園庭の石段からみた情景~園だより7月号より~ 2025.7.5
帰郷 2025 夏>
 史上最速で四国地方の梅雨明けが発表され、夏休みまでの三週間をピーカン天気の下で過ごすことになった幼稚園。先生達はプールを中心としながらも、夏のこの季節ならではの体験と活動を子ども達に投げかけてくれています。毎朝一番に朝顔&夏野菜の水やりに出かける年長児。すると昨日も採ったばかりだと言うのに、もう次のトマトが赤く食べ頃になっている『すみれ菜園』。採れたてのミニトマトが下の子達にもふるまわれ、夏を五感で感じる食育が保育の中で行われている風景を嬉しい想いで見つめています。他にもキュウリ・ピーマン・トウモロコシも植えたのですが、みんなそれなりに収穫出来て食べるところまで行った今年の夏野菜。でも自分達で受粉したトウモロコシを剥いてみたら『歯抜け』になっていてビックらこ。お店に並んだ綺麗な野菜しか見たことのない子ども達ですが、植えるところから始まって収穫を得るところまで行けた一連の体験によりまして、『農業』に関する真実と知見を得ることが出来ました。日頃何気なく口にしている野菜達も工場で作られる同一規格品とは異なって、一つ一つが命の営みの結果として実りを与えられるかけがえのない生命達であることも実感出来た美香先生の『夏野菜プロジェクト』。こんな素敵な体験がこの子達の食に対する意識と感謝の念を深めながら、更なる知的好奇心も開拓してくれています。これから始まる夏本番を舞台としてこの子達の大冒険が繰り広げられ、『夏ならでは』のまばゆい数々の体験を通して心も体も魂も、大きく大きく育って行って欲しいと祈り願っている僕なのです。

そんな6月の終りに職場体験実習で二人の中学生がやって来ました。実習先に母園である日土幼稚園を選び、懐かしい顔を見せてくれたこの子達を嬉しく迎えた僕ら。そしていつの間にか大きく素敵なお姉さんになったおふたりさんに驚かされたものでした。その昔、聖劇でマリヤさんを演じた女の子。当時『歴代で一番小柄なマリヤさん』と言われ、その愛らしいほどの小ささゆえに『赤ちゃんイエス様人形』を抱きかかえるのに難儀したもの。職員で話し合い、一回り小さな赤ちゃん人形を新調し『新たなイエス様』をお迎えしたと言う伝説の持ち主。今に至る代々のマリヤさんが愛おしく抱きしめている『現職イエス様』の文字通り生みの親でした。もう一人はたんぽぽ入園の女の子。自由人のお姉ちゃんとはちょっとタイプの違う真面目かつ純真な彼女。「ちんてんてい、ちんてんてい」と僕を呼び、膝の上にちょこんと座って笑ってくれた可愛い女の子でした。でもそのことを卒園の時にお父さんから言われたのを気にしちゃったのか、顔を合わせても返って来るそっけない対応に「嫌われちゃったかな」と思ったもの。如何せん「男親と言うのは良かれと思いながらも、愛娘の想いにそぐわないことを言ったりやったりしてしまうもの」と今の自分も踏まえて反省したものでありました。そんな僕の想い出の中に今も生きている彼女達との一週間限定の幼稚園生活が始まったのでありました。

9人いたこの年の卒園生。それぞれに個性的な子達が集まった愉快なクラスでありました。二人に「他の子はどこに行ったの?」と尋ねると、「〇〇ちゃんは日土小」「××君はどーや市場」「△△君はごりらくん(食堂)」とクラスメイトの実習先を教えてくれました。あの頃のひととなりに想いを馳せれば『選んだ実習先』にそれぞれ合点が行き、「らしいな」と思わず笑ってしまいます。みんな自分らしくあの頃のベクトルを持ち続けながら大きくなってくれていることを嬉しく思ったものでした。このおふたりさんもそんなに押しが強い子達ではなかったものの、それぞれの世界観を持った素敵な日土っ子でありました。僕にもよくよく懐いてくれていた実感があったのですが、今回一緒に過ごす中で「口数、少なくなったんじゃない?」といらぬ心配もしたもの。みんな『あの頃と同じじゃない』と分かっていても、その変化が気になるのは職業柄でしょうか。先程の『ごりらくん』で働いていると言う男の子、彼はお口達者なお姉ちゃん二人の下の末っ子で、幼稚園に入った頃は言葉が遅く「おー!おー!」「あー!あー!」言って想いを顕していたのですが、小学校高学年となった彼に再会した時には「はい。何々です」なんて敬語も交えて流暢に話しかけて来るので驚いたもの。「小学校ってすごいなぁ」と思ったものでありました。かと思えば今回うちに来てくれたこの彼女。昔はよくよく喋りかけて来てくれたのが、今回はだんまりさんであまり声が聞こえて来ません。「職場の上長と言うことで緊張しているのかな」と思う一方、この8年間、あまり大人から自分の言葉を受け止めてもらえなかったのかな?なんて勘ぐりも。独自の世界観から生まれる言葉を口にしては家族からも突っ込まれていた女の子。それでもマイペースを貫く非凡性が彼女の個性だったのですが、社会にもまれて引いてしまうようになったのでしょうか。『大人になるとはそう言うこと』なのかもしれません。僕もそうなのですが、「この人はこちらが一生懸命話しても、端から受け入れてくれない人だな」と思うと口数が少なくなってしまうそんなタイプ。僕の場合はそれが『そもそもの自分』なのでそうジレンマはないのですが、昔の彼女を想えば「なんか変わった?」と思える素振りが気になってしまいます。子ども達に対してそっと寄り添ってくれる姿は『保育者としての素養』が十分あるように感じる一方、いかんせん子ども達への言葉が聞こえて来ない。僕自身『だんまり虫』でそんなに多くを語る人でないくせに、彼女に対して「話しかけて」「自分から働きかけて」なんて偉そうに言ってしまいました。「子ども達に話しかけること、こちらから関わってゆこうとすること、それがこの仕事の一番大事なところだよ」なんて言いながら。
 でもそんな僕の言葉も『つぶやき』に近いものかもしれません。必要な言葉をかけながらも、それを子ども達が履行するかどうかには固執しないタイプ。だから『僕の言うことを聞く子ども達』はほとんどいないのであります。でもその瞬間に彼らの心に僕の言葉が響かなかったとしても、熟成の時を経ていつか気付きや省みにつながってくれたらそれでいい、それが良いと思うのです。『言われて、強制力をもってやらされて』と言う指導もあるかもしれません。でもその子の想いを捻じ曲げてまで『自分を通す』ことにこだわることもないと思うのです。僕の言葉が間違っているかもしれないし、その子の姿や想いを正しく受け止められていないかもしれないのに。『その時』は必要な時に与えられる。『成長させてくださったのは神です』の御言葉がいつも僕の心の奥底にあるのです。保育の仕事・そして子育てにおいて大切なこと、それは『子どもを自分の言葉通りに動くように育てること』ではありません。子ども達が自らの未達や過ちに気付きを得るために、私達が自分の想いや考えを彼らに投げかけ・働きかけること、それが大事。そのことが彼らの自己否定につながってはいけないし、大人の考えやルールの押し付けになってもいけない。自ら考えるきっかけを与えるのが僕らの言葉と働きかけ。勿論、危ないことや人を傷つけたりする場面においては、強制的にその行動を停止しなければいけない時もあります。その場合も『なぜそうなのか』『そのことについてどう考えたら良いのか』を反芻する時を持たなければ、『叱られるからしない』で終わってしまうでしょう。それはこの子達の自分らしさを失わせ、心の糧を奪ってしまうことにつながりかねません。そんな想いから僕は子ども達に自分の想い・そして言葉を投げかけつつも、それは『種蒔き』であると自分を諫めながら彼らの反応を受け止めようとしています。『やらされ仕事』が嫌いなのは誰よりほかならぬ僕自身だから。
 なのでそう言われてもすぐに対応出来るものでもないでしょう、中学生。そんな彼女の変化を引き出したのは僕ではなく、幼稚園児の後先考えぬ『やんちゃ』でありました。お天気続きの一週間でしたが、プールでなく水掛け合戦で遊んだ日が一日ありました。プールの時には水着で入ってくれた彼女達。濡れるのは想定内で着替えもあったので大丈夫だったのですが、その日の水合戦は体操服で参加しておりました。最初は彼女の遠慮がちな様子に、多少の忖度を見せていた子ども達。しかし段々とヒートアップして来た彼らはそのやんちゃぶりが振り切れ始め、大々的に中学生に水を掛け出しました。そんな急襲に思わず声が出始める彼女達。元気な大きな声が出るではありませんか。一度タガが外れた子ども達のやんちゃはお姉ちゃんの想いと心の声を見事に引き出してくれたのです。「ほどほどに」とは言いながらこの時ばかりは子ども達に「グッジョブ!」と心の中でささやいた僕でありました。

もう一人の女の子。彼女も寄り添うように子ども達と関わってくれたのでありますが、慣れて来たらまずは自由遊びの中で言葉や想いを彼らに投げかけてくれるようになりました。線路遊びをしていた場面では子ども達のアイディアを汲み上げながら、前後上下も破綻しないように線路をつなぎ組み合わせ、彼らの想いを具現化してくれました。また『乗り物図鑑』を見ながら「こんな船が作りたい」と言う子の言葉を受けまして、かまぼこ板を並べて船の形をトレースしたその中にトミカを置いて行った彼女。端から見てもそれは立派な『カーフェリー』。図鑑の挿絵のイメージをそこに表現してくれました。そんな彼女のクリエイティブな仕事ぶりに大感激した男の子。すっかりお姉ちゃんのファンになってしまいました。
 またある時はプールで大活躍。『子どもVS先生・中学生チーム』のビーチボールバタ足対決でひと盛り上がり。この子の幼稚園時代を知っている美香先生とのコンビネーションは抜群で、年長児5人のバタ足に負けず劣らずのキック力を披露した大人チーム。どちらも段々とヒートアップして来まして、不可抗力ではありましたが蹴飛ばされたビーチボールが遥かプールの外まで飛んでゆきました。その時彼女から出た「しんせんせい!(とって!)」の大きな声。8年ぶりに聞くハツラツとした彼女の僕を呼ぶ声に、「はい、はい」と喜んでボールを取りに行ったものです。その声に甦って来たのは「ちんてんてい!」と僕を心から呼び求めてくれたたんぽぽの時の彼女の姿。またここでこんなことを書けば嫌がられるのは分かっているのですが、それでもこの想いを書かずにはいられない『お父さんのノスタルジー』がそこには確かにあったのです。
 そんな彼女、最終日に今回の職場体験の感想を求められた時、「自分が小さい頃過ごしたこの幼稚園で実習出来て嬉しかったです」なんて言ってくれました。父親泣かせのこの言葉。僕の方こそ、嬉しく甘く懐かしい日々を味わうことの出来たこの数日間に心より感謝をしたものでした。なんかこの手を離れて遠くに行ってしまった二人の娘が帰って来て、あの頃の純真な心をもう一度見せてくれたような気がして、それがなにより嬉しいことでした。聖書物語の『放蕩息子』ならぬ『孝行娘』が帰って来て、礼儀・行儀を身につけて『職場でなすべきことをしよう』と言う責任感も感じさせてくれたこの子達。8年分の成長が伝わって来ます。その上で『三つ子の魂、いつまでも』の想いも感じることが出来、「これからもこのまま大きくなって、そしてまた時々ここに帰って来てね」と思った僕でありました。

こんなにも素敵に大きくなってくれた卒園生との嬉し懐かしい日々をここに綴りながら、目の前の子ども達に想いを馳せたなら、「神様はきっとこの子達にもこんな素敵な実りを与えてくださる」と心励まされる想い。投げかけた言葉や想いがなかなか具現化されない現実の中、それでも『成長させてくださったのは神です』の御言葉を心の支えに、その時々に出来る『自分の精一杯』を子ども達に投げかけて行きたいと思うのです。忘れた頃に届くこんな『ご褒美』を楽しみに待ちながら。



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