園庭の石段からみた情景~園だより9月号より~ 2025.9.5
はじめの一歩>
 二学期が始まって一週間、相変わらず日中の日差しは暑いのですが、朝晩の気温が孟夏の頃より下がって来たり、雨が降ったあと地面の熱が冷やされいっとき涼しさを感じたり、そんなことから季節の歩みを感じる今日この頃。『九月も始まって二週間は暑いでしょう』と言う天気予報にも「半分終わった。もう半分がんばろう」と自分自身を励ましながらがんばっています。苦難はいつも苦しいものではありますが、でも『季節は必ず動く』『神様は苦しみばかりをお与えになる方ではない』と言うことを信じれば、自分との向き合い方も違って来ます。与えられたものに感謝し良いところを探しながら受け止めてゆくことって、『子育て』だけではなく私達の生き方全般において大切なことなのかもしれません。
 
 夏の終りに落ち始めた花桃の実。その盛りは過ぎたようなのですが、いかんせん久保田さんが幼稚園の丘に植えてくださった桃の木の数が膨大であること、そして今年が桃の当たり年であることから、幼稚園が始まった今週も毎日ポトポト落ちて来ています。陽の当たる園庭は気温がぐんぐん上がるので、木陰を辿って子ども達とヤギ牧場まで歩いた僕ら。途中、木に生っているものをもぎ取ったり足元に落ちている完熟実を拾ったりしながら、牧場までの坂路を『嬉しいお散歩気分』で登ってゆきました。幼稚園が始まってまだ一週間。新入児に加え久々に始まった幼稚園に心も体もまだ慣れない子達もありまして、そんな時の頼みの綱がこの『ヤギ牧場参り』。「ヤギさん行こうね!」となだめ諭しながら、『朝の受け入れ』から乗り気になれない準備仕事をやっつけて、この丘までやって来たのです。手ずからもいだ桃の実はまだ熟していないようで、ここ数週間甘い完熟桃ばかり食べて来たヤギ達はせっかく子ども達が差し入れたその青い実に見向きもしないそんな素振り。実の生り始めでまだどれも熟していなかった夏前は、青くても何でもボリボリムシャムシャ食べていたくせに、『日常の慣れ』と言うものはなんと切ないものであるだろうと思って見つめたもの。人間の僕らもそうですが。でも目の前に突き付けられた現状に対して『慣れる』と言う特性を持っているからこそ、僕ら生き物は環境に順応・適応出来るのです。お母さんと離れるたびに涙を流していた子ども達が、その状況に慣れ幼稚園に楽しいことを一杯見つけ受け入れることが出来るようになったなら、「お母さんバイバイ。帰っていいよ」と踵を返して園舎に消えてゆくその姿。お母さん達は喜びながらも一縷(いちる)の淋しさを感じていることでしょう。そんなお母さん達にもその状況に慣れてもらって、自分の全てを我が子に傾けていたところを『自分の為』へと少し揺り戻すことが出来たなら、子どもも大人も『自我の自立』に向けて歩み始めることにつながってゆくはず。そうやって人間は『個人レベル』において・また社会を作り文明を築き上げて来た『人類と言う次元』おいて、『色々な物事・状況・環境』を受け入れることが出来るようになって来たのです。子ども達とヤギの関りから文化人類学にまで話が飛んでしまいましたが、目の前の何気ない物事こそが自分に気付きと学びの種を与えてくれるものであると言うことを改めて感じさせられたものでした。

 
 さて、そんなヤギに対して子ども達。せっかくあげた桃の実へのヤギのリアクションに残念そう。そこで「こうしてあげたら食べてくれるよ」と拾った完熟実を彼女達の掌に乗っけた僕。手に握ったエサを差し出すと動物は勢い余って指までかじってしまうことがあるので、これはエサやりにおける鉄則。掌に乗るものは勿論、馬に人参をあげる時にも掌と指の付け根で太い方を挟んで差し出せば、指をかじられずにエサやりが出来るのです。とは言うものの半信半疑の子ども達。それでも掌に桃を乗っけて差し出せば、柵越しに首を伸ばしたヤギがそこから更に舌を伸ばし、「べろん!」となめとって行きました。それにはびっくりしちゃった子ども達。「なめられちゃったねぇ」「べろんってしたねぇ」と言葉を投げかけると「うん!」と嬉しそうに声を返してくれました。その感動がトリガーとなったのか、入園初週にがんばりながらも口を真一文字にしていた女の子。隣に寄り添ってくれていた先生に自ら想いを言葉に紡ぎしゃべり出しました。その言葉を嬉しく聞くと共に、その声がお兄ちゃんにそっくりでびっくりしてしまった僕だったのです。

 歴代のお兄ちゃん達も入園したての頃、皆こんな声でぼそぼそしゃべっていたことを懐かしく思い出した僕。僕らの知らないところで大きな声を出して泣いていたのでしょう。幼稚園ではおりこうに努めようとがんばっていた彼ら。でもその分お家ではお母さん相手に相当なる自己発信を繰り広げていたのでしょう。末っ子の彼女もそれによって少々ハスキーになっていたのかもしれませんが、「こんな声だった!」とお兄ちゃん達の幼き日々を懐かしく思い出した僕でした。母の想いも知らずに泣きじゃくる子ども達。泣きたいのはきっとお母さんの方。それでも子ども達を毎日幼稚園に送り届け、お迎えの時に『一日元気に過ごせた我が子の様子』を先生から聞きながらいつも自分の事のように喜んでくれました。そのたんぽぽさんの声を聞いた瞬間、そんな場面が走馬灯のように駆け抜けて「またここからだね」と喜びと期待が込み上げて来た僕。そう、子ども達の『初めて&リスタート』のはじめの一歩はみんな同じ。言われるがままをおりこうにするのではなく、自分の感性が訴えかける『これ、たのしい!』を見つけるところから、『だいじょうぶ』への歩みが始まります。それはどの子も皆同じ。聞き分けの良いおすましさんほど必要なこと。そんな子ども達とのやり取り・関わりを通じて生まれる物語をここに紡ぎながら、また皆さんと喜びを分かち合ってゆきたいと思い見つめた情景でありました。


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