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参百弐拾  舛添大臣といい、猪瀬副知事といい(2007/10/6)
参百拾九  MSさん、整理して(2007/9/30)
参百拾八  スティーブン・キング 8つの悪夢(2007/9/23)
参百拾七  引き際(2007/9/15)
参百拾六  西村寿行賛歌(2007/9/9)
参百拾五  西村寿行氏逝去(2007/9/1)
参百拾四  相撲界が何を言っても(2007/8/25)
参百拾参  「ラストサムライ」って面白いのか(2007/8/18)
参百拾弐  原爆投下「しょうがない」なんて(お盆特別会)(2007/8/11)
参百拾壱  色彩の暴力だって(2007/8/5)
参百拾   ヘリ空母に注目(2007/7/29)
参百九   時をかける少女(2007/7/22)
参百八   水の大切さ(2007/7/15)
参百七   ヒトラーの生涯(2007/7/8)
参百六   イージー・ライダー(2007/7/1)
参百五   理科教育の敗北(2007/6/23)
参百四   OUTLAW(2007/6/17)
参百参   ウェルター級新展開(2007/6/10)
参百弐   地方の衰退(2007/6/3)
参百壱   亀田戦のデタラメ(2007/5/27)




参百弐拾  舛添大臣といい、猪瀬副知事といい(2007/10/6)
 舛添大臣は、国民年金保険料を着服して懲戒免職処分を受けた市町村の元職員に対して、社保庁が代わって刑事告発を行うよう指示したそうです。

 さすがにこれは無理があるんじゃないかなあ。横領分を返還し、懲戒免職処分を受けているわけだし。市町村によっては、議会での答弁を経て承認されているのですからね。そのうえで告発するとなると、地方無視の暴挙でしょう。もう少し、役人たちの判断を参考にするべきです。あるいは厚生労働省の役人たちのアドバイスを無視してるのかなあ。


 東京都の猪瀬副知事もやってくれました。

 格差是正に関する持論を共産党から都議会で批判され
 猪瀬副知事
 「共産党はぼくの発言の一部を切り取って曲解しているようだが、批判は全く的はずれだ」
 村松みえ子都議(共産党)
 「猪瀬副知事はわが党の質問にまともに答えていない。本当に不誠実。公正、誠実に任務を遂行すべき副知事としての資質が改めて問われている」
 猪瀬副知事は共産党の控室に乗り込み、「倍返しにするから」

 あまりまともじゃないです。「朝まで生テレビ」の感覚で行政の実務を遂行するのはいかがなものかと思います。共産党とは、貧困率の件や副知事室のトイレ設置問題で揉めた経緯があるので感情的になったのでしょうが。それにしてもお粗末です。あるいは逆に、まともじゃないから、期待できるのかもしれませんけど。

 舛添大臣といい、猪瀬副知事といい、やたらと自我が肥大化した方々というか、この厚顔なればこそ、今の地位を獲得したというべきなのでしょう。


 金正日総書記と盧武鉉大統領の会談は、絵に描いたような外交交渉でした。いえ、誉めるべき内容だというのでなく、あり得ないような内容だからです。盧武鉉氏の脳内設定値の愚かさと、金正日総書記の厚顔さが織り成す、まるで絵空事のような結果には笑わされました。

 韓国側が得たものはなく、北は経済援助をたらふく獲得したというものです。盧武鉉氏の提案したDMZ(非武装地帯)の撤廃は相手にされませんでした。当然でしょう。DMZに関しては、北が交渉するのはアメリカです。そもそも提案前に、担当者段階で下交渉すべき案件です。いきなり提案しても、相手にされるはずもないじゃん。盧武鉉氏の政治手法は今さらながらですが、素人さんのそれです。韓国国民のフラストレーションが溜まるのも頷けます。


 民主党の小沢党首も頑張っています。洋上給油を非難し、アフガン派兵を推進しようとしています。これは筋の通った政策なのですが、民主党としてはまずいんじゃないかなあ。自衛隊のサマワ派遣と比べると、自民党との間で捩れ現象が起きています。どっちもどっちですけど。
 ただ、私は石破防衛大臣が嫌いです。底の浅いミリタリーマニアの癖に、他人を小馬鹿にしたような語り口は、聞いていると不愉快になってきます。そしてなにより、前回の長官時代にサワマ視察をばっくれた件を忘れられません。あんた、自衛隊員の信頼を裏切ったくせに、偉そうにするなといいたい。
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参百拾九  MSさん、整理して(2007/9/30)
 先週、7年前に買ったパソコンをWindows Vistaに入れ替えました。やはりというか、覚悟はしていたものの遅い。なにをするにもワンクッションおいて、もっさりした動作です。せっかちな私には耐え切れません。そこで昨日のこと、再びWin2000に戻しました。ところが、なにやら上手くいかず、4度のインストール作業を強いられました。結局、朝方から夜まで一日仕事とあいなりました。

 なにぶん7年前のOSですから、その間のアップデートファイルが多く、その整合性に問題があるようです。
 私としては、SP4→SP4以降のロールアップ→その後のセキュリティパッチといきたいところです。また、IEについても、標準の5.01→6.0→SP1→その後のセキュリティパッチとしたいのです。というか、この手順でないと具合が悪いはずです。ところが、該当ファイルが見つからないのです。例えば、IE6.0のファイルはサイトのどこにあるのでしょうか。私は見つけられませんでした。仕方なく、手持ちの雑誌付録の5.5で我慢しています。
 あるいは、SP4は簡単に見つかるものの、なぜかインストールできないのです。そこで、自動アップデート(カスタム)のお世話になりました。で、こいつが曲者なのです。
 

 Windowsが起動できなくなったり、システムファイルのどこかが壊れていて、ノートンのインストールがキャンセルされたりで泣かされました。自動アップデート検索で抽出された該当ファイルをチェックすると、IEは5.5なのに、6.0用のセキュリティパッチが載っていました。これじゃあ、起動できなくなるのも無理ないわな。そこで、アップデートファイルのうち確実なものだけを選んで更新しました。こうやってうまくいったのが、4度目のインストールだったのです。

 もう疲れ果てました。MSのサイトのアップデートファイルの掲示はタコです。ユーザのインストール人気順に並べることに、なんの意味があるのか。システムの整合性に合った履歴順に掲載してくれれば、みんな助かるのにさあ。


 これ以上の再インストールはご免なので、累積的なセキュリティのなんちゃらの相当数は入れていません。多分、パッチを当てても大丈夫かとも思いますが、起動できなくなったら寝込んでしまいそうです。

 ところで、IE6.0はどこにあるのでしょうか。サイト上には存在しないのでしょうか。だとすると、雑誌の付録とかに収録されたディスクを借りなきゃいけません。果たして、知人の誰かが持っているかなあ。

19:30 追加:今しがた、IE5.5のアップデートファイルに、IE6.0のSP1が選択されるものだから、更新をかけたらIE6.0 SP1になりました。知らなかったなあ。あっさり解決しましたわ。
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参百拾八  スティーブン・キング 8つの悪夢(2007/9/23)
 マイクル・コナリーのボッシュ・シリーズ最新作「終決者たち」(講談社文庫)が発売されています。私は読んでる途中ですが、「コナリーに屑なし」の格言どおり名調子です。
 ロス市警を辞めたボッシュは私立探偵となり、前々作「暗く聖なる夜」で新しい展開を見せました。警察小説から探偵小説へと、アメリカンハードボイルドの王道に踏み出したことを喜んでいた私は、今作でがっかりさせられました。なんと、ボッシュさん、ロス市警に再就職だってさ。かつての相棒、キズミン・ライダーと再びのコンビ結成です。なんだかなあ、の展開になっていました。でも内容は相変わらず面白い。今夜は眠るわけにはいかないなあ。


 夏の恒例、WOWOWのスティーブン・キング特集です。もう彼岸を過ぎたので、夏の恒例ってことはありませんが、当地は連日真夏日です。
 今年は1時間のTVシリーズを8話放映してくれます。いずれも短編をもとに、再構成しています。

 「ブルックリンの八月」より「第五の男」「アムニー最後の事件」
 「いかしたバンドのいる町で」より「いかしたバンドのいる町で」
 「ドランのキャデラック」より「争いが終わるとき」
 「メイプル・ストリートの家」より「クラウチ・エンド」
 「第四解剖室」より「解剖室4」
 「幸福の25セント硬貨」より「ロード・ウィルスは北に向かう」
 「バトルグラウンド」はどの短編集に収録されているのか、分かりません。
 ※2009/9/26追加:「バトルグラウンド」は、「深夜勤務」の「戦場」でした。

 昨日と一昨日で、すでに6話が放映されました。よくできています。ただ、私のように原作を読んでいる人間には不満も残ります。「アムニー最後の事件」なんか、実にいい味なのですが、TV版はいじりすぎて味が薄まっています。逆に感心したのは、「争いが終わるとき」です。普通、これの映像化はためらうところでしょう。よくチャレンジしたものです。

 WOWOWと契約している方々は、おそらく堪能されたことでしょうね。その他の方も、DVDで発売されているそうなので、ぜひご一見を。


 最近は今春購入したVistaマシンばかり使っていました。もう、めったにAthlonマシンに火を入れることもないのですが、CD-Rを焼くときだけは、登板しています。新しいやつは、DVDマルチで、CDは読むだけなのです。
 昨日のこと、CD-Rが上手く焼けなかったので調べてみると、どうにもWin2000が不調の模様です。そこで、再インストールを行ったものの、ServicePackがインストールできないのです。何度もクリーン・インストールから始めて、試みたもののどうにもなりません。しかも、やたら時間がかかり、二日がかりの作業となりました。
 結局諦めてVistaをインストールしました。メモリ512MBでは心もとないのですが、そこは得意のケチケチ作戦でこなしました。不要なサービスを片端から止め、Windowsのプログラムでも用のないものは無効にしたり、削除したり。あげくにセキュリティのいくつかを無効にしてメモリをかせぎました。
 極めつけは、視覚効果を昔ながらWin98のクラシック・スタイルに戻したことです。おかげで必要メモリは280MBに収まっています。そのかわり、まったく味気ないインターフェイスです。サブ機ですから、どうでもいいんですけどね。


 Vistaにしたため、サウンド・ドライバが手に入らず、音が出ません。また、Cドライブ以外のHDDへのアクセスが、Admini権限がないとアクセスできません。おかげで使い勝手の悪いこと。常用機なら、解決のためにとことんやるところですが、もうどうでもいいです。

 人間、便利に慣れると贅沢なものです。昔はパソコンを使ううえで、不便を強いられるなんてのは当たり前でした。それがこの程度のことを不便と感じるのですから。我慢我慢。
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参百拾七  引き際(2007/9/15)
 もう、残念。今週のWOWOWのエキサイト・マッチを見逃しました。残業で見られないのはともかく、再放送の録画を忘れてしまったのです。待ちに待った、ラファエル・マルケスvsイスラエル・バスケス(WBC世界S.バンタム級タイトルマッチ)の再戦だけに悔しくて。
 前回の試合は凄かった。ポイントを取られていたバスケスが逆転のダウンを奪い、試合の先が見えなくなっていたところ、鼻を負傷したバスケスのセコンドが棄権を申し入れました。不本意な展開でタイトルを失ったバスケスには期するものがあったでしょう。再戦は前回を上回る激闘が予想され、Webの情報では今年のベストマッチの評価しきりでした。


 安部元首相が突如辞任しました。東京に出張していた私は、帰途の羽田空港ロビーで知りました。このニュースが流れた瞬間、TVの前は黒山の人だかりとなりました。誰にとっても意外だったのでしょうね。

 理由として取り沙汰されているのは、週刊現代の取材になる相続問題だとか、代表質問でのインド洋給油問題を持ちこたえられない点が挙げられています。あるいは健康問題であるとか。体調不良は、前記理由によって追い込まれてのことでしょう。
 安部さんもこんなことになるなら、参院選の敗北の時点で、責任を取って辞めていればよかったと後悔しているでしょう。後悔先に立たずとはよく言ったものです。もはや安部さんの政治生命はお終いでしょうね。イギリスのブレア首相、韓国の盧武鉉大統領も同様の無残さを晒しました。

 無残、いえ老残と呼ぶにふさわしいのが中曽根さんです。もう、ええかげんせい、ってなもんです。あそこまで権力にしがみつくのはグロテスクです。TVに映るときは厚化粧だし、誰か止める人はいないのでしょうかねえ。

 政治家や経営者は、常人と違ったメンタリティを持っていると思われます。なればこそ、あんな気の休まることのない仕事が務まるのでしょう。私のようにサボり癖が染みついた人間には到底馴染めない世界です。
 そんななか、本田宗一郎氏は偉かった。自分の息子をホンダに入れず、二世経営者を生まなかったのですから。あるいは、レーガン元大統領も偉人でしょう。アメリカ大統領は退任後、金儲け話に恵まれます。講演会、著作、会社顧問など、いずれも破格の契約金を提示されます。しかし、レーガン氏は退任後、世間から一切身を引きました。ああいう生き方がなぜできなものなのか。レーガン元大統領は、1994年にアルツハイマー病に罹っていることを手紙で公表し、同病に苦しむ家庭に勇気を与えました。

 政治家や経営者たちは、そのような偉人たちを誉めそやすくせに、決して自身は同じ生き方をしようとはしません。しないのなら、引用するなといいたい。むしろ、権力欲にまみれた先人を挙げて、手本にしているとはっきり言えよな。
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参百拾六  西村寿行賛歌(2007/9/9)
 先週、西村寿行氏の作品に触れることもあって、そのいくつかを手にとって見ました。で、ついつい読んでしまったのです。

 結局、この1週間で「黒猫の眸のほめき」「珍しや蟾蜍、吐息す」「黒い鯱」「鷲の巣」「鷲の啼く北回帰線」「頻闇にいのち惑ひぬ」「雲の城」を読んでしまいました。で、今は宮田雷四郎シリーズの「夢想幻戯」を読んでる途中です。読み始めたら止められまへん。当分は西村ワールドにどっぷり浸かる幸せを堪能します。

 一段落したら、パニックものに手を染めます。「滅びの笛」「滅びの宴」「蒼茫の大地、滅ぶ」の、滅亡3部作は外せませんね。今から楽しみです。

 でも、この1週間は辛かった。残業に次ぐ残業、この土日はサービス出勤でしたし。月曜日に開催予定の某審議会の段取りと内容構成に四苦八苦しています。実は、明日のことなのに、未だに上のOKが出ていません。あ〜頭が痛い。

 こういうときだからこそ、西村ワールドに値打ちがあります。読書中はすべてを忘れさせてくれます。これが他の作家だと、なかなか忘我の境地までは誘ってくれません。西村氏なればこそ、荒唐無稽の極みなればこその効果です。

 西村氏の作品は絶版になっているものが多いそうです。読もうと思っても手に入らない方も多いそうです。私は心配ありません。その大半を所有しているので、いつでも気が向いたら手に取れます。残しておいてよかった〜。
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参百拾五  西村寿行氏逝去(2007/9/1)
  FNN Headline より
 社会派ミステリーなどで知られる小説家・西村寿行さんが8月23日、自宅で亡くなっていたことがわかった。76歳だった。



 数年前に下咽頭癌の治療を受け、以後は殆んど執筆活動を行っていません。鯱シリーズの近作は「幻覚の鯱 天翔の章」(1998年)で中断していました。この小説は、超人集団“鯱グループ”が世界を股に縦横無尽の活躍をする冒険小説です。で、その一員である十樹吾一が過去に跳ばされ、過去で活躍というか、ピンチに陥ったところで“続く”となったままでした。残念なことに、もやは続きを読むことはできません。
 ちょうど、大薮春彦氏の代表作「獣たちの黙示録」が中断したまま遺作となったのと状況は同じです。

 さて、西村寿行氏の仕事を見直しながら、故人を偲んでみたいと思いますが、じっくり取り組みたいので、来週にこの続きを書きます。


 9/1:追加
 西村寿行氏の作品群は膨大です。しかも、ジャンルが多岐にわたり、そのバリエーションの多彩さは、日本一、いえ世界一で、ぬばたま捕物帖(国産)のなかで論じているとおりです。

 マイベストは「魔の牙」です。この作品の凄さは読んでもらうしかありません。私の全読書体験中でも頂点に位置するものです。読んだ方は同意していただけるものと確信しています。また、それ以外のお奨めというか、西村氏の才能を堪能できる作品を紹介します。


 死神シリーズ(中郷・伊能コンビ)
 「鷲の巣」
 「往きてまた還らず」「鷲の啼く北回帰線」「頻闇にいのち惑ひぬ」「鷲の巣」「母なる鷲」「涯の鷲」「鷲」の全7作です。
 「往きてまた還らず」で初登場した、公安特科隊(対テロ部隊)の指揮官と副指揮官である、中郷広秋と伊能紀之のコンビが活躍する文字どおりの冒険小説です。まさに荒唐無稽、ハチャメチャ展開がこたえられません。

 このうち、「鷲の巣」がベストです。向かうところ敵なしのコンビは、趣味で始めた豪華クルーザーでの遊覧バーで怠惰な日々を過ごすうち、大規模な人買い組織を摘発します。さらに世界を震撼させる豪華客船武装ジャックに挑み、さらに中東に本拠を置くテログループのアジトを急襲します。まあ、馬鹿馬鹿しいことこのうえないのですが、痛快無比です。


 鯱シリーズ
 「赤い鯱」「黒い鯱」「白い鯱」「碧い鯱」「緋の鯱」「遺恨の鯱」「幽鬼の鯱」「神聖の鯱」「呪いの鯱」「幻覚の鯱 神軍の章」「幻覚の鯱 天翔の章」の全11作。なお、「幻覚の鯱」は未完となっています。
 思念を自在に操る仙石文蔵をリーダーとする超人集団。情報収集のスペシャリスト天星清八、科学技術の関根十郎、物資調達の専門家十樹吾一の4人組が、高空から海中、シベリアからアマゾン、果ては時空を越えて難問難題を快刀乱麻に切って捨てます。なお、途中からは、全員が思念を遣いこなせるようになります。

 私のお奨めは、中国の超人武闘集団恵兄弟と鯱グループが激突する「黒い鯱」です。恵兄弟もまた、鯱の面々同様の超人集団であり、殺し屋稼業を生業としています。時の首相からボディガードを依頼された鯱は、超絶格闘対決に臨みます。


 変種編
 「地獄」
 登場するのは全員実在の人物です。西村氏をはじめ、文芸各誌担当者が勢揃いしています。彼ら一行がバカンスというか、西村氏を囲む伊豆旅行で河豚の毒に当たって死んでしまいます。で、めでたく全員揃って地獄に落ちます。そこからは、意表をつく地獄絵図が繰り広げられます。まあ、これぞ寿行ワールドといっていいファンタジーです。まぎれもないファンタジーなのですが、ときには目を背けたくなるような毒々しい、いえ禍々しいお話です。なにせ、ラストは釈迦と閻魔大王の対決でっせ。

 「黒猫の眸のほめき」
 「地獄」と同種の本人が活躍する話です。おなじく実在の編集者たちも登場します。ただし、こちらは物語のほぼ全編、西村氏の独り舞台です。西村氏が悪知恵を縦横に巡らせ、山奥の温泉郷支配に立ち上がります。ありえね〜

 「珍しや蟾蜍、吐息す」
 「黒猫の眸のほめき」に登場したお間抜け暴力団員や妖力を持ったオババが再登場します。西村氏は出てきません。ユーモア小説に仕上がっています。


 ここに挙げたのは、変わった小説ばかりです。こういうものを読むと、西村氏の作り話の才能に感服せざるを得ません。こんな面白い小説をたくさん残してくれたことは、社会に対する貢献と見なしてもよいでしょう。ただ、新作が読めないのは本当に悲しいことです。合掌。

 ちなみに作中の登場人物は、のきなみ讃岐弁で喋ります。国際謀略小説であろうがおかまいなしです。中郷広秋なんか、どうみても讃岐出身ではないはずなんだけどなあ。讃岐弁を日本中に広めた最大貢献者でしょう。
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参百拾四  相撲界が何を言っても(2007/8/25)
 朝青龍が崖っぷちに立たされています。この件については、どっちもどっちでしょう。まず、仮病かどうかは一切関係ありません。協会の正式発表においても、仮病云々は為されていません。そりゃあそうだわな。関取が場所で黒星が続いたとき、訳の分からない診断で休場してますもんね。今さら仮病も糞もないでしょう。

 怪我云々ではなく、地方巡業をサボって勝手なことをしたのが問題なのでしょう。相撲は本場所だけでなく、地方巡業も大切です。あくまで興行で成り立っていて、興行の目玉たる横綱がサボったのでは、興行主たちの突き上げに抗えないでしょうね。

 相撲協会も、今回の件であまり正論を吐かないでほしいな。これまでも興行の論理で動いてきたのだから、正直に興行の論理で処罰すればいいのです。その方がいっそすっきりします。横綱の品格などと責めるのは、およそ相撲界の実態に似合わないですよ。
 八百長だって珍しくもないし、脱税なんか堂々とやってるし、一般入場券の販売の不透明さといい、まっとうな世界じゃありません。
 タニマチからの祝儀に対して、部屋は領収書を発行しているのでしょうか。そんな話は聞いたことがありません。国税庁はときどき、見せしめとして芸能人を脱税で摘発しています。あれは弱い者虐めでしょう。やるなら相撲界をターゲットにすればいいのに。こういう明白な不正が堂々とまかり通っている世界が、品格を口にしても説得力がありませんわな。

 私は相撲をあまり見ませんけど、千代の富士の八百長はさすがに目に余りましたね。千代の富士の八百長が分かりやすかったのは、優勝を譲る場所の取り組みです。優勝場所の強さはとてつもないのに、負け場所の弱いこと。どうせ負けるならと、一切の無理や粘りを放棄していました。大きな声では言えませんが、大阪場所がそうでしたね。同じ部屋の北勝海に優勝を譲るのが大阪場所でした。この件はさんざん週刊ポストに書かれたというのに、一向に改めませんでした。いえ、千代の富士のような横綱ばかりではありません。貴乃花や大乃國のように、八百長と無縁の横綱もいました。
 まあ、別に八百長はいいんですけどね。私は、相撲はプロレスに近いものだと心得ていますから。肝心なことは、いかにうまく騙すかです。八百長であっても、感動を与えてくれれば文句はありません。


 相撲界のあざとさは、あまりに見え透いています。気づいていないのは関係者ばかりでしょう。最初に言ったように、興行の論理で動いているのなら、正直に言えばいいのです。
 「朝青龍の役目はもう終わった。これ以上手前勝手は許容しない。協会のルールに従わないなら廃業を命ずる」ってね。
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参百拾参  「ラストサムライ」って面白いのか(2007/8/18)
 今夜も「ラストサムライ」が放映されています。今までにもWOWOWで何度か放映されています。でも、まともに観たことがありません。今夜も流しっぱなしで、チョイ見なので内容を把握していません。なんでか面白くないのです。

 アッ、今ナレーションが1877年と言いました。へっ、じゃあ維新後の話だったのか。てっきり戊辰戦争を背景にしての物語だと勝手に勘違いしていました。するってえと、明治政府の方針に反対しているどこかの地方が舞台なんですね。

 アッ、忍装束の暗殺部隊がやってきました。維新政府が忍者部隊を使っているんですか、へえそうなんですか。いやさ、忍装束は立川文庫の世界だろうし、カスター将軍を批判するリアルな設定にそぐわないんだなあ。

 勝元たちの生活基盤はなんなのさ。扶持にあぶれた元武士の趣がありません。かといって新政府に服さず、従来どおりの武家社会を営んでいるのか。いえ、それはあり得ません。鹿児島にさえ、新行政官が赴任していたくらいですから。

 大村ってのが登場してきました。ひょっとして大村益次郎を擬しているのかな。武士に不利な建議を提出したとか言ってるから、大村益次郎の一般徴兵案のことでしょう。しかし、大村益次郎は早くに暗殺死しているから、他人でしょうね。

 最初から見ていないので、もう訳が分かりません。佐賀や薩摩なんかの元雄藩で、江藤新平や西郷隆盛ら元参議が反乱を起こすとなると天下の一大事でしょうが、小さな地方の反乱に天皇まで気を使うかなあ。勝元って何者なの、一体誰を模しているの。

 アッ、今度は大村大臣だって。大臣が誕生したのは内閣設置後のことでしょう。それまでは、三条実美や岩倉具視がやってた左右大臣で、普通の有力者は参議でしょう。

 アッ、今度は警官がライフル銃を撃ってきました。警官と兵士を混同してないか。なんで警官が小銃を持ってんだあ。
 そのうえ、弓矢に負けてやんの。この時期の小銃は、もう間違いなく元込めのライフルのはずです。ライフリングによる射程の延伸性は、弓矢の遠く及ぶものではないでしょう。もう滅茶苦茶。

 アッ、ごめん。警官じゃなくて兵士だったみたい。討伐隊の制服と同じでした。紛らわしいんだよ。兵士には白い帯をさせなくちゃ、当時の雰囲気が出ません。ついでにさあ、遠征兵士には無精髭が必須です。さっぱりした兵士じゃ嘘っぽいよ。

 話の状況から察するに、この勝元という元領主は戊辰戦争で功績があったのでしょう。でなきゃ、政府の要人や天皇に拝謁できません。で、戊辰戦争で功績を挙げるには、洋式兵装が必要です。映画の刀槍装備じゃ勝てません。
 なんか話が見えません。そもそも戊辰戦争の戦闘を藩単位で語るのは間違っています。諸隊と呼ばれる戦闘集団を構成単位とすべきです。佐賀、薩摩、長岡、旧幕府のみは、組織だった洋式軍備と調練を行っていますが、その他の洋式諸隊はすべて個別集団です。戦国時代並みの旧式装備で闘った諸隊も存在します。でも、それら旧式諸隊は戊辰戦争ではまったく役立たずでした。そう考えると、勝元たちのポジションが理解できません。


 この時期、元武士たちの反乱が多発しましたが、いずれも食えなくなった鬱積によるものです。そのような切実な理由もなしに反乱を起こした勝元は、なんの義もない国家反逆者です。同情もできません。というか、反乱の理由がないのだから感情移入のしようがないのです。きっと、領民たちもしらけた眼で見てたんじゃない。
 なんかよく分かりません。結局、今回もまともに観賞しませんでした。きっとこの映画に縁がないのでしょう。
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参百拾弐  原爆投下「しょうがない」なんて(お盆特別会)(2007/8/11)
 久間発言は、いかなる文脈でも正しくないと思います。原爆投下が日本の降伏を早め、本土決戦を回避する役割を果たしたという考えは、歴史の事実に照らして正しくありません。陸軍さえ降伏に傾かせた主原因は、ソ連参戦でしょう。日ソ中立条約を結び、和睦工作の頼りとしていたソ連に攻め込まれたのは致命的でした。仮に原爆投下がなくても、八方塞りの状況認識は変わるところがなかったと思います。

 ユダヤ人がアウシュビッツを仕方なかったと言うでしょうか、或いは中国人が、日本軍に市民を虐殺されたのをしょうがないと諦観するだろうか。同じように、我々も原爆投下を忘れてはいけません。また、東京大空襲に代表される、都市への無差別爆撃を許容してはいけません。

 これらは明確な戦時国際法違反であり、違反した命令者は裁かれなければなりません。ちなみに、ユダヤ人虐殺は戦時国際法とは関係ない、単なる大量殺人であり、刑事で裁かれる事案ですね。同じナチスによるジェノサイドでも、ポーランド人やアルメニア人、ロシア人に対する捕虜虐殺は、戦時捕虜の扱いに関する問題になりますから、厳密には区別すべきです。
 このような犯罪を、しようがないと語る人物が国会議員だというのですから悲しくなります。都市への無差別爆撃で、一晩で数万人の市民を殺した事案を仕方ないで済ます神経なら、中国が現在進行形で行っている民族浄化を気にも留めないのも納得です。


 核保有について、核の傘だとか、抑止力だとかの論は嫌いです。国家の意思として、核を使用するケースなんてありゃしませんわな。唯一核を使用し、核の恐怖に怯えるアメリカでさえ、もはや艦船から核を撤去しています。南鮮にさえ核は存在しません。まあ、戦略原潜による核戦略だけは不変ですけど。
 核不拡散、IAEAによる核開発の監視は極めて有意義なものです。日本は核廃絶について、強い発言力を持ち得る国家なのです。それをよりによって、防衛大臣が「原爆投下はしょうがない」とは、日本の価値を貶め、軽蔑を招くだけのことです。

 今後の核の不安材料は国家によるものでなく、むしろ武装集団レベルによる脅威でしょう。そのような敵に対しては、抑止力だとか、核の傘だとか、MDだとかは関係ありません。むしろ軍隊の管理下にある核は安全と言っていいでしょう。国家レベルで核を使用するメリットは存在しませんから。これが、タリバンだとか、狂信的なイスラム原理主義者だと怖いものがあります。PLOくらいの組織になると心配ありません。彼らは反イスラエルの名目で流れ込んでくる支援金の横領や開発資金の賄賂が大切で、その旨味のために生きています。こういう連中は、すべてをぶち壊しにする核の使用なんて絶対ご免でしょう。
 狂信的といわれたカダフィや金正日でさえ、命と美味しい生活の方が重要なのですから。カダフィは、たった一度居所を夜間精密爆撃されただけで、ビビッて鳴りを潜めたチキンです。金正日にしても、アメリカが強く出るとたちまちチキン丸出しになりますから。


 ところで、北京オリンピックまであと1年だそうですね。欧米では、市民レベルでボイコット運動が激しくなってきました。それで不参加を決める国もないでしょうが、真剣に考慮すべき点ではあります。オリンピックは政治から距離を置くべきとの考えには賛成です。ならば、アフリカの市民大虐殺政権を支援したり、民族浄化に邁進する中国が主催する大会は拒否すべきです。政治と距離を置くためには、参加してはいけないのです。なぜなら参加することによって、中国の国策にお墨付きを与える効果が生まれるからです。政治と無縁とするならばこそ、拒否すべきだと思います。
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参百拾壱  色彩の暴力だって(2007/8/5)
 読売新聞によると、難しい話が持ち上がっています。

 「まことちゃん」などの作品で知られる漫画家の楳図(うめず)かずおさん(70)が東京都内に建築中の自宅を巡り、近隣住民2人が建築差し止めを求めた仮処分の申し立てについて、東京地裁は3日、双方当事者の主張を聞く審尋を開いた。

 楳図さん側の代理人は、「建物の色彩やデザインは、近隣住民のいかなる権利も侵害しない」と主張し、申し立ての却下を求めた。


 TVニュースのインタビューでは、「閑静な住宅街の景観を破壊する」とか「これは、色彩の暴力です」とかの主張を聞かされました。たしかに難しい問題です。以前にも書きましたが、これはどちらが正しいとかでなく、両方に正義があると思います。あるいは逆に、両方ともに弁えるべき点があるのではないでしょうか。

 居住地周辺の景観を大切にしたい気持ちはよく理解できます。私自身、近所にこんな家が建ったら不愉快です。ただ、そこで建築差し止め、つまり他人の希望する家にまでいちゃもんをつけるかというと、それは絶対にしません。自宅建物というのは、本人にとって念願の終の棲家であり、ひょっとすると本人の人生の総決算かもしれないのです。

 もちろん、建築という空間デザインは、環境デザインでもあり、本来であれば色彩マップ(調査)を作成し、ある範囲内の色彩コーディネートをすべきです。あるいは差別化を図るのであれば、高度な色彩コンディショニングを計算すべきでしょう。例えば、キャナルシティ博多のように多色を用いながらも日本の伝統色に収めることによって、違和感をなくしています。楳図氏にとって赤と白のストライプ模様は特別な思い入れのある配色なのでしょう。だからといって、環境に配慮しないのは我儘だと思います。

 一方で、「色彩の暴力」との言もまた我儘です。この方にとっては暴力であっても、赤を好む方も存在するでしょうし。色彩嗜好調査で常に上位にくる白にしても、万能ではありません。現に、白に対して恐怖を感じる方も一部に存在します。白を嫌悪する方々にとっては笑いごとですみません。不安感をかき立てられもするのです。結局、好みや嗜好を主張し出せばきりがありません。互いに譲り合うことが肝要でしょう。


 上に書いたことは常識論で、ここからはきわめて個人的な感想です。
 「これは、色彩の暴力です」などと宣っていた主婦は、きっと幸せな人生を歩んできたのでしょう。この程度のことが人生や生活の苦難と位置づけられるなんて、ほんと〜に苦労というものを経験していないのでしょう。この主婦に、一度昔風の田植え作業をやらせてみたいものです。あんたが毎日食べている米は、こんなふうにしてつくられているんだぞと。きっと1時間で逃げ出して、二度と帰ってこないんじゃないかな。あるいは、イラクのテロで子供を亡くして嘆いている母親をなんと考えるのか。そういう経験を積めば、他人の家の色彩なんぞ、どうでもよくなるはずなんだけどなあ。
 譬えが違うって。たしかにそうです。失礼しました。
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参百拾    ヘリ空母に注目(2007/7/29)
 海自のヘリ空母DDH16の建造が順調に進んでいると報じられました。ちなみにDDH18の建造もまた決定しています。

 DDH16は、基準排水量が13,500tだそうです。全長195m、全幅33m、速力30kt以上でこの排水量はありえないと思うのですがねえ。艦対空ミサイルも16セルの垂直発射型を装備、フェーズド・アレイ・レーダーを4面、管制システムも艦隊レベルの指揮運用が可能とのことです。これで13,500tなんてありえねえ。日本の悪い癖です。国民の反軍意識に配慮してか、過少申告に傾いているのでしょう。かつての旧海軍もまた、実力を隠す意味から、速力を過少に発表していました。また、軍縮条約の排水量制限破りを隠すため、排水量を少な目に発表していました。時代が変わっても、日本海軍のやることはせこいことです。

 満載排水量こそ18,000tで納得なのですが、基準排水量は15,000tくらいのものではないか。本音を言えば、満載排水量は2万トンを超してもおかしくないと思います。もし、13,500tが本当なら、装甲を一切使用しておらず、船殻構造も二重になっていないのでしょう。
 こんなんでいいのかなあ。ハープーン一発で作戦続行不能になりそうな予感がします。


 複数機種を運用できる大型ヘリ空母を所有することに文句はありません。災害に対しても洋上から支援でき、陸上の混乱に関係なく運用できるのは大きなメリットでしょう。二隻体制も納得です。でも不愉快なのは、これを2隻以上整備する予定だということです。現在の危機的財政状況をなんだと考えているのでしょう。1兆円にも及ぶMD整備といい、防衛省は浮世離れ路線まっしぐらです。戦前の海軍同様、艦隊整備のために国民生活が圧迫されるの図です。

 航空自衛隊でも壮大な無駄遣いがありました。早期警戒機として、最新鋭のE-3でなく、小型安価なE-2Cを選択しました。で、E-2Cを13機調達して後、これの性能不足を言い募って、E-767(E-3後継)の調達に変更しました。このような無駄遣いを見過ごしてはいけません。我々自身がNOと発言しましょう。

 どこかの国じゃあるまいし、他国に負けない兵器を所有したといって、マスコミ挙げて大喜びするような未熟な日本人ではありません。
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参百九    時をかける少女(2007/7/22)
 昨夜、地上波でアニメ版「時をかける少女」が放映されました。内容はといえば、観てる方が恥ずかしくなるような、青臭いというかベタな話でした。その点は聞き知っていたものの、「時をかける少女」とくると、観ずにおれませんでした。


 筒井康隆氏原作の「時をかける少女」は幾度も映像化されています。そのうちで私が見たのは、NHKの少年ドラマシリーズ「タイムトラベラー(1972年 全6話)」です。
 ちょうど高校一年生だったかなあ。少年ドラマシリーズの記念すべき第一弾だったそうです。もう記憶も定かではありませんが。当時はVTRテープが貴重で、NHKは元テープを保存せずに重ね撮りで使用していたそうです。ですから原版は残っていないとのことです。
 で、この作品にはテレサ野田さんが脇役で出演していまして、これが主役を食う輝きを放っていたのです。テレサ野田さんは「八月の濡れた砂」でデビューした女優です。バタ臭いというか、エキゾチックな風貌なのですが、「時をかける少女」では女子高校生役ということで、セーラー服姿なのです。いやあ、憧れちゃいましたねえ。いっぺんでファンになりました。
 映像化された作品それぞれに熱心なファンがいて、強い思い込みを持っています。例えば、芳山和子役は原田知世でなきゃ駄目だ、とかね。私の場合は脇役への思い込みです。

 昨夜のアニメ版は、オリジナルの20年後の話です。芳山和子の姪が、偶然タイムリープの能力を得るというできすぎた設定です。芳山和子がいつか出会えると待っている人物は、オリジナルに登場した未来人の深町一夫(ケン・ソゴル)のことでしょう。いくらなんでも話をつくりすぎだな。

 ところで、このストーリーはタイムトラベルの定理に反してるというか、矛盾してるんじゃないかな。というか、そもそも時間を遡及するのは物理や数学で厳格に否定されているから矛盾も糞もありませんけど。


 私同様にNHK版を評価する好事家が多いみたいで、懐かしいシーンや番組のテーマ曲が公開されています。私なんか何度も繰り返し聴いてしまいました。
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参百八    水の大切さ(2007/7/15)
 今年もまた、当地は水不足に見舞われました。昭和48年の“高松砂漠”と呼ばれた大渇水を皮切りに、近年は幾度も経験しています。平成6年、平成17年ときて、2年後の今年は、従来にないピッチで早明浦ダムの貯水量が減り続けました。

 平成6年は貯水率0パーセントをさえ切りました。全国の篤志家からは、水の寄付が大量に寄せられ、日本人の人助け意識も捨てたものじゃないと県民は感謝することしきりでした。結局、8月に入って迷走台風が四国を二度も通過して一気に解決しました。

 平成16年の渇水は、雨台風のおかげで水不足から一転、大水害に転換しました。さらには同年中、もう一度雨台風に襲われ、県下全域で例のない被害を出しました。

 で、今年です。6月までの降雨量が記録的に少なく、梅雨に入っても雨量が少なくて、こりゃあ早明浦ダムの底水を使うとこまでいきつくぞと思っていたら、この台風です。当地にとっては恵みの雨でも、九州あたりでは悪夢でしたね。


 何故これほど水不足になるかというと、梅雨どきの降雨量が少ないのと使用量が増えたのが最大の理由でしょう。それともうひとつ、県下の上水道の水源の合理化ゆえではないでしょうか。
 各自治体は経費削減のため、かつてはいくつも確保していた水源を廃止しています。私の住む旧町を例に採れば、かつては河川、溜池、湧水の3つの水源を運用していました。それが早明浦ダムの水利用以来、湧水は廃止されました。この水はとても美味かったのですが、もう味わえません。典型的な軟水で、市販の名水なんか問題にしないくらい美味でした。
 ちなみに私んちの井戸水もまた同様の美味さを誇っています。っても非常時以外は絶対に飲みませんけどね。日本の、というより世界中の水も同じでしょうけど、塩素処理をしていない水は危険です。重金属を除くためには、塩素処理が必須です。山の湧き水をそのまま飲んでいる方は無知なんでしょう。なにせ、山頂の名水からトリクロロエチレンが検出されるのが現実です。たまに飲むのであれば、実害はないでしょうけど。

 それはともかく、私方の井戸水を市販しようと目論む方がいれば歓迎します。味は保障しますから。
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参百七    ヒトラーの生涯(2007/7/8)
 久々にいいものを観ました。ドキュメンタリ「ヒトラーの生涯」です。110分間のすべてが記録映像です。かつて、ドイツのTV局が制作し、NHKが放映した「ヒトラーと六人の側近たち」に劣らぬ傑作です。

 ヒトラーやナチがらみの映像は腐るほど観ましたが、本編には未見の映像が満載されていました。ビジュアルだけでなく、第一次世界大戦後の混乱のなか、ナチがいかにして国民に容れられたかをうまく整理しています。その説明ナレーションの背景すべてに、該当するフィルムを流してくれます。あの大作、「NHKスペシャル 映像の世紀 第4集 ヒトラーの野望」をさえ凌ぐ内容の濃さでした。ヒトラーやナチズムを理解するのに、この作品の右に出るものはないでしょう。こういう映画をこそ、地上波で流して欲しいなあ。まさにハリウッド製のドンパチの対極に位置しています。

 初めて見た映像の中でも、ワルシャワのゲットーの説明には怖気を奮ってしまいました。もともとナチは、勢力拡大に宣伝を利用してきました。その性格は以後も変わらず、あらゆる時期、場面を通じて自分たちの仕事をフィルムに残しています。結局、それが彼ら自身を裁くとき、有力な証拠となったのですが。
 下図はワルシャワの強制収容所の鳥瞰図です。収容建物は左右方向に延々と続いています。さらには細部に至るまで、効率的に人を処理するための設備や機器を解説してくれます。当時のドイツの企業家たちは、積極的にそれらの設備を開発し、管理者であるSA(突撃隊)に売り込んでいます。



 収容所の実態は、当時の国民に知らされていなかったといえ、みんな薄々気づいていたと思います。「ユダヤ人をヨーロッパから追放する」だのの言が、一体何を指しているかくらい分からないはずがありません。

 そして何より面白いのは、ヒトラーの政治公約や演説の要旨が“平和”に彩られていることです。他国を侵略しないと言ったそばから、オーストリアやチェコに進駐するなどです。嘘も誇大だと、かえって目が眩むのでしょう。いずれにしても、ヒトラーの信念溢れる演説は、聞く者をトランス状態に誘う魅力があったのでしょう。


 金日成健在の頃の北朝鮮の国民向け演出が似たようなものでしたね。今も同じことをやっていますが、さすがに疲弊は隠しようがありません。で、日本にしても、戦前は御真影だの皇居遥拝だのを大真面目でやってましたから、人のことは言えませんけど。
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参百六    イージー・ライダー(2007/7/1)
 日曜の午後、TV東京系であの「イージー・ライダー」が放映されました。もう何度も観た映画ですが、やはり最後まで引き込まれました。69年公開で、70年代ニューシネマの先駆けとなった作品です。

 低予算で作られながらも、当時の若者文化のポイントを見事に押さえ、未だ色褪せぬ金字塔でしょう。ヒッピー文化のあれこれに触れることができます。マリファナ、コカイン、長髪、コミュニティ、そしてバックに流れるカントリー・ソングの数々。途中にはヘンドリックスも一曲聴かせてくれます。下の冒頭のシーンは、問答無用のかっこよさですね。





 若きジャック・ニコルソンも殺され役で登場します。細面で端正な青年で、今の姿からは似ても似つきません

 ピーター・フォンダとデニス・ホッパーの二人が、チョッパーで当てのない旅に出ます。南部の郊外を走る背景には、アメリカの貧しさと豊かさの両面が映し出されます。

 ヒッチハイクで乗せた若者に導かれ、最初に訪ねたのは、貧しい土地を耕すコミュニティの一団です。当時、このようなコミュニティがたくさんあったと聞きますが、そのほとんどは解散したのではないかな。生き残っているのは、どちらかというと宗教がらみの集団でしょう。なかには、大量殺人にまで行き着いたカルトもありましたね。



 薬でラリるシーンは嫌いです。訳の分からない心象を映像化していますが、説得力がありません。70年代の日本映画でも同様の映像が多作されました。いずれも独りよがりで、映画離れを加速し、日本映画の凋落に一役買いました。

 幕切れは唐突にやってきます。ピックアップに乗る南部人に、つまんないきっかけからショットガンをぶっ放されます。





 ホッパーを殺され、怒りで追いかけるピーターもまた被弾します。燃え上がるバイクを上空から引きながら映画は終わります。
 昔、朝日新聞の元記者の本田勝一氏が「アメリカ合州国」で似たようなエピソードを書いてます。レンタカーで南部を走っていたら、銃撃されたとのことです。本には、割れたフロントガラスと銃弾の写真が掲載されていました。多分、本田氏の記事はネタだと思いますけどね。

 何度観ても心に沁みます。この映画は永遠に語り継がれるでしょうね。ただ、私にとってこの映画はリアルな社会状況ですが、若い人たちには歴史の彼方の世界なのでしょう。
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参百五    理科教育の敗北(2007/6/23)
 渋谷の温泉施設でガス爆発が起こりました。この件で疑問に思うのは、メタンガスの危険性を認識していなかったのではないかということです。自社の温泉汲み上げシステムの仕組みを知らなかったのであれば、これはもう何をかいわんやである。
 仮に知っていたなら、検知システムがどうのとか、施工がどうのとか、あるいは機器チェックの契約がどうのとかは別にして、社員自身が無関心でいられなかったはずです。例えば、ポンプシステムの電源投入の担当者が、必ず部屋の状況を確認するなどを自主的にやったことでしょう。メタンが漏れていれば、鼻を突く臭いがするはずです。当然、上司に報告し、対処に及んだことでしょう。
 地下のポンプ室に無関心だったのは、引火性ガスの危険性に関して無知だったのでしょう。


 先週、職場の組合が“地球温暖化危機”を訴えるビラを配りました。内容を見てずっこけました。北極の氷が溶けて、水位が上がっている。ウン年後には、氷がすべて溶け、水位がウン10m上昇すると訴えていました。正確な数字は覚えていません。
 この記事がデタラメなのは、すぐに分かりますね。この記事を書いた者は、小学校の理科の初歩を忘れてしまっています。いくら氷が溶けても、水位というか、水量は変わりませんわな。


 極めつけは、「水からの伝言」の戯言です。「ありがとう」と書いた紙の上に置いて凍らせた結晶はきれいで、「ばかやろう」と書くと汚い結晶ができるそうです。こんなメルヘンを信じる人間がいるんですねえ。あげくに学校の授業で採り上げられているというから困ったものです。もっぱら道徳の授業だそうで、さすがに理科の先生は相手にしないでしょうけど。趣旨としては、「汚い言葉を使わないようにしましょう」という話だそうです。っても、やはり問題ですね。『水からの伝言』を信じないでくださいを紹介しときます。水というか氷や雪のきれいな結晶も迷惑に思っていることでしょう。さらに実際に、当該の道徳授業に出くわした例をリンクしておきます。

 こういうトンデモ話は、決して嫌いなわけではありません。嘘ネタに突っ込む楽しみもありますから。ただ、オウムの件といい、気がどうとか、霊魂がどうとか、あげくにナントカ還元水で大臣が死んだりでロクなものじゃあないです。こんなのは、科学というか、理科の初歩を理解していれば、あるいは科学的な考察態度さえ身についていたら、惑わされることはないと思います。現実には、あまりに問題が多過ぎます。結局、現在の理科教育は敗北しているのでしょう。なぜかについては、思い当たることもあるのですが、教育問題の重要な点なので、気楽に書けません。後日、あらためて触れたいと思います。
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参百四    OUTLAW(2007/6/17)
 「THE OUTLAW JOSEY WALES」(ワーナー1976年)を観ました。電気店を訪ねたとき、DVDの特売コーナーにあった作品です。
 ハリウッドは70年代に入るや、西部劇を作らなくなりました。もっぱらニューシネマなんかの社会派へと、変化が見られるようになりました。もはや西部劇には集客力がなくなっていたのです。クリント・イーストウッド自身、ダーティハリー・シリーズなんかの新しいスタイルを模索していましたし。私もニューシネマは大好きです。と同時に、従来形式の娯楽映画も好きです。

 イーストウッドは70年代に入ってからも西部劇を撮り続けています。この作品はそんな状況を背景にしての西部劇です。やはりマカロニ・ウェスタン風の軽さはありません。問題作として物議をかもした「ソルジャー・ブルー」にも通じるインディアンの描き方、南北戦争後の連邦政府の非情さなどもテーマにしています。

 堅い話は別にして、私が西部劇で好きなのは、町の風景模様です。西部劇では撮影のため、荒野に町のセットをつくりあげます。この作品のセットは手抜き気味です。町のシーンはほんの僅かなので仕方ありません。ただ、室内の暗さや、薄汚れた雰囲気はリアルそのものです。



 すごかったのは「天国の門」ですね。あれはやり過ぎといっていいくらいでした。制作費はとんでもない額だったでしょう。
 あるいは見てるだけでワクワクしたのは「バック・トゥ・ザ・フューチャー3」の町並みです。リアルさからは程遠い造作でしたけど、楽しくなるような設定でしたね。


 アメリカ映画なら西部劇、イギリス映画なら世紀末に魅せられます。いずれも19世紀という近代を舞台装置にしています。歴史物というほどには古くないものの、ノスタルジックな癒しを得られる、ほどよい塩梅ですね。明日にでも、また西部劇をレンタルしようかな。
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参百参    ウェルター級新展開(2007/6/10)
 本日、ニューヨークMSGにおいて、WBA世界ウェルター級タイトルマッチが行われました。チャンピオンのミゲール・コットにザブ・ジュダーが挑んだ一戦です。

 私の勝敗予想としては、ジュダーのサウスポーから繰り出される左ストレートも、コットの鉄壁のガードに阻まれるだろうというものです。Webの速報によると、11RTKOでコットの勝ちだそうです。どうやら予想通り、コットのガードは固かった模様です。ただ、コットが打ちにいったとき、ジュダーはカウンターのアッパーを見事に炸裂させ、コットはたまらず足にきたそうです。コットは今までにも強敵と闘うなかで、いいフックをもらっています。しかし、回復も早く、見事に相手をしとめてきました。

 ジュダーのステップやパンチのスピードは第一級です。というか、あのメイウェザーさえ凌ぐものがあります。一方で、ボクシングが単調というか、引き出しが少ないように思われます。これではコットに通用するはずもなく、コットの強打に晒されて失速したのではないでしょうか。

 コットのパンチはすべて強力です。なかでもボディへのフックが脅威ではないでしょうか。見てるだけで脇腹がシクシクしてきます。私が特に有効だと思うのは、ジャブから左フック(ボディ)へのダブルのコンビネーションです。ジャブそのものが痛烈であり、相手はガードを上げざるを得ません。すかさず空いた脇腹にフックですから、相手はたまったものじゃないでしょう。このコンビに、相手ボクサーはダメージを受けて動けなくなってしまうのです。

 ジュダーはサウスポーなので、前述のコンビは決まりにくいかな。そのかわりコットのジャブが強いため、ジュダーも右ジャブからの左ストレートへのコンビを出しにくいでしょう。どのようなパンチの交換が為されたのか興味津々ですが、それも明日のWOWOWで明らかになります。あ〜、明日が楽しみ。


 さて、ウェルター級チャンピオンとしてのステータスを上げたコットは、今後さらにグレードの高い試合が組まれる可能性が高まりました。ファンが見たいのは、なんといってもフロイド・メイウェザーとシェーン・モズリーとの対戦です。モズリー戦の勝敗予想はつきかねます。コットも迂闊にボディ攻撃はできないでしょう。モズリーは遠慮なくパワーパンチを叩きつけてきますから、顔面を空けると、致命的なパンチをもらいかねません。はっきりしているのは、スタミナ面では明らかにコットが有利だということです。モズリーももはや30代後半ですから、ペース配分を考慮しないと失速するでしょう。

 もうひとりのメイウェザーは別格です。階級が上のデラ・ホーヤ相手に、しかも体重差1.8kgで闘って危なげないのですからねえ。メイウェザー相手に勝敗の興味なんか湧きようがありません。強いのも良し悪しですね。

 他にもアントニオ・マルガリートというファイターがいます。マルガリートは長身のファイターです。普通であれば、長身だとボクサー型が多いのですが、コラレスやカルザゲ同様のファイターなのです。コットもファイター型ですから、きっとガツガツ叩き合う打撃戦になるのは間違いありません。

 これからは、コットがらみでビッグマッチが組まれることでしょう。たのんまっせ、コットさん。
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参百弐    地方の衰退(2007/6/3)
 先週、出張で秋田市を訪れました。いずこも状況は同じですね。中心地街だというのに、人気は少なく、さびれた風を隠せませんでした。当地と似た、いえ、それ以上の落ち込みです。
 当地の場合は郊外型都市に変貌しての結果ですが、秋田はさして郊外に展開しているようにも見受けられませんでした。もともとその程度の規模なのかもしれませんが。

 一方で、当地の田舎の小都市は壊滅しています。これは全国的な傾向でしょうけど、みごとに“シャッター通り化”しています。結果、コミュニティの消滅を招いています。
 この35年間、日本は坂道を転げるように地方をグズグズにしてきました。田中角栄氏の「日本列島改造論」に始まり、大平正芳氏の「田園都市構想」に繋がる公共事業主導の国土政策によって、道路建設利権に蝕まれました。そして、都会の生活セットをそのままミニセットとして地方に持ち込みました。
 つぎに致命的だったのは、「大店法」の改正でしょう。実は、私は大型店舗の自由化に賛成の口だったのです。今となっては己の不明を恥じるばかりです。もともと車社会にどっぷりだった私は、市街地へ出かけて買い物をするより、郊外の店舗を訪ねるほうが便利だったのです。しかし、それがここまで悲惨な結果を招くとは予想できませんでした。
 ・ 売り場面積に関する規制
 ・ 出店する場合に、有識者による既存商店街との調整評価
 ・ 出店調整期間の短縮
 ・ 深夜営業自由化
 2000年に廃止された大店法とスーパーの営業原則の改正によって、コンビニの乱立と大型ショッピングモール建設ラッシュを招きました。この流れはより大きくなることはあっても、後戻りすることはないでしょう。地方の風景はもはや消えゆくのみです。

 日米構造協議にあって、旧来の商業施設と地方市街地の存続を訴えていた識者は、まさに正鵠を得ていたのですね。地方コミュニティの崩壊は、教育や家庭を崩壊させる力さえあります。社会変化の相乗効果は、今後さらにより大きな変化をもたらすでしょう。あまり見たくもない光景です。長生きしたくないなあ。
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参百壱    亀田戦のデタラメ(2007/5/27)
 今、これを書いている横で「サンーデープロジェクト」が流れています。“市民の意識からかけ離れた判決はなぜ起こるか”の投げかけで、ドミニカ棄民や満州開拓団などの経緯が語られています。これらの悲劇に対して、国家に責任があるのは明らかでしょう。ただ、TV局がそれを言うな、の思いが離れません。
 TV局と市民との間にもプライバシーや名誉毀損をめぐって訴訟沙汰があります。そのときに際しての、TV局サイドの対応は、この番組中の司法サイドと同じものです。よく言うよね。


 先日の亀田興毅vsイルファン・オガー戦では、目に余る不当レフェリングが為されました。ボクシングの試合では、たまに地元判定を見せつけられます。ひどかったのは、アルゼンチンのファン・マルチン・コッジの試合でした。1R、挑戦者のハードヒットを受けたコッジは、完全に足元がふらついてTKO必至の状況でした。そのときコッジのトレーナーは、コッジのトランクスを引っ張り、無理やり立たせていました。あれがなければ、間違いなくコッジは試合続行不能とされたでしょう。レフェリーは目の前で行われているインチキを見逃したのです。

 今回の亀田戦もまた、同レベルのひどいレフェリングが為されました。
 まず、挑戦者の最初のダウンですが、私には押し倒しに見えました。しかもロープ外に倒れたオガーを亀田は上から打ちました。あれって普通だったら、亀田の反則で減点を食らうところでしょう。レフェリーがダウン・カウントを取っているのが信じられませんでした。

 次にローブローの問題です。この試合は、両者ともにベルトライン辺りを打っていました。ところが、オガーに対してのみ注意が与えられたのです。しかも、その後の亀田は露骨に腰(太もも)を打っていたのです。あげくに正面から股間にアッパーをかましました。で、注意なしでした。レフェリーの死角になっていたのだとは思いますが、腰を打っていたのは見たはずです。

 もっとも性質が悪いのはバッティングの扱いです。亀田は最初から頭を持っていきました。パンチを打った後で頭がぶつかるのはありえることです。パンチと一緒に身体を持っていきますから。しかし、亀田は頭をつけてからパンチを打っていたのです。でありながら、レフェリーは最後まで亀田に対するバッティングの注意を与えませんでした。注意は両者に対してであり、亀田側に対しては為されませんでした。
 レフェリーは選手のバッティングをきちんとコントロールしないと、試合がまともに成立しないのです。タイソンvsホリフィールド戦がいい例です。あるいは、ホプキンスvsジョッピー戦もひどかったです。ホプキンスのヘッドバットでジョッピーの顔面は腫上がっていましたから。また、ハットンvsズーもえげつない試合でした。ハットンは飛び込みながらフックを打ち、そのまま頭をズーの顔面にぶつけていました。相手の頭を避けるために、ズーはボクシングができませんでした。
 今回のオガーもまた、亀田の頭で押さえつけられる格好になったので、まともにボクシングができませんでした。亀田の頭を避けるために、自分もまた前傾姿勢をとると、レフェリーに頭を注意されました。「おいおい、レフェリーさん。注意する相手が違うだろ」って、私はTVの前で何度も突っ込みを入れました。

 あげくに、放映終了間際のレフェリーストップは奇々怪々でした。オガーが打ち返しているのに、いきなりのストップでしたから。普通は滅多打ちにあって、反撃する姿勢が取れなくなった際の対処です。流血もなく、ふらついているわけでもなく、打ち返しているなかでのストップは初めて見ました。

 もう勘弁してほしいです。ボクシングファンというのは、別に日本人が勝つところを見たいわけではありません。あくまで、いい試合を堪能したいのです。TV局にしろ、主催者にしろ、いいかげんに茶番はおしまいにしてくださいな。
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