| 園庭の石段からみた情景~園だより10月号より~ 2025.10.12 |
| <子ども達の育ちの物語> 『暑さ寒さも彼岸まで』とはよく言ったもの。『秋の入り』と言うのにしぶとく居座った今年の残暑も九月後半まで続きましたが、『お彼岸・秋分の日』を境にやっと峠を越えた気がしたものでした。日中は日差しの暑さを感じながらも朝晩はちょっとほっと出来るそんな気候となりまして、野山にも彼岸花が咲き出しました。この彼岸花、毎年お彼岸の頃にどこからともなくあちらこちらに咲き始めるのですが、今年はこの頃にお湿りの恵みの雨にも与かりまして、ちょっと違った風情を感じさせられたもの。例年カラっと晴れ上がった秋の斜光に照らし出され、暗く落ちた背景の影とのコントラストがまばゆいそんな彼岸花の写真を好んで撮っていた僕。でも今回は雨上がりの柔らかな光に包まれて、しっとりと静かに佇む一枚が撮れました。毎年同じところで同じものを撮っていても、こんなに違う表情が撮れることに改めて感じ入ったもの。その彼岸花が咲いている数日は、刻々と移りゆく光線を気にしながら、仕事をしている会議室から飛び出しては何度もシャッターを切ったもの。都会でサラリーマンをしていたなら、彼岸花のシャッターチャンスは週末に郊外に出かけたその時だけ。花の見頃は二週間。その日の天気がどうであれ、その年のシャッターチャンスはその数日のみで、しかも現地に到着する時間帯の制限でベストな光線が得られるかどうかも分かりません。『現地に棲んでいること』の強みを感じた数日間となりました。それは子ども達に関しても同じ。彼らが日々見せてくれる『想いの変化』や『心の成長を感じることの出来るその瞬間』に立ち会うことが出来た時、『子ども達が育ちゆく現場』で生活を共に出来ることに感謝せずにはいられない僕なのです。 これは先生達の運動会に取り組む方向性の正しさを示してくれる事例でもあると思うのです。この障害走、複数人による競争ではなく、一人ひとりの子どもの所作やがんばりを見てもらう構成になっています。これが他者との競争種目であったなら、多少のルール逸脱よりも『甘美な勝利』に想いが行ってしまうこともあるはず。でもこの『一人ひとりを見てもらう』と言う指向性が彼らに安心して『正しいことを行なうこと』を選ばせて、『ちゃんとやろうとする自分』『がんばった自分』をみんなに見てもらう喜びを味合わせてくれているのだと思うのです。一見、皆さんにとっては当たり前のように思われるかもしれません。でも僕らからしてみれば、『キリスト教保育』を掲げ子ども達に言葉を投げかけて来たその想いが、教師にとっても子ども達にとっても『ここに結実した情景』のように見えるのです。讃美歌『ひとりひとりの名を呼んで』で歌うように、一人ひとりのことを見つめ愛してくださるイエス様に倣い子ども達に関わろうとしてくれる先生達。そんな日々の関わりを受けて、安心して『正しく生きること』を体現しようとする子ども達。それが最初から当たり前に出来たのではなく、運動会に向けて練習を重ねる日々の中で『自分が行なうべきこと』を理解し受け止め・それが出来るようになって来たその姿と過程を見せてもらったことに、心から感動していた僕でした。 運動会当日、本番の緊張も相まって子ども達がどんな姿を見せてくれるか分かりません。でもだからこそいつもこの子達のそばにいて、彼らが日々見せてくれている『成長の姿とその過程』を皆さんにお伝えすることが大事だと思うのです。『運動会は結果だけではない』と言うことを多くの方に分かってもらいたいと思うから。そんな想いに支えられ、子ども達が繰り広げ見せてくれる無作為の『日々の情景』を、またこんなにして『物語』として紡いでゆきたいと願う僕なのです。 |