地方生き残りのポイントは地産地消(平成29年11月19日)

都会のミニセットとなった田舎

 建白帖の 参百弐    地方の衰退(2007/6/3)で、東北の県庁所在都市の寂れ具合を書きました。次いで、シャッター通りに代表される衰退がどのような理由でもたらされたを考察しています。

 理由はいろいろあるにせよ、一番に挙げるべきは田中角栄氏の「日本列島改造論」に始まる公共事業主導の全国画一化事業です。30数年間に渡り、交付金を通じて進められた事業であり、これによって国民は飼い慣らされ、地方の人間は思考することを放擲し、取り返しのつかない事態にまで至ってしまいました。
 今の地方の形というのは、都会のスタイルをそのままミニセットとして再現したものです。全国画一化によって、地方それぞれが備えていた魅力が削がれ、地方それぞれが誇っていた独自性が喪失したものと考えています。

 つぎに致命的だったのは、「大店法」の改正です。当時、大店法が地方の商店街を完全消滅にまで追い込むなんて、一部の識者を除いて誰も気づきませんでした。私も無邪気に郊外型大型店舗を待ち望んでいました。不明を恥じるばかりです。
 スーパーの営業原則の改正によるコンビニの乱立と大型ショッピングモール建設の流れは圧倒的なもので、圧し止める力はどこにもありませんでした。郊外の大型店舗建設に歩調を合わせ、商店街のシャッターが降ろされてゆきました。

 かつての商店街には、全国それぞれの街の顔と匂いがありました。そして、地域の中心広場の役割も担っていて、そこに住む人たちの憩いの空間になっていました。また、地域の外周に住む人間にとっての楽しみでもありました。晴れがましい買い物空間であり、雑踏に身を置く高揚を与えてくれる舞台装置ともなっていました。
 そのような地域内での循環によって、地域経済が成立していたわけですが、大店法以後、その循環が消失しました。

 下図は、香川県第二の都市である丸亀市の市街地のメインストリートです。
 大型スーパーが郊外のバイパス沿いに展開するのに比例して寂れました。



 下図は、40年前まで第三の都市に位置していた坂出市市街のメインストリートです。
 私自身、高校時代まで青春の舞台にした商店街です。当時から開発の遅れを指摘され続け、JRや行政が本格的に見直しを始めたときはすでに時遅しでした。地元商業高校が商店街活性化を演習授業のテーマに採り上げるなどの取り組みも行われました。



 大型ショッピングセンター、大手スーパーなど、東京あるいは中核都市に本社があるような大資本が参入してくると、地場の商店街は必然的に閉鎖に追い込まれます。コンビニもまた大手資本によるフランチャイズなので、収益は東京本社に吸い上げられます。
 娯楽関係の施設もまた、東京あるいは中核都市に本社があるような大手資本によって浸食が進みました。パチンコ店、レンタルビデオ店だけでなく、本屋さえもが大手による系列化となっています。
 また、居酒屋やファミレスなどの飲食店までもが全国チェーンの大手に置き換わっています。それ以外にも、玩具屋、中古販売、衣料品販売、家電販売、薬局、学習塾などあらゆるジャンルで大手資本が全国展開を実現していて、全国各地の個人営業者を駆逐しました。

 上述した店舗群は、幹線道路沿いに広い駐車場を備えて存在しています。このような郊外型店舗の発展に反比例して、中心街が寂れたものです。
 郊外型ということは、自動車必須の社会ということになります。元々、地方は公共交通機関が貧弱だったので、都会より車の必要性が高かったものです。それが郊外型店舗が増えたことにより、車の必要性がより高まりました。車移動の比率が高まると、商店街への車乗り入れにブレーキがかかり、商店街利用がより不利になる悪循環をもたらします。

 このような消費者行動が地域経済を縮小させています。その縮小分は、東京や中核都市に存在する本社に吸い上げられているわけです。まるで、植民地みたいです。

 行政を始めとした各地域は、大型ショッピングセンターを誘致し、雇用創出や税収確保を期待しています。概ね一時的には効果が期待できます。郊外に立地する大型店舗の集客力を期待し、周辺への出店も増えます。
 しかしながら、遠からず飽きられ、客足も遠のきます。そのときにあってはすでに中心市街は廃墟と化し、典型的な空洞化が成立しています。かつての市街地住民のうち、若年者の多くは郊外へ移動し、子供の声が聞こえない空間ができあがります。このようなプロセスを経て街並みが消える様相が日本全国の地方で起こっている事態です。

交通アクセスと地域の衰退
 昭和40年代から、国土開発の柱として全国一律のインフラ整備が推進されました。もちろん全国一律などというのは不合理であり、同時に不経済でもあります。しかし、時の寵児−田中角栄首相の『日本列島改造論』がバイブルともなり、また各地域選出議員先生の飽くなき要望により全国一律開発が推進されました。

 明治以来、鉄道路線は全国を網羅しました。富国強兵を実現するために必須ともいえるインフラでした。それが昭和40年代からトラック輸送が主となり、そのための道路整備が進捗しました。
 ・幹線道路拡幅
 ・高速道路整備
 ・日本国土4州を橋と海底トンネルで連結
 ・車社会到来を受け、バイパス整備
 道路網整備は必然的に公共交通機関の廃線、廃業、縮小を招きます。特に新幹線整備は地方JRの赤字拡大に繋がり、赤字解消の合理化策として生活路線廃止へと進みます。電車廃線は地方衰退への近道でさえあります。現今の地方衰退を目前にして、なお新幹線誘致に邁進する関係者は、目先の自身の利益しか考えていないのでしょう。

 交通アクセスの発展は、高速移動を可能にし、距離を縮小する役割を果たしました。これによって大きく分けて二つの変化が生じました。
 ○人の流動性の高まり
   移動距離が延び、距離空間が縮まる。
   生まれ育った土地からの移動が普通のこととなり、匿名性に隠れることを意味する。
   犯罪への歯止め機能を喪失している。
   郊外の新興住宅住人は、生まれ育った地域がバラバラの人士が集まったものである。
   そのため、地域の共同性が生まれにくく、濃密なコミュニティが生成されない。
   郊外住宅地では住民の年齢、所得、家族構成が似通うため、子供の気質にさえ問題が生じている。
   これは重要な点なので特記する。
  • 均質な住民同士だと、小さな差異が大きな違いと感じられるため、住民間の軋轢が激しくなる。親の大半がサラリーマンなので、子供の学業への競争も激しくなる。
  • 職住分離により、大人が働く姿を子供が目にすることがなく、子供中心の生活になりがちである。
  • 移動に車が必須であるから、親に依存した生活となり、子供だけで遊ぶ機会が少なくなり、子供の社会性涵養が阻害される。
  • コミュニティ崩壊による子供の社会性喪失の問題は、40年も前から指摘されてきたことであるが、郊外化は実に顕著な変化をもたらしている。
 ○高速移動
   貨物が速く届けられ、地域拠点が不要となり、中央からの一括配送が一般的となった。
   野菜や魚などの食品でさえ、鮮度の高いものを全国配送が可能となった。
   トラック運送の宅配便が主流となり、平成28年度の宅配便取扱個数は40億1,861万個であった。
   郊外型の店舗やコンビニが成立しているのもまた、商品の仕入れや補充がスムースに行えるため。
   車による利便性が“車がなければ暮らせない”社会をつくり出した。

 「警察白書」が危険地域として、「県庁所在地(警察本部所在地)から遠隔地にあり、県境の入り組んだ都道府県境付近の地域のうち、社会的、経済的一体感が強く、ひとつのまとまりを持った単位を形成する区域」を指摘している。これがまさに郊外型として発展している地域なのです。
 もはや田舎は安全でなく、むしろ流動性が高まった中で入り込んでくる顔も知らない人間による犯罪が多発しています。しかも、車による遠距離移動を内包しているため、事件の全貌を把握し難くなっています。警察も手を拱いているだけでなく、対策として各所のカメラやNシステムを活用しているのは言うまでもありません。

高齢者を除く転入超過 「持続可能な地域社会総合研究所」の分析
 過疎指定797市町村のうち93市町村で、2010年からの5年間で転入者が転出者を上回った(社会増)としています。2010年国勢調査の0〜64歳と、2015年国勢調査の5〜69歳人口を比較したものです。
 社会増は四国や九州方面で多く、理由として次のことが考えられます。
 ・過疎化が早くから進行していたため、取り組みも先行した
 ・自治体の移住促進策
 ・全国的に取り組まれているUJIターン
 ・豊かな自然と静かな生活環境を求める動き
 ・特に、子育て環境として重視する30代女性が目立つ
  30代女性の増加率が目ざましい自治体トップは次の通りで、離島と山間部が大半
    鹿児島県十島村:129.4%
    島根県海士町:47.4%
    高知県三原町:24.4%

社会増加率の上位10市町村(過疎指定市町村)
順位 市町村名 増加率
鹿児島県十島村 27.7
新潟県粟島浦村 17.2
沖縄県与那国町 17.2
沖縄県名喜村 11.1
島根県海士町 9.4
島根県知夫村 8.3
高知県大川村 7.1
島根県西ノ島町 6.5
広島県大崎町 6.2
10 沖縄県座間味村 5.7

 1位の十島村は手厚い就農支援で移住者を集めました。
 村議会存廃で揺れる高知県大川村を除く9自治体は離島です。沖縄の離島は、移住促進策と関係なしに若者を惹きつけています。

島根県海士(あま)町
 増加率5位の海士町は、高齢化と人口減少に直面する中、次のような町づくりに挑んでいます。
≪問題点≫
 豊かな海に囲まれ、かつて約7千人が暮らしていましたが、不便で仕事も少ない離島に若者は居着かず、2000年までの半世紀で人口は約4割に激減しました。また、国の三位一体改革で、地方交付税や国の補助金が削られ、町の雇用を支えた公共事業も大幅に減少しました。極端な少子高齢化と、膨大な借金によって、財政再建団体へ転落するというのが大方の見方でした。

≪現状≫
 ・Iターンの定着率:48%(2004〜2016年度のIターンの総人数と定着人数から海士町が算出)
 ・隠岐島前高校の入学者数:2.4倍(2008年度に対する2017年度の入学者数)
 ・コンビニのチェーン店数:0店
 ・町のキャッチコピー:ないものはない

≪具体的対策≫
1 役場職員給与3割カット
 町が最初に手をつけたのは、大胆な行財政改革です。町長や副町長らが報酬削減を決めたところ、一般職員も自分たちの給料カットを求めました。2005年度には、職員給与が日本一低い自治体となりました。
2 産業への注力
(1)「ブランド化」「魅力化」の推進‥‥魚介類を抜群の鮮度で提供
  市場のない離島というハンディを克服し、漁業者の収入安定と後継者育成を図る
  2005年、長期間鮮度が保持できる凍結技術を導入した加工施設「CAS凍結センター」を整備した
  産物の剣先イカや岩ガキなどを扱う。
  運営主体は第3セクター
  17年3月期の売上高は約2億1千万円
(2)島内で和牛肥育
  「島生まれ、島育ち、隠岐牛」
  公共事業に代わる産業として、町の建設会社が作った新たな和牛ブランド
  神戸牛や松阪牛などの産地へ子牛を売る畜産スタイルから、隠岐牛を島内で完全肥育
  海のミネラル豊富な牧草で育った肉は、市場で最高クラスの評価を受ける
  町は島全域を潮風農業特区とし、事業を後押し
(3)島の岩ガキが首都圏で評判
  隠岐に自生していた岩ガキの魅力にIターン、Uターンの男性2人が目をつけ、養殖を開始
  「春香」ブランドで東京・築地市場や首都圏の飲食店を中心に販売
  町も加工施設の建設などを積極的に支援し、17年度は1億3千万円の売り上げを目指す
  5人のIターンを含む7人が養殖に取り組み、新たな雇用を生んでいる
3 教育への注力
(1)島の高校に県外から生徒
  隠岐島前高校は、海士町と西ノ島町、知夫村からなる島前(どうぜん)地域で唯一の県立高校
  一時は統廃合も俎上に上がったが、2008年頃から3町村が高校と連携して「魅力化プロジェクト」を開始
  個別指導や、キャリア教育に注力し、生徒の力を伸ばすシステムを構築
  海士町の公立塾「隠岐国学習センター」とも連携
  県外の生徒も含む入学者が増加

山内道雄町長
 ・これらは挑戦事例であって、成功事例ではない
 ・ないものはない。ならば、あるものを磨くしかない
 ・経済とひとづくりは両輪
  町に高校がなくなれば、島外に進学する子どもの学費を賄うため親も出て行ってしまう
  人が集まり根づく町にするため、IターンやUターン者の知恵や経験を受け入れた
  町財政は回復基調に転換
  人口の減少も歯止めがかかった。保育所には定員を超える入所希望が寄せられた
  2003年の国立社会保障・人口問題研究所予測を覆した:2,672人(2000年)→2,007人(2015年)減少予測

地産地消という地域の独自性を手放さないこと
 地域コミュニティ崩壊の原因はたくさんあります。人口減という絶対的な課題以外にも、上に書いたようにいろいろな問題があります。高速道路や新幹線開通による時間(距離)圧縮、バイパスによる人の流れの変化、大型スーパーに代表される外部資本による消費収益の収奪、公共施設の郊外分散などが考えられます。

 そんな中、転入超過を果たしているのは、離島であったり、山間部であったりします。そこで行われている取組みと、それら地域の特色こそが未来に希望を繋ぐ解答ではないでしょうか。

 地域再生の決め手になるのは、一般的な認識である立派な施設整備を進めることではありません。また、イベント主導の地域振興もまた違っています。金を投入する手法は、金が切れればそこまでです。イベント主導もまたイベントが終われば終息するだけです。

 そこで生活する人間が、将来を託すだけの明確なビジョンが必要です。“移住”を“安住”に置き換えるだけの説得力のある見通しのことです。
 例えば、北海道で最も30代女性増加率の高い下川町では、「脱石油」を掲げ、森林経営での生き残りを進めています。
 女性が地方に赴くのは、子育てを目的とすることが多く、鳥取県智頭町から始まった「森のようちえん」は、鳥取のみならず、島根県にも広がっています。自然の中で過ごす体験を重視し、野外環境に身を置くことで心身の成長を育むことを目指すものです。
 島根県邑南町では、「日本一の子育て村」構想を進めています。中学卒業まで医療費無料、第二子からの保育無料化を実現していて、都会から邑南町に移住した家族がすでにいます。なお、邑南町の要介護(要支援)認定率は全国平均に比べて極めて低くなっています。

 現在、世帯支出のごく一部だけが地域内に還元されるという消費実態が重大な問題です。地域外調達で消費していては、地域定住を維持するのは不可能です。「地域内でお金を循環させる」ことを命題に掲げ、小さなことからでも、地元産品を費消し、内部で循環するシステムが必須です。

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