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弐百拾参   『ガンダムジークアクス』駄作だ派(2025/6/28)New
弐百拾弐   OSセットアップから11年経過(2025/6/18)
弐百拾壱   笑わせてくれる学術会議(2025/6/13)
弐百拾    狩野永徳とついに出会う(2025/6/5)
弐百九    政府備蓄米大放出(2025/5/28)
弐百八    キャンセルカルチャーの悪質さ(2025/5/21)
弐百七    貧しくなった日本の現実(2025/5/14)
弐百六    井上選手ら、シンコ・デ・マヨを救う(2025/5/8)
弐百五    就職氷河期世代は報われるか(2025/5/1)
弐百四    ウクライナ戦争がもたらす変質(2025/4/24)
弐百参    大阪万博オールジェンダートイレの意味とは(2025/4/21)
弐百弐    変わらずネット記事は玉石混交(2025/4/12)
弐百壱    ついに補聴器のお世話になります(2025/4/1)




弐百拾参   『ガンダムジークアクス』駄作だ派(2025/6/28)
 『機動戦士Gundam GQuuuuuuX』がネット界隈を騒がせました。私もしっかり観まして、ケッ、しょむないことしゃがってと嫌な気分になった側です。あんなものに語るべきものはないかと思います。これって、言わば原作レイプです。権利関係者が許諾してるなら、外野がとやかく言うこともありませんけど。

 オリジナルは筋立てが際立っているうえ、登場人物いずれもキャラが立っています。それら印象深いポイントを利用してアレンジし易くもあります。
 丹念に創り上げられたオリジナルの世界観を摘み食いで食い散らかしているんですね。きれいに終わった話をいじり倒すのは悪趣味です。というか、そのオリジナルを援用していなければ、話題にさえなっていないでしょう。その場合は、私も観ていませんし。

 パラレル世界ものですから必然的にタイムリープも抱えています。加えて幽体オカルトや永遠に存在する意識まで登場しています。決定的にひどいのはララアの全能超人設定です。人智の如何なる作用なのか、人の妄念が宇宙を創りだすという、サノスも真っ青な万能ぶりはさすがに不適切でした。ちなみにサノスは、アベンジャーズに登場した悪役で、宇宙の半分の生命を一瞬にして消し去りました。

 そんな風に、なんでもありのデタラメなんですが、それでも好評価される方が多いのが不思議です。私はついてゆけません。いえ、夢オチをやってないんだから、十分抑制的だろうと皮肉な感想もありましょう。さすがに夢オチまでいくと、庇う方もいないでしょうけど。しかし実のところ、あの作品を救えるのは夢オチしかないんじゃないでしょうか。

 途中、エルメスを海中から引き揚げるシーンがあり、これまた話題になりました。「ジークアクスの世界でも玉掛けの技術は失われていないのか?」というやつです。
 私は、まず初見で水平にして釣れよって思いました。これだと先端部が異様に重くて後部がスカスカ構造です。養生なしで済ませているのも、アニメ関係者が現場仕事に縁がない所以でしょう。いえ、養生しなくて済むのかもしれません。圧倒的に軽くて高剛性とあって不要なのかもしれません。きっと羽のように軽いんでしょう。でないと、あんな瞬間移動みたいな機動は不可能ですしね。嫌味ですけど。

 ガンダム関係者もバーター契約をすればよかったんです。ガンダムオリジナルを作り変える代わりに、エヴァンゲリオンをまったく違う話に作り変える権利を有すると。多分、そちらの方が有意義なものになるでしょう。あのグダグダ話をすっきりドラスティックに再生し、きれいに終わらせれば世間の喝采を浴びるでしょう。庵野氏の手を離れたエヴァンゲリオン、一度見てみたくはないですか。 
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弐百拾弐   OSセットアップから11年経過(2025/6/18)
 現行ディスクトップは12年前に買ったもので、マザーボードの入れ替えでWindows7セットアップから11年以上も経っています。その間、再インストールすることなく、ここまできました。昔はOS再インストールを頻繁にやったものですが、前モデルからは使用期間中再インストールなしで済みました。
 パソコンいじりに興味がなくなったというか、余計なことをしなくなったためです。余計なことをしなければ、OSは安定したままいつまでも使えますから。

 以前からシャットダウンしたはずが電源が落ちていないことがたまにありました。2か月ほど前からは、それが常態となり、スリープも上手く動作しないことがありました。タイマー予約ができていないことがあったのです。
 シャットダウンで電源が落ちない対処として、Ctrl+Alt+Delete で電源ボタンを表示したうえでシャットダウンすれば上手くいくことが多いみたいです。

 PCの電源関係かマザーボードの不具合かとも思われました。発熱の小さなパーツ構成で、CPUファンも2年前に強力な物に交換していただけに残念です。そろそろPC更新かなあと考えていたところ、先週末の終了時にチェックディスクがいきなり動作しました。
 SSDにチェックディスクは鬼門とか聞いていたので、このマシンでチェックディスクは一度も実行していません。HDD時代は、たまにやって安心料としていました。自動実施ということは、確実に拙いことが起こっています。念を入れ、再度明示的に実行させもしました。
 理由として考えられるのは、SSDのセクター不良かファイル不具合です。きっとハード側の問題だろうとか思っていたら、以後のシャットダウンでは問題なく電源が落ちるようになりました。これで解決したかと思っていたら、離席の際のスリープ移行のはずがシャットダウンしていました。

 まだOS側のファイルに不具合があるのでしょうか。原因がはっきりしないので、すっきりしません。離席スリープで終了するくらいなら、さしたる問題ではありません。電源管理でスリープ移行時間を長くすればいいだけです。取りあえず様子を見て、状況を確たるものにしたいと思います。ハード側の問題でないことを祈るばかりです。

 6月20日追記
 「管理ツール」の「イベントビュアー」でチェックディスクの結果を確認すると、不良セクターが8ありました。こいつが終了プロセスに関係した部分なのかもしれません。
 今日はスリープから復帰する際、ブルースクリーンに落ちてしまいました。ストレージに不具合とかのメッセージが出ていたので、ストレージ交換を催促しているのでしょう。あ〜面倒くせ〜、たしかに毎日使って12年経過しましたから、寿命なんでしょう。しかし、勿体ないなあ。当面は騙し騙しでぐずぐずするつもりです。ただ、大事なスケジュールだけは転記しておきます。

 6月21日追加
 どうにも釈然としないので、SSDとチェックディスクの相性が悪い件を無視し、管理者権限でプロンプトから完全なる検証復旧を試しました。ファイルシステムのエラーを修復する「/f」、不良セクターを検出、修復する「/r」、5段階のステージを完遂するよう「/x」のコマンドすべて実行しました。
 イベントビュアー結果の内容がよく解りません。空き領域については不良クラスタがあって対処したみたいです。一方で不良セクタが12 KBあるとか、 ボリューム・ビットマップのエラーを修正したとか、 Windowsがファイルシステムに修正を加えたとかのログが記されていました。
 これで解決したのか、どうにも判然としません。まずはシャットダウンさせたところ、すんなり電源が落ちたので今のところは順調です。取りあえず、このまま様子を見てみます。
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弐百拾壱   笑わせてくれる学術会議(2025/6/13)
 2020年の秋、当時の菅首相が日本学術会議の新しい会員として推薦された6人を任命拒否し物議を醸しました。これが呼び水となり、学術会議のあり方が議論されました。

 菅元首相による任命拒否を聞いたとき、いろいろ情けなくなりました。学者、官邸双方ともに見苦しいというか、民度の劣化を感じたのです。
 任命拒否された学者さんたちには、泣き言を並べるのを止めてほしかったです。いえ、泣き言というのでなく、昨今流行りの被害者ポジションで文句をつける態度を浅ましく感じました。拒否されたことで、なんぞ自身の学業精進に影響があるのでしょうか。むしろ、忌避されようとも当局に迎合するものかと胸を張ればいいんです。かつては権力に迎合しないことを誉れとする空気があったものです。“学問の自由”が泣きます。
 世間の共感が得られないのは、推薦による持ち回りが典型的な情実人事だからでしょう。そういうのは、今や公的機関の任命に適切でありません。

 一方で、菅元首相もお粗末です。その頃の国会答弁がしどろもどろで見苦しかったです。これは自業自得というべきです。役人に対して強権的に指導力を発揮していると自画自賛してたのですから、自身の尻拭いも自分で始末をつければよかったんです。きっと、役人たちは冷ややかな目で見てたんじゃないでしょうか。

 一昨日、参院本会議で日本学術会議を国から独立した法人とするための法律が可決、成立しました。日本学術会議を国から独立した法人とする一方、必要な財政支援を行うとしたうえで、会員は総理大臣が任命する仕組みから会議が選任する方法に改めるとしています。また、運営の評価と監査を行う委員や監事は、総理大臣が会員以外から任命するとしています。

 東大新聞は、東大教員が学術会議の法人化をどう見ているかアンケート調査を実施し、その回答を公開しました。163人の回答が寄せられ、その内容がとても興味深いです。
 東大教員は学術会議の法人化をどう見ているか @総合文化研究科
 東大教員は学術会議の法人化をどう見ているか A法学政治学・人文社会系・経済学・教育学研究科
 東大教員は学術会議の法人化をどう見ているか B工学系・理学系・数理科学研究科
 東大教員は学術会議の法人化をどう見ているか C医学系・農学生命科学研究科、大気海洋研究所
 東大教員は学術会議の法人化をどう見ているか D新領域創成科学・情報理工学系研究科、情報学環
 東大教員は学術会議の法人化をどう見ているか Eその他の部局・名誉教授など

 私が一番しっくりきたのは、「B工学系・理学系・数理科学研究科」の大学院理学系研究科教授の次の回答です。

 学術会議の要求、(学術会議提示の5要件なので省略)は、要するに「カネと公的地位はほしい、でも活動と会員選考には口を出すな」といっているわけで、多くの国民からすればムシのいい身勝手な要求としか思われないだろう。「学術的に国を代表する機関としての地位」は政府に保証してもらうようなものではなく、アカデミー自身の活動内容と実績で国民から認められる地位を獲得していくべきものだ。今の学術会議の態度はただの甘ったれである。個人的には、一度、政府の財政支援は断って、学会のように学術関係者の自費で運営する形にし、完全に独立した組織にするべき(したがって会員選考も自由)とするべきと思う。もし政府からの財政支援がほしいなら、独立法人で会員選考は自分でやるにしても、評価や監査は受けるべきだろう。国立大学も、税金で運営され評価や監査を受けるが、それを「学問の自由の侵害」と言う人はいない。

 その他のご意見もひととおり読むと、諸先生方も会員による推薦方式をけったくそ悪く感じているみたいで、私と同じ考えの方が多くて安心しました。
 かつては後任(新規)を会員が推薦するやり方だったそうで、えげつない話です。芸術院会員と同じ手法で利権の匂いがフンプンとします。芸術院会員も部会の推薦で選ばれるそうで、現会員というか有力者の引きが必要で、ドロドロした思惑の温床とかの話を聞いたことがあります。美術関係だと、阿諛、奉り、弟子筋、上納金とかのロクでもない噂です。本当かどうかは知りませんけど。

 学術会議会員も、現会員とは縁のない場から推薦するのが真っ当と思う一方、それはそれで違うグループとの陣取り合戦の様相を呈しそうで悩ましいです。 なお、聞いた噂を元に邪推で書いています。
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弐百拾    狩野永徳とついに出会う(2025/6/5)
 20年近く前、京都国立博物館が「狩野永徳展」を開催しました。是非にも観たかったものの、仕事の忙しさとストレスが大きくてパスしました。そして、ついに昨日のこと鑑賞することができました。



 大阪で初の国宝展だそうです。大阪市立博物館が2年半かけてリニューアルしたのを機に「大阪・関西万博開催記念 大阪市立美術館リニューアル記念特別展 日本国宝展」の運びとなったそうです。3年ほど前、七拾     フェルメールの真実とベラスケスの俊髦ぶり(2022/8/3)で初めて大阪市立美術館を訪ねました。天しば公園を散策したりで、暑い中楽しい鑑賞旅行となりました。

 今回の国宝展も同じ国宝ですから、京都国立博物館開催の八百弐拾四  空前絶後「国宝」展(2017/10/21)とほぼ被っていました。8年前の国宝展では、俵屋宗達の「風神雷神図屏風」が目当てで4期中の2期目を狙いました。今回は狩野永徳の「唐獅子図屏風」狙いで、地元旅行代理店のツアー旅程に合わせて最終期を押さえました。

 「唐獅子図屏風」は右隻を永徳が、左隻を孫の常信が描いています。比べると、それはもう大きな差がありました。永徳の奔放なイマジネーションはただごとではありません。筆致も大胆で不羈奔放です。対して常信はまとまりをつくり出そうととの意図が透けていて、面白みがありません。やはり永徳は天才なのでしょう。
 この絵は秀吉が毛利氏に送ったと伝えられていて、毛利氏が大切に保存していたのを明治になって皇室に献上されたそうです。

 前回の国宝展では、期違いで見れなかった「伝源頼朝像」をしっかり鑑賞できました。これはお揃いの肖像画群であり、同じ構図服装で「伝平重盛像」「伝藤原光能像」も描かれています。3人の中でも頼朝像は別格で、実にクリアな肖像として仕上げられています。また、装束が微細な筆使いで描かれ、肉眼では見えないほど絹糸の織まで再現しているそうです。館内が暗いので、装束の筆跡を確認しようにも見えなくて残念でした。

 他にも注目すべき作品がてんこ盛りで、まったく飽きさせませんでした。国宝展ともなると、まったく贅沢なものです。なにせ、そのうちの数点だけを目玉に展覧会が成立するレベルですから。
 残念だったのは、撮影禁止ばかりで許可されてたのが薬師寺東塔の水煙だけでした。あんまし興味もないけど、せっかくだからと撮っておきました。もともと建築装飾なので、外に配置されているので普通に見えていることから撮影OKなのでしょう。そう考えると有難味もありません。



 前回の国宝展は京都国立博物館の平成館だったので、広くて助かりました。大阪市立美術館もそれなりの広さでしたが、このレベルの国宝展を開催するには、さすがに広さがやや足りないかなあと思いました。
 私が到着したとき、入場行列が90分待ちでした。我々は団体予約だったので、別口から早々と入館できたので助かりました。それでも作品間のスペースをもっと取らないと観にくくなります。その点、京都国立博物館平成館は作品ごとたっぷり間隔を空けていて見やすかったです。以前の明治古都館が狭すぎるんですけどね。

 近隣の中学生も授業の一環でしょうか、大挙して鑑賞していました。生徒たちも、その若さで名品傑作に出会ったなら、きっと感ずるところがあったでしょう。私もガキの頃に体験したかったです。
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弐百九    政府備蓄米大放出(2025/5/28)
 本日の讀賣新聞オンラインの記事「備蓄米に想定超える申し込み殺到、新規受け付け「いったん休止」発表…「先着順」も見直しへ」です。

 随意契約で売るのが適正な手続きかの問題がありますが、今の異常事態への対応策としては、致し方ない面もあるでしょう。小売価格が1年前に比べ、1.5〜2倍にも高騰しています。
 平成の米不足のときも異常ながら、ここまで高値となると、今回は違った理由もあるのでしょう。米穀業者以外も参入してると噂されています。当方の自治会にも聞いたことのない業者が米の買い付けに訪ねてきたそうで、まさに狂騒曲の趣です。それが素人だと温度管理も知ったこっちゃないでしょうから、いずれ不味い米ばかりになりはしないか心配です。

 小泉農水大臣は果敢にやってくれますね。ここまでの動きは政治家でないとできません。役人は法律に拘束されますし、大臣みたくマスコミ対応も無理ですから。

 JAに売り払った古米は流通に時間がかかっています。精米して個別包装うえ売り出すとなれば、それなりに時間がかかるのも仕方ありません。加えて、「複数原料米」の記載ですから、ブレンド処理までやってるんですね。
 ここが納得いきません。ブレンドすれば必ず味が落ちます。都会の方は気づかないかもしれませんが、農家の人間には耐え難い不味さとなります。近隣の同じ品種であってさえ、複数農家産米が混ざると不味くなります。カントリーで混ざった米が不味いと皆が口を揃えて言ってます。

 コロナ以前の自治会サポートの葬式で散々体験しました。自治会員各戸が米を持ち寄ってお斎の炊き出しをします。その場合には大釜で強力なガス炊飯を行うとあって、それなりに美味いです。しかし、余った米を当該家に渡すのですが、これがまあ不味いこと。我が家の葬式でも、余った米があまりに不味くて消費するのが苦痛でした。

 当初備蓄米は古米だそうで、冷蔵貯蔵といえ決して美味くはありません。それをブレンドするとなると、余計に不味くなります。手間もかかることだし、ブレンドせずに古米として市場に出すべきだったと思います。

 それと、随意契約による古古米、古古古米については、玄米での販売も行うそうで、これは大正解です。都会はいざ知らず、郊外ともなれば精米所を利用できるでしょう。田舎だと100円/10kgが一般的です。私は一袋30kgごと精米しています。つき方は“普通”でやってます。
 玄米なら、30kg の袋から5kg の袋に移し替えるだけです。これなら簡便に市場に流せるでしょう。で、玄米を買って精米する家庭も多いかと思います。最初からそうすれば、市場に素早く出せ、右肩上がりの価格に冷や水を浴びせることができたものを。

 おそらく全国的に精米所が減少しているのでしょう。ほとんどコイン精米機に置き換わりましたから。昔は近所に精米所が2か所あって利用していたのが、1軒は老齢で廃業し、もう1軒はコイン精米機に押されて廃業しました。
 都会の車を持たない方々にとっては、玄米を買う選択がないのでしょうが、それ以外は玄米での販売でいいじゃないですか。わざわざ精米する手間で以って、世間への流通を遅らせるのは時間の無駄です。玄米のまま、ブレンドせずに包装すれば手間いらずなのにね。
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弐百八    キャンセルカルチャーの悪質さ(2025/5/21)
 先週のYAHOO!ニュース「重度障害児「安楽死が認められる社会である方が」医師の投稿波紋」です。

 上の記事を投稿したのは「ふくろう訪問クリニック」上松院長で、同医師は 「『産んだのだから死ぬまで責任を持てよ』と両親に責任を負わせ続ける社会は、余りにも当事者達に無慈悲過ぎる」「両親が育てるのだと決めたら全力応援するのは前提で。両親の人権も大事」と親を障害児育児の負担から解放するために安楽死が認められるべきとする持論をXで述べました。

 これに対するSNSへの書き込みが、次のようなものです。
 「たとえ重度の障害を持っても安心して生きられる社会に変えようとせずに、障害者の死を求めるとは、人の死をなんと思っているのか」
 「障害者に対するヘイトクライムを起こした殺人犯と紙一重」
 「命を何だと思っているのか」
 「この意見の卑怯なところは、『親のため』的なおためごかしを偽装しながら、生命の与奪という負わせるにはあまりにも重い選択を、両親に強いているところ」
 「それは安楽死じゃなくて殺処分です」


 SNSへの書き込みはショートメッセージの体を取るので、どうしても切り取り意見風にならざるを得ません。すると、上記引用がそうであるように、感情的な断罪コメントばかりとなります。本来、安楽死は深いテーマで、簡単に語れるものではありません。上村医師の意見を多重に考察しなければいけないのを、その内情を精査しようとする態度が見られません。
 実は、これは某界隈によって戦術的に行われている手法でもあります。

 KADOKAWAから『IRREVERSIBLE DAMAGE』の翻訳本が出版予定であったのが、批判を受けて出版中止となりました。代わって産經新聞出版から『トランスジェンダーになりたい少女たち』として出版されることとなり、発行元や複数書店への放火脅迫によって取扱いを止めた書店もありました。

 出版中止の呼びかけで中心的役割を果たしたのが、学者や研究者で、彼ら彼女らは本を読みもせず、トンデモ医療本のレッテルを貼って非難しました。書店員が実際に本を読んで、「読めばヘイト本でないことが分かります。10代の子供たちを救おうとして書かれた本です」と紹介したところ、激しいクレームが寄せられて取り扱いを中止したケースもありました。

 弐百参    大阪万博オールジェンダートイレの意味とは(2025/4/21)でも同じ問題を示しています。それら主張や社会活動に対して、問答無用式で潰して無き者にするやり口が幅を利かしています。そのような手口の例は他にも一杯ありますが、いずれもキャンセルカルチャーの実行者たちは、“ノーディベート”戦術を採り、差別者、差別主義者のレッテルを貼り、言論や社会活動の場から抹殺します。

 安楽死に止まらず、落陽の日本が直視すべき課題はたくさんあります。ところが、課題を俎上に上せることさえ許さぬ方々がいるんです。キャンセルカルチャーの活動家たちは意図してやってることながら、悪気もなく引きずられている方々もいます。申しわけないけど、そのような向きを衆愚と呼ぶべきなのでしょう。小人閑居して不善を為すというやつです。怖いのは、SNSのフィールドにそのような衆愚が溢れていることです。これを正すのはなかなかに難しい話です。
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弐百七    貧しくなった日本の現実(2025/5/14)
 先週のYAHOO!ニュース「【独自】東大教授ら“高額接待”強要か“1回100万円も” 化粧品団体が提訴へ」です。
 俄かには信じ難いニュースです。今の大学は独立行政法人化されていて、職員はみなし公務員として扱われています。その場合の取り扱いがどのようなものかは解らないのですが、東京大学は巨額の国費が投入されていますから公務員同等と看做すのが適切でしょう。

 報道内容からすると、これはもう言い逃れもできません。

 団体側は約3900万円の損害賠償と研究の再開などを求めて裁判を起こす方針です。

 と同時に刑事告発すべきでしょう。こんなの収賄罪から逃れようもありません。それも大学がらみとしては、過去に例がないほどの悪質さです。日本化粧品協会側としては、贈賄罪が問われるのを懸念してるのかしら。返り血を浴びても正すべきです。でないと、団体側自身の軽重を問われます。

 解らないのは東大教授たちです。こんな分明ともいうべき犯罪行為を堂々とやらかすのですから。告発されれば懲戒免職一本道だし、収賄罪で逮捕まである案件です。頭のよい方々であろうに、なんでこんな犯罪に手を染めたのか理解に苦しみます。

 大学職員たちの今の空気がどのようなものであるか見当もつきません。想像ですけど、独立行政法人化によって公務員規範が緩んでいるってことはないでしょうか。私も仕事で外殻団体を管理してたことがあります。法律で設置が義務づけられた団体で、重要な役割を担っていました。職員は準公務員として身分保障が為されていました。
 ところが、職員たちに所謂公務員規範は無縁でした。仕事内容は公益事業ながら、公務員としての意識は無縁でした。行政の一翼を担っているといえ、限られた業務に限られた権限、すべて我々の指揮下でルーチンワークをこなすだけですから仕方ない話ではあります。

 しかし、大学職員―特に先生は別です。教育指導とは別に、研究という重要な役割を担っているのですから、自身を律すべき点もまた自覚、自認すべきです。それが希薄ということは、大学内に緩んだ空気があるように思えてなりません。もちろん、自身を厳しく律している先生もいるでしょう。上の東大先生みたいなのは、他の先生からすれば大迷惑でしょう。


 10日ほど前に話題なった「大阪市立図書館、4月から窓口業務の事業者が代わり予約した本が届かず、貸出列の待ち時間が長引いている」です。

 業務委託により、図書館業務にバイトを配し、仕事が回らくなったとのことです。これも大学の独立行政法人化や科研費縮小などと同じ問題です。

 togetter への書き込みを見ると、皆さん勘違いしています。図書館司書は大事な仕事なので、正規職員がすべきとか書かれています。これ、図書館司書に限った話ではありません。嘱託など非正規職員への転換は、あらゆる部署で進められています。また、業務委託、指定管理者制への切り替えなども同様で、多方面で起こっている問題です。

 これらすべては、金にまつわる話です。正規の図書館司書を配せよは、大きな政府維持のスタンスです。その場合には、大増税重税を受忍するのを解とする考えです。その逆が、サービスを終了させ、合理化達成とする考えです。ただ、法律で設置が定められている場合は簡単に廃止ともいかず、なんとかゾンビ化させても維持に努めなければいけないケースもあります。
 どうあるべきか、なにが正解か、私には判りません。
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弐百六    井上選手ら、シンコ・デ・マヨを救う(2025/5/8)
 毎年5月連休中にボクシングのビッグマッチが開催されます。日本だと春の連休、北米だとメキシコ人の祝典シンコ・デ・マヨで盛り上がります。
 今年は2日(日本時間3日)にタイムズスクエアに臨時密閉リングが組まれ、招待客だけの試合が行われました。3日(日本時間4日)には、サウジでもビッグマッチが行われました。
 この両日の試合がやる気のない内容ばかりで、ファンだけでなく関係者からもボロクソに叩かれました。以下は、ジャーナリストの片岡亮氏の翻訳を引用したものです。

 ティモシー・ブラッドリー氏
 「期待外れ。見ていて腹が立った。バカにされているような試合だった。どの試合もガッカリした。全員、ひとり残らず、ひどいと思った。ハングリー精神が感じられない。金のためだけにやってる。それが今のボクシング界の最大の問題…みんな高いギャラをもらうために並んでる。それだけ。このスポーツを盛り上げようとか、伝説を残そうとか思っていない」

 オスカー・デ・ラ・ホーヤ氏
 「トゥルキ・アラルシク(サウジの資金提供者)が本当に気の毒。彼は選手たちに大金を払って、ファンのために素晴らしい試合を見せようとした。でも、肝心の選手たちがちゃんと戦わなきゃ意味ない。デビン・ヘイニーみたいにダンスしてるだけじゃダメ。あいつはホント、ホセ・ラミレスに何発かもらったら、すぐに自転車に乗ったみたいに逃げ回るだけになってて。あいつはもう終わったよ。
 カネロもさ…頼むよ。あんなに高いファイトマネーもらって、走るだけしかできないって分かってたキューバン・スタイルの相手を自分で選んだくせに、後になって「逃げ回る相手とは戦いたくない」なんて言うな。最初からそういう相手を選ぶな。みんなが見たいのは、ベナビデスとの試合だった。ベナビデスは逃げない。いい試合になるじゃないか。なんでやらない? 残念だよ。そういう姿勢は上から下へ影響する。金のために戦って、レガシー(名誉)のためじゃないってなると、若い選手たちもみんなそのパターンを真似する。それってプロモーターや出資者、ファンに対してダメでしょ。ファンはいい試合を見たいんだから、ちゃんと戦えよ!」
 なお、デ・ラ・ホーヤ氏はXで、「Inoue saves 5 De Mayo!!!!」と記しています。井上選手がシンコ・デ・マヨを救った!と謝辞を述べています。先行2興業のお粗末試合が、よほど腹に据えかねたのでしょう。

 ジョエル・ディアス氏(井上戦の対戦相手のトレーナー)
 「ボクシング界、ファンにとって残念なことでした。タイムズスクエアでの3試合、実際にはファイトがなかった。正直、見ていて退屈で、連中があれで高額のファイトマネーをもらったことにむかつきます。その額に見合ったパフォーマンスを見せなかった」

 私はファンたちによる試合実況の書き込みを眺めていただけなので鬱憤が溜まったわけでもなく、みんなフラストレーションが溜まってるなの感想だけでした。しかし、そのおかげで4日(日本時間5日)ラスベガスで開催された井上選手の試合を余計に価値あるものにしてくれました。連日の世界的ビッグ興業が、井上興業の引き立て役になってくれた案配です。

 前座で東洋太平洋フェザー級王者の中野選手がプエリトルコの選手(16勝1敗)から5度のダウンを奪って4RTKO勝ちでした。石の拳みたいな豪打で圧勝したそうで、こういう勝ち方をすると世界中のプロモーターが放っておきません。いい道が開かれたかと思います。

 メインエベントの井上選手は8RTKO勝利でした。ただ、2Rに左フックをまともに貰って効いたダウンを喫したそうです。ネリ戦みたく、近間で不用意に攻撃的に行き過ぎたみたいです。

 世界中のボクシングファンが塩試合連発にうんざりしていたところ、井上選手たちが熱戦で盛り上げてくれました。特に大トリを務めた井上選手は、間違いなく世界の頂点ボクサーの一人に位置づけられたことでしょう。これは、かつてパッキャオ選手が得ていた評価です。世界戦23KOとなり、ジョー・ルイスの22KOを抜いて単独トップに躍り出ました。これは、文句なくレジェンドとして語られるであろうレコードです。

 YouTubeに試合動画が上がっていたので確認しました。海賊動画なので、部分トリミング映像ですけど。
 対戦相手のWBA1位ラモン・カルデナス選手は、相手の打ち終わりに左フックを強振して合わせる練習を積んでいました。ドネア選手がこれをハイレベルに我が物としていて、全盛期に鮮やかなKOを重ねました。ダルチニアン選手、モンティエル選手、シドレンコ選手などの強豪を一撃で打倒したあの左フックです。
 2Rに見事に食らいましたが、それ以後はすべて外しました。カルデナス選手側からすると、以後の左フックは距離合わせが上手くいかなかったものでしょう。
 井上選手もさすがに効いたのでしょう。ダウン以降、パンチが上体主導の力みパンチに見えました。強打の源である下半身を土台とする蹴り出しが曖昧というか、一体化していなかったやに見えました。肉体的ダメージというより、精神的な齟齬に感じられました。素人の勝手な感想です。
 井上選手は絶好調でないくらいが見応えがあります。勝ち負けの結果が予断を許さぬ展開となって惹きこまれますから。

 セミファイナルを務めたそのラファエル・エスピノサ選手も7RTKOで圧勝しました。エスピノサ選手こそがフェザー級最強であり、井上選手を脅かすラスボスです。エスピノサ選手は自身の利を生かしたボクシングをより磨き上げていて、井上選手にはなかなか勝ち難い相手です。この一戦こそが、最も待ち焦がれるビッグマッチです。
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弐百五    就職氷河期世代は報われるか(2025/5/1)
 先日のニュース「「就職氷河期世代」支援で建設・物流業への就労拡大など検討指示」を内容に合わせて物流関係サイト(LOGI-BIZ online)から紹介します。

 就労・処遇改善、社会参加、高齢期への備えの3点を軸に支援していくことを示した。
 会議の議長を務める石破茂首相は各閣僚に対し、この3点に沿って政策を充実・強化させていくよう要請。
 具体的には、農林水産、国土交通の両相に農業や建設業、物流業などの分野で就職氷河期を経験した世代の就労拡大を図ることを求めたり、厚生労働相に賃金上昇につながるリスキリング(再教育)を含む就労・処遇改善の支援を図ったりすることなどを指示した。


 就職氷河期世代が就職で苦労したのは、そのとおりです。求人と求職のミスマッチがあったのは事実です。一方で、職がなかったわけではありません。そのミスマッチの筆頭が事務職です。これは今も続く解決しえない問題です。

 氷河期世代にしても、ブルーカラーを希望すれば職はありました。今も昔も事務職については、「求人<求職」です。逆にものづくり系は、圧倒的な「求人>>求職」関係があります。ものづくり系であれば山ほど仕事はあったし、求人サイドからすれば大歓迎でした。技能習得の必要性があれば、新卒者なら無料で公共訓練が受けられました。そんな風に道は開かれていたものの、誰もが行きたがらなかったのが現実です。

 氷河期世代への支援といっても難しい面があろうかと思います。すでに中年ですから、技能の習得向上も若い者に比べて難しいのが現実です。まして、若い頃から忌避し続けてきたものづくり技能労働者への道を誘われ、果たして今になって方向転換するでしょうか。もちろん、こういうのは人それぞれで、考えを変える方もいるでしょうし、避け続ける方もいるでしょう。

 フリーターは、バブル時代に好景気を背景にして多様な職種と高賃金で増殖しました。ところがバブル崩壊後に厳しい環境に立たされました。21世紀初頭の超氷河期時代には、正社員への道を諦め、フリーターを選ぶ、あるいは選ばざるを得なかった若者が多数発生しました。彼らに対する就職支援は、長く労働行政のテーマでした。私も長く携わっていましたから。

 そのような厳しい状況の中、諦観とともにフリーター人生でよしとする若者も多く生まれました。組合関係者から哀しい話も聞きました。正社員への道を提示しても、むしろ断られるケースが多々あったそうです。気楽なフリーター生活に慣れた結果なのでしょう。

 そのような経緯を間近で見たきただけに、冒頭の就職支援策が上手くいくか疑問を持ってしまいます。また、就農支援にも携わりましたが、さすがに人を惹きつける雇用条件や自立成業の難しさがありました。
 もちろん、氷河期世代が救われることを祈っています。ただ、その難しさも身を持って知っているんです。
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弐百四    ウクライナ戦争がもたらす変質(2025/4/24)
 ドイツのウクライナへの武器支援は、最初はおっかなびっくりだったものの、今は全面的な支援が行われています。すでに、それら実戦投入での現場評価が得られていて、軍民両面で対応が検討されています。

 「大型装備品で「戦争に完全に適する」ものはほとんどない
 このリンク先は、ドイツの報道番組がドイツ軍の内部文書や観戦武官の報告及びインタビューをまとめたものです。

 PzH200(155mm自走榴弾砲)
 カタログスペックは抜群ながら、ハイテク機器が故障しやすく部品の消耗度が高く、砲身交換含め戦場での修理はほぼ不可能。この点は他の兵器にも共通していて、技術的な面だけでなく、ドローンの脅威下では戦場近くでの修理は自殺行為。

 レオパルト2
 戦場整備がほぼ不可能なうえ、回収整備に専用車輛が必要。回収したところで部隊での整備は無理でメーカーへの要後送。

 レオパルト1
 除籍廃品分をラインメタルが整備してウクライナへ送ったもの。
 装甲が薄いので前面戦闘に出さず、後方からの砲撃支援に使用。なので、戦場での価値が低い。

 対空ミサイル Iris-T
 ドイツによる支援武器中で最新鋭兵器。ミサイルが高価なので、すぐに弾がなくなって遊兵となる。また、運搬車両が古くて交換部品が供給できない。

 ゲパルト
 ウクライナが最も感謝している支援武器。頑丈で射撃が精確なうえ、地上目標にも有効と高評価。修理が簡単なのも高評価。

 装甲車両 マルダー
 本来更新されているべき古い車両ながら、装甲が厚く操作が簡単で壊れにくいと高評価。

 高評価なのは古い兵器ばかりです。それとは別に、やはりドローンが重宝されています。木製ドローンHF-1こそが最も満足度が高いそうです。すでに4,000機がウクライナに納入済みで、これに加えて射程を延ばしたHX-2が6,000機受注されたそうです。

 キエフ駐在のドイツ大使館の副武官の結論を概ね次のようなものです。
 「ドイツの大型装備品はほとんど戦争に完全に適していない」
 「複雑な装備は使われないままである」
 「部隊が現場で修理を行うことができない場合、高度に近代的で複雑な大規模装備の運用価値は低い」

 ご尤もな指摘で、ウクライナ戦争によって変質している戦争について、本邦も共通認識を持つべきかと思います。なんか自衛隊というか防衛省さんは、他人ごとのように眠っています。
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弐百参    大阪万博オールジェンダートイレの意味とは(2025/4/21)
 先週の讀賣新聞オンライン「法的に女性は「生物学的な女性」に限定、英最高裁が判断…トランスジェンダー巡り「女性の機会奪う」」です。これは極めて重要な判決です。

 スコットランド自治政府が、行政機関への女性の登用を進める際、出生時点で男性だった人でも、トランスジェンダーなら女性として扱ってきたことに対し、原告の女性団体は、「女性の機会が奪われる」などとして異議を唱えていた。
 ことに対して、
 英国の最高裁は16日、女性の定義が争われた訴訟の判決で、法的に女性と認められるのは生物学的な女性に限られるとの判断を示した。


 西側先進国で、よろしくない潮流が生まれていたのを、決定的ともいえる判決で流れを押し戻すものです。元々はアメリカで生まれた潮流が、巨額資本をバックに広められたものです。日本でも由々しき事態に至っていたのが、この判決を境に見直しが為されればよいのですが。

 トランスジェンダリズムでいろいろトラブルが起きていて、特に問題なのが男性による性転換手術なしでの性自認です。これによって重大な性犯罪が惹き起こされ、女性の安全が脅かされています。ひどいケースだと、自認で以って女性刑務所に収容され、女性受刑者に性加害を加える事件もありました。
 ・女性専用スペースでの犯罪
 ・レズビアンへの接近
 ・幼い女児との空間共有
 これらに警鐘を鳴らし、対応を求める取り組みが為されていて、日本だと「女性スペースを守る会」などが立ち上がっていました。ところが、それら団体が悪質な攻撃に晒されている現実があります。昨年10月、千葉県主催の女性に対する人権講演が、LGBT活動家としばき隊に潰されました。このときのタイトルが「女性スペースを守る活動とは」でした。
 抗議によって熊谷知事が日和った結果だそうです。このように、女性の人権を守ろうとする運動に対し、声を上げることさえ許さぬ勢力がいます。

 台湾にも似たような状況があり、むしろ日本より数歩進んでさえいます。台湾政府は将来的に手術なしでの身分証変更簡素化を約束しています。地方自治体もこの趨勢を受け、新規建設施設には「性別友好的なトイレ(オールジェンダーのこと)」が増え、女性用トイレが減っています。観光地の公共トイレでは、すでに女性用がほとんどなく、上のトイレや親子用トイレばかりだそうです。台北市では学校改修の補助金申請には、性別友好的なトイレの設置が必須だそうです。

 台湾のトランスジェンダリズムの中心人物は、批判的意見を濫訴で圧し潰そうとしています。すべて却下棄却されましたけど。その方は日本でも精力的に活動していて、私も攻撃対象になるのが怖く、詳しい人物像を書くのが憚られます。

 大阪万博でも“オールジェンダートイレ”が大幅拡充されています。大屋根リング上トイレと、東ゲートゾーントイレだけは、“オールジェンダートイレ”を配していないものの、その他ゾーンでは“オールジェンダートイレ”が主にさえなっています。バリアフリートイレが多いのは結構なことですが、“オールジェンダートイレ”が多いことは、決して褒められたことではありません。しわ寄せを女性が被っているからです。
 トイレ46か所のうち18か所に、“オールジェンダートイレ”計112台設置されているそうです。その設備は、両側に男女共用の個室トイレが並び、中央に同じく共用の洗面台と鏡があるそうです。ただ、すべてが完全共用ではなく、女性専用の個室トイレも3室設けられていて、男性専用の個室はないそうです。また、小便器はさらに奥まった位置に設置され、女性も使う共用スペースを通り抜ける配置だそうです。

 これは女性だけでなく、男性であっても使い勝手が悪いです。この点に関し、すでに前例があります。2023年4月に開業した東急歌舞伎町タワーにも“オールジェンダートイレ”が設置されていました。共用個室8室、女性用2室、男性用2室の構成だったものの、「女性や子供が安心して使えない」という批判が噴出し、わずか4か月後に全面的に男女別トイレに改修されました。
 東京五輪を機に普及が始まったとか言われていますが、風潮に流されるのでなく、立ち止まって考えていただきたいです。大阪万博トイレの設計デザインを担当した方々にも省みてほしいです。いえ、担当者はグランドコンセプトに従わざるを得なかったのかもしれません。多分そうなのでしょうが、原点に立ち返っての使い勝手を主張してほしかったです。
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弐百弐    変わらずネット記事は玉石混交(2025/4/12)
 補聴器を必要に応じて活用しています。TV番組で込み入った内容の場合には、すかさず着用しています。TVの音声が大きいと、耳の負担も大きくなって聴力をより劣化させてしまいます。できるだけボリュームを下げるのに大いに役立っています。
 洋画だと字幕があるので関係ありません。つまらない番組なら聴こえようが聴こえまいが、これまた関係ありません。報道番組など、内容に耳を傾ける必要があるケースなどで助かっています。

 Merkmalの「EVさらに失速? なぜEUは「炭素繊維」を目の敵にするのか?「環境」は口実? 日本勢52%シェア、EV戦略、ブランド防衛…規制の真意を考える」です。

 自動車ジャーナリスト鳥谷定氏の記事です。よくもまあ、安っぽい陰謀論を語れるものです。こういう他責指向のネトウヨが喜びそうな言説が、ネットでよく見られます。また、そんな安づくりの記事をメジャーどころが転載するんですね。この鳥谷氏の記事もYAHOO!ニュースが転載していましたもの。

 EUがEV路線を採ったのは、HVで先行された日本メーカー潰しだのの言説もよく聞かされました。事実はまったく別のところにあるのにね。

 炭素繊維をボディにまで採用しているのは、特別仕様のスポーツカーかスーパーカーくらいのものです。一部に使うのは結構あります。ダッシュボード、ルーフ、ボンネット、ブレーキローターなど、特別仕様として用意されたりもします。炭素繊維が分解もできず、有害な廃棄物となるのは昔から知られたことです。環境保全の観点からは、しごく真っ当な政策です。こんな解りきった話でさえ、陰謀論に落とし込む安っぽい記事です。

 規制はむしろ、EUメーカーに厳しい話となります。コストを厭わぬスーパーカーやスポーツカーが、軽量化を目指す際に必要とするもので、規制されることによってEUメーカーこそが困る話です。東レや帝人がEUメーカーにどれほど食い込んでいるかは知りませんが、規制されたとて困るとも思えません。

 規制によって市場が縮小すれば、そこでEUの素材メーカーが生き残れるはずもありません。市場を潰すこととEU素材メーカーを育成することをどう両立させようっていうのでしょうか。話が矛盾しています。

 こんな言説が蔓延るのも、それを喜ぶネトウヨがいて、その需要に応える余地があるからでしょう。玉成混淆を見極め、石を干上がらせるよう我々一人一人が見定めなければいけません。
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弐百壱    ついに補聴器のお世話になります(2025/4/1)
 私はオーディオマニアなので、耳の劣化を都度自覚してきました。20年ほど前にオーディオ趣味を再開した際、高域の聴き取り感度低下に気づきました。音がきつく感じられたのです。機器チェックのための20Hz〜20KHzスィーブ信号を流すと、音量が凸凹してショックを受けました。
 そのあたりのことは、オーディオの章に詳しく書いています。我慢がならず、中高域が繊細気味のCDプレーヤーに買い替えたり、リボン型のスーパー・ツィーターを付加したりで、涙ぐましい対策を施しました。

 劣化はどんどん進行し、50半ば過ぎからは話し声が不明瞭で聴き返すようになりました。60代半ばには会話に往生する場面も出来し、もはやこれまでと補聴器を試しました。電気店のフェアに招かれた際、補聴器体験コーナーに足を運びました。Panasonic の営業が来ていて、しっかりお試しさせていただきました。

 今のデジタル補聴器の威力は大したものです。曖昧模糊とした子音が明瞭となり、かつてのように人語を過不足なく把握できました。ただ、音調が生音とは異質とあって、その時点では導入をパスしました。
 その後もTVのアナウンスが聴き取り辛く、音量を上げ気味にしがちです。しかも劣化具合が確実に進行しています。放置すると、音量を増やして余計に耳を悪くします。
 そこで、例の電気店のフェア開催時に、再び補聴器体験を訪ねました。上の経緯を話すと、担当営業が「それはチャンネル数が関係してくるんです」「以前に体験したのが24chで、新型は48chなので、より生音に近づいていますよ」とアドバイスされました。後で解ったのですが、問題は別のところにありました。

 なるほどと納得したものの、購入せずにグズグズしていましたが、先週のこと思い立ち、眼鏡で長く世話になった近在の店を訪ねました。そこは、Signia とかのブランドを扱っていました。巷ではONKYO か Panasonic が有名なので、どんなものか不安でしたが、試して問題なければよかろうと話を進めました。なお、Signia は元がドイツのシーメンス製で、歴史ある製品だそうです。

 Panasonic 体験時と同じく、増幅レベルを2段階下げてもらい、さらに低い帯域のレベルも下げていただきました。ご主人も感心していました。私の帯域レベル下げ指定が、ぴったり私の聴力感度に合致していたんです。
 その後、48ch、36ch、24ch、16ch ごとのシミュレーションも体験し、安価な24ch で十分と判断できました。むしろ、上のチャンネル数より24ch の方が明瞭に感じられました。さすがに16ch は曖昧でしたけど。

 次いで、それまでの耳穴式に変えて耳掛け式を試しました。耳穴式は完全に耳を塞いで人工音に置き換えるものです。耳掛け式は環境音が入り込むのをそのままに、人口音を付加する方式でした。おかげで音調がより自然で気に入りました。以前に感じた不自然さは、耳穴式ゆえでした。極小のマイクとスピーカーで音を作り出すのですから、生音と異質なのも当然です。
 風音、周辺の雑音遮断、反響抑制、特定相手への指向性など、環境への多彩な対応機能がありますが、それら設定をオフにしました。その方がすっきり感があるのです。私の場合、日常生活で利用する気はなく、TV音声聴き取りや大事な会話場面だけで使用する予定なので、今は不要です。必要になれば、再設定すればいいだけですから。

 貸し出し体験も不要とし、その場で24ch モデルを注文しました。で、本日のこと品が届いたとの連絡で受け取ってきました。4日前に設定したイコライジング・バランスがそのまま移行されていて、なんの文句ありませんでした。使っているうち、新たなバランスが欲しくなったら再設定していただくことにして受け渡し完了となりました。

 あとは左右合わせて45万円を振り込むだけです。高いけど仕方ありません。普段は着けず、TVのアナウンスを聴いたり、大事な会話をするときだけ着用する予定です。若いつもりは毛頭ないけど、補聴器が必要となる現実が哀しいです。
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