園庭の石段からみた情景〜冬の書き下ろし〜 2007.12.31
<冬休み、今の僕に出来ること> 
 冬休みに入ってはや十日が経ちました。今年の年末は恒例の帰京もなく、日土で年の瀬を過しています。去年から東京に帰る家がなくなったこともありますが、今年は自分で帰京を自粛したようなところがあります。決めたときはそうは思わなかったのですが、今こうしてみればこんな僕でも『気負い』ってあるんだなといまさらながら自嘲しています。でもとても気持ちよく『気負った』十日間でした。
 来学期からクラス担任を持つことになりました。でもこれまでやってきた幼稚園の子ども達ひとりひとりの関わりも大事にしたいという想いは変わりません。一緒に外を走り回り、一緒にひだまりでひなたぼっこをし、おもしろ話で笑わせたい、今でもそう思っています。でも常に心の中で引っかかっているのが『それがどれだけできるだろうか』という自問自答です。もちろん事務や経営の仕事をやりながら、ホームページやビデオを作りながら、そしてクラスの担任を持ちながら『子ども達ひとりひとりと』というのですからどれも完璧にできるとは思いません。でもどれも今の僕にしかできないことなのです。「これはしない。あれはやめた。」と目標を低く設定して「私は完璧です!」と自己満足するよりも、常に自分のできることを精一杯やるだけ、それが今の僕が選んだ『気負い』なのです。
 僕は毎年卒園の時に、子ども達の3年間の写真をつづった写真集と詩を子ども達に贈っています。例年は3月の頭頃に準備を始めるのですが、今年はそういうことで冬休みに準備にかかりました。21人の大人数だから、今年はクラスを持っているから、そんなことでこの子たちへの最後の贈り物をいいかげんなものにしたくなかったのです。まずは今の僕にできることから始めよう、そういう想いでした。
 この子たちとの出会いの始まりはたんぽぽ組、またその前に始まります。今ではすでに立派な小学生となったお兄ちゃんお姉ちゃんと一緒に幼稚園に遊びに来ていた今のすみれさん。その子たちとはすでに3年以上の付き合い、顔見知りとなってしまいました。2番目、3番目のややちゃんということで人懐っこい子、そして甘えん坊の多い子達でしたが、定員24名満員という近年にない喜びを幼稚園にもたらしてくれた子ども達でもありました。でもその数の多さ、普通の幼稚園ではあたりまえの数なのかも知れませんが、からこの子たちにはいろいろ申し訳ないこともしていました。ばら組では2クラスに分けてのスタート、これは教師、そして幼稚園の実力のなさを自ら告白したようなもので、その後2クラスを一緒にしたりして子ども達には困惑の種となったのではないかと、今でもそう思うことがあります。また年中の時には突然の担任交代。放り出された子ども達がかわいそうで一生懸命クラスに関わったこと、そしてそれに子ども達が応えてくれたこと、運動会やひなまつり音楽会の『海の楽隊』の大奮闘を今でもうれしく覚えています。そして年長では新卒の先生の担任。これも僕や1学期フリーである園長がアシストすることでできるんじゃないですかと決まった配置でした。結果として一生懸命がんばってくれたくみこ先生のおかげでここまでなんとかやってこれましたが、3学期からはこれらの前提は全て白紙。彼女のこれまでの実績と情熱はお母さん方も認められていることと思います。だからこの先も大丈夫だと思うのですが、後見請負人としてこのクラスを見てきた僕にとっては感じ方もまた違うのです。
 足掛け4年の歩みというものは本当に大きなものです。その一歩一歩は小さくとも、それが積み重ねられた3年という月日はとてつもなく大きなものだと、一枚の絵の中で分からせてくれるのが『卒園写真集』製作の過程です。24名分の写真を作り上げて思うのは、『よくぞここまで』という想いです。今でも毎日「しっかり!」と言われてしまうすみれさんですがこの写真を見ればあの当時がつい昨日のことのように思い出されます。あのややちゃんたちのことが、写真の中で笑うややちゃん顔を見ていると鮮明に思い出されます。人の記憶とは儚いもの、写真に託された人の想いとは大きなものです。微小な子ども達の成長も、それが積み重なった長年の成長も、日常の私達にはそれを感じるのは難しいこと。でもそれを一枚の絵の中に並べたとき、その変化を衝撃的に受け止めるのも人の感性なのです。この3年の時を経た一人の子の成長の軌跡を並べてみると、その時々の想いまでもが確かによみがえってくるのです。そうこの子達、本当によくぞここまで成長してくれました。
 いつもの年なら卒園してゆく年長さんに心が傾いてゆく3学期。でも今年はそのすみれが21人いる上にばら組14名の担任にもなりました。そのままの自分では一人一人に対する愛情が割り減ってしまうのではないか、それが自分の心の中の不安な想いでした。これは頭で考える人間の思考論理の限界なのです。でもそんな時、聖書の御言葉が思い出させてくれました。愛は、そして子ども達への想いは育んでゆくことができるのです。ひとりひとりの子のことを一生懸命想えば、その想いはより大きく大きくふくらんでゆくのです。5つのパンと2匹の魚を5千人に分け与えられたイエス様の奇跡、そこにはそんなメッセージが込められているように思うのです。物理的には小さくなるものであっても、その中の想いが豊かに子ども達一人一人に伝わったなら、残り少ないあっという間に過ぎ去ってゆこうとしている3学期もみんなにとって楽しい素敵な交わりの時となってくれるでしょう。
 だから今の僕にできること、それだけを考えて自分のなすべきことを探しながら冬休みを過しています。ばらさんと一緒にうたう歌のデモテープ作り。『H19日土幼稚園のお友達U』のアルバム製作。写真の中に子ども達の3年間の歩みを感じながら浮かんでくるのは『卒園生に贈る詩』、などなど。我ながらなかなかの気負いぶりです。子ども達が目の前にいなくてもこんな形でその子たちへの想いを育んでいます。今度あったときの子ども達の笑顔を思い浮かべながら。ではよいお年を。


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