墓石リサイクル

リサイクル 仏壇や墓石も可能?

 墓地に行くと、墓石が無縁墓として撤去され、隅の方に寄せられたり、積み上げられたりしている光景をよく目にする。

 

 無縁になった墓石の山に「無縁塚」などという名前をつけているお寺も見かけるが、どこの墓地でも、こうした墓石の処分に困っている。あんなに大きい重い石だから、処分しようにも、運搬や切断に費用がかさむ。

 

 ならば、「○○家の墓」などと書かれた表面を薄く削れば、新たな墓石としてリサイクルできるのになあと、私は以前からひそかに考えている。

 

 お墓の値段は安くなるし、山から切り出す石の量が減れば、自然環境の保全にもなる。

 

 もちろん、墓石以外の使用も可能だ。昔の話で言えば、小田原城の城壁は、庶民が献上した墓石でできているらしい。それが証拠に、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」や人の名前が刻まれた石がたくさんある。現代なら、石垣や庭石にリサイクル墓石を使うのもいいかもしれない。

 

 そんなバカなことを考えていたら、最近、リサイクル仏壇を売る業者が現れた。仏壇は墓石と違って、不要になれば、業者が引き取ってくれる。お炊き上げと言って、燃やしてしまうのが通常だ。でもリサイクルでもかまわないという人がいれば、燃やすよりずっと環境に優しい。

 

 家具のリサイクルがあるのだから、仏壇だって…、と思うが、実際にはなかなか売れないそうだ。他人が毎日手を合わせていた仏壇はやはり、薄気味悪いのだろうか。 

 

 普段は霊魂を信じない人でも、墓石や仏壇のリサイクルとなると尻込みするだろうから、おもしろい。

 

(第一生命経済研究所研究員)

魂は抜き切れるものではありませんから」 祟らないの(?!)祟らない程度に抜けているの?!抜いてまた入れてもらう間に迷子にはならないの?!謎が謎を呼んでいまして訳が解らなくなりそうです。

 

「嘘も方便」という言い方をご存知ですよね。質問者さんは騙されただけです。お坊さんも墓石屋さんも死者の霊魂は信じていませんので「抜くも抜かないも祟るも祟らないも」「霊魂自体ない」ですからどうでも良いんです。それを死者の霊魂があると『思い込むから』訳が分からないという寸法です。

俄かには信じられないと思いますので拙文をお読みください。住職様、石屋様の常識をお教えします。お寺さんや僧侶や石屋がどういう方々かお考え頂いて今後どうするかお決めください。

 

「坊主丸もうけ」

「憎い坊主の布施好み」「布施の分だけ経を読む」「経も読まずに布施を取る」

「地獄の沙汰も金次第」「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」

 

1.寺請制度

幕府はキリスト教を禁止し民衆を支配するため「寺請制度」を設けた。人々は必ずどこかの寺院に身請けされ、その寺に人別(戸籍)を登録する制度である。「檀家制度」ともいい、寺院が発行する「寺請証文」(檀家であることの証明書、戸籍謄本に相当)なしでは、結婚も、就職も、旅行も、生活さえもできなかった。証文の発行を拒否されると「帳外れ」(宗門人別帳に記載されないこと)として差別された。それは社会的抹殺を意味した。「村八分」から「邪宗門」の嫌疑をかけられると死に至る過酷な拷問が待っていた。住職の権限は絶大となり、檀徒は隷属する他しようがなかった。檀家総代であっても、寺の行事に参加しないと、「戸籍を抹消し厳しく追及せよ」と定められていた。

 

要するに檀家制度の本質は「寺院は政治権力の手先」の意である。寺院そのものが権力化し、僧侶は「民衆の支配者」となった。民衆のために政治権力と戦った開祖の民衆を思う心。その正反対に政治権力に盲従する心。これこそが寺請制度下のお坊さんの心なのである。

 

3.寺請制度の名残

檀徒の死後、僧侶は、@死相を見届け、A檀徒に間違いないことを確認して、B戒名を授け、C引導を渡すことが義務づけられた。民衆は、葬儀に際し、檀那寺から必ず僧侶を呼ばなければならなくなった。もし僧侶を呼ばなければキリシタンの嫌疑をかけられ、極刑に処される恐れがあった。今日でも、葬式には必ず僧侶を呼び、引導を渡してもらうのは、江戸時代の寺請制度の名残なのである。

 

4.仏陀の教えにない葬式

葬式自体が、本来、仏教の教えとは無関係である。そもそも無霊魂説だから死者の霊魂はない。だから死後に成仏する教え自体がないのである。お釈迦様も、開祖聖人も、葬式については、何も特別に教えていない。

 

間違った習慣を破壊し、あるべき葬式や死者の供養を定着させることは、日本の「宗教改革」である。今日、多くの識者も賛同の声を寄せている。

 

5.坊主丸儲け、仏陀の名を借りた搾取 

幕府は「法論」と「自讃毀他」を禁止した。他宗を批判し自宗を擁護する実践訓練を止めた僧侶は教化力を失った。教化を止めた仏教は、寺院を維持するために、お墓で信徒を束縛した。先祖のお骨が人質である。寺院は、葬式、年忌法要、塔婆供養、盆とお彼岸の墓参り等を信徒に徹底した。法要の度に高額な布施を手にした僧侶は裕福になった。一方、度重なる僧侶へのお布施、寺院の修復・増築のための分担金等の経済的負担に、信徒は苦しんだ。

 

今も残る僧侶批判の諺には民衆の強い不満が込められている。「坊主丸もうけ」、「憎い坊主の布施好み」、「布施の分だけ経を読む」、「経も読まずに布施を取る」、「地獄の沙汰も金次第」、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」等である。今日でも壇信徒は僧侶に搾取される対象でしかない。「葬式仏教」、「葬式坊主」である。

 

■今日の葬式仏教の実態は、仏陀の名を借りた搾取でしかない。

 

1.     価値のある

有名な墓石/著名な墓石/

長寿/病気/事故/安くなる

証明書の仕方//

先方の理解  購入者/転売はだめ//20年間所持−30年/罰則//民法//

墓石リサイクル         

購入者の価値

 

お墓のリサイクル 奈良

 

 

墓石リサイクル

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