園庭の石段からみた情景〜園だより7月号より〜 2024.6.30
旅立ちの時
 連続連載で近況をお知らせしていた幼稚園のキビタキ君。いよいよお別れの時がやって来ました。あれからも度々僕の目の前に姿を見せてくれた雄のキビタキ。普段一羽でこの丘を飛び回っていた彼でしたが、ある日前ゆく小さな影を追いかけるように杜の木陰から飛び立ってゆく姿を見かけました。その日以来彼の姿を見かけなくなったのですが、それが最後とは思っていなかったのでそれからも彼の姿を梢の間に探した僕。でもそこに見つけるのはキビタキではなく、シジュウカラの群ればかり。明らかにこの丘の生態相が変わったことを感じました。そこで改めてキビタキの子育てについて調べてみると、抱卵に2週間弱・雛の孵化から巣立ちまで2週間弱と言うことだったのですが、キビタキのカップルを見かけた時期から数えてみるとおおよそそのくらい。これまで涼しかった気候が急に暑くなったのもありまして、雛が巣立ったタイミングでここよりも涼しい山奥へと越して行ったのでありましょう。今年こんなに近くでじっくりと、その姿と生態を見せてくれたキビタキ君に、心より感謝でありました。彼の子ども達や子育ての様子もじっくり見たり写真に納めたりしたくもあったのですが、あまりうるさく関わろうとすると親鳥が子育て放棄をしてしまうこともあるので「これでもう十分」。もっともこれって僕が子ども達と向き合う時の距離感とも似ておりまして、相手の心に踏み込み自分を訴えるのが苦手な僕。でも「その距離感ってやっぱり大事なんだよね」と言うことを改めて教わった、今回のキビタキ君とのお付き合いだったように思うのです。

 今年ばら組でお世話していたタマジャクシ。足が生えて来たものが現れて、子ども達も大喜び。やはり目に見えて『大きくなる』と言うことを感じるのは嬉しいものなのでしょう。オタマの世界でも育ちに早い遅いがあるようで、前足まで生えて来たものもあれば、まだ後ろ足も生えていない完全なる『八分音符状』のものもいて、成長の度合いはそれぞれ。僕も「カエルになるまではまだまだだなぁ」と思って眺めていたとある月曜日放課後のことでした。「8匹いたオタマジャクシが1匹いないんです」と美香先生。完全密室のこのケース。中のものが外に出ることは出来ません。「死骸もないんです」「先週末水替えしたばかりなのに、なんか水が汚れている気もします」との証言から推察し「食べられちゃったかな?」と僕。「この子達はほどんど水分だから、つんつん突っつかれたら何も残らないのかも」と言う僕の言葉を受けて「あっ、なにかあります」と美香先生。それは白い筋のようなものだったのですが、よくよく見ると左右対称・シンメトリー構造にも見えて来て「これって脊髄?」と僕。「共喰いかも。積極的に喰い合うこともないと思うんだけれど、溺れちゃったのかな?」と言うと、「あっ、手も生えて一番成長していたのがいなくなっています」と美香先生。これらの情報を統合すると、一番早く成長していたオタマジャクシが、休みの間にオタマからカエルになったのだけれど、上陸用の環境を水槽の中に作っていなかったので、溺れて死んでしまったよう。メダカの餌はやっていたものの、栄養分豊かなその死骸を兄弟達が突っついて、脊髄を残して消えてしまった…と言うのが事の真相みたいです。今年のオタマ達、去年より成長が遅かったので「まだまだ」と思っていたのが僕の失敗。本当に幼き者の成長はある日突然。それに一喜一憂してはならないのですが、心備えはちゃんとしておかないといけないことを改めて教えられた気がします。それにしても溺れたオタマが髄を残して食べられてしまうと言うセンセーショナルな事件も初めての体験でありました。それらを受けて大急ぎで水槽の水を替え、砂利を入れて上陸用の斜面を作って対処した僕らでありました。
 翌日の10時頃、ばら組の教室からみんなの「アーメン」と言う声が聞こえて来ました。その日は合同礼拝の日で朝のお祈りも済んでいるのに、「こんな時間になんだろう?」と思った僕。そしてすぐに思い至ったのがあのカエルのことでした。僕からしてみたら生き物が死ぬのは自然界においては日常的であり自然なこと。それを美香先生は『8匹のうちの1匹を死なせてしまった』と言うことを重く受け止め、それを子ども達と分かち合ってくれたのです。ご自身はカエルも苦手な美香先生なのですが、この一つの命をリスペクトしてその大切さを子ども達に伝えようとしてくれたこと、本当に感謝でありました。先生のそんな真摯な態度が子ども達の心にもしっかりと伝わってくれたよう。僕の顔を見ると「オタマジャクシが一匹死んだ」と何度も何人も言って来るばらの子ども達。「え?また死んじゃったの?」と尋ね返すと、どうもみんなあの一匹のことを言っているようなのです。「だから○○して」でもなく「○○なんだ」でもない、ただただ一匹のオタマジャクシが死んだその事実を僕に訴えかけて来るこの子達。彼らにとってそれほど一大事となったこの事件。これも介在する大人の関わり方ひとつで、子ども達の心のゲインも変わって来るんだと言うことを感じさせられたものでありました。それまではエサやりの時には興味を示すものの、それほど水槽のオタマジャクシに留意していなかったこの子達。それが「しんでいない?」としょっちゅう覗きに行くようになり、オタマ達の心配をしてくれている想いがひしひしと伝わって来ます。それからまた一週間経った週明けの月曜日、6匹のオタマが元気にカエルへと変態することが出来たのを機に、それを中庭に逃がそうとエントランスに集まった子ども達。おっかなびっくりの指先でお尻をつっつくと、カエル達は草むらに向けて飛び出してゆきました。そんな彼らの旅立ちを嬉しそうに見つめていた子ども達。日土の自然との関りがまた一つ、この子達の心を素敵に育ててくれました。僕らの取るに足らない失敗だらけの行いを、取り上げ用いてくださる神様の御心に心より感謝です。


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