| 園庭の石段からみた情景~園だより2月号より~ 2026.2.11 |
| <鳴かぬなら、さてどうしたものか…ジョウビタキ> 例年この季節、日土の里にやって来る来訪者にジョウビタキと言う野鳥がいます。オレンジのお腹に灰色帽子、顔と翼は漆黒の冬鳥です。そしてその風切羽の中程に白斑があるのですが、黒地に白班の装いから『紋付』とも呼ばれます。『もんつき・はかま』の紋付です。これは雄のいでたち。雌は黄土色ベースなのですが、オレンジ色の尻尾と羽根の白斑は雄と一緒。全然違う鳥のように見えてこの共通項から『同種』と分かる雄雌のジョウビタキなのです。雄が見た目でアピールするのは自然界の定石。雌に認めてもらうために一生懸命がんばっているのですが、見た目と同じく大切なファクターに『鳴き声』があります。『視覚情報』は接近戦。近くにいなければ見えない上に、物陰など障害物に遮られた場所では見てもらうことは出来ません。いつもならその姿を見る前から「ヒッ!ヒッ!」とこの谷に響き渡っているジョウビタキの鳴き声。その声を頼りに「近くにいるはず」とあたりを見渡せば、「いた!」とオレンジと黒のコントラストを見つけたもの。それが今年はその声があまり聞こえて来ないのです。「来てたはずだけど、見ないなぁ」と思っていたある日のこと、幼稚園裏に生えるハゼノキでジョウビタキを見かけました。「やっと見つけた!」と思ったのですが、何かいつもの子と様子が違います。僕の姿に気が付き、枝枝の間を飛び回るのですが、お得意の「ヒッ!ヒッ!」が聞こえて来ません。なるほど、これまで見つからなかった訳です。鳴かなければ人間は勿論、天敵に見つかる確率もぐんと減るのですが、雌にアピールすることも出来ません。まあ人間界でも今時流行りのツートンカラーに『ニット帽』と言ういでたちで、可愛い系の二枚目君なのは間違いなく、「僕は見た目で勝負!」と思っているのかも…。さて自らの想いをパフォーマンスで顕さない彼に『春』は来るのでありましょうか。 舞台の上で『歌って踊って』を得意とするのは女子。ばら・たんぽぽさんが挑む『野菜劇』でも大きな声と動作で自分を顕している多数は女の子。そもそもの承認欲求が強いのか、はたまた成熟分化が男子より早いのか、練習も張り切りがんばってやってくれています。それは『こうやって』と先生から提示された課題に対して「わたし、できるよ!」と体現し、それを評価してもらう喜びを感じられるようになったからかもしれません。そんな彼女達もついこの間までは『お家でお母さんの前では嬉しそうにやっているのに、幼稚園ではやってくれない』と言う子もあり、そもそもの『好き嫌い』以上にそちらの要因が大きいのかな…と思ったもの。また男の子にも同じような傾向が見られ、家では『調子良く歌ったり・しゃべりまくったり』の子が、園では中々その姿を顕せないと言う話も聞こえて来ます。そんな子達は日常の中でも『指示待ち』が多かったり、とりとめのないことでも「これはどうするの?」と先生に尋ねて来たりするそう。お調子する時は大脱線するほどに自分を顕してくれるのに、『課題付きの取り組み』に関しては極度に腰が引けてしまうよう。昔の子どもは猪突猛進。物事にぶつかりながら、それに対する大人のリアクションから学びを得ながら、色々な物事を体得して来たものです。大人も今よりエキセントリックな人も多く、気分次第で子どもにくどくど言うような年寄りもおりました。そんな大人との関わりの中から『人との付き合い方』を学んで来たものです。またその子が自分で『何がいけなかったのか』を分からない時は、お母さんが「これはこうだったんじゃない?」と一緒に考えたり頭を下げたりして、彼らの学びを手助けしてくれたもの。少々気難しい大人相手のやり取りの中で『いいよ』のツボを見定めながら、自ら出したり引いたりする処世術を身につけて来たものでした。でも現代ではお年寄りが甘く優しくなり過ぎたが故に『叱る』のが母親の役になってしまい、誰よりも寄り添って欲しいお母さんが『仮想敵』になってしまうなど、状況と環境の変化が起こっています。それは時代の流れで仕方のないことなのですが、であるならば今時の大人は『一人二役』を演じるしかないのでしょう。自分が叱ったその後で、自ら『救いの手』を差し伸べる。そこに愛があります。イエス様が弟子達との問答の中で教えを賜ったレクチャーのアルゴリズムがこれ。感情に任せたなら中々出来ない方向転換なのですが、子ども達に『自分の犯した過ち』を気付かせた後、「じゃあどうしたらいい?」と一緒に考えてあげるのです。自分的にはあれこれ注文をつけたいところではあるけれど、『これくらいならまあいいよ』と言う幅を持ったストライクゾーンの中を導いて行ってあげたなら、彼らは自ら「ああしよう」「こうしたらいい」と主体的に考えることが出来るようになると思うのです。そうやって答えを導き出せた成功体験の積み重ねによってこの子達にも、『自分なりに考え答えを出す』と言うスキルを身につけさせることが出来るはず。『何でもAIに聞く』と言う現代の若者心理。それは他者への責任転嫁。ツールに依存し自分の思考とは関係ない『正解』を出すことが是ではなく、自分の想いを顕しつつ『正義』を求めてゆくことにこそ『僕らの存在意義』はあるのです。 そんな学びと成長の分化を経て、舞台の上でも自分を顕すことが出来るようになった子ども達。彼らは一足早く、人前で自分の想いを表現して見せてくれています。彼らもついこの間までは『人前イヤ』な子達だったのに。それは『出来ない自分』『ダメと言われる自分』を受け入れられなかったから。でも自分の想いを人前で顕し、それをみんなに喜んでもらえることの方がどれだけ心満たされることか、それを分かって来てくれたみたい。鳴けるようになったジョウビタキ君達は今まさに、この世の春を謳歌しています。まだ鳴けないでいる子達も彼らの姿に感化され、人前で調子良く鳴けるようになって欲しいと祈り願っている僕なのです。 |