園庭の石段からみた情景〜園だより2月号より〜 2008.3.4
 <桜花咲くふたとせの春>
 寒かった今年の冬も3月の声を聞く頃になると春を感じさせる陽気を私達におごってくれるようになります。今、幼稚園の丘では菜の花が咲き乱れ、子ども達は毎日いそいそと花摘みに大忙し。摘んでも摘んでもなくならない菜の花の不思議さに、自然の底力を感じさせられている毎日です。遠慮を知らない子ども達の花摘みに勝るペースで菜の花たちは次々に花を咲かせています。そんな自然と子ども達の活動がバランスしている姿を見ていると、自分で採って食べたり愛でたりするくらいではなくならない自然の恵みが枯渇してしまうほど根こそぎ取上げてゆく現代の商業主義とはいったいなんだろうと考えさせられてしまいます。採るだけ採って余れば捨てるという現代人の思い上がり、考え違いを痛々しく感じながら。そういう自分もそのような表面上豊かで便利なこの社会の中で生きることを望み、毎日冷蔵庫の中で腐ってゆく野菜に目をつぶりまた新しい物を買ってくるのですから、吉田拓郎が歌うまでもなく「人間なんて・・・」というジレンマに自嘲している今日この頃です。
 そんな私達の心を慰めてくれるものは子ども達に託する想いでしょうか。日土の山里にあって子ども達に自然に寄り添いながら生きることを教えているのは、自然に対するつみほろぼしなのかもしれません。そんな想いを知ってか知らでか、子ども達は自然の中でひたすら遊んでいます。大人の目から見れば、『何も考えずに』、『思いのままに』遊んでいるように見える子ども達ですが、実はそこは『困難に立ち向かう』子ども達の戦いの場でもあるのです。
 幼稚園に通ってくる子ども達、少子化と呼ばれる現代の家庭の中では王子様、お姫様、家の中で一番偉い存在なのですが幼稚園に来れば事情は一変します。みんな王子様・お姫様のオールスター競演ですから、『私が一番!』がここでは通用しません。このお姫様達、『私が一番!』と思い込んでいる割に打たれ弱いのが現代っ子の傾向。みんな気の強い者同士のはずが、コミュニケーションの中で相手に言われた一言のダメージははかりしれないほど大きいもののようです。お部屋でおままごとをして遊んでいる時に、子ども達が訴えてくるのが「○○ちゃんが、お母さんになったらダメっていったあー」。こちらは思わず「へ!?」、状況を把握できずに聞き返します。よくよく聞いてみるとおままごとで自分はお母さんになりたかったのに、もうお母さんはいるからなったらダメって言われたということらしいのです。お家ではお母さんに「○○したらダメでしょ」と言われても逆切れしているような子ども達がお友達の「ダメ!」の一言にこんなにもダメージを受け、泣きそうになりながら訴えてくることの不思議さとおかしさをいつも感じさせられる瞬間です。そんな時は「お母さんが二人いてもいいじゃない」なんて言いながら仲裁すると子ども達も納得しておままごとに戻って行きます。でも「本当はこの子達の感性の方が正しいんだろうな」なんて思ったりすることも。「現代の日本でひと家庭の中にお母さん(奥さん)が二人いたらもめるだろうな」なんて思いながら。
 そんなあだあだ言ってる年少組の子ども達を見ていると、ふと目を向けたときに垣間見える年長さん達の姿には、その成長とスマートさとを感じさせられます。「私はお母さん!」、一人の子が言うと「じゃあ私は大きいお姉さん!」、次の子は「私は2番目のお姉さん!」、もう一人は「私は小さいお姉さん!」。自分の第一志望が通せなかった時、自分が次にどうしたらいいのか分かるようになってゆくもののようです。決して「妹!」や「赤ちゃん!」とは言いません。どうにかこうにか素敵な女の人、『お母さん』もしくは『お姉さん』になれるようにみんなが知恵をめぐらせあうのです。自我をごり押しして自分達の関係をぶち壊すより、その友達関係の中で折り合いをつけながら一緒に遊ぶことを望み、活路を切り開いてゆくようになっていくのです。これを子ども達の社会性・社交性の分化というのでしょう。幼い時分、子ども達のひとり遊びが多いのはそんな関係を構築できないから、そんな関係より自分の想いを通すことの方が重要だと思うからなのでしょう。
 この春、2年前の卒園生が残していった記念樹、河津桜が初めての花を一輪つけました。この桜の花とこんな子ども達の姿とがオーバーラップし、2年間という月日に想いを寄せます。ここに植えられた時のこの桜、細い細い苗木で不安そうに、心細そうにそこに一人でたたずんでいました。春が来てもそこから芽吹くのはつんつんとした青い葉っぱばかり。それが2年という長い月日、雨の日も風の日も、寒さにも日照りにも負けずここに立っていたことで色々なことを体験し、学び、しっかりそこに根っこを張ることが出来ました。子ども達は幼稚園という大地にしっかりと根を下ろし、友達との関わり、自分の課題といったものたちと向き合いながらいろんなことを学んできました。風が吹く時には身を硬くすくめるより、心やわらかにその身を風に任せればよい。秋には自ら葉を落とし、代謝を抑え有機物を供給しながら足元の根っこを寒さから守ってやるのがよい。あのすみれさん達もそんなことをここでひとつひとつ学んできたからこそ、今こんなに素敵な友達関係を構築することが出来るようになったのでしょう。だから今すみれさんはこんなにきれいな友情や信頼、共感の花を咲かせているのでしょう。中にはまだ青い葉っぱをつんつんさせているすみれさんもいますけれど。
 さあ、みんなでがんばった音楽会を乗りえて、またひとつ大きくなった子ども達。新しい旅立ちへの期待を胸に、今思い思いの花を咲かせようとしています。そんな子ども達の一花を、しっかり見つめていたいと思うのです。しっかり心に焼き付けておきたいと思うのです。いまぞ春、桜花咲くふたとせの、月日に想いをめぐらせる日々。きっとこのばらさん達も2年後にはこんな素敵な花を咲かせてくれていることを願いながら。


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