「覚えてるのか?意識が無かったときのこと。」
青空の下、内戦で廃墟となった街を歩きながら、
相変わらず無口なシキに、聞いてみたかったことを質問する。
「・・・知らんな。覚えていない、何も。」
振り返りもせず、シキが答えた。
「・・・そうか。」
うつむいた。それでも答えてくれるシキがいることがやはり嬉しくて。
崩れ行く廃ビルの群れ。入り組んだ狭い通路。
足を踏み入れて、どこか見覚えがあるような、不思議な感覚に襲われる。
シキがふと、何かを思い出したように呟いた。
「・・・・・・・あの青い男・・・。」
「え?」
思わず顔を上げて尋ねる。
「なんでもない。」
そっけない返事が返ってきた。
(・・・・青い男・・・・ケイスケ?)
まさかな・・・
問おうとしたが、なにも答えてはくれない気がしてやめた。




それ以上シキは何も言わず、ただまっすぐに歩いていく。
ふと、不思議な感覚に襲われた。
ついこの間まで、車椅子にただ黙って座っていたシキが、今、目の前を歩いている・・・・・・。
以前のように力強く、自信に満ちた姿で。
けれどなぜか、シキは目覚める以前とは違っている。
一体何が違うのだろう・・・?


「・・・シキ。」
前を歩くシキを呼び止めた。
歩みを緩めて肩越しに顔を傾ける。
「何があったんだ。・・・あんたに。」
思わずそう尋ねる。
シキが立ち止まり、少しして向き直った。
「・・・解ったことがある。」
「何を?」
静かにこちらを見つめる。
「・・・弱さ、だ。」
「弱さ・・・?」
シキからそういう言葉を聞くとは思いがけず、また問い直した。
「俺は己の中に弱さを持っている。」
「nの言っていた?」

美しい赤が、視線を射竦める。
そうだ、というようにかすかに笑った。
「己の力を過信した。俺はやつに負けたのでは無い。負けたのは、己自身に、だ。」
「じゃあ、弱さはもう乗り越えられたのか・・・?」
はっとして息を呑む。


始めて見る、シキの笑顔がそこにあった。
全てを受けいれたような、シキの素直な表情。
・・・・以前より逞しくなった
けれどシキらしい、無垢な瞳の・・・・・。



「・・・・・そうだな。俺は生きることのほうを選んだ。」




言い切って、深い真紅の眼差しが輝く。
まっすぐに・・・・・・強く。
目の前にいるアキラをも超えて、はるか遠くへ向かって、飛び立つように。

シキがシキとして
帰ってきたのだ。
今ここに。
前よりもずっとしなやかで深い、強さを携えて。
己の中で葛藤し
「力」という弱さを超えて
シキはもうアキラを超えてもっと遠くを、見ている。
そして己の求める場所へ、歩いていこうとしているのだろう。

・・・自分はまた、置いていかれたのだ。
けれど、以前のような、置いていかれるときの焦燥感は無い。
むしろ、置いていかれたことが、
シキが自らの道を見つけたことが、限りなく嬉しい気がした。




「アキラ」
急に名前を呼ばれ、胸が跳ねる。
「・・・・何?」
「おまえは好きなところへ行け、と言った。」
鼓動が高鳴った。
「・・・・・・・・・。」

「俺はもう、何も無い。」
赤い瞳が、静かな光を放ってアキラを見つめる。

「お前は自由だ。どこへなりとへ行け。」

緊張で、顔が強張るのが分かる。
シキの瞳を見つめ返した。
・・・正視すると息苦しいほどの強烈な赤。
けれど・・・目を逸らしたくはない。
シキの瞳は、どんな時もただ純粋で、まっすぐだった。
だから俺も、まっすぐに見つめていたい。
シキが俺を見つめ続ける限り・・・・・いつまでも変わらずに。


「・・・俺は・・・。」
ゆっくりと息を吐いた。
「俺はあんたの傍にいたい。
だからと言って、勿論あんたの所有物になるつもりはない。」

赤い瞳がさらに強く輝きを増す。
何故だか、・・・・初めて、シキが俺の答えを知りたがっているような気がした。


「あんたについて行くことが、
・・・たぶんひどく苦しい旅だと解っていても
俺はあんたと一緒に生きる。・・・ずっと最後まで。」








「・・・・・・・・・。」
長い沈黙の後、思いがけなく、シキの唇の端が緩んだ。
緊張がふと溶解して、肩の力が抜けるのが分かる。
「?」
「相変わらずだな。お前は少しも変わらない。」
硬くなっていた心を見透したように、微かに笑った。


「悪かったな・・・変わらなくて。」
少し照れくさくなって、憮然として呟く。
「アキラ。」
まっすぐにシキの赤い瞳が見つめる。胸が、どきりと鳴った。
「お前は、ずっとそのままでいろ。」
そして、あたりまえだ、というように、踵を返してアキラの前を歩いていく。
確かな、迷いの無い足取りで。
少し遅れて・・・・・・・・・シキの後を追う。
追いついて、横にならんだ。
黙って歩くシキの表情は相変わらず無表情だったけれど
・・・少しだけ笑っているように見えた。

シキの顔に落とされる、廃墟の影、流れる風、空気、
自然の存在そのものが・・・・・・・シキという存在と調和して輝く。
思わず見とれてしまうような、激しい、けれど静かなシキの美しい横顔。
その存在自体が奇跡のように。



俺はこれから幾たびか道に迷うだろう。
迷い続けて、それでもシキを見つけたとき
それがどんな暗闇だろうと、きっと自分の場所で、立っていられる。
シキの後ろでは無く、シキと同じ場所で。


トシマを出る地下道の出口を、今やっと、シキも俺も見つけたのだ。





今から、本当に始まる気がする。
“生きる”ということが・・・・・・・。

もう、俺は暗い地下道を
抜けたくない、とは思わない。
光を、怖いとは思わない。
闇をも超えた赤を見つけたから。





(n・・・)
静かに目を閉じ、心の中で呼びかける。
(シキは、弱さを乗り越えた。あんたが言ったように、自滅しなかったよ。)
穏やかに眠るような顔をして、シキの腕の中で横たわるnの姿を思い出した。
(・・・シキは、負けなかった。・・・あんたも、本当はそれを望んでいたのだろう?)



明るい空の青が、
アキラの眼前に広がる。
冬も、もう終わろうとしているのだ。
この空の青は、・・・・・・ケイスケのつなぎの青に似ている。
あの雪の日以来、ケイスケの夢を見ることは無かった。
・・・けれど死と生の狭間で
慈しむように抱きしめられた、ケイスケの優しい笑顔を
きっと生きている限り忘れることはない。


気がつくとシキはもう随分先を歩いている。
光の中を、決して振り返らずに。
今ははっきりと解る。
溢れる光の向こうが、無ではないのだと。




光の向こうには・・・・・
きっと苦しみを超えた、生きていく世界がある。

・・・遠くで鳥のさえずりが聴こえる。
目を閉じると、柔らかな風が
ただ静かにアキラの後ろから吹き抜けていった。
それだけのことが、まるで今気がついたことのように思われた。


大きく息を吸いこむ。
・・・そして、蒼穹へかけあがるように
まっすぐシキの背中を追った。





















many thanks. 2007.10UP
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