ここでは私と農業について書いてみようと思います。

第一章  農業との出会い

私と農業との本格的な出会いは10年前にさかのぼります。まだサラリーマンだった私は農業という物に

本格的に取り組めないでいました。会社の仕事も忙しく日曜日も休みなく働かなくてはならない状態であった

のと、まだ両親も元気で頑張っていたのでその甘えもあったのかもしれません。小学校の6年生の時に書いた

文集の中にお百姓さんが雨がほしいときは雨をふらせてあげたいと書いた記憶があります。人生とは不思議

なもので、今、私が農業をしているのはひょっとするとその時にすでに決まっていたのかもしれません。まさか

自分が本格的に農業をするなどとは、夢にも思っていなかったのですが、サラリーマン生活20年を経て農業を

頑張っています。話はさかのぼり2000年のこと自分の勤めていた会社が突然特別清算という重大な局面に陥り

私はまだ妻と子供3人を養っていかなければならず路頭に迷っていましたが、今、何をすべきか考えたときに

まだ農地も残されているし今まで先祖が培ってきたみかん山を荒らすわけにはいきませんので、農業を頑張っ

てみようと思ったのが私と農業の本格的な出会いだったのです。

 

第二章  みかんの木との対話

会社の責任を任されていたため最後まで会社清算に携わらなくてはならず、会社の清算が終わったのは

8月頃でした。みかん山にあがってみるとみかんの木はぐらぐらしていて葉っぱも落ちているのもあり

元気そうにありませんでした。両親も仕事が忙しく山の管理も大変だったと思います。よくここまで

もっていてくれた。みかんの木にすまんことをした。これから私が一生懸命管理して元気にしてやるから

おまえも頑張ってくれとみかんの木に心からつぶやいたものです。

人間とは安定から不安定になったときにより力もわいてくるもので、それを機に私とみかんの木との対話

がはじまったのです。

みかん山に行く機会も多くなりみかんの木と話をするに従って、みかんの木の状態もよくわかるようになっ

てきました。素人の私は先ず何からはじめたらいいのかと思いながら、園地はまず草があっては仕事に

ならなかったので草刈りからはじめることにしました。草刈り作業は農業にとってはとても大変な作業

ではあったのですが、まずは苦しいことからはじめないと苦労もわからないと思って全園地の草を刈り

ました。山で働く作業は私にとってはとても新鮮でちがった世界に見えました。時間も自由に使え緑の

中で働く農業がこれほどまでに気持ちよい物だとはその時はじめて実感したものです。それからという

もの、肥料も 堆肥も毎年かかさずかけるようにしみかんの木が少しでも元気をとりもどすように努力

しました。もともと昔から体を動かすことは好きでしたので、山での仕事はそれほど苦になりませんで

した。それよりみかんの木がぐんぐん元気になるのが目に見えてわかるのがおもしろくなり、みかんの木

が私に答えをだしてくれるのがうれしかったのです。みかんの木はうそはいいません。早く元気をとりもど

してくれと願いながら毎年同じ作業を繰り返しました。そのうちだんだんとみかんの木が元気になって

くるのが目に見えてわかるようになりました。ちょうど3年ぐらいたった頃だったと思います。

みかんの木も人間と同じで手間をかけるほどそれに答えてくれる。しかも自然の中で頑張っている。

暑いときも寒いときも何も言わず、まるで人間を手のひらであやつっているかのように。

それを思うと私もみかんの木といっしょに頑張っていこうそう心に決めた瞬間でもあったのです。

第3章  三浦の海とみかん山

この三浦地域は海があり潮風があたるのでおいしいみかんができるところで環境にも少し恵まれて

いたのはすくいでした。みかんの木を日々観察し一生懸命管理しました。みかん山から見る海の景色は

とてもきれいで疲れたときは海を見ながら自分を励ましていました。三浦の海は小さい頃から慣れ親しん

でいるので海を見ていると自然と落ち着き、また海からの風を感じながら草刈りをしたものです。

小さい頃はこの三浦の海で泳ぎをおぼえよく海で遊んでいました。そのおかげかどうかはわかりませんが

体力もついたし元気で今までこれたのかなと思います。自然とはえらいもので前に海があると自然とみか

んの木に潮風を運んでくれ薄皮のおいしいみかんになります。農業をしながらよく思うのですが、山がある

から川をつたって栄養分が海に流れプランクトンをつくってそれを真珠貝などの貝が食べているという

システムになっていて、これはほんとうにうまくできているんだなと思いました。海も山がないと栄養分が

とれないし、山もまた海に助けられているのです。三浦の海とみかん山。小さな頃は何も考えずよく遊んだ

海と山ですが、三浦の自然は私にいろいろなことを教えてくれたような気がします。そんな三浦が今も

好きで農業を頑張っています。

第4章  苗木を育てる

みかんの木を元気ずかせると同時に取り組んだのが苗木を育てることでした。園地の新品種へのきり

かえと老木などの多い園地は徐々に一年生の苗木に植えかえました。両親も会社のことは何も言わず

私の仕事を手伝ってくれていました。苗木を育てるのはとても手間もかかりましたが、育ってくるのが

目に見えてわかるのでとても楽しく育てられたように思います。週に一回はえかきと言って虫などに若葉

をやられないように消毒などもしないといけないし、花がつけば花もおとさないといけませんし草がはえれ

ば草もからなくてはならず仕事はとても多かったです。苗木も人間の子供を育てるのと同じで手間をかけ

なければ思うように育ってくれません。農業をやっていてこの苗木を育てる喜び、気持ちがなんとなくわか

ったような気がします。自分の子供が何百人(苗木何百本)いるのと同じような気持ちで毎日観察し園地

に足を向けていました。早く育ってくれと思いながら・・・

やっと3年目でデコポンの収穫ができた時の喜びは今でも忘れることのない、自分の思い出になってい

います。苗木を育てることはまた人間も元気にするし苗木の成長とみかんの山々からパワーをもらって

自分自身元気で働いているんだと自覚する毎日です。苗木を育てるのは時間もかかるけど育ったときの

喜びがあるから楽しく農業ができるんだと感じました。

第5章  みかんの木の復活

結局みかんの木との対話から5年を要したでしょうか。今では私がみかんの木にのぼってもびくともしなく

なり、最初見た時の木より一回りも二回りもおおきくなったように思えました。風の強いところですが葉っ

ぱも落ちなくなり、みちがえるようになりました。やっぱり当たり前のことですが管理の大切さを身をもって

感じた瞬間でした。回復さすのに5年は長かったのですが木が元気になったことで自分も納得できたし

またやりがいも感じたものです。みかんの木はすぐには回復しないし管理していなかったつけはおっきか

です。会社に勤めているときにもっと管理しておけばよかったとその時思いました。でもまにあってよかっ

た。もっと遅れていればみかんの木ももたなかったのではと思います。それから毎年実をつけるような

管理とみかんの木の健康にはずいぶん気をつかうようになりました。自然にもてあそばれながらの

管理でしたが、みかんの木が復活したことで少しはみかんを収穫もできるようになりみかんの収入も

少しずつ増えてきたのは私にとってとてもうれしい悲鳴でした。みかんの木は管理すればするほど

それに答えをだしてくれます。それがうれしくて今日もみかん山に行ってみかんの木と話をしています。

第6章  農業で生きて行くには

農業で生きていくことを考えたとき思いついたのは、秋のみかんの収穫から夏までの販売戦略と

みかんつくりをなるべく極早生みかんから河内晩柑までというふうに長く販売したいと言うことでした。

改殖もいっぺんにすると収入がとれなくなるのでバランスをとってやらなくてはなりません。

なかなかそこまでたどりつくには苦労しました。他の園地を借りたり苗木を植えたりしながら徐々に

園地を増やしていきました。今ではまずまずバランスのとれた販売と収穫ができていると思います。

これからまだしっかりとした園地に仕上げていかないといけないしみかんの木といっしょに頑張ってい

こうと思っています。今では産直販売所なども増えているしそれに見合ったものもつくっていかないといけ

ないしやることは多いです。ということで農業で生きていくために努力しているのですがもうひとつうれしい

ことは、自分のつくったものを送ってご購入頂いた方からおいしいと言われたときはやっぱり農業をやっ

ていてよかったと思うし、また頑張ろうと励みにもなります。安心で安全なものを届けるのは生産者として

の役目なのかもしれませんね。そして喜ばれる。これがあるから農業はやめられなくなるんですね。

農業をしているということは日本の国土を守っていることになるし、また日本の農業自給率をすこしでも

上げていることにもつながるので農業で生きていく意味がよくわかります。自然を守り安全な食を提供

できる仕事をどれだけでも長く続けていけるよう自分自身努力しておいしいみかんをつくっていきたいと

思います。

第7章  みかんジュースへの想い

みかんジュースを作りはじめたきっかけはまず夏になると柑橘類が少なくなるし販売する物がなくなって

くるというのが一番の理由です。それとこの無添加みかんジュースは私が育てたみかんから全部つくって

いるので数に限りがありまた個性のある自分自身のオリジナルみかんジュースができるというところに

魅力を感じたからです。この三浦地域は環境にも恵まれていてみかんから いよかん ポンカンなど

数種類の柑橘類を栽培できますのでこのオリジナルジュースをつくるにあたってとても助かりました。

一番最初につくったみかんジュースの味は今でも忘れられません。みかんつくりからはじめてみかんジュ

ースまでとても手間暇かかりますがこのみかんジュースを飲んでいるとそれも吹っ飛びます。

一生懸命育てたみかんから無添加のみかんジュースができたときの喜びは昔も今も変わることはありま

せんが、ただ変わるとすればみかんジュースへの自分自身の取り組みが昔よりますます情熱的になった

事くらいかなと思います。それが私のみかんジュースへの想いなのです。

 

                                2010年 6月30日         後藤  浩隆

 

 

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