園庭の石段からみた情景~園だより1月号より~ 2026.1.19
この国のかたち>
 新学期が始まってから暖かな日が続き、小春日和を思わせる陽射しに『新春』を感じる今日この頃。幼稚園の山ではスイセンの花の甘い香りがほのかに漂い、丘の上の陽だまりには早々に咲き出した梅花が佇んでいます。また卒園記念樹の川津桜も一輪二輪と花をつけ、見つけた者を驚かせています。12月にも一度咲いてみせたこの川津桜。この時は「狂い咲き?」と思ったものですが、年を越えればまだ早いとは言え「まあもうじきかな」とも思えて来ます。冬から春へと季節が徐々に進みゆく中で、時より訪れる温かな陽射しが彼らの『トリガー』となるのかもしれません。でも冬の寒さを過ごしてからでないと咲けない自らのDNA由来の摂理を知っている仲間達はいっときの温かさに騙されることなく、「まだ!」とちゃんと自制しています。一見、彼らに先んじて咲いた子はあわてんぼうのようにも見えますが、実は誰より多感な感受性を持っている子なのかもしれません。これから訪れるはずの本番寒気の到来に身を縮込ませるであろうこの子に同情してしまう僕なのです。

 お正月遊びの定番『コマ回し』。三学期の始めに各クラスで行なわれる子ども達の大奮闘物語が毎年の風物詩となっています。たんぽぽさんの手回しゴマから始まって学年毎に難易度が上がり、ばらの『(ひも)引きゴマ』・ももすみれの『投げごま』と難しくなってゆくのですが、意外に手ごわいのは年少が取り組んでいる『引きゴマ』。勿論技術的には投げごまの方が難しくはあるのですが、引きゴマを回す動作は二つの独立した動きから構成され、それを別々に且つ連続して行なわなければならないのです。そこには引きゴマ特有の動作アルゴリズムが存在し、その理解がつまずきに。まずこの引きゴマでは左右の手の役割と動きが異なります。右利きの場合、コマの軸受けを持つのは左手。引きゴマにはコマ本体の回転軸上に鋲が打たれているのですが、その鋲の外側に軸受けとなるプラスティックのつまみが取り付けられています。鋲端に軸受けの内径より大きな『抜け止め』が設けられていることにより、このつまみを持ってもコマは下に抜け落ちません。その状態で本体に巻きつけられたひもを引くと回転力が生じるのですが、その際しっかりと左手でつまみを持ちつつ右手のひもを引くことがこのコマ回しのコツ。この時、左手でつまみを持ったままコマが回り出すまで待てればいいのですが、ひもを引くのと同じタイミングで左手も放してしまう子はコマが上手く回ってくれません。それはそう。「せーの!」のタイミングで自分にトリガーをかけるのがこれまでの人生を通して身につけて来た運動作法。かけっこにしたってサッカーにしたって、相対するものにワンアクションで一気に力を加えるやり方で上手にやって来れたのです。でもそのやり方ではこのコマは回ってくれません。なんてもパッとチャッとやる子の方が却って苦戦しているようにも見えた、ばら組コマ回しの練習風景でありました。
 またこの『左右手時間差作戦』で回るようになる引きゴマも、コマ大会で長く回し優勝するには、ひもを引いてコマが回り出してからもいっとき左手でもったままくらいの方が良いこともあります。コマに強い回転力を与えるためには右手で力一杯ひもを引けるかどうかが勝負。そのためには左手でしっかりとつまみを持っていないと、右手がひもを引いてもそれが回転力になってくれません。またコマが回り出した後の左手の放し方にもコツがあり、自分の左手でコマが回っているのを見届けてからそっと床に置いてやるのがベスト。やみくもに手を放し高い所から床に落下させてしまっては、その衝撃でせっかく得た回転力を減衰させてしまいます。せっかちな子達はなぜかそんな感じになってしまうのです。これまで何でも『早くやる』によって成功体験を得て来たこの子達。『ゆっくりの方がいい』なんてそんなセオリーは持ち合わせていないのです。ここに来て『ゆっくり・ひとつひとつ・順番に』を学んでいるばら組さん。このロジックを体得した暁にはこの引きゴマ回しだけでなく、色々なものに向き合う際に新たな世界観が開けて見えて来るかもしれません。でもそれは自らのトライ&エラー・そして自分なりの解釈とカスタマイズによって初めて得られるもの。その新たな成功体験によって『いっとき立ち止まってでも、状況に応じて自分なりのやり方を模索する』と言う学びの作法を身につけて行ってくれるはず…と信じている僕なのです。

そんな子ども達を見つめていて、その姿からふとあの桜を思い出してしまった僕。冬の寒さをしっかり味わってからでないと、暖かくなっても咲けない桜達。何でも『時短』『タイパ』の時代にあって、でもちゃんと段取りを経て次へと行動を受け渡してゆくことの大切さを今学んでいるこの子達。それを教えてくれているのがデジタルコンテンツではなく、アナクロニズムな『伝承遊び』だと言う所に物事の本質を感じます。AIが一般論として導き出す答えを妄信するのではなく、自分の心と体に自ら向き合いながらその作法を体得してゆくことの中にこそ、人間にとって大切な学びがあるのです。「その方が楽だから」と途中の過程を『AI任せのブラックボックス』にして言われるがままに行なおうとする現代人。でも「なぜ・何のためにそれをするのか」をもう一度見つめ考える習慣を取り戻すことが必要だと思うのです。そしてその作法を自ら編み出した『関数』にすることが出来たならその解法は『証明済み』と言うことになり、後は安心して『はしょって』することも出来るはず。そうしてこの子達が一人一人、自分としっかり向き合うことが出来るようになったなら、この国は変わってゆくように思うのです。責任回避の『人に言われたまま』ばかりを履行するのでなく、自らの理解と解釈と価値観をもって物事に一生懸命取り組んでゆける『心豊かな子ども達』が創る素敵な国へと。



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