☆エッセイ★

2004年4月17日
 わが家の家庭菜園では蒲公英(タンポポ)がポンポンと咲いております。今年に入ってから「教祖様の野望」MINI DRAMA CDのBGMと、首都圏の都市型温泉施設に併設のまんが喫茶で流される予定?(既に流れている?)のアキバ系アイドル(以前は声優と紹介してしまったのですが、こちらの方が正しそうなのでお詫びして訂正いたします。それから、とあるまんが喫茶一店舗で流されるだけかと思っていたら、実はもっと多くのお店で流されるそうです。)きこうでんみささん出演のPVというかBGVのBGMを担当させていただきました。次はまたゲームのBGMになると思いますが、今度ははじめにオーディションを受けて、作品イメージと合いそうなら発注されるということになりそうです。
 話は変わりますが、子どもの頃の思い出に忘れ難き痕跡を残している業界の方々が相次いで亡くなりました。
いかりや長介さん、芦屋雁之助さん、そして横山光輝さん。一番悲しく思ったのはいかりやさんの死でした。藤子・F・不二雄さんが亡くなられたとき以来の悲しさでした。子ども時代の良き思い出を作ってくれた人の死はやはり悲しいですね。芦屋雁之助さんはやはり「裸の大将」。ある時期までこの人は本当にこういう人だと思っておりました。後になって別の意味でこういう人、つまり山下清って本当にこういう人だったんじゃないかと、そう思ってしまう見事な芸であったなと思いました。横山光輝さんは私にとっては漫画家というよりアニメの原作者でした。この人の漫画を原作とするアニメは大変な数になります。ひょっとして一番なのでは。ぱっと思い浮かぶのは「バビル2世」ですね。今見ても面白いかどうかは分かりませんし、特に見返したいとは思いませんが、子どもの頃、確かにそれは面白くて魅力的だったのです。改めてお三方のご冥福を、私の幼年の思い出とともにお祈りいたします。

2003年8月18日 「猫の恩返し」と「バニパル ウィット」、
あるいはスタジオジブリとそれ以外
 昨年のスタジオジブリによる劇場アニメ「猫の恩返し」をDVDで観る機会がありました。一通り観て思ったのは、評判通り「なんてお気楽な・・・」ということでした。全く関係のない概念ではありますが、アーティスト村上隆さんの言う「スーパーフラット」をストーリーテリングにも導入したような盛り上がりの無さ、というか水平感。これは失敗ではなく、意図的にそうしているのではと推測されます。猫の国に入ってから特に、わざと失笑を買うような演出、いわゆる「外し」が点在し、また無くても良いのではと思える説明的なセリフも数カ所ありました。街のリアリティというか「息づき」感の描写は毎度の事ながら感嘆させられますが、猫の国の方は正直それほど魅力的ではなく、いきなりしぼんでしまう印象を受けました。これらのことは欠点ではなく、主人公ハルという、いまどきの普通の女子高生のパーソナリティと連動しているのではないかと思われます。ハルのキャラクターは面白いと思いましたよ。
 ところで、この映画のお気楽さを代表する「猫になってもいいんじゃない?」というキャッチコピーについてですが、これはこれ自体がお気楽な空気の中で発せられた言葉であることに留意すべきではないかなと。「本当に、ほんっとうに、猫でもいいわけ?」って聞き返したら「う〜ん、どうだろね。」と困った笑いされるような。現実と幻想の間に生きるバロンには「自分の時間を生きなくちゃ」と言われますし、現に一度は猫の姿になっても、最後には人間の姿に戻って帰ってきたわけですし。でもバロンへの夢見がちな憧れは残ったようでしたが。それが昔のおとめチック少女漫画の様な暑苦しさではなく、もっと捕らえどころの無いふわふわしたさわやかな残り香のような物を残しつつ、とりあえずも日常は続くわけです。
 さて、猫つながりで思い出すアニメがもう一つありました。知名度においては天と地ほどの差があると思いますが「バニパル ウィット〜とつぜん猫の国」がそれです。1995年に完成されたこのアニメのスタッフの中心は、なかむらたかしさん。大友克洋監督の「AKIRA」やハウス名作劇場「ピーターパンの冒険」などで作画をされていた人です。近年では「パルムの樹」を監督されていたと思います。果たしてこのバニパルウィットは、予想を超えて我が意を得たりのブラボー物でした。原作が児童文学で、小学生の男の子が主人公という点からだけでもある程度予測出来ると思いますが、お話の作りはよくある話だと思います。猫の国に迷い込んだ愛犬を助けに行く冒険が主軸になっています。(その愛犬が猫の国に迷い込むことになった理由がまた泣かせます。) 「猫の恩返し」の猫の国がいわば「退屈」っぽく描かれているのと対照的に、こちらの猫の国はゲイジュツがバクハツしています。猫の国をより魅力的に引き立てるために用意されたと思われる、「謎」の数々や直接今回のお話には乗ってこない小さなエピソードの数々も、凝った造形を与えられています。しかし、良くできた児童文学がそうであるようにこのアニメの感動の肝はアクションだけでなく、お話の要所要所ですとんすとんと胸に落ちていくロジックです。(実はこの点が宮崎監督作品をはじめとするスタジオジブリ作品には見られない物なのです。)そして女の子との本当にささやかなロマンスも外せません(笑)。やはりこういう作品は男の子の方が喜びそうですね。こういう作品に素直に惹かれてしまうということは、私がそういう風に育ってきてしまったことを、いうなれば古いタイプの人間であることを示唆しているんだろうと思います。
 途中になりますが、「猫の恩返し」の音楽は前の「耳をすませば」も担当していた野見祐二さん。前作の音楽を思い出させる一面もありましたが、今回はあまり耳に引っかかることなくすぅーっと流れていった印象です。やはり強いメロディラインを持つ曲が似合うのは中学生までと言うことでしょうか? 同じバロンが登場するとはいえ、作品のテーマもずいぶん違いますし。主題歌のつじあやのさんの「風になる」は耳に引っかかりましたよ。アコースティックでほんわかしたノリが心地よい、いい歌です。
 対して、「バニパルウィット」の方は、クラシック畑の三枝成彰さん。正にファンタスティック&スペクタクルを地で行くオーケストラサウンド。オープニングテーマだけでどきどきわくわくしてきますね。エンディングテーマはそのオープニングテーマに歌が付いた物で、歌い難そうなメロディーを声優の飯塚雅弓さんががんばって歌っています。
 スタジオジブリは今や強力なブランドとなりました。ディズニー(ブエナビスタ)と提携していることからも伺えますが、絵を見ただけで「あっ、ジブリの作品だ」と分かるのはやはり強力です。多くの人に懐かしさと優しさを感じさせるであろうキャラクターデザインと色遣いは、決して過去模倣にとどまる産物ではないでしょう。常に時代の先へ行こう、しかし良い物は伝えていこうとする試行錯誤的技術革新の産物のはずです。それはお話、シナリオの筋書きという物にも向けられ、新しい物を作っていこうという指向が感じられるのです。それは私にとっては戸惑いを感じさせる物でもあります。最近のジブリ作品はぱっと見どこが面白いのか分かりません。魅力は単純に面白いというもの以外が持っています。一番困惑するのが何故にあれほど多くの人が「もののけ姫」や「千と千尋の神隠し」を観に劇場へ足を運び、DVDを購入したか?なんですけどね。一時のブームと言ってしまうには大きすぎ、長すぎるようですし。ジブリのアニメってあまり「アニメ」っぽく扱われてないなぁと言うのがあるんですが、アニメのすそ野が広がったと言うよりもそっちの方が印象が強くて、「アニメと言えば宮崎アニメ! それ以外のアニメってオタクが見る物でしょ」〜「宮崎さんのアニメは外国にも誇れる文化だけど、それ以外のはクズ、っていうか恥!」っていう人を大量に作り出しちゃったかなぁと。それは面白くないなぁ。その一方で内輪消費しているアニメに何処か醒めた親しみを感じつつ、このままで良いかなぁと思ったり。
 私がビデオ借りてきて見ておきたいなあと思う最近の劇場アニメ作品は「アリーテ姫」「パルムの樹」「パトレイバーWXIII」「千年女優」「ぼのぼの クモモの木のこと」です。恐らく聞いたこともないという人が多そうです^^;; まだ観てないから何ともですが、ついでで良いからこれらの作品も多くの人に見てもらいたいなあと切に願います。ジブリライクな作品でしたら「茄子〜アンダルシアの夏」が現在劇場公開中で、お勧めです。海外自転車ロードレースにかけた青春って、本当に夏らしい作品だと思いますので。

2001年3月11日 特別展「四谷シモン 人形愛」を観てきた!
 四谷シモン(ヨツヤ シモン)さんは1944年生まれ。戦後1960年代から70年代に架けてのポップ、ヌーベルバーグ、アンダーグラウンドと形容される革新的芸術の潮流の中で活躍してきた人形作家です。ほかにも劇団俳優や写真モデルとしての顔もあるのですがその説明はここでは割愛です。この方がどんな人形を作るかは、まあ観てもらった方が早いわけですが、伝統工芸や美術彫刻とも違う、球体関節を持った裸の女の子とか男の子とか、歯車やらゼンマイやらスチームエンジンやらの機械仕掛けを積み込まれた胴部が丸見えの人形やら、どこかで見かけられたことがあるのではないでしょうか? 私は以前からシモン人形の写真は度々見かけたことがあり、その素っ裸加減と独特な素っ気ない表情にときめいたりしていたわけですが、この日はご本人のお話が聞けるとあって出かけてきました。
 モノが幾分キワモノめいているので、見に来る人もある特定の人々だろうかと想像していたのですが、会場に着いてみると居るわ居るわ!それほど広くないエントランスホールのような場所に老若男女300人ぐらい、若干の立ち見もあり。女性も多かったですよ。中には
母親に連れられた小学生ぐらいの女の子も!自分から行きたいと言ったか母親に誘われたのか・・・美術品を鑑賞するという心構えが親子間で共有されているとは思いましたが、そういう人たちが来るということは、キワモノとは言え多くの芸術家・作家に認められ、支援されて初めて現れる現象でしょう。
 さて、シモンさん本人はぼそぼそとしゃべられる、口数は少なそうだが無愛想ではない、喋り方に温厚さが感じられる好青年といった感じの方でした。かなり年齢は召されているのですが、おじさんとかおじいさんとかいう雰囲気ではありません。お話の中で印象的だったのは「良い人形が出来るとき、人形作りに打ち込めるときは
悲しいときかな」という話が一つ。これは分かる気がします。卑近ながら私も音楽を作っていますが自分がいいなあと思う音楽が頭に浮かぶ時の心の状態って悲しいときなど心が傾いているときが多いと感じます。それは自身に降りかかる絶望的な悲しみと言うよりは、外から聞いたお話に共感したりとかどこか他人めいた悲しみな訳ですが・・・それが絶望的な悲しみならかえって何も出来なくなると思うのです。シモンさんも創作活動の支えとも言うべき文学者澁澤龍彦さんが亡くなられた後しばらく何も作れなくなったそうです。その時以前からつながりのあった宗教家に話を聞いてもらい、或いは助けを求めに、祈りに行ったときの話がもう一つの印象的な話。「あなた本ばかり読んで、本当に祈ったことなんて無いんでしょ。それじゃダメよ」と言われたそうです。本当に祈るということが自分にとってどういう形をとるのか・・・結局人形を作るしかない、作らなきゃダメなんだ。この話はありきたりなようにも思いましたが、「創る人」らしい一面の伺える話でした。同時に自分にとっても痛い話でありました。「作らなきゃダメ」というあたりが。
 こんどは実際に人形を観ての感想。一言言っておきますと圧倒的に女の子の裸の人形が多い(様に思われる^^;)のですが、肌はまさしく玉の肌でマネキンのようにシミやら皺やらはありません。この幾分のっぺりした感じはアニメやそれにまつわるフィギュアと同じような印象です。陰部については付いているモノは付いています(*^_^*; あまり嘘はないでしょう。年齢によって筋的なくぼみであったり毛がモジャモジャしてたり。男の場合も、最近のキリスト像でも同じこと。180センチぐらいもある男の像にもピーンと上を向いた立派なモノが・・・で、タイトルを見ると「ドイツの少年」・・・「少年」ってほえぇ〜っっていうカンジで*^^* 失礼しました。まあ色は肌と同じきれいなピンク色めいた肌色なのでグロテスクではなくやっぱり奇麗というか可愛いというか、やっぱりとってつけたような人形のモノという感じでした。面白いと思ったのは
裸の人形の方が服を着た人形より表情があるなあと思えたことです。シモンさん本人もおっしゃっていましたが、特定のはっきりした表情は付けないようにしていて、無表情でどこも見ていないような、どこか遠くを見ているような、そういう人形な訳ですが、裸の女の子たちのそれは不機嫌そうで怒りを秘めておりそれが挑発的に見えたり、反対にどこかもの悲しそうで同情を誘ってたりする様に見えます。ところが服を着せたとたん(展示物の中にはドレスを着た人形が数体ありました)それはマネキンの無表情と変わんないなぁと思えたこと。つまり裸の女の子の表情が生きているように見えたのです。男の子の場合はそれほど強い対照性は感じなかったのですが・・・あるいはドレスを着た人形も裸にしたら表情が生まれてくるのでしょうか。そして今回の展示で一番印象的だった人形はやはり裸の女の子で、気怠そうに仰向けに寝ころんで、その足下に立つとこちらを細目で見つめているような人形。直感的に「この人形は悲しそう」と思えました。この少女を作ったときのシモンさんが悲しかっただとか、この悲しそうな表情に私の悲しみが同情として喚起されているということはここでは置いておいて、ただこの人形は今悲しいんだと思えたこと。シモンさん自身「人形は人形でしかない」と言います。その悲しみは誰の物でもなく、人形自身の物ということもあるのかも知れません。しかしそうならこの悲しい人形はいつまで経っても悲しいままなのか・・・まあ私がしゃべるのはここまでとしましょう、ボロがでるから^^;;
 その他の人形では割と最近作ったという天使像やらキリスト像は割と普通の印象しか持てませんでした。やはり「シモンというと裸の女の子!」という刷り込みがあるせいでしょうか?(迷惑な刷り込み^^;) ですが先の澁澤氏の死去後のシリーズがこれであったことを考えると、シモンさん自身にとっては大きな意味を持つ人形たちであったことは想像に難くありません。最後の圧巻は初出展となる
2メートル越の男性像で裸の少女たちの印象を打ち砕きます! やはり裸ですが戦士なのか修行僧なのかデイダラボッチなのか、苦悩と苦難が染みこんだようなどす黒い肌の色と野生向きだしの質感、たくましい筋肉ながら同時に痛めつけられ干涸らびたような肉体。セルフポートレイトと言われるこの人形はシモンさんの何なのか?
 おしまいに、こういう美術展もいいものです。(元々美術展鑑賞などは苦手な方で、そのためかたまに行ってもキワモノばかりのような^^;;) 何よりご本人が生きていて、同時代にいるということが。下心ありでも良いと思います。人形に情欲するというのもありでしょう(おっ^^!?) エロはエロです。ストリップのエロと変わりないはずです。芸術の名の下にエロがエロでなくなることはないはずです。というか、劣情を誘うか誘わないかが芸術と風俗を区別する基準にはならないんじゃないかな。小学生の女の子がストリップショーや成人映画を見ることは出来ませんが、大人はいかなるエロも享受出来る立場にあります。それにもかかわらず普通大人は社会生活の中で無意識のうちにも、そんなこと思いもしない内にもひどく限られたエロのみを享受し、或いは隠され隠れて享受しているはずです。社会通念や常識のシステムの中で、あらゆるエロに足を踏み入れる権利を持つ(と思いこむ?)が故に、個人の趣味趣向と勇気と時間と体力に基づいて方向が限られるのでしょうか。思うにエロの世界はもっととてつもなく広いはずではないでしょうか。ひょっとしたら子どもたちが教えてくれることもあるかも知れませんよ。それをエロであると私たちが見なすかどうかは別として。精神病理学者フロイトが唱えていた「汎リビドー主義」みたいなのも問題があると言えば問題があるのでしょうが、私のようなエネルギーの低い人間には解りやすいと言えば解りやすいのです。要は恋人作れや、セックスしろや、結婚しろや、子ども育てろだ、それがすべて!なのですが、ところがどっこい問題はその後なのですよね。一方でそれらに縁のない人間はいきなり横道に逸れて、エロの余剰の海に飛び込むしかないのです。ところでいったい何の話かな^_^??

 話は全く変わりますが、私が主題歌を作曲した童話朗読CD「
シルフィード」がファミリーソフトさんより発売中です。関東の一部で売られているそうなので、興味をお持ちになりましたら是非買ってみて下さい。もう一つ私が音楽の一部を担当したパソコン用ゲーム「無敵刑事大打撃! 北の挑戦」ももうすぐ(本当に)発売されるはずです。古き良き時代のアドベンチャーの完全復活です!(のはずです^^!) どうかごひいきに*_(._ .)_*

2000年3月12日 空海展を見てきました!
 と言っても2月の末のことなんですけど・・・ 空海とは平安時代初期の僧侶でわが国の仏教真言宗の開祖。とりわけ四国にとっては八十八カ所のお寺を開いたということで縁があります。(ちなみにその八十八カ所のお寺をお参りする巡礼者をお遍路さんと呼びます。)四国以外に住む人にとっては「弘法も筆の誤り」に引用されている書の達人としての弘法大師の方がなじみがあるかも知れませんね。で、その人にまつわる国宝を含むお宝が一堂に会し展示されたわけです。こんなのに人が集まるのだろうかと思われるかも知れませんが、ここ四国では空海は人気あるいはカリスマを持っていると言ってもよく、最終日の前日と言うこともあってとにかく人!人!人!確かに年輩の方が多かった印象はありますが、それでも若い人もちらほら来ていました。彼らも私のように特に信仰篤い訳ではない者がほとんどだったでしょう。
 さてその展示物の中で印象深かった物について。それは曼陀羅(マンダラ)です。曼陀羅にもいろいろな大きさと種類があるのですが、私の目に留まった一つはスカーフほどの大きさの曼陀羅で二枚で一組となっている物。曼陀羅は沢山の仏様の絵が幾何学的に割られたマスの中にいて「宇宙を表している」とか言われますけど、これも特になんて事無い普通の曼陀羅だと思うのですがただ、この一方の方を見て他方を見るとき、ちょっとしためまいを感じるような気がしました。これは宗教的な神秘体験とかいうのではなくて、シュールレアリズムの超現実的な絵画を見たときのちょっとしたショックに近い物だと思います。
 それからもう一つも曼陀羅なのですが、こちらは一辺が5〜6メートルはある巨大な物。何でもこの曼陀羅の上に花びらを落としてその落ちたところの仏様と結ばれるという宗教上の儀式があったそうなのです。それ自体は厳粛な儀式でしょうけど、このお話だけ聞くとなんだか西洋のファンタジー物のお話に出てきそうな、えらくロマンティックな儀式だなあと感じた次第です。不謹慎ながらその仏というキャラクターを他の物に置き換えたら、よりマンガチックな「やおい」とか「萌え〜」系のお話になるでしょう^_^;;; 実際にありそうだな。なんにせよ選び、選ばれる瞬間というのは世の東西や時代を問わずドキドキものだ、と言うことなのです。(そうなのか!?そんなまとめでいいのか^_^!?)
 そういえばパソコンゲーマーにはおなじみのRPG、日本ファルコムの「英雄伝説V」の主人公達は「お遍路さん」なわけですね!(と、いうことは、「白き魔女」は空海!?^_^;;) ここら辺にもあのような少年少女の巡礼の通過儀礼的なイベントがあったら面白いと思うのですが・・・
 秘密の作業は進行中! ええ、進行中ですとも! でも「たれ具合」は相変わらずな気がします〜 

2000年2月4日 相変わらずたれている。。。だが!しかし!?
 そんな生活も一変する可能性があります。今はまだ公表できませんけど。しばらくはしこしこと曲を作っていきます。それはそうとして、何と前の日記の日付は去年の9月ですか・・・やっぱり日記じゃないですね、これ。それはそうとして、とうとうパソコンを新調しました。CPUやビデオカードは家族に恵んでもらったので^^!大変安くつきましたが、足りない部品をあちこちに発注していたので結局1ヶ月ほど自分のパソコンがない状態が続きました。この間インターネット接続の電話代を節約できたのは良いことでした! 

1999年9月17日 結局・・・
 結局、ローランドの力作コンテストは音沙汰無かったです。
 結局、ヤマハのコンテストには出しそびれたぁ〜
 結局、パソコンのCPUはAMDのK6に戻しました。
 <DTMのページ>の「家族の樹」は、どうしていつまでたっても「縮小版」しか上がってこないのか?と思いの方もいるかも知れませんが、完全版はとあるメディアに載せてもらえる可能性があるので、このページで扱えるかどうかは微妙なところです。この件いずれ問い合わせておきます。
 mp3、いくらベタのPCMデータの1/10程度に小さくなるとはいえ、元が大きいのでやはり大きいです。あまりレートを落とすとPCMデータのようにくぐもった感じになるのではなく、ヒ〜ロヒョロ〜と笛の音のような高周波ノイズが混じってきます。単にくぐもった方がいいと思うのですけど、方式が違うのだから仕方がないでしょう。多くの人にこちらと同じクオリティで聞いてもらおうとすると、ストリーミングメディアの使用も考えなくてはいけないようです。

1999年8月27日 暑い季節は過ぎてゆく・・・
 雨の多い夏でした。それもおさまりようやく灼熱の夏になったと思ったら、朝夕はもう秋の虫の音。結局メインテーマ更新しそびれてしまいました。でもまだ日中は暑い!あつ〜い、あっち〜;;; パソコンの調子も悪く、たびたびハングアップするようになる。しかもウィンドウのダイアログでエラーが知らされるものではなく、いきなり画面全体が真っ青になるという類の。本当にこちらも真っ青O。O!! 今使っているマザーボードがベースクロック周波数を上げるとPCIもAGPも何もかもの周波数が上がってしまうタイプで、今使っているCPUに合わせて75MHzに上げてたのですが、暑いとついてこられない周辺ボードがあったのでしょうか? それで基本の66MHzに落としてるのですが、たしかにエラーは出なくなりました。そんなに遅くなったようには感じないし、こちらの方がよっぽどいいです。
 ところでローランド力作コンテストの作品を本当にでっち上げてしまったのです。これで入賞したら本当に「人生変わるわよ」ですわ。インターネットを使って作品を転送したのですが、相手のメールサーバーが受け取ったとのメールはすぐに来たのですが、あちらの人が確認したというメールがこない!それで問い合わせてみたら「そのような作品は届いていない」とのこと。改めて転送したら今度は受理してもらえたようですが、このような転送ミスはたびたびあります。特に相手のホームページ上に書き込みフォームと転送スイッチがあるような場合、電話代がもったいないので一度接続を切り、ゆっくりフォームに書き込んでから転送スイッチを押す、すると自動的に再接続される、そしてフォーム内容が転送される、はずなのですが、失敗することが多いように思います。今回のは単なるE-MAILなのでそれも当たらないのですが、いったいなんのせいなのでしょうかね?
 最近家庭環境的にも、精神環境的にもきわめて私事ながらゴタゴタがあり、さすがにこれまでのアニメ見まくりな生活もむなしく感じてきました。私はヒステリックな性格で「やめるならみんなやめてしまえー」となるのですが、まあ半分ぐらいにしておこうで今は落ち着いています^^;でも当サイトのアニメ情報は必然的に縮小することになるでしょう。 その分音楽製作に強制的に当てることが出来ればいいのですが・・・本当のことを言うと、音楽作るのってけっこう苦痛でそんなにやりたいことじゃないんですよね。それでも作るっていうのは我が儘なんでしょうか、贅沢なんでしょうか。とにかく寡作でも何を言われても作り続けるしかないんです!

1999年7月25日 暑い季節がやってきた!
 実に3ヶ月ぶりの追加ですか。ページの看板変えた方がいいですね^^;; 土用も過ぎると朝の気温の上がり方が全然違ってきます。どんなに暇でも朝寝できない、というかほとんどあぶり出される感じ。健康にいいや!?
 DTMの方はこの3ヶ月というもの全っ然ほんとにも〜み・ご・と・になんっにもやってませんでしたが、例のローランドの 「力作コンテスト」の募集が7月いっぱいなので、あと5日でなにかでっち上げることができるかと思案してしまいます。一応ヤマハのコンテストが本命なんですけど、やはり目標がなければ全然動かない質なので。動くの遅すぎますけどね。トップページに張り付けている音楽もこの季節に聴いてもらってもいきなり気分を落ち込ませそうなので(自分で聞いても落ち込むので^^;;)変えたいと考えています。

1999年4月30日 カウンターが増え続けるの巻
 カウンターも動き出したし、で、腰を下ろしていたらまたしても問題発生! 元仕事仲間の人が当ホームページに早速アクセスしてくれて、速攻でお祝いメールくれたのですが・・・「サブページのボタンで先頭ページに帰るとまたカウントされますよ」・・・あらあらあら^_^;; 増えるのはうれしいことなのでこれはほっといてもいいんだけどな〜 これはバグでも何でもなく当たり前のことでして、TOPボタンに先頭ページのurlを貼り付けているだけなんだから、外から先頭ページにやって来るのと何ら変わりないわけで。Web裏技に問い合わせたら上級のプログラムは対策を施してあるけれども、上級だけあってプログラムソースをプロバイダのサーバー上でCコンパイルしなければならないと。これは全く太刀打ち?できないので他の方法が思い浮かぶまで放っとくことにしました(^_^; で、意外と早く思い浮かんだのが、カウンターを表示させないダミーの先頭ページを作るという手。と言うわけで、サブページから先頭ページに飛ぶ場合は二度とカウンターは表示されません(笑)こんなんでええんかいな^^;;

1999年4月29日 また絵が出ない!カウンターも動かない!
           の巻

 意気揚々とUPしたものの、またまた絵が出てこない!?今度の原因が分かるまでにはちょっと時間を要しました。どうやらプロバイダーのサーバー上(たぶんOSはUNIX)ではファイル名の大文字・小文字の区別が厳密で、ファイル名を小文字にしたならそれを呼び出すhtmlでも小文字で(拡張子も含めて!)指定してやらないといけないのです。Windowsはその区別があまり厳しくないので何かの拍子に小文字のファイル名が大文字になってしまうかも知れないので、不都合が起こった場合には実際にftpサーバーに送る前と送った後でファイル名を確認することも必要です。

 次のカウンターの動かないのにはさらに頭を悩ませました。何らかのエラーが表示されるわけではなく、カウンターの数字が表示されるところがまるまる抜けてしまうのです。実はこれもUNIXの特徴を理解していないことから来たものだったのです。ネットサーフレスキュー[Web裏技]からもらってきたプログラムに「パーミッション」なる記述があったのですが、聞いたこともない言葉だったので無視していたのです^^;、が、これがマル重だったのです^^; UNIXサーバーなどへは不特定多数の人がアクセスするので、ファイル一つ一つに、分かりやすく言えばファイルを作った自分自身・仲間内・お客さんそれぞれが「読める」「書き換えられる」「実行できる」かどうかの指定が出来、それが「パーミッション」なのでした。つまりカウンタプログラムファイルはお客さんが実行可能に、カウンタ履歴ファイルはお客さんが書き込み可能にしておかなければならないのデシタ。詳細は省きますがftp転送ソフトには大抵それを簡単に変更する機能があるようです。そうしてやっと、やーっと、や〜〜っっと! カウンターナンバー1を刻むことが出来たのであります。メデタシメデタシ^_^

1999年4月28日頃
 正式オープンに向けて最初から作り直しました。
 今回使用したソフトは箇条書きにしますと・・・

・TypeDesigner特別版4 ロゴ作成用(PalmSoft)
 半角英数字や記号をグラフィカルなロゴにしてくれるソフト。全角漢字は対応していませんがバラエティに富んでいて選び甲斐があります。グラフィックカウンタを選ぶのと同じ感覚です。製品版ではさらにものすごい数のロゴグラフィックが用意されているようです。メインロゴの作成に使用しました。

・Fix-Up HomePage ver2.1(日立情報システムズ)
 積木細工の要領でホームページの素材を組んでいくソフトでなかなか楽しかったですが、それはそれ、細かな融通は利きません。ブラウザ上での実際の表示結果に直接手を加えるような編集は出来ませんし。あと何故かダイアログボックスにWondous標準のものではなく独自のものを使っているのが使いにくいと言えば使いにくい。まあ雑誌付録ですし、MIDPLUGやmpegの埋め込みまで対応しているのですから、htmlに詳しくない人が骨組みを作るのには十分といえるでしょう。

・フリー素材集 春物
*以上はインプレスの雑誌「ホームページマガジン」3月号の付録です。

・花子9と花子フォトレタッチミニ
 前回に引き続きフリー素材の加工用です。今回は花子フォトレタッチミニの方を多く使ったでしょうか。

・Microsoft FrontpageExpressとNetscape Composer
 今回はネットスケイプのも使ってみました。違うソフトだから当たり前と言えば当たり前なのかもしれませんが、同じ解像度で同じhtmlを読み込んでもフォントの大きさやレイアウトが違ってくるのは何故なんでしょう? 特にネットスケイプで作成したものをフロントページに渡してやるとレイアウトが狂いました。それにネットスケイプでは全角漢字入力がめちゃめちゃ遅くなることがあり(一文字2秒^^;;)ストレス貯まりました~_~! コンピューターを使う作業はほんの些細なことで「なんでぇ!どーしてぇ!?」と叫ぶことが多いものです。極めつけに2つとも作業途中でフリーズしました。なんでやねん@_@!! 結局最後の調整は普通のテキストエディタですることになります。あ、それからヘルプはネットスケイプの方が充実してます。

それから、アクセスカウンターのプログラムを「Web裏技」のホームページより、カウンター用グラフィックを「ここ掘れ!」よりいただいてきました。(リンクはしばらくお待ち下さい。) 果たして上手く動きますかどうか・・・

それにしても、えらく時間を食われるものです。DTMページのピアノ曲もいい加減時間がかかっていますし。ホームページの製作が一段落したらまた音楽製作に戻りたいと思います。さあ、あとひと息!

1999年4月9日頃
 初めてのホームページを、マイクロソフトWindows98に付属のFrontpage Expressで作成。画像はジャストシステムの花子9を使い、サンプルを加工して使用.まずぶち当たったのが画像の合成の仕方。GIFなどの画像同士の重ね合わせがうまくいきません。上に重ねる画像の白地が背景を四角く隠してしまうのです。画像に花子の部品を重ねる方法ではうまくいくのですが。何か方法があるのでしょうか?

とりあえず出来上がり、これまた付属のWeb発行ウィザードでUPしようとすると・・・問題になったのが送り先のディレクトリ名。これはプロバイダーによってまちまちらしく、うちのNMTネットに問い合わせてみると「/WWW/で大丈夫」とのことでした。

そしてやっとこさ念願の初UP!ネットにつないで自分のホームページのURLを入力すると・・・おぉ出てきた出てきた!う〜んなかなか静かな感動がありました
(^_^)

ところが後日出先にて、友人にノートパソコンでつないでもらったら・・・あれっ!?貼り付けたはずの画像が全然出ていない!しばらく思案していてふと気付いたのが、なんと画像の在処の指定がプロバイダーのサーバーの中ではなく、自宅のパソコンのハードディスク中になっていたのでした
(^^;; これじゃ出るはずないわな・・・家に帰って早速修正しておきました。

UPする際Web発行ウィザードが勝手に直してくれると思っていたのだけど当てが外れました。修正はFrontpageのエディタで直接HTMLを書き換えました。FrontpageのエディタではHTMLが色付きになるので結構見やすいです。