麓屋のカウンターに想いを寄せて〜秋の書き下ろし番外編〜 2007.10.26
<旧友からの電話> 
 一週間の仕事を終え、少し飲んだほろ酔い気分で今週のホームページを作っているとき、不意に電話が鳴りました。ここに僕宛に電話がかかってくることもないのでそのまま作業を続けていると、母親が上がってきて、「豊多摩高校の国安くんから」と言って電話口に促します。「へえー」と思い電話に出ると、懐かしい旧友の声が聞こえてきたのでした。
 東京の西永福にあるログハウスバー『麓屋』、そこからかけていると少しおどけた調子の声が話しかけてきます。麓屋は生物部の先輩がやっている自然風味あふれた飲み屋です。先輩の伊勢さんが休みに自分の足で山を歩いて採ってきてくれた素材の山菜料理や、一品一品こだわり抜いた酒とアテを楽しみに、帰京したときにはそこで飲むのが僕らの常です。「今、木村達と飲んでいる」、その声はうれしそうに続きます。僕が東京に帰ったときに一緒に飲む仲間、高校の生物部の面々と飲んでいると、そして「おまえもこれからこい!」、その声は告げたのでした。無茶は彼の上得意、冗談のように半分おどけて言うのですが、いつもその半分は本気。そんな彼の想いがとてもうれしく、「ここからじゃあ、チャリンコこいですぐって訳にも行かないし、これから行っても一日はかかるよ」と答えを返しましたが、瞬間「車でなら一日あれば行けるかな」なんて考えたりもして。今夜はビールを飲んでいることを思い出し、「もうじきに帰らなくっちゃいけないんだ」という彼の声に我に返った電話口でした。そうあの頃ならロードマンにまたがってどこへでも駆けて行った僕らでした。夜釣りのために多摩川へ水道道路を南下したり、夜空の星を眺めるために石神井公園へ真夜中のツーリングなんてこともやりました。
 彼も僕の住んでいた東京の杉並区にいましたが、今は信州の方で働いています。自然大好き、レジャー大好きの彼でしたからはじめはその暮らしを大いに満喫していましたが、やはり仕事に追われ、今では信州の真中にいながら仕事に追われる毎日。夏休みや正月のたびに行なう豊多摩生物部40期同窓飲み会にもなかなか参加できず、今回は3年ぶりの帰京だったそうです。いつも始まりは彼、国安はそういうやつでした。この飲み会も始めたのは彼でした。高校を卒業し、みんなそれぞれの道を歩き始めた頃、みんなそれぞれの毎日のために一生懸命でした。僕は大学の写真部で新たな学びを始めた頃だったし、石黒は音楽大学で自分の可能性に磨きをかけていました。高見は早々仕事を決め、我々に先んじて社会人として働き出しました。そのほかの面々も新しい日々の中、懐かしい過去など振り返っている時間を惜しんでいたし、なによりそんな年ではなかったのです。そう、若き日々とはそうして大事なものをなくしていく時代なのかもしれません。そんな頃、まだ新緑の季節だったでしょうか、「飲み会しよう」と声をかけてきたのです。阿佐ヶ谷に集った僕らはそれぞれの新しい日々に少し高ぶった心をぶつけ合い、話しをしたものです。
 豊多摩高校に入学し、新しい想いで迎えた日々の中、一番最初の友達になったのも国安でした。国安、黒田で出席番号の並びで僕の前の席に座った彼はふりむきざまに、「きみ、多岐川裕美に似ているね」と僕に告げたのです。女優にたとえられてなんとも複雑な想いでしたが、彼の感性を面白く感じた瞬間をいまでもはっきり覚えています。また部活をしていなかった僕を生物部に入れたのも彼でした。彼は遅れて入った僕をフィールドに連れ出し、鳥の見方、図鑑の調べ方も教えてくれました。たいした活動はしていなかったけれど毎日集る放課後と、土曜の午後の部室での時間、それはとても素敵な時間たちでした。つまらない話に盛り上がったり、ギターを弾いたり、何が生物部か?といった時間でしたが、そこで彼は僕にいろんなことを教えてくれました。一方的に押し付けて後はほったらかし、それが彼のスタイル。でも受動的な性格の僕と相性が良かったのでしょう、彼の趣味や嗜好は不思議と受け入れられたし、僕の中で彼の文化が蓄積していきました。基本的に興味がなければ鼻にもかけない、それが僕のスタイル。でも彼の投げかけてくるものは不思議と僕の心にかかったのです。「アルフィーは早く売れなくなって、昔のアコースティックバンドになればいい」、僕もアルフィーの黎明期のアルバム3部作を聞き、アコースティックギターのサウンドが好きになりました。「これ聞いてみ」彼が貸してくれたのがさだまさしの『夢のわだち』、言葉数の多い詩を自由に書きつけながら優しい音に乗せてゆく彼の音楽の世界を知りました。彼が下手に口ずさむアンジェリーナ、僕も佐野元春を聞くようになりました。「俺はもういいから」とエレキギターを手にした彼は、自分のアコースティックギターを貸してくれました。これらは全て今の僕の基になっているものたちです。きっと彼はそんなことのひとつも覚えていないと思うけれど。とにかくきままに何でも自分を投げかけてきた国安、幼稚園のお誕生会で弾き語りをやったその晩に、その彼から電話がかかってくるなんて、そしてこんな話を思い出すなんて、とっても不思議な一日でした。
 高校なんてたったの3年間です。でもこうして20年の時を経ても、まだ友情を感じあえる友達に恵まれたこと、これは本当に不思議なこと、そして感謝すべきことだと思います。東京で集った彼らが僕のことを思い出してくれたこと、気にかけてくれたこと、それが何よりうれしいことでした。そしてその場にいない無念さと、「どうせ僕を肴に飲んでいるんだろうな」との想いから、いまここで彼の話を書き付けています。こうして考えてみるとこんな田舎で暮らしているのもあいつのせいかも・・・なんて思ったりもして。自然の中に身を置いて、自然な自分を見つめて生きる。彼の投げかけてきたものの中にはそんな想いは寸分もなかったのかもしれないけれど。でも僕はいまこうしてここにいます。そんな不思議な、そして素敵な感性を持った旧友からのうれしい電話が鳴った夜でした。


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