園庭の石段からみた情景~園だより9月号より~ 2025.8.25
夏休みの思い出、いま昔>
 お盆を過ぎたと言うのに暑い日々が続いている今日この頃。でも暑さ一辺倒かと思いきや、預かり保育でプール遊びを楽しむ子ども達を桜の木陰から見つめていると、吹き寄せる風がいつの間にか涼しさを感じさせるようにもなっていて、「これが『夏の終り』の始まりなんだよね」と思ったもの。ひと月前には風すら感じることがなかった真夏の園庭が、今は立秋も過ぎ園庭を吹き抜ける風が少し心地良く感じられるようになりました。これは『めぐる季節』を実感する贅沢なひと時。季節の変動が激しいここ数年。厳しい夏が長く続いたかと思えば、秋を通り越して冬模様…なんてことばかり。確かにそうではあるのですが季節のゆらぎの予兆や微妙な変化はどこかにあるもので、それを僕らが見逃している可能性もあるのです。「暑い!」と言って一日中冷房の効いた部屋の中で過ごしていると、こんな風ひとつが運んで来る季節のうつろいに気付けません。天気予報が喋る八幡浜の最高気温は毎日32℃で変りなく、そんな数値データだけを見ていたら「どこが秋なのか」と言われるのもごもっとも。でも自然の中に身を置いて、自然そのものを感じる時を持ってみたならば、こんな気付き・そしてご褒美を神様は僕らに与えてくれるのです。無作為の自然とそれをも統べて私達のために用いてくださる神様が与えてくださる『状況』のその中に、どれだけの幸せを見つけ出すことが出来るか。それがその人の幸福感を決めるものとなるのです。子どもも自然です。子ども達の行いに対して我々大人は『自分の想い通り』にならないジレンマを感じることも多いはず。でもふとした表情や言動によって、僕らの考え得る自己実現を遥かに超える感動や感激を彼らは与えてくれるのです。季節の移り変わりに際し、ひとそよぎの風に喜びを感じることが出来る田舎暮らしを謳歌している僕ら。僕が世離れしているのは自覚していますが、それでもこんな日土幼稚園を愛してくださるみなさん&子ども達もきっとそれに近い感性の持ち主だと思うのです。プールに身を浸しながら跳ね上がる水しぶき一つに大喜びしたり、木陰で風に吹かれつつかじるポッキンアイスに夏の醍醐味を感じたり。ここで紡がれる『夏の思い出』はきっと将来、この子達の心を支えてくれる大切な拠り所となってくれるはず。夏休みになると日土に帰って来て『自分だけの夏』を謳歌していた僕。朝の光が雨戸の節穴を通り抜け障子に映し出した倒立像をいつまでも見つめていたり、目覚めた瞬間から降り注ぐ『蝉しぐれ』に誘われ虫捕りにいそいそ出かけたり。それが僕の幼少期の原風景。帰郷して来た孫を連れ出すのが好きだった祖母にあちこち連れて行ってもらうのも嬉しいことでしたが、何もないところに自ら感じる感動や感激が何より好きだった僕。今の子ども達にもそんな体験をここで一杯して欲しいと思うのです。そんな自作自演の大冒険とそれにより心に積み重なってゆく思い出それこそが、いつまでも自分の中に残ることを知っている僕からのささやかな贈り物なのです。  

『今年は実のなるものが豊作』と言う話を何度か聞いていただいて来ましたが、それはまだまだ続いているよう。今頃は幼稚園へ行き来する山道に沢山の花桃の実が落ちています。それもスモモ程の大きさに育ったものがこの暑さで早々に完熟し、夏の終りの風に吹かれポトポト落ちて来るのです。この花桃、実は立派なのですが食べれません。でも熟し切った実が甘い香りを漂わせ本当においしそう。これを捨て置けば人や車に踏まれ道を汚すものとなるだけ。うちにはこれが大好きな家族がいるのを思い出し、バケツ一杯拾って牧場に差し入れた僕。するとその香りにつられて柵の上から身を乗り出し「おくれ!おくれ!」と催促して来たのは双子のヤギ。普段は栄養価の低い草を食み反芻しながらエネルギーを得ようとしている彼女達ですが、糖分を多分に含んでいるこの完熟桃がご馳走だと言うことを本能で分かっているのでしょう。二匹してむさぼりつくように食べておりました。こんな情景こそ子ども達に見せてあげたいと思うのが日土幼稚園の園長たるもの。動物園での『ふれ合いイベント』ではひと盛数百円のエサを買って動物達にふるまうのですが、うちでは目の前に落ちている桃の実を手ずから拾ってヤギにやるのです。「こんな自然な営みは他にはあまりないでしょう」とちょっと自慢。あまり誇れるもののない自分・そして日土幼稚園にあって『与えられたものばかりが誇れる』と言うのもおかしなものです。まあ、それが僕なのでしょう。
 ある日、預かり保育の子達を誘ってヤギ牧場へ向かった僕。道すがら桃の実を拾いながら歩きます。僕に「ひろって」と言われるものの「なんでこんなものを拾うのか?」といぶかしげに従う子ども達。でも拾っても拾ってもまだまだ一杯落ちている桃の実に段々と嬉しくなって来たようで、落ちている実に駆け寄っては一杯になってゆくバケツを満足そうに見つめていたものでありました。牧場まで来ると勝手知ったるヤギが駆けて来て、ちょっとビビるこの子達。彼女達にしてみればお待ちかねのデザートがやって来たので「早くおくれ!」と言わんばかりの勢い。子ども達はそんなヤギに気圧されて、桃の実を投げ入れるも柵に跳ね返って上手く入りません。するとなお一層「早くちょうだいよ!」と急かすヤギに引いてしまう彼らでした。それに対して「こうしたらいいんだよ」と柵の上からばらばらと桃を入れてみせた僕。それに跳びつきかぶりつくヤギを見て、目を丸くしていた子ども達。それでもあまりに嬉しそうに食べてくれるヤギを見て、なんだか嬉しくなっちゃったよう。空っぽになったバケツを手に「お世話しちゃった」とちょっと誇らしげに幼稚園への下り坂を歩いて降りたものでした。これぞ日土幼稚園ならではの『ひと夏の大冒険』。「この子達の心に何か残ってくれたかな?」と思いつつ、彼らの笑顔を見つめながら子どもの頃の自分を思い出していた僕だったのでありました。



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