園庭の石段からみた情景〜園だより4月号より〜 2025.4.19 |
<さりげなく子どもと関わる自然保育> 桜吹雪に祝福されながら迎えた入園式・始業式から2週間。その間、寒くなったり暑くなったりの『気温の乱高下』に戸惑いを感じながら過ごした日々でありました。でもその程よい『花冷え』のおかげか今年は今頃まで、桃に桜・菜の花・そして野の花達がみんなで彩っている日土幼稚園です。そんなある日のこと、そんな幼稚園の丘に「ピール―リー」のさえずりが響き渡ります。日頃聞き慣れぬハイトーンボイスに声の主を探してみれば、若葉が萌え出で始めたどんぐりの杜に小鳥のシルエットを発見。「今年はキビタキがもう来たか。ずいぶん早いなぁ」と思いつつ見つめたのですが、園庭からその姿をはっきり視認することは出来ませんでした。
その日、子ども達とヤギ牧場へ出かけた帰り路、どんぐりの杜に足を踏み入れた僕ら。そこでヒューンと枝を渡る影にご対面。なんかいつものキビタキと様子が違います。先程の出会いで準備していた単眼鏡を目に当てて見てみれば、深い青色と白いお腹がこの目に飛び込んで来ました。オオルリです。毎年この杜で見かけるキビタキではなく、同じヒタキ科のオオルリでした。この子にこの杜で出会うのは初めてのこと。杜の木陰に溶け込む漆黒の瑠璃色から名前が付いたであろう『オオルリ』。『美声の野鳥』の代名詞ともなっている彼がこの幼稚園の杜にやって来てくれたことは、なんとも嬉しい出来事でした。僕の後ろからついて来たばらさんに「ほら、オオルリ!青い鳥!」と指差すも「・・・」。どこに何が停まっていて、僕が何に喜んでいるのか、その想いが全然伝わらない様子。「それはそうでだよね」と自分本位過ぎる想いを可笑しく思いながらも、この素敵な出会いの喜びを子ども達に・そして幼稚園のみんなにも伝えたいと思った僕でした。
端から見たらいるのか・いないのか、分からないような小さな野鳥。でも遥か彼方の東南アジアから海を渡って飛んで来て、確かにこの地に旅の足跡を残して行ったオオルリ。その日一日この杜で過ごした後、翌日には更に奥地へと飛び去ってゆきました。でも彼はこの幼稚園の杜をお気に召して、しばしの間、旅の疲れを休めて行ってくれたのです。これは『ここにオオルリも過ごせる自然が大切に残されていること』の証明。それが本当に嬉しいことで、「これからもこの自然を大事に守って行かなければ…」と思わせてくれた出来事でした。そんな本物の自然を与え、幼児保育を続けてゆくことを赦してくださっている神様に感謝です。
毎日「ヤギのお世話に行く!」と『いきものがかり』で意気投合した男の子二人。初日こそ大勢の子ども達が『ヤギ牧場参り』に馳せ参じてくれたのですが、段々と飽きて来て最後に残ったのは彼らのみ。子ども達が行かなくとも、ヤギは毎日食べさせないといけないので、僕もこの子達に喜んでついて行っています。準備段階として園庭の草を引きながら「これ、ヤギに持って行こうね」と声をかけると、一生懸命エサ取りをしてくれるこの子達。それを一輪車に積み替えてヤギ牧場への坂路を歩いてゆくのですが、それに毎回お付き合いしてくれるのは眞美先生。道中、道草を引き引きし、自然の素晴らしさを彼らに説きながら、山盛りごはんをヤギ達に一緒に届けてくれています。そんな僕らの『一輪車ガラガラ』の音を聞きつけて、ヤギ達はまだ僕らの姿が見える前から「メーメーメ―!」と呼んで来ます。一輪車を牧場に横付けすると、僕らが差し出す前からつまみ食いを始めるヤギ子さん。そんなヤギに目を丸くしながら「いっぱいたべるねぇー」と話す男の子。草を両手に抱え柵越しにポイと投げ入れたなら、ヤギは跳びつくようにむさぼり食べます。それが嬉しくって何度もエサを投げ入れて、ヤギの底知れぬ食欲に感激していた彼ら。そんな想いを心の糧に、登園やクラス活動も日々がんばってくれるのでありました。
またたまに涙が出ちゃう女の子。日土の山から吹き寄せる爽やかな初夏の風をその身に感じながら、ブランコに乗って遊んでいます。それがとても気持ち良いこと、そうしていれば心の涙も徐々に乾いてゆくことを知っている彼女。半年前は押してもらわないとブランコを揺らすことも出来なかったのに、今では自分の力で漕ぎながらブランコを心ゆくまで楽しんでいます。あっちこっちに遊びに行っても、必ずここに帰って来てブランコに揺られる彼女。これがこの子の心を落ち着けるルーティーンとなっているのです。多くの子が他の遊びに興じている時間帯、彼女のお隣はいつも空いています。そこに僕もちょこんと腰掛けながら、その時間を一緒に味わいます。そして僕のつまらぬ冗談に彼女がニコッと笑ってくれるのを見届けて、先にその場を後にするのです。一緒に居て欲しい時には自ら手を差し伸べて来る女の子。でもそうでないなら彼女の時間を邪魔しないように、でも「いつもそばにいるよ」の想いを所作をもって示しながら、彼女の『大丈夫』をサポートしてゆきたいと思う僕なのでありました。
こうして始まった新年度。神様がお与えくださった子ども達とこの豊かなる自然を、我々教師と言う『人的環境』がつなぐのが日土幼稚園のキリスト教保育。その関わりの中で彼・彼女の心が『大丈夫』になってゆけるための支えとして、さりげなく・そして自然に、この子達と関わってゆきたいと思っている僕なのです。 |