園庭の石段からみた情景〜夏休み書き下ろし番外編〜 2007.9.1
<東京にて> 
 今年も東京へ行ってきました。夏恒例の自分探しの旅です。日常を離れて見た風景は、現代の世相を、そして今の自分を改めて見せつけてくれます。世間に溺れないように、自分に溺れないように、僕には必要な時間のようです。
 東京へは飛行機で行きました。松山空港の温かさにほっとしたのもつかの間、羽田空港では日常の倦怠感若しくは疲労感と言ったものを目の当たりにさせられた飛行機移動でした。松山空港では子どもそして孫達の見送りなのでしょう、少しご年配のご婦人が出発ロビーのガラス越しにいつまでもいつまでも手を振っており、それに一生懸命応えている親子がいました。大人と子ども、形は異なるでしょうがそれぞれに楽しかった思い出を胸に、共に夏の終りを惜しむひととき。別れの美しさ、そして切なさを見る者に感じさせる情景でした。この別れ際のなごり惜しさがまた来年の再会を約束させるものとなるのでしょう。
 羽田空港の到着ロビーで渋谷行のバスを待っていました。何もせずにただぼーっと時間を過ごす、この時ばかりは持参した文庫本も開かず、その空間に身をゆだねていました。鎌倉の古寺の木陰でぼーっとする心地良さとはちょっと違いましたが、日常から開放された安堵感でしょうか、それとも慣れない飛行機の移動に疲れたのでしょうか、しばしの時間をそこで何もしないで過ごしていました。日常では待つという行為がほとんどなくなった現代。田舎ではダイヤ削減でバスや電車が用を成さず車移動が大前提。何か入用を思いつけばコンビニが24時間店を空けて待ってくれています。待ち合わせに相手が1分でも遅れると携帯電話で催促を。確かに便利になりました。でもその便利さによって自分から相手に合わせるということが少なくなり、みんなが自分本位に考える社会を助長することになったのかなぁなどと考えていた時、一人の母親の声が聞こえてきました。「こっち!早く!ばか!」、子どもをたしなめる声です。その子の方を見ると人ごみの中で回りきょろきょろ視線ふわふわと歩いていてなかなか母親の方へ近づいて来れません。でも決して母親の言葉を無視したりふざけていたりといった感じではありません。「きっとこの親子も田舎帰りなんだろうな」と思いながら、松山の別れの情景を思い出していました。夏休みのやすらぎの日々と決別して、もとの日常の空気の中に立たされた時、思い通りにならない日常に帰ってきたことへの苛立ちが母親にこんな言葉を吐かせたのでしょうか。待つことが無くなった現代において待つということは最大の我慢を要することなのかもしれません。待つことが出来なくなった現代人にとって待つことは最大のストレスなのかもしれません。この親子も田舎、若しくは旅先では松山空港で見た親子のように笑顔で笑っていたのだろうか、少なくともそうあってほしいとそんなちょっと淋しい今回の東京ファーストインプレッションとなりました。
 宿泊先はいつものごとく杉並区の友人宅。吉祥寺まで出ようと思い、最寄の駅に向けて善福寺川伝いのジョギングコースを歩きます。東京都とは言っても緑地公園と銘打ってあるだけに雑木の林が心地良いそんな散策路です。古いカメラを片手に立ち止まってはシャッターを切りながらぶらぶらぶらぶら歩きました。そんな時一枚の看板が目に入ってきたのです。『善福寺川水源まで8km』、この川の水源の善福寺池までは学生の頃、何度も自転車で行ったことがあるのですがその距離がここからわずか8kmだったとは知りませんでした。自転車で1時間ほどだったように記憶しているので10km以上は優にあると思っていました。思い立ってしまいました。「時間はあるんだし、行ってみよう」、そこから水源目指して歩き出しました。
 緑地公園の中は懐かしい公園や涼しげな木立、欅の根本の地面に無数に開く穴はセミの這い出た跡。夏の日差しを感じながら蝉時雨を身体に浴びながら、スナップしながら歩きます。緑地公園を抜けるには看板から2km、そこまで1時間かかりました。大体写真を撮りながら歩く時は時速2km、でも6kmを残して公園を抜けた時げんなりしてしまいました。「このペースだとあと3時間も歩くの?」、自問自答が始まります。幸か不幸かそこからは住宅街に入りました。道幅もぐっと狭くなって植木も無くなり殺風景な道が続きます。確かにペースは上がりましたが逆に今度は「何のために歩いているんだろう?」疑問が心に浮かんできます。答えを探しているうちに思い出したのが「なぜ山に登るのか?そこに山があるからだ」、でもこれも違うような気がしてきます。「山があっても登ろうと思わなかったら登らなくっていいんだろう」、自問自答が続きます。歩き続けて考え続けてたどり着いたのがこの答え、「登ろうと決めたから登るのだ、歩こうと決めたから歩くのだ」、そう自分で決めたからやり遂げる、それだけのこと。でもその想いがなければ何ひとつ成し遂げられないのが人間なのではないでしょうか。その答えに行き着いたとき、俄然歩く足に勇気が湧いてきました。自分が決めた自分との約束、今の自分への挑戦、それに向って歩いているのだと思うとどんどん歩が進んでいきます。結局善福寺川の水源、善福寺池に到着したのは出発してから2時間とちょっと、早いときには時速6km程の速さで歩いていました。
 歩きながらくだらないからもうやめようと思ったこともあったけれど、やめても誰も知らないし誰も何も言わないけれど、でもやめなかった。自分との約束を果たせなくなった瞬間から、果たそうとしなくなった瞬間から、僕はいろんなことを諦めなくてはならなくなるんだろうということを感じたから。世の中で一番簡単な、でも一番大事な約束、『自分との約束』、そんなことを思い出させてくれた夏の日の午後でした。なんにもしないでぼーっと考えることと、何かをひたすら黙々とやりながら考えること、それによっていろんなことが見え、わかることができた今回の夏旅行でした。なにもない時間、僕にはそれが最大の贅沢のようです。


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