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弐百六拾七  ウイリアム・ケイン役こそ至高(2026/7/26)New
弐百六拾六  「ゴッホの跳ね橋と印象派の画家たち」(2026/7/18)
弐百六拾六  トランプ大統領とスポーツ(2026/7/12)
弐百六拾五  小学校火災のあり得ない火元(2026/7/5)
弐百六拾四  最近の世相(2026/6/28)
弐百六拾参  天野喜孝ファンタジーアート展(2026/6/22)
弐百六拾弐  トヨタのル・マン復権(2026/6/15)
弐百六拾壱  通夜への参列は(2026/6/7)




弐百六拾七  ウイリアム・ケイン役こそ至高(2026/7/26)
 いささか旧聞になりますが、先々週のBBC NEWS JAPANの記事「俳優サム・ニールさん死去、「ジュラシック・パーク」「ピアノ・レッスン」など出演」です。

 ニール氏の当たり役といえば、『ジュラシックパーク』のグラント博士で衆目が一致するのでしょう。その点に文句はありませんが、私にとっての氏は、永遠に『ケインとアベル』のウィリアム・ケイン役のままです。このとき30代後半ながら、大学に学ぶ青年役から老衰の死に際まできっちり演じました。その途中、若き切れ者バンカー、壮年期には貫禄の頭取を務めました。そのいずれでも、金融界を牽引する俊髦として、実に説得力のある演技でした。いえ、むしろ演技というより、存在感というべきでしょうか。

 イギリスのTV局が60分×5話でドラマ化したのを大昔にTVで観ました。20世紀を横断するJ.アーチャー得意のサーガ(大河物語)です。原作が凄すぎるんだけど、その原作をテンポよく構成していて、右に出るもののない傑作ドラマでした。
 映像化に際してアレンジも必要でした。アーチャーは徹底したストーリー展開主導なので、場面を膨らませて飾るってことが皆無です。重要などんでん返しでさえ1行で済ませるし、カップルが親密な関係になる熱い場面も男女それぞれの台詞1行ずつでお終いです。しかし、文章と違って実写ドラマとなると、画面を動かさなければいけません。小説の簡素な表現を上手く肉付けし、小説とは違った映像の楽しみが提供されていました。

 YouTubeにありました。『ケインとアベル』【第一部】「運命の二人」(日本語吹替版)です。未見の方には、一度ご覧になることをお勧めします。
 ご紹介のついでに動画を流し始め、結局第5部まで全部再見してしまいました。懐かしかったです。そうそう、こんな映像だったなあと思い返しました。

 原作は新潮社文庫で、上下巻970頁とか書かれていますが、私が購入した文庫本は、700頁ほどです。現行の版は文字が大きめなのかな。
 上で書いたように、アーチャー本は展開が急なので、ドラマ化するとなると、はるかに時間をかける必要があります。60分×5話ではいかにも分が足らず、かなり省略されています。中には、重要な伏線が略されたために話が通らない残念な点もあります。絶対に略してはいけなかったのが、第二次世界大戦に出征しての経緯です。ケインは大尉としてレマゲン鉄橋の戦闘に参加して負傷し、人事不省に陥ります。それを救ったのがアベルです。ホテル業ということで兵站面を任され、糧食を担当します。戦闘への参加を切望していたアベルは、前線に負傷兵がいると聞いて部下とともに飛び出してケインを救いました。
 意識朦朧のケインは、自分を救った人物の後ろ姿にどこか見憶えがありました。沈殿していたこの記憶が、最後の邂逅で明確に思い出されます。もっとも、アーチャーは一々細かい説明をせず、簡単な隠喩で済ませています。

 ケインの息子とアベルの娘が恋に落ちて結婚します。ケインとアベルは許さず、二人がニューヨークに開店した祝いも欠席します。しかし、二人はそれぞれこっそり店を訪ねます。そこで、二人は出会い、紳士らしく無言ながら挨拶を交わします。そのとき、ケインは自分を死地から救った中佐がアベルであったことに気づきます。
 これによってケインの恩讐は霧消し、安楽を得てその夜に急死します。ドラマでは、その重要な経緯がないままなんです。
 次いで、ケインの死によって、アベルに大金を投資して成功の礎となった謎の支援者がケインであったことが明らかになります。ここで、アベルも自身の復讐がいかに筋違いなものであったかを思い知らされるのです。

 ちなみに、原作を4度読みました。多分、死ぬまでにもう一回読むでしょう。未読の方は人生を損してます。
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弐百六拾六  「ゴッホの跳ね橋と印象派の画家たち」(2026/7/18)
 今年1月に弐百四拾弐  大ゴッホ展「夜のカフェテラス」(2026/1/23)を観覧しました。「アルルの跳ね橋」が目玉になる第2期(後期)はパスしたところ、地元旅行代理店がヴァルラフ=リヒャルツ美術館所蔵の印象派作品展鑑賞を企画してくれました。ゴッホはアルルの跳ね橋を数枚描いているそうで、その一枚が同館所蔵となっていて、本展覧会の目玉ともなっていました。で、一昨日のこと猛暑の中を出かけてきました。

 会場はアベノハルカス美術館で、例によって19階でランチバイキング後に鑑賞しました。



 下図が「跳ね橋」です。「アルルの跳ね橋」に比べると、あっさりした描きこみです。



 今展覧会での収穫は、ベルト・モリゾの作品を観たことです。モリゾはマネに師事し、マネの弟と結婚したそうです。マネの指導を仰いだにしては、モネの画風と技法が見てとれます。
 下図は「セーヌの舟」です。光線を重視している風もなく、波紋と水面に映る景色からモネの影響を思わずにはいられません。



 「立葵と子ども」です。庭に遊ぶ娘を描いています。モネが、妻のカミーユや息子のジャンを野山や花畑を背景に描いたのを髣髴させます。



 「ニースの港」です。これまたモネを髣髴させます。モネ風の速筆で、港の印象を写し取っています。ただ、水面がモネほどの完成度に至っていません。



 そのモネの作品もありました。「霧の中の崖の家」です。霧に包まれて曖昧模糊とした情景です。それでありながら、家屋、林、草原、池などの質感がきっちり伝わってきます。これがモネの描写力なのでしょう。



 カミーユ・コローの「アル=バリュエル付近の古い煉瓦橋」です。コロー作でも、レベルが高いんじゃないでしょうか。若手のセザンヌやモネを評価していたというのも先見の明があるし、自分の絵とまったく違った傾向をも認める包容力もあったのでしょう。



 ドイツのヴァルラフ=リヒャルツ美術館が改修中とのことで、同館の目玉作品が多数貸し出されたそうです。おかげで、よい目の保養をさせていただきました。
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弐百六拾六  トランプ大統領とスポーツ(2026/7/12)
 先日、サッカーワールドカップでレッドカードを受けたアメリカ選手の取り扱いを巡り、トランプ大統領とFIFA会長との謀議が世界を憤激させました。幸いなことに、対戦相手のベルギーが奮起して4-1と圧倒的な勝利を収め、サッカーの神様が顕現したかのような結果となりました。きっと世界中の人間が溜飲を下げたことでしょう。

 昨年、米国オリンピック委員会は「出生時に男性だったトランスジェンダー選手の女子競技参加禁止」の新たなガイドラインを発表しました。トランプ大統領が署名した「女性スポーツの公平性保護」の大統領令に沿った措置です。

 先月には、「トランスジェンダー選手の女子学生スポーツへの出場禁止を支持 米最高裁判決」が出ています。トランスジェンダーの女性が学校の女子スポーツ競技に出場するのを、州が禁止できるとする判決です。
 トランプ大統領の出鱈目政策連発にはうんざりながら、スポーツの場におけるトランスジェンダーの不公平を排除しようとする姿勢だけは評価できます。

 ボクシング、柔道及びレスリングなどの格闘技はコンタクトスポーツです。バット、ラケット、球などが介在するゲームと違い、男女フィジカル差がリスクとなります。なので、最優先されるべきは安全性と公平性です。筋力と骨格の強靭さが別ステージなので、死亡、半身不随などの危険性と隣り合わせとなります。世界の問題児たるトランプ氏ではありますが、この件だけには賛同します。

 先週のYAHOO!ニュース「IOC、ロシア参加制限全面解除 スキー複合、30年冬季五輪除外」です。
 ロシアのウクライナ侵攻後、IOCがロシアとベラルーシの参加資格制限を求めました。ために、ロシア選手たちは「中立選手」として出場していて、「個人のアスリートが国家の政治責任を負って競技の場を奪われるのはおかしい」という批判がありました。
 ここにきて、アメリカとイスラエルがイランを攻撃しても問題にしないというダブルスタンダードが出来しました。で、今さらながら、「選手に政府の行動の責任を負わせず、全ての選手たちに平等な参加機会を与える必要がある」に変じたものと邪推します。
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弐百六拾五  小学校火災のあり得ない火元(2026/7/5)
 日テレNEWS「火元の洗濯物は“音楽教諭の私物の服” ストーブも音楽教諭の私物…日常的に学校内で洗濯と乾燥を行っていたか【小学校火事・3度目の会見】」です。

 滝野川第三小学校 校長
「音楽教諭はおおむね朝6時頃に出勤し、以前から家庭科室の洗濯機を使って私服や金管バンドなどで用いていた清掃用のタオルなどを洗濯し、音楽準備室で干しており、火災のあった19日当日は、自身の服を洗濯して干していたことを確認しました」
 また、音楽準備室にあったストーブも女性教諭の私物だったといいます。
 女性教諭は日常的に私服の洗濯や乾燥を学校内で行っていたとみられ…


 この教師が負うべき責任は極めて大きいです。私物電気ストーブの持ち込みを学校側が許諾することはありません。危険ですからね。
 その理由が私物洗濯物を学校の水道と電気で以て賄おうという、盗電盗水行為でした。しかも、知れらないよう早朝に出勤してこっそり学校備品洗濯機を使用するという浅ましい話でした。

 こういうのを公有財産の目的外使用っていうんでしょう。大げさに言うと窃盗に該当するんじゃないですか。本事案では単なる窃盗に終わらず、火災に至って大損害をもたらしました。結果、児童ら11人が怪我を負うという人身災害ですから言い訳もできません。

 また、この教師の火災発生時の対応がなっていませんでした。ストーブで乾かしている張本人ですから、焦げ臭さに真っ先に反応しなきゃ嘘です。

 この小学校では、月1回の避難訓練を実施し、給食調理室や調理実習室からの出火設定だったそうです。火の気を扱う関係からこの出火設定としたのでしょうが、出火場所を固定するのはいけません。各部屋の火元責任者、あるいは授業当事者のうち、出火報告者が限られることとなります。そうすると、他の職員の防災意識が希薄になってしまいます。この音楽教師の対応が他人ごとなのも、ここから始まっています。

 上の階の救助袋は、窓から斜めに垂らして滑り降りるタイプだそうです。しかし、駆けつけた男性教員が救助袋をうまく使えなかったそうです。避難訓練で救助袋は使われてこなかったので、それも仕方ないでしょう。斜めタイプは下で固定する人員が必要なので、とっさの利用ができないこともありましょうし、実際の使用体験がないと実地で展張できるか怪しいです。

 各部屋ごとの感知器と、これらと連動した集中制御盤が事務室に備えられているはずです。これら機器は年一で点検されてるはずです。焦げ臭いまでの熱源や煙があれば、全館警報が鳴り、制御盤に該当箇所が点じるはずです。

 避難訓練も本格的にやるなら、最寄りの消防署に事前届け出をして打合せをします。火災発生→火元から報告→消防署への通報→全館への避難指示放送→校庭など事前に決めている場所への避難誘導→加えて消火訓練、地震体験車体験、救急救命体験など実施と、概ねこのような体験訓練でしょう。

 かつての私の勤務先では、上階で降下救助袋を備えている場合、実際に展張降下までやってました。垂直式救助袋だったので、展張して下ろすだけで地上で支える必要はありませんでした。体験予定の女生徒には、訓練前日に理由を言わずズボンを穿いてくるよう指示していました。事前に周知したら突発訓練になりませんから。おそらく察していたでしょうけど。

 結果論ですが、火災避難訓練が実効性のあるものではありませんでした。事件を聞いた他の施設でも、当方の訓練は大丈夫なのかと見直すケースもありましょう。そしてなにより、職員の防災意識と自身の行為に問題はないか見直す契機とならんことを望みます。
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弐百六拾四  最近の世相(2026/6/28)
 先週のこと、大変な事案が出来しました。
 KDDIがやらかした ISP 事業者向けメールシステムに対する不正アクセスの発生について です。
 パスワード流出の規模としては、2番目くらいでしょうか。私が利用している接続業者もKDDIの通信システムに乗っかっているみたいで、モロに関係しています。ニュースを聞いて、すぐに Web メールのパスワードを変更しました。iPhone はNTT回線を利用しているはずだったのが、いつのまにかKDDI 回線に乗り換えていたみたいで、やはり変更しました。ああ面倒くせえ。

 togetter で見かけたよく解らない話です。
 22キロの速度オーバーと言われたが、そんなはずはないということでダッシュカムを見せ、冤罪を免れた話

 ダッシュカムの速度表示が24km〜32kmで走ってます。これだとノロノロ運転になります。街中2車線ならおそらく50km制限くらいでしょう。いくら白バイが後続してるからといって、わざわざノロノロ運転をするかなあ。隣車線の車までがそんなノロノロ運転につきあっています。この速度表示が正確なのか疑問です。
 テスラは標準でドラレコが搭載されていて、自車速度も表示されるそうですが、この速度そのものが怪しくて仕方ありません。

 同じく togetter のお題です。
 都内某所の交差点で遭遇した「児童の飛び出し」のドラレコ映像が、どれだけドライバーが注意しても限界があり、車の「自動ブレーキ」の必要性を強く実感する内容だった

 ドライバーの限界とか大げさです。ドラレコ側のドライバーは速度が乗っていなかったので楽勝でしょう。対向のアルファードは反応が遅いです。明らかに前方不注意で、子供の横断への対処が遅すぎます。

 限界点を超えた飛出しって、こんなもんじゃないです。私も幾度か経験しています。
 一度は3車線の右側を走っていて、左2車線は車が詰まって見通しが悪い状態でした。子供が左から眼の前に走り抜けてくるのが見え、フルブレーキングで止まりました。急ブレーキのスキッド音がでかかったので、驚いた子供も急停止してなにごとも起こりませんでした。観光客の子供で、親が左歩道にいました。距離があったので何も言わずに行きましたけど、親を怒鳴りつけたかったです。

 もっと危険だったのは左路地から車が飛び出してきたときです。2車線の左側を走っていて、急ハンドルで右車線に横っ飛びで躱しました。飛び出してきた車も急停止してことなきを得ました。もちろん、右車線に後続車がいないのを把握していました。そのときの愛車がエチュード(1600ccスペシャリテイカー)で、足回りがしっかりしていたので踏ん張ってくれました。

 終わったと覚悟を決めた一瞬もありました。大昔、街灯が少なく、ハロゲン以前の白熱球時代のことです。ロービームではいかにも暗く、前方把握が難しかったです。
 そんな時代、夜中に自転車の爺さんがいきなり眼前で横切ろうとしました。咄嗟にコの字を描くように、ジムカーナよろしく急ハンドルで回避しました。流石に文句を言おうと停車し、窓を開けたところ、爺さんがペコペコ頭を下げるので流しました。このときはクリスタルコスモに乗っていて、ステア系とサス系の剛性が高かったので躱しきれました。

 上のいずれも血が上ると同時に背筋が寒くなりました。若くて反射神経が冴えていたのと、車がしっかりしていて急激な動作に応えられたゆえに助かったものです。今なら、人生が終わるかな。

 善通寺市議選 電子投票

 投票所のタブレットでタッチ選択するそうです。これなら選び間違いがないし、開票作業が楽になります。集計なんて一瞬ですもの。なにより、職員の負担がないのが絶対的メリットです。あれ、地獄の苦行ですから。私も役場時代に体験し、腰が死にそうになりました。広い台に投票用紙をぶちまけ、これを拾い上げては確認して仕分けるものです。前屈みに為らざるを得なく、しかも長時間強いられますから、腰が痛いなんてもんじゃないんです。
 解放されるなら、まことに結構なことです。市側は条例を通したそうで、あとは県側の条例を通すのみだそうです。
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弐百六拾参  天野喜孝ファンタジーアート展(2026/6/22)
 天野喜孝、弓彦両氏(親子)の展覧会が近所で開催されました。他所でのことなら見送りますが、ごく近所なので週末から今日までの3日間最終日に行ってきました。会場は市の外郭団体が運営する施設です。隣町で、しかも我が家が町境に位置しているとあって、ほんの2kmほどしか離れていません。

 大ホールを小さく仕切っての展覧会場です。下図が入口のパネルです。



 天野親子とmocha(モカ)氏の展示で、入ってすぐ分かりました。これは展示販売会でした。どこかの販売会社が企画したものです。すでに、版画系にかなりの契約済みのラベルが貼ってありました。
 価格について、版画系は「販売員にお尋ねください」と不明で、原画系については数十万円から百数十万円の値付けでした。絵の前に立つと、すぐに販売員が寄ってきてセールストークをかましてきました。適当に返していると、相手にされなくなって一息つけました。

 天野弓彦氏については、特に語るべきものはありません。素人さんによくある描きたい部分だけ、描きたい構図だけを描いたものです。撮影禁止なので紹介できないのが残念です。
 喜孝氏はメジャーだし、これまでにも目に馴染んだ絵です。やはりファンが多いのでしょう。版画は結構売れていました。なかには契約者として複数名を連ねたものもありました。原画は高いため、さすがに売約が少なかったです。それでも、いくつか売れていたのは流石です。

 mocha氏は初めて知りました。ラッセン系統といってよく、空面積を大きくとった構図で、独特な質感を漂わせています。説明によると、金属面を研磨して表面にテクスチュアを与え、そこに印刷してエポキシで保護コーティングしているそうです。おそらくエポキシ系クリアを塗布しているのでしょう。
 私も若い頃に独特な手法で絵を描いていました。仕上げにウレタンクリアを吹いてコーティングしていました。考えることは皆同じですね。

 mocha氏の絵は、明らかに新海誠風というか、あの映像にインスパイアされたものです。mocha展を見ると、納得されるでしょう。アニメの背景の仕事をしていたそうで、そのあたりのキャリアが活かされているのがよく解ります。このサイトに掲示されている作品の大半を会場で実見することができました。売りとして、背景イラストレーターと呼ばれているそうです。

 近所で、しかも入場無料とあってなんの文句もありません。結構な目の保養をさせていただきました。
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弐百六拾弐  トヨタのル・マン復権(2026/6/15)
 この土日に2026年ル・マン耐久レースが行われました。ハイパーカー部門長期連覇を成していたトヨタも、新たに参入してきたフェラーリに敗れ、代わってフェラーリが3連覇を達成しました。
 トヨタはモホロゲーションのサイクル制約から苦しい闘いを強いられていたのが、やっと新マシンンを投入できました。なので、今年は期待できました。

 興業の目玉であるハイパーカークラスには、フェラーリ3台、トヨタ2台、 キャデラック3台、プジョー2台、BMW2台、アルピーヌ2台、アストンマーティン2台、ジェネシス(ヒョンデ)2台で、計18台が出走しました。
 今年からBoP(性能調整)の内容が非公開となり、これに対する批判そのものも禁止事項となっています。連覇中のフェラリーは、心中穏やかでないものと想像します。

 今年の総合優勝については、もうまったく見当もつきませんでした。BoPが非公開なので課せられた負荷が不明とあって、その前提として各車輌のパフォーマンスをどのように捉えているかが分かりませんでした。
 テスト走行のパフォーマンス結果が全車均一で、しかも全体的に速度向上が顕著でした。なので、BoPが上手く機能しているとも言えます。期待のトヨタは、やっと新型マシン投入によるパフォーマンスアップが見られ、他車もアップデートによって性能が向上したのでしょう。

 レースは序盤の混沌から整理され、中盤からはキャデラック、BMW、トヨタが競いました。そのあたりでは、キャデラックがとても強い印象でした。
 終盤でもこの構図は変わらず、キャデラック、BMW、トヨタが僅かなタイム差の中で競い続けました。ここに、ピット作業のタイミングと事故などによるコース整理のためのセイフティ時間が挟み込まれ、各チームともに無駄をなくして、少しでも有利に立ち回ろうとレースマネージメントを駆使しました。
 経験値を積んだトヨタは上手く立ち回ったかと思います。こういうのは結果論になりますが、読みが嵌まったってやつですね。

 ラストでのBMWの猛追も凄かったし、キャデラックの本気度も凄かったです。フェラーリも最終的には追い上げてきていて、流石の底力でした。そこを競り勝ったのですから、優勝の喜びもひとしおでしょう。

 しかし、トヨタに対しては次戦からBoPで大き目のペナルティが課されるでしょうから苦しくもなります。年間ポイントをいかに積み重ねるかですが、実は、そこよりル・マン優勝にこそ、より大きな価値があるように感じます。やはり、年間耐久レースといいながら、別格なんですね。
 ハイパーカーは文字どおり化け物マシンです。私は大昔からF1よりシルエット・フォーミュラ推しでした。ル・マンのユノディエール(6kmストレート)に挑むマシン群こそが最高のロマンでした。数々の伝説に彩られてきたル・マン、そこでの優勝こそがなによりの勲章です。
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弐百六拾壱  通夜への参列は(2026/6/7)
 先週のこと、SNSで物議を醸した話題です。
 【記事要約】「実父の通夜よりライブ」SNSで大論争

 2026年5月31日の「嵐」最終公演の裏で、実父の通夜よりもライブ参戦を優先しようとする妻の選択をめぐり、SNS上で激しい議論が巻き起こっています。

 結論から書きます。AIの回答が至極真っ当というか、人間の持つ執着や固定観念に固執する癖を超えてるなあの感想です。
 私の見方 この文章だけを読んだ印象では、
 ・夫が驚くのは自然
 ・義兄が怒るのも自然
 ・しかし妻を「人間としておかしい」と断定する材料は不足です。 むしろ気になるのは、夫が「今の若い人はこんなに親を大切にしない人が増えたのでしょうか?」と一般論に広げている点です。これは「妻がなぜそう考えているのか」を理解する方向ではなく、「妻が間違っていることを証明したい」方向の考え方です。

 この問題の解決には、まず妻が父親にどんな感情を持っていたのかを聞くことが必要だと思います。背景次第では「通夜に出ない娘」は非常識にも見えるし、逆に十分理解できる行動にもなり得るからです。


 この問題を考える際には、地域ごとの習俗や家ごとの慣習によって違うものでしょう。当地の感覚では、通夜に出席しないのは普通にあることです。
 身内でも遠方やら仕事の都合やらで顔を出せないことも多々あるでしょう。この場合、義兄が喪主で、妻(実子)は外に出てる身ですから、顔出しが絶対ってほどでもないかと思います。
 ライブ参戦が理由とは言わず、「どうしても抜けられない用事がある」ということで旦那にも口裏を合わせてもらって曖昧にすればこともなかった話です。旦那が諸悪の根源でしょう。ライブ優先が許せんと怒るにしろ、それを告げ口みたく義兄に注進し、嫁を悪者にして自分の考えの正統をアピールする姿は醜悪です。夫婦間の問題なんだから、家単位の立場をより大切にするべきです。それを義兄に告げ口して、嫁を悪者にして親戚からの非難さえ呼び込んでいます。その非難は、自分自身も受け止めるべきものとの意識が皆無なんです。

 参列が強く求められるのは告別式でしょう。これこそが見送りのメインイベントだし、その後に焼却、納骨まであって身内の参列必須です。皆さん、ここへの出席を確たるものにすべく、調整や手配に意を砕いてんじゃないでしょうか。

 逆に、告別式に出るほどでない外野勢だと、通夜で済ませるケースもあるでしょう。当地ではそのような位置づけなんですが、皆様方の地域では違っているのでしょうか。
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