<子どもらしい子ども>
年度の最後に寒の戻りがやって来て、戸惑うばかりの今日この頃。朝方、大寒の頃にも数回しか見なかった霜が足元の葉っぱを覆い、今更視覚から寒さを体感したものです。思えば積雪も薄氷が張ることもなかったこの冬が、「やり残したことがまだあった」と遅ればせの『冬の色』を見せてくれたのかもしれません。一方、気温は上がらぬものの春の日差しが園庭に差し込めば、上着をぱっと脱ぎ捨て遊ぶ子ども達。代謝も運動量も彼らに及ばない僕は相変わらずの冬の装いでその姿を見守っているのですが、「子どもらしさってこう言うことだよね」と思いつつ、そのハツラツとした様をカメラに収めるべく、僕なりに春に向けて体を動かしています。
卒園式練習・そしてクラス活動とやること盛り沢山で過ごした今年度最後のこの時節。毎日行なう卒園式練習で子ども達は『自分のあるべき姿』『目指すひとつ上の学年』を意識してがんばり挑んでいるところ。いつもの誘惑に負けてフラフラしてしまいそうになるところを、檀上にシャンと立つすみれさんの姿に何かを感じたのか、はたまたまた近くに座っている先生達の想いに励まされがんばり通すことが出来たのか、なんとか踏みとどまってくれています。式練習が終わり緊張タイムから解放されると、「ぼく、がんばった!カッコよかった?」とすぐさま尋ね返して来た男の子がありました。「かっこよかったよ!」と言葉を返すと満足げに誇らしそうに笑っておりました。ちょっと前までは言っても言っても馬耳東風。口では「ごめんなさい」と言うけれど、「なにがごめんなさいなの?」と尋ねると「わからん…」とそんなやり取りをしていた僕ら。それが自分なりに『どうするのがすみれになることなのか』を考えて、そしてその評価を他人に求めるようになった男の子。「これが成長するってことなんだな…」と思いつつ、見つめた情景でありました。
言っても言ってもそれが響かない子ども達。それぞれの御家庭においても、言葉で伝えることのむなしさを感じることがあるかもしれません。でもこの子達は『聞いていない』のではないのです。言われたことをその場ですぐに出来ないだけ。『言われたことをその場でそのまま出来ること』が良いことか、それにも問題はあるのですが…。そこで僕らが彼らに期待しているのは大人の欲求やエゴを満たすための『正解』であり、それが本当に正しいかどうかは誰にも分かりません。設問やオーダーが間違っているかもしれないし、子ども達がその場で応えられる環境・状況にないのかもしれません。時間やノルマに追われている我々大人は従わない子どもに苛立ちを覚え、今集中して取り組んでいる活動を中断してまで「○○しなさい」と要求される子どもとしては「また急に言って…。でも言うこと聞かないとまた余計にうるさく言われるしなぁ…」の葛藤下にあってリアクションしあぐねている状況。そんな関係下では建設的な意見交換や効率的な業務遂行が出来るはずもありません。すると「返事をしなさい」「早くやりなさい」と言われてむっとして、感情的に言葉を返せばまた相手に切れられて…。子どもは立つ瀬がありません。『話し合えば分かり合える』は弁の立つ大人の常套句。『言葉で負けることがない』『言い返されても論破出来ると思っている』からこその殺し文句。そんな大人に対して『どんな文言を返したら炎上しないか』そればかりを考え言葉を選んでいるうちに「この子は返事をしない」とされてしまうのです。未だに僕自身がそうなのですが…。
そのようにリアクションを返せないながらも大人の話をよく聞いている子ども達が、自問自答や試行錯誤の経験から『自分のなすべきこと』を見つけ受け止めることが出来た時、「ああ、この子は人の話が聞けるようになったんだな」と感じる対応を示すことが出来るようになるのです。そんなことを感じさせられた今回のこの子の姿。彼の成長を改めて感じると共に、僕ら自身の受け応えについても考えさせられたものでした。自己顕示欲が大きく、それを押し通すことを第一の行動原理としていたこの子。それが自分の我を通すことより「お兄ちゃん!」「すみれさん!」と言われることに自分の存在価値を感じるようになったこの成長。それがなければ他人が何を言おうと・どんなに非難されようと、『やったもん勝ち』の実力行使が続いていたはず。『そうなりたい』と願う想いが彼の行動原理に変化を顕した事例だったように思うのです。その想いを励まし後押しするために僕らの言葉や対応も重要なものとなって来ます。そうなるまでにかかった時間は決して短くはなかったけれど、それがその子にとって必要な時間と関わりだったのです。そんな彼に辛抱強く付き合って来てくれた先生達の想いに感謝したものでありました。
子どもは自らの想いが満たされて初めて、未知なる自分と正面から向き合おうとするもの。『大人の御機嫌取り』で良い子のふりをするのは簡単ですが、想いが満たされないのに大人の要求に応えてばかりいたならば、本当に大事なことが分からなくなってしまいます。大人が想いを伝えるのは大事。しかしそれを受けて子ども達が『自分はどうするのか』を自ら考えること、それが一番大事。それにはきっと多大なる『時間』と『くり返し』が必要なはず。『見た目のタイパ』で評価したならば、「全然ダメ!」となってしまうでしょう。そんな世の中の流れをもってか、はたまた『待てないせっかちな自分』の性分なのか、彼らに「早く!」「早く!」を求めてしまう僕らがいる。約束の時間があったり次の予定が決まっていたり、状況から本当にそうするしかない時もありますが、でもそうでない『自分都合』の時もあるはず。僕らはこの子達を急がせ過ぎることなく、本当に子どもらしい歩みの中でしっかり時間と経験を積み重ねながら、神様から与えられる『その時』を信じ感謝して受け止めたいと思うのです。素敵な『子どもらしい子ども』を育ててゆくために。
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