「・・・だから、信じて。」


そう俺に告げると、泣いているように静かに笑ってケイスケは眠っていった。
ケイスケが眠ってしまうと、部屋がシンと静まり返る。

・・・・・・
この部屋は・・・・・
こんなに静かだったのか、と思う。
トシマに行く前の、何も無かった俺の部屋のように。
ケイスケと二人で暮らすようになって
口数の少ない俺と違い、いつも何かというとケイスケが話をした。
いつもより綺麗な夕焼けのこと、アパートの軒下に小鳥が卵を産んだこと、
俺の目には殺風景にしか映らない、この味気ない世界も
ケイスケの目を通すと全く違った、優しい世界が広がっているのだと気付かされる。

・・・不器用で、けれど、いつも一生懸命で。
俺のことがとても大事だと・・・
一緒にいられることが、このうえなく幸せだと、
嬉しそうに笑っていた。
俺の何が良いのか全くわからないまま
繰り返し、溢れ、紡がれるケイスケの俺への想い。
それが日常の中であたりまえのように。

終わるということなど考えたことも無かった。
いつもケイスケの笑顔が傍にあるのだと、漠然とそう思っていた。
ずっと、これまでそうであったように。
これからも、ずっとそう生きていけるのだと。




まだ、ケイスケの寝顔は静かだ。
やつに・・・・・・会っているのだろうか・・・。
(・・・・・アキラ、俺を殺して。)
はっとする。

負けるわけは無い、と思う。
ケイスケは、きっと負けない。ここに、帰ってくる・・・きっと。
トシマでも、ラインが抜けるのを乗り越えたのだから。
・・・必ず帰ってくる。


あの時も、今も
俺は・・・・・何もしてやれない。
それが、ひどくもどかしい。
「ケイスケ。」
聴こえては、いないだろうけれど。
「・・・・・俺が、お前でなければ、受けいれるわけ・・・ないだろ。」
ケイスケの額をそっとなでる。
汗が・・・じっとりとにじんでいた。

ずっと昔から、ケイスケは俺と随分違っていた。
いつも自分より、相手の気持ちを大切にしようとしていた。
俺が誰からも距離を置こうとしているのに対し、
ケイスケはいつも誰かとの距離を縮めようと努力しているようだった。
孤児院のときはいくら無視しても、いつも俺について回って
いじめられないように、俺の傍にいるのかと思っていたけれど。
・・・けれど本当は
感じ取っていたのかもしれない。
俺の中の空虚を。
何も無い、恐ろしい孤独を。
それを知っていて・・・・
そっと俺の傍に寄り添っていたのかもしれない。
泣きながらも、目を逸らさずに。
誰よりも人一倍
相手の心に敏感なケイスケだから・・・・・。

世界が
本当はとても美しいのだと
毎日が
ただ意味も無く過ぎていくと思っていた時間が
大切で、始まっては終わっていくものなのだと
教えてくれたのは、ケイスケだった。
何を説教するわけでも、押し付けるわけでも無く
ただその、屈託のない笑顔で。


「ぐくっ・・・!」
ケイスケの身体が跳ね返る。
心臓が高鳴った。
つつ・・・と汗が、苦悶の表情を浮かべたケイスケの頬を伝っていく。
戦っているのだ。
もう一人のケイスケと。

静かに立ち上がると俺は普段は使わない机へと向かった。
そっと堅い引き出しを開ける。
もう二度と、手に取ることは無いと思っていた、重さ。
改めて握ると、しっくりと手になじむこの感触。
・・・・・・・俺の、ナイフ。

(・・・・・俺もう・・・誰も殺したくない・・・。)

それはきっとケイスケの叫びだ。
・・・・・・もし
起きたのがケイスケでは無かったら・・・
いや、それがもう一人のケイスケだったら。
俺は俺が知っているケイスケの為に
戦わなければならない。
このナイフで。

殺せるのか・・・・・



眠るケイスケの顔をじっと見つめる。


・・・・俺は
ケイスケの顔をした
もう一人のケイスケを。
俺が憎くてたまらないと言った
あの恐ろしいケイスケを。
そこまで追い込んだのは、俺だというのに。
・・・・・殺せない。
どうして、俺がお前を殺せる?
・・・・・殺せない・・・・・


あんなに切ない表情をして
俺の胸に顔をうずめてくるお前を知っているというのに・・・・・・。



・・・けれど、俺は決めたのだ。
もしケイスケが死んでしまったら・・・・
もう一人のケイスケに
誰一人殺させたりはしないと。

「ぐはあああああああっーーーーーーー!」


激しい痙攣と共に、恐ろしい声が響き渡る。
慌てて近寄るとケイスケが目を閉じたまま恐ろしい形相で
荒い息をしていた。
「・・・・・・・・。」
緊張で冷たい汗が、背中に流れるのが分かる。
祈るしかない。
ケイスケが、この戦いに勝つことを。

絶叫の後・・・・・・
訪れる、長い・・・長い、沈黙。


ケイスケの目から・・・・
涙が一滴、流れた。
何故か
全身が、電気が走ったように痺れた。
ひどく、嫌な予感がする。
青白い、ケイスケの顔。
どんどん青ざめていく。

唇は血の気が無くなって
・・・・頬に触れると、冷たい。
息を・・・・・していない。
「・・・・ケイスケっ!」
慌てて首筋に手をあてる。
脈が・・・・・・・・
「ケイスケ・・・・・」
脈が、止まっていた。
「ケイスケ・・・・!!!」



「ケイスケ死ぬな・・・!」



土色になっていく
ケイスケの顔が。
死ぬ・・・?
ケイスケが?


「ケイスケ!」

ケイスケの身体を抱き起こす。


「目を覚ませ、ケイスケ!」
強く抱きしめて、叫んだ。
「俺を置いて・・・・行くな。」

「目を覚ましてくれ・・・・頼む。」


言葉をかけても
反応が無い。


「・・・・生きてくれ・・・・ケイスケ・・・。」



・・・・・・・・・
なんだろう、これは。

無意識に・・・・・・
頬を伝う・・・・。

トシマでケイスケが生と死をさまようときも
本当にケイスケが、いなくなるとは思わなかった。


けれど、
けれど今は
ケイスケが俺を置いて行ってしまうおうとしている今は。


・・・・・・・涙が、
止まらなかった。
後から後から溢れ出て
もうケイスケに想われているだけでは無いのだと
俺もまた
ひどくケイスケを想っているのだと


この涙が無言で訴える。



人を好きになるのは・・・・・・
これほど、苦しいことだったのだと・・・・。



流れ落ちた涙が・・・・・・・
ケイスケの頬に落ちた。


呆然として、何も考えられない。

どれくらいの時間がたったのかも・・・・・・。



うっすらと明るくなってきた部屋に

窓から、優しい朝陽が差し込む。
美しい・・・薔薇色の朝の光が
部屋いっぱいに満ちて。



また・・・・・・・
涙が溢れた。


抱きしめたケイスケの鼓動が・・・・・・・
静かに・・・・・
けれど確かに
脈を刻み始めていた。




「・・・・・アキ・・・・・・ラ・・・・・・・・・・・・・・・」










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