園庭の石段からみた情景〜園だより6月号より〜 2024.6.5
<僕らの里山保育U>
 今年は季節が順当に進みゆくそんな感じ。6月に入ろうと言うのにまだ朝晩はひんやりとしていて体調管理には気を遣うのですが、そのおかげか日中もそこまで気温も上がらず過ごしやすい日々を送っています。晴れた日の日差しはいっちょまえに夏の予感を感じさせるのでありますが、木陰に逃げ込めば吹き抜ける涼やかな風も相まって心地良く外遊びを楽しんでいる今日この頃です。
 連載物のように毎号登場して来た渡り鳥のキビタキ君。前回連休明けに見かけてから数週間出会うことがなかったので、「この間見かけたのはもしかしてフラれちゃった後で、だから一羽でいたのかな?あの後一人淋しく山奥に分け入って行ったのかしら?」なんて再考察し始めた6月頭のことでした。ゆっくり歩いても徒歩一分の僕の通勤途中、目の前の梢に飛び込んで来た小鳥の影がありました。どんぐりの木々も葉を一杯につけるようになり、なかなか視界も利きません。木々の間を渡るその鳥が視界に入った時、あの鮮やかな黄色が見えたのです。今年四たび出会ったキビタキ君でした。そんな彼があいさつ代わりのつもりなのか、僕の足元までやって来て、芋虫を咥えて飛び去って行ったのです。木の枝に停まった後それをひと飲みにして、機嫌良く鳴いてみせたキビタキ君。それが「ヒン!コロコロコロ」とこの間とは違う声で鳴いたのでちょっと合点がいきました。前回は「ピーリー」と鳴いていたのですがあれは求愛の鳴き声。それが鳴き方を変えていたので、もういなくなってしまったのかと思ってしまっていた僕。手持ちの『野鳥のさえずりCD』を聞き直し、キビタキの鳴き声をもう一度確認してみると、「ピーチーグリー」と言うのもありました。これには聞き覚えがあった僕。この「ピーチーグリー」は「ちょっとーこいー」と言う『聞きなし』で有名なコジュケイ(この辺りによくいる留鳥でウズラに似たずんぐりむっくりしている鳥)の鳴き節に似ており、どこからか聞こえて来ても「遠くでコジュケイが鳴いているんだな」と聞き流していた声だったのです。そうしてこのキビタキ君がふた月もの間この近くにずっと居たと言うことが分かりまして、ちょっと感動してしまった僕。子ども達の「やいの!やいの!」の声に加えて、草刈り機だのチェーンソーだのがガーガーうるさい音を立てている幼稚園の丘。キビタキ君自身にとっては少々騒がしいところかもしれません。でも明るい落葉樹からなる雑木林や畑にはエサとなる虫や生き物が多く生息し、天敵となる小型の哺乳類や猛禽類も人の気配を察して容易に近づいて来ません。このキビタキ君、そんな『里山』特有の生活環境を自分の子育てにはピッタリと思ってくれたのかもしれません。そんなところを気に入って、長期滞在したその上に本当に繁殖・子育てをしている様子を感じさせてくれているキビタキ君。彼のここでの子育てがうまく行ってくれることを、心より願う僕なのでありました。

 でも改めて考えてみると、子どもを育てる営みをしている我々にとっても、日土幼稚園はそう言う場所なのかもしれません。少々不便で融通の利かない所はありますが、でも『遠足』『園外保育』と言って郊外に自然を求めずとも、毎日野原や裏山に分け入って『自然』とつながり、大いなる学びと体験を得ているうちの子ども達。そこでは日々職員や幼稚園につながる人々が園の周りの自然を『手入れ』して、そこで生じる可能性のある危険やリスクに目を配り、『自然保育』を成立させているのです。そのような環境作りに配慮している僕らではありますが、それを選んでくれるかどうかはお母さん達次第。このキビタキのようにすべてが自分の思う通りにならなくとも、自分のライフスタイルや想いに即し「これがいい!」と思ってくださるところがあるからこそ、皆さんがこの園を選んでくださったのだと信じています。皆さんがこの『里山』で子ども達をのびのびと遊ばせてあげたいと願い通わせてくださっていることに感謝しつつ、そんな想いに出来るだけ応え寄り添ってゆきたいと思っている僕。出来ることはそう多くありませんが、お母さん達の想いに心を寄せてゆくことは出来るはず。便利さやお得感はまるでなく、コスパやタイパを求める時代と逆行しているこの幼稚園ですが、昔の先達が守って来た『ひとりひとりの子どもを大切に』と言う想いをこれまでずっと受け継ぎ引き継ぎしてやって参りました。子ども達が自分らしく『自然』でいられるためには、自然の中で過ごすのが一番。誰かの思惑やルールの下で過ごす時間では得られない、自らも気付かずにいた自我の発露や感動を得ることこそ、今の子ども達に必要なものだと思うのです。

 そんな想いで子ども達を見つめていたある日、ジャガイモ掘りを終えた畑からの帰り道のことでした。ある子が「こわい」と言って坂路を降りることが出来ず立ち止まってしまいました。その子に手を差し伸べてくれたのはももの男の子。一歩先をゆき、手を引きながら坂路を下って行ってくれたのです。その彼こそたんぽぽの頃、この山路が怖くって立ち往生していた男の子。そんな彼がヤギにエサをやりに行きたくて眞美先生と毎日この路を上り下りし、また去年のばら組ではこの山路散歩に加えて母屋外のトイレに行くのに数段の階段を毎回行き来することによりまして、足腰を強くたくましく鍛えて来ることが出来ました。それと共に段差や坂路を「怖い」と言う想いが段々と『大丈夫』になって来た彼。そんなこの子の成長の証しをこんなところでこんな風に見せてもらえるなんて、思ってもいなかったことでした。フィジカルの成長もそうですが、『坂路を怖いと思う友達に手を差し伸べ一緒に歩いてあげる』と言う心の優しさをこの子が育んで来てくれたことを本当に嬉しく見つめた情景でありました。
 保育設備に関しては威張って言えることではないことは重々承知。幼稚園児・特に小さい子達にはリスクの少ないバリアフリーの環境を整えてあげると言うのが現代のトレンドです。新しく園舎を建てたり、園舎を改築する所は、みんなそのようにして整備をしています。でもそれが出来ない日土幼稚園。自らの私邸を園舎に提供して百年ほど前に幼児保育を始めた清水仲治郎の遺志を受け継いで、今も同じ園舎を大切に用いながら保育を行なっています。時代の求めに応じながらその都度耐震工事や内装の改築と言った『手入れ』を施しつつ、現代の保育にも使えるようにアップデートして参りました。とは言うものの大元が元なだけに、今時のハイテク便利設備などにやり変えることなど出来ません(そんな施設にしたいとも思いませんが)。園舎を一度全部壊してゼロから作り直すなら出来るかもしれませんが、それをしたなら日土幼稚園が日土幼稚園でなくなってしまうと思うのです。この幼稚園は全て与えられた物から成り立っています。園舎・園庭からしてそう。幼稚園を作るためにこんな建物を作ろう・こんな園庭を設計しよう…と作られた園ではありません。そこにあったものを感謝して用いて来たもの。またこの『里山』と言う小自然もアットホームなスタッフ及び人的保育環境も全て、神様から与えられた何にも代えがたい愛すべきものなのです。それらを全て子ども達の学びの教材として彼らの成長のために用いること・そのために提供することこそが、僕らに出来る最大限のことだと思っている園長。そのこと・そしてその想いが神様の御心に適い用いられ、子ども達の成長の姿として顕されたこの坂路下りの情景。僕らの憂いである保育環境の『足りなさ』をも用いて神様が具現化させてくださったこの子達の成長。これこそ『成長させて下さったのは神です』の御言葉を体現した恵みであったと、改めて感謝して受け止めたものでありました。

 さて、そうして集いここでの暮らしを楽しんでくれている仲間達。それはあのキビタキ君しかり・幼稚園の子ども達しかり、この地で彼らの想いを受け入れ保育の中に昇華しようと尽力してくれている先生達・そしてそんな子ども達と我々のことを信じ見守って下さっているお母さん達しかり。そのような仲間達とのこの『里山暮らし』を嬉しく思っている僕。それは言ってみれば僕の『自己満足』でしかないのですが、その喜びをみんなに共有してもらうことそれこそが、この『自己満足』を『みんなの幸せ』に昇華してくれることだと思うのです。それこそが日土幼稚園の存在意義・ここで僕らが保育を続けていることの意味。神様が僕らに与えてくださったもの・今手にしている有限なるものを感謝して受け止めながら、それをどう分かち合ってゆこうか、どのように『みんなの満足』のために用いてゆこうか、考え言葉に紡ぎながらみんなに投げかけてゆくことが、無力な僕に唯一出来ること。そんな想いで長きにわたって綴って来たのがこの『園庭の石段からみた情景』なのです。調べてみると初号が2007年と言うことで、振り返ってみたならば「思えば遠く来たもんだ」と改めて思ったものでした。その間読者アンケートを取ったり編集会議を誰かとしたり、そんなことは一度もなく、ただただ『自己満足』の書き物として世に出し続けて来たものだったのです。
 それは先日、お誘いを受けて訪ねた小学校の運動会でのことでした。あるお母さんと久しぶりにお会いしたのですが、その時に一番上の娘さん、彼女は日土幼稚園の卒園生なのですが、その子の近況を聞かせてもらいました。ずいぶん前にソフトボールのために宇和島まで行っていると聞いていた女の子。あれからまた時は過ぎ、「どうしているかな?」と思っているところに今回の再会。「ついこの間、娘から電話がかかって来て、日土幼稚園のことを話したばかりだったんですよ」とお母さん。「今は?」と尋ねるといつの間にやら二十歳になった彼女は親元を離れ、鳥取の方で暮らしているとのことでした。あの子のことです、そこでも一人でがんばっているのでしょう。日土幼稚園のホームページも見てくれているそうで、この『園庭の石段からみた情景』を読書代わりに読んでるって言っていたとそんな話も聞かせてもらいました。長きに渡って子ども達との日常をしたためて来た僕ですが、今でも深く心に残っているエピソードがいくつかあるものです。
 彼女との出会いもそう。ばら組で入園して来て、なかなか園に馴染めなかった彼女。いつも一人で寂しそうにしていた彼女に、園庭のジャングルジムのところで折り紙で折った花を一輪あげた僕。独りぼっちでいる彼女をずっと気にしていたのですが、今も昔も押しが弱く、自分を押し付けるのも押し付けられるのも苦手などう見ても教師に不向きなこんな僕。今から考えると『なんで外遊びで折り紙?』と実に不可思議な行動をしていたものです。宮ア駿の映画『ルパン三世・カリオストロの城』のワンシーンで、ルパンがクラリスに小さな花とそれにつながるミニチュアの万国旗を手品のようにするすると取り出して、「今はこれが精一杯」と言うシーンがあります。あの場面が好きな僕が無意識のうちにあのルパンを気取っていたのかもしれません。それでもその花がきっかけで彼女は僕にも幼稚園にも心を開き、「幼稚園、大好き!」となってくれました。僕にとって大切な思い出のワンシーンです。ホームページ上に大量に残されているエッセイの中から彼女がそれを見つけ出し、「これ、わたし!」と気付いてくれることがあるでしょうか。あの頃を思い出し、また「がんばろう」って思ってくれるでしょうか。そんなことがあったなら『僕の自己満足』で書かれていたこのエッセイが『誰かの幸せ』に昇華出来たと言えるかも…とまた新たな想いを綴っています。子育て・そして幼児期における学びは、どちらにとっても大変なもの。でもそのことに一生懸命向き合いながら、「今はこれが精一杯」と言えるだけのことを積み重ねてゆけたなら、神様はそれをより良きものへと昇華してくださいます。そのことを信じつつ、その時々の子ども達・そしてお母さん達と共に『今日と言う日』を粛々と歩いてゆきたいと思う僕なのです。


戻る