宮崎レース報告


hide(Redwing)
 本日(7月9日)早朝無事帰港しました、レース結果はMクラス3隻とも 残念ながらDNF。Redwingは後3分有ればフィニッシュOK、はる風の後半の追い上げに吃驚でした。3隻目は名古屋のボヘミアンでした1週間掛けて来たそうです、因みにRedwingはちょうど12時間の航程でした。総数79隻の壮観なレースでしたが、あいにくの風でBクラス(約60隻)のゼネリコは圧巻でしたが抗議も相当数出ていたようです、コースも短縮されましたがフィニシュラインからマリーナに帰着するのに1時間ほど掛かるので表彰式も大分後れたようです。何処もそうですが運営サイドは大変なようでした前夜祭も恐らく400名はオーバーしていたでしょう、席札付の椅子席パーティの予定が当日になって立食パーティのすし詰めでしたので、主催者の弁ではこれが最後だそうです、皆さん御苦労様でした。

 追記 はる風は、予定どおり南下しました夏祭りまでには帰ってくるそうです。 
 

あーらよっと@撃沈組
  アーラヨットの古谷です。
  宮崎には7日午後11時出発で無事行って参りました。参りました。9時ごろ全員集まり飲んでいたらもう出発しよう、3時まで待てない、酔った勢いで出発。10m位の北の風なので2Pのメインで機帆走で出発、風が良いのでセーリング小雨の中凄い雷でレーダーリフレクターが帯電したのかセントエルモの火のように光だしました、ちょっと久しぶりの夜間航行で緊張しました。すぐにオートヘルムの不調になりこの先オートヘルム無しで20時間はキツイなーと思ったのですがもう遅い。水の小灯台の東を暗いうちに抜けいよいよ太平洋の荒波と思ったのです。波長の長いうねりに全員大感激でも九州沿岸に打ち上げる白波はとても近付けません、早々に沖だししました。
   蒲江の沖あたりで「いるか」の大群に遭遇、船から2m迄近付いてくれて10分位伴走してくれました。土々呂港の入り口に11時到着直ちに春風の毛利会長に電話、「もう宮崎に到着している。細島港に着けるよう指示があり細島へ、港の入り口の奇岩の続く磯を北へ回り入港、停泊場所を探しながらうろうろ、ここなら良いとの指示で付けた所が門川漁港でした。
   1時を過ぎていたのでそのまま昼食と宴会で盛り上がりました。隣はなにやら聞いたことの有るボヘミアン3です。
 オーナーはなにかゴルゴ13みたいな厳しい方だと皆が言うもので挨拶はしませんでした。夕方、探検部隊を2チーム派遣、藤本、花田組は漁港で小海老(漁師さんの夕食分らしい)を無料でゲット。私は一人船の番をしていると御婦人が2名やって来られその一人が「私を連れてって」返事に困っているともう一人が「もー若くないからダメダメ」。内心、家には要介護の母が二人もいるのにこれ以上面倒見れるかー。そう言えば昔、九州の田舎からご婦人を連れてきた人もいたなーと思い出したわけです。その後、白石隊が帰ってこられもっと怖い話をされました。「私と一緒に死んでー。」と言われたそうです。アーラヨットは女難の相がありそうで、今夜は誰が誘いにきても決してキャビンには入れないと決めたのです。
  夜は、小海老で一杯やっていたのですが食べきれないので隣のボヘミアン3へ差し入れしました。後ほどクルーの方がスイカとボヘミアンの世界周航記を持って見えられ恐縮しました。明日は5時出航と聞きわれわれも一緒行きますといってっ分かれたのですがやっぱり6時30分出航でした。
  宮崎港マリーナはすばらしい一言です。パーティの様子は新聞報道の通りですが、一部不心得者がホテルの接待担当者に、ネイチャンとか名前教えてとか言っていました。そこへは九州男児の某館長、好みが一緒やなーと乱入。
清水婦人は痛い肩を庇いながらちゃんと館さんと写真撮ったよー。ニコニコ顔です。今日の旦那は苦みばしった良い男なんですが・・・・。花田さんが「藤本君名前はちゃんと下のほうも聴かんとあかんでー。」適切なアドバイスをされているのを聞きながらバスで船に帰りました。
  レースの結果は見てこなかったので知りません(うそDSQですDSQて何)Bクラスは59艇らしいです、全体では80艇くらいでしょうか。1時頃レースを終え清水夫妻をマリーナの残し2時宮崎マリーナを出航、西山館長に蒲江行こうと誘われていたのですが昨日見たあの荒波を思い出し、夜間の入港は危険と一路八幡浜を目指しました。
  朝5時日振り島に到着休憩の後八幡浜に帰りました。帰路の120マイルの航海は良い経験と成りました、皆さん本当に有難うございました。

宇和海ローカルヨットレース