守拙の人・・・顔真卿(がんしんけい) 戻る
中国書道史では、とかく王羲之を正統派とし、顔真卿を革新派の書とする。
彼は755年に起こった安録山の乱に対し、一人兵を出して武勇を挙げ忠臣とし
ての名をほしいままにし、また781年の李希烈りきれつの乱に際しても果敢に挑
み、結局悲憤の最期を遂げた。顔真卿の楷書の特徴である「蚕頭燕尾さんとうえんび」
の法も、すでに北斉時代の仏教摩崖にその筆法の源流が窺える。顔真卿の作品で
現在知られるものには楷書碑が多く、それぞれに特徴があり、「一碑一面貌いちひいちめんぼう」
と評される。
行草書では「争坐位文稿」「祭姪文稿」「祭伯文稿」の三稿が有名である。
顔真卿(多宝塔碑)752 |
顔真卿(麻姑仙壇記)771 |
顔真卿(顔勤礼碑)779 |
顔真卿(顔氏家廟碑)780 |
顔真卿三稿(祭姪文稿)779 |
顔真卿三稿(祭伯文稿)758 |
顔真卿三稿(争坐位文稿)764 |
顔真卿(送裴将軍詩) |