園庭の石段からみた情景~園だより10月号より~ 2025.10.21
ふと拾った秋の収穫>
 幼稚園の丘にそびえる卒園記念樹の雑木林がどんぐりの実を落とし始めた十月初旬。暑さと運動会練習の忙しさの中、子ども達がなかなか山に足を運ぶことが出来ずにいたその頃に、『今年の豊作』をいち早く感じていたのは誰でもない潤子先生でありました。毎年、「今年はどんぐりが多かった」「少なかった」と誰よりその生り具合を気にしている潤子先生。この木々が卒園記念樹だから気にしているのかと思いきや、毎年「誰の時の卒園記念樹だった?」と尋ねて来ます。「優真の同級生だよ」と孫の名前を出して記憶を掘り起こそうと試みるのですが、また次の年には「誰の記念樹だった?」。なので僕も一人一人の顔と名前を思い起こしながら、毎年説明を繰り返しています。数えてみればもう17年も昔に植えたどんぐりの木々。子ども達は社会人になったかならぬかそんな頃。当時は『8人の卒園生』で「今年は少ないから一人一本ずつ」と眞一さんが苗木を8本も準備してくれました。このエピソードを思い出すたびに『8人で少ない』と言っていたことに時の流れを感じてしまいます。今でも目の前の子ども達一人一人に向き合うのに精一杯やっているつもりなのですが、うちでも園児数が450人あったあの昔、自分が本当に子ども達一人一人に向き合えていたのだろうか?と自らを省みることも。そんな卒園記念樹の杜ですが、それがこんなに立派に大きくなって後輩達に秋の実りを届けてくれていることに感無量。『潤子先生への説明のため』と言いながら彼らの顔を思い出そうと試みると、そこに浮かんで来るのは屈託のない幼稚園時代の笑顔ばかり。今では立派な青年・素敵な女性になっているはずなのですが、思い出されるのは今でも園児時代の顔なのです。小学校に上がってからも何回か会っているはずなのに、時を経て改めて思い出すのは『幼稚園の時の顔』と言うのがなんとも不思議。機会を与えられたならあの子達に会いたい気持ちはあるのですが、会った瞬間に『この記憶』が今の印象に置き換わり、あの『愛しき幼顔』を思い出せなくなってしまうような気がしてちょっと複雑な心境。拾い上げたどんぐりを見つめながら「今はこの思い出だけでいい。どこかでがんばってくれていたなら、それでいい」と思う僕なのです。

 『秋の収穫』と言えば、運動会への道のりでこんなことがありました。もも組のダンスで隊形移動の練習をしていた時のことでした。自分の立ち位置がなかなか覚えられない男の子がありまして、そのたびごとに先生は手を引き「ここ」と教えておりました。曲をかけての練習で度々音を止めて教える訳にもいかないので「そうなるよな」と思いつつ見ていた僕。でも一杯引かれた線の一本を指さして「ここ」と言われても、『どこがここ』なのか『いつ、ここ』なのか伝わっていないんじゃない?と思ったもの。なのでロジックをもって認識することが必要だと考え、先生とその子に声をかけました。「最初の移動は長い横線とこの線の交わる所」「次は丸の上のこの目印」と位置情報を言葉にして伝えてみたのです。そうして立ち位置を客観的に認識させることを意識して投げ掛けをした僕らに対して彼が返した言葉、それは「かいて」。最初この言葉の意味が分からなかった僕。頭の中で反芻しながら、「『書いて』ね。え?書けば分かるの?」と驚いたことを覚えています。確かにもっと年齢が上がればメモを見ながら情報を整理し、理解を深めてゆくことも出来るでしょう。しばらくの推敲の後、読み書きも難しい歳のこの子が言う「かいて」は『描いて』なんじゃないかと思い至った僕。練習が終わった後、先生が保護者向けに作ったダンス配置図を下絵に、この子の移動経路を書き込んでゆきました。最初の移動先は『4人組の対角位置、○○君のいたところ』、その次は『大きな丸の上のこの場所』と図上に円も描き、その時々の立ち位置が分かる彼専用図を作って先生に渡したのです。早速、部屋の彼の荷物掛けの上にそれを貼ってくれた実祐先生。そこを通るたびにその図を見つめていた男の子でありました。

 さて翌日、早速ちゃんと自分の立ち位置・移動先に動くことが出来るようになった男の子。自分で投げかけておきながら、驚きと一つの気付きを与えられた僕でした。言語コミュニケーションで使われる『ここ・そこ・あそこ』の指示語は便利なものでありますが、『ここ』はリアルタイムにその場所を指さしながら使われる場合にその効力を最大限に引き出すもの。しかし少し距離を置いて遠くを指す『そこ』は誤差を含むこととなり、『あそこ』に関しては互いに同じ所を想像しながら情報を共有しなければ誤認識する可能性の方が高くなります。しかもそれが時間と共に変化する場合、どのタイミングのどの状況下が『ここ』なのか幾通りも理解しておかなければなりません。そんな複雑な要求を僕らは足りない言葉をもって子ども達にしているんだな・・・と改めて思わされたものでした。一方、彼もすごかった。トミカやプラモデルが大好きな男の子。視覚情報から物の特徴や細部の違いを読み取る能力に長けているよう。またYouTubeなども好きなようで『二次元情報の解読』もお手の物なのかもしれません。今回彼が「かいて」と言ってくれたから初めてこう言う『作画による情報伝達』が有効だと言うことが分かった僕ら。これは彼の個性と能力を活かすことが出来たことによって与えられた成果です。子ども達の感受性・そして得意不得意は十人十色。他の子達だってそれぞれに、何か有効なインターフェイスが隠されているはず。『面白言葉遊び』で調子が出る子には軽口トーク。『静かにだっこ』で気分が落ち着く子にはそのように。そしてお絵描きや製作が得意な子にはそれらの表現手段を介して想いを汲み取りながら、僕らは一人一人と向き合ってゆけば良い。そのことを改めて気付かせてくれた、この子との『コミュニケーション実践』でありました。ふとしたことで拾ったどんぐりと『彼の「かいて」の言葉』、それは僕にとって大きな大きな秋の収穫となりました。



戻る