落葉樹の杜に生まれ変わり、小鳥達が餌とする様々な虫達も数多く生息するようになりました。コゲラやカラの仲間が枝をツンツンやりながら餌取りしている姿もよく見かけます。そんな環境ならば子育てをしてみようとあのキビタキ夫婦も思ったのかもしれません。『里山』とはそんなところ。豊かな自然もありながら、その自然の中で人間が日々の営みのための『手入れ』をすることによりまして、生き物が暮らしやすい環境を具現化している桃源郷なのです。自然に依り頼みながら子ども達と共に自然から学ぶ『自然保育』をモットウに、この地で保育の業に勤しんでいる日土幼稚園。神様が僕らに与えてくださった自然を最大限にリスペクトし、無理矢理の自然開発や現状変更をしないことを肝に据えています。その上でこの自然を『手入れ』しつつ、日土幼稚園の保育の核としながら、大事に受け継いで参りました。それが結果としてこの地に住む野生生物にとっても優しい環境となり、一昔前よりも色々な野生動物達を身近に見ることが出来るようにもなりました。それがなんとも不思議なところなのですが、手つかずの原生林よりも、その地に生きる人が生活のために手を加え・手入れをして整えた『里山』の方が、豊かな多様性を持った生き物達の暮らしの場になると言うことも分かって来ました。誰もが訪れ易く「ちょっと遊んで行こう」と思える幼稚園。それは自然の象徴である子ども達にとっても同じ。幼稚園の明るい丘に繰り出して、蝶を追いかけたり『色水遊び』の材料となる草花を求めたりはたまた『どんぐり拾い』に興じたりと、自らの満足心を一杯に満たしています。そのあと小規模ではありますが『クラス活動』と言う集団生活の縮図に立ち戻り、そこで社会で生きるすべや作法も学んでいます。色んな状況・子ども達があって、その多様性と互いの関り合いが彼らの学びの種。『自然と人間が共に生きる姿』を体現している『里山』の良さを生かしつつ、この国の未来を支える決め手となるであろう『自然との共生』の姿をこれからも、日土幼稚園の保育として顕してゆきたいと思う僕なのです。


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