園庭の石段からみた情景〜秋の書き下ろし2〜 2007.10.21
<磨けば光る心> 
 運動会遊びに喜び踊りながら過ごした日々の中、ふと気がつけば、「来週はおみこしパレードじゃん!」。どうしたものかと考えている時、目に付いたのがテレビの大きな空き箱でした。「これを何かに出来ないか?」、と考えているうちに思いついたのが『ノアの箱舟』です。子ども達が描いたおみこし設計図の中に『みんなが乗れるおみこし』というのがありました。「みんなが乗る・・・、乗り物?籠?船?船!」、「のっぽの箱にボリューム感を持たせるには軒をつけたらどうだろう」、「屋根もテーパーつけたらここに棚が取り付くじゃん」、「そういえばおばあちゃん先生、動物のぬいぐるみいっぱい持ってたなあ」、なんて箱を見ながら考えているうち、ちーん!と出てきたイメージが箱舟だったのです。ダンボールにカッターの刃を入れ、箱舟の形にかたどります。くみこ先生と日曜学校の小学生とで色画用紙を貼って、箱舟の概形ができあがりました。さあキャンバスは出来上がりました。ここからは子ども達が想いを込めて箱舟をデザインして行きます。すみれさんの箱舟製作が始まりました。
 おばあちゃん先生に急遽、合同礼拝のお話をモーセからノアに替えてもらいました。子ども達はおばあちゃん先生の『ノアの箱舟』のお話を聞き、クラスでも絵本を読んでもらって箱舟のイメージを膨らませて行きます。箱舟に動物のぬいぐるみを乗っけて先生が子ども達に問いかけます。「これでおしまい?あと誰が乗るんだっけ?人間、そう!みんなも乗るんだよ!」、子ども達の顔が輝きます。「そうだ、僕たちも乗らなくっちゃ!」、みんなとびっきりの自分の似顔絵を描きました。それだけでは終わりません、切り紙切って、貼り付けて、ひらひらきらきらくっつけて、「ああしたら?」、「こうしたら?」、みんなのイマジネーションは膨らんでゆくばかり。完成した箱舟を見てみたら、本当に素敵な『ノアの箱舟』が出来ました。僕がかたどった無機質な味気ないダンボールが、みんなの想いを受けることで、こんなに素敵な箱舟にかえられたのです。子ども達のイマジネーションの力の大きさを改めて感じさせられた製作でした。
 おみこしの土台はひげのおじちゃんに作ってもらったのですが、角材の角が当って手に痛いものになってしまいました。最初は角材にお祭り調の紅白のテープでも巻いてやれば・・・と思っていたのですがちょっとかんなをかけてみました。面取りだけのつもりでかけた一筋のかんながすーっときれいな切り屑を巻いてゆきます。素人がかけたかんなですがそれが思った以上にきれいな切り屑を作ってゆくので、何回も何回もかんなかけをしてしまいました。そこでやる気モードにスイッチが入ってしまいました。角材にかんなをかけて、サンドペーパーをかけて、テープのいらない無垢の握りを作ろうと思い立ってしまったのです。またその気になってしまいました。
 木を削っている時、ふとその切り屑、そしてペーパーをかけた木肌の匂いをかいでみました。木のとても素敵なかぐわしい匂いがしました。その時、この作業を子ども達にもやらせたいと思ったのです。最近の玩具はみなプラスティック製、触感や匂いなど、五感に訴えてくるものは何もありません。それどころか発色、色持ちを良くするために色々な添加物を加えられ、素材としての魅力はとても乏しいものです。大量生産・大量消費のシステムが形作る現代社会では、そんなものより作りやすさ、コストの低さがその生産プロジェクトを決定してしまいます。100円ショップなどを重宝して用いている我々もそれを否定できないし、その社会の中で生きることを選んでいます。でもこの子ども達はこういう素材の持つ匂いや触感など、感じ選び取る場さえ持ったことがないのではないだろうか、こういう自然の素材に手で触れ、感じ、感動する場が必要なのではないだろうか、そんな想いに、せっかくそういう場がここにあるのだから、こういう体験をさせてやることはとても大事なのではないかと思い至ったのでした。
 発表会や製作、教師が気になるのはやはりお母さん達の評価と完成したものの出来栄え、見栄えです。だからその時期になると遅くまで幼稚園に残って小道具や衣装の製作など一生懸命やっています。もちろん子ども達のために出来るだけのことをしてあげたいという想いはとても尊いもので、その働きにはとても感謝しています。でも時々残念に思うのが、この準備も子ども達と一緒にできたらということです。一緒にものを作ること、一緒に準備をすること、そこには子ども達にとって大きな学びがあり、成長のきっかけとなる場となりうるのです。きっと大人が一人でやった方が早いかもしれません。きれいなものが仕上がるかもしれません。でも『何のためにしていることか』、もう一度考えてみればそれはやはり子ども達の健やかな成長の手助けとしていること、そのことをいつも忘れずにいたいと思うのです。これはお家でも言えること。子どもと相対している時くらい、効率とか時間とかそんなもの忘れて、子ども達と一緒に過ごしてあげたいですね。
 次の日、まだ仕上げの施されていない持ち手に子ども達の目の前でペーパーをかけました。「なになに?」と興味を示した子たちが集ってきます。「大工さんしてるんだ、やりたい人?」というとみんな取り合うようにサンドペーパーを手にしました。「このざらざらしているところをこれでこするんだ」、こう教えると子ども達は一心不乱にペーパーをかけ始めます。次から次から子ども達が集ってきて、ふと見ればたんぽぽさんまでがやすりかけに興じていました。終わってみれば、みんなのおかげできれいな持ち手に仕上がりました。「自分の手、匂いかいでごらん」と言うと子ども達は手を顔に近づけます。「いいにおいー!」、一人の子が言ってくれた言葉がうれしかったです。子ども達の心こそ、磨けば光るものなのです。


戻る