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百八拾  光明というか希望(2005/3/13)
百七拾九 なにを今さら(2005/3/6)
百七拾八 いくつかのケリ(2005/2/27)
百七拾七 エージングとテラーク(2005/2/20)
百七拾六 MDの怪談(2005/2/12)
百七拾五 SY-Λ88U賛歌(2005/2/6)
百七拾四 法の行われざるは(2005/1/30)
百七拾参 報道と作為(2005/1/23)
百七拾弐 エージング完了間近(2005/1/16)
百七拾壱 エージング(2005/1/9)
百七拾  国家の自立2年目(2005/1/1)
百六拾九 スピーカー完成(2004/12/28)
百六拾八 年末読書三昧(2004/12/26)
百六拾七 能力主義と成果主義(2004/12/19)
百六拾六 眩しいコンデンサ群(2004/12/15)
百六拾五 混沌(2004/12/12)
百六拾四 ネットワーク大失敗(2004/12/4)
百六拾参 秋の夜長にミステリ(2004/11/28)
百六拾弐 新・大改造(2004/11/21)
百六拾壱 続・大改造(2004/11/18)




百八拾  光明というか希望(2005/3/13)
 スティーブン・キングの傑作中篇「霧」(「骸骨乗組員」に所収)のラストは、この“希望”という言葉で締めくくられています。またき絶望の世界が描かれる中、ラジオから「hope」がかすかに流れるラストは絶妙です。この傑作に触発された菊池秀行は、やはり中篇「領海侵犯」を書いています。このキングへのオマージュたる中篇もまた菊池氏に似合わない傑作に仕上がっています。

 ここ1週間の間、ややもすると悲観的に塞ぎこみたくなる状況下に光明が見えました。この感覚は、「霧」のラストの暖かさにも似ています。

 堤氏が「すべて私が部下に命じてやらせたことです」と供述しているそうです。あとは堤氏も見苦しいあがきをせずに、塀の中で罪を償ってください。

 もう一点、ニッポン放送の1.4倍に及ぶ株の増資について、地裁が違法であるとの判断を示しました。経営権がどうなろうと関係ないですが、違法性の高い増資をうやむやにしなかったのは喜ばしいことです。ややもすると、政治の意向や世論に司法判断が傾くことはありがちです。今回も、自民党議員の反ライブドアの空気に左右されやしないかとひやひやしました。
 法を守ることの大切さを青少年に諭すには、大人社会そのものが法に順わなければいけません。とりあえず公正さを世間に示すことができたのではないでしょうか。

 ボクシングヘビー級混沌のなか、期待のホープがのしてきました。サミュエル・ピーターというナイジェリアの選手で、強打のファイターです。現時点では防御がよくないです。振り回す強打が防御を兼ねていますが、もっと上の相手とやったら必ず弱点を突かれるでしょう。今後いいトレーナーに恵まれれば、克服して攻防兼備のボクサーに仕上がる可能性があります。そのときには、ひょっとするとデビット・トゥァーの上をいくかもしれません。少し楽しみが増えました。
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百七拾九 なにを今さら(2005/3/6)
 TVでもWebでも“西部王国崩壊”の字句が踊っています。コクドやプリンス、西武鉄道の経営手法に対する批判的記事があふれ返っています。ついには、「長野五輪を錦の御旗に ホテルなどに専用道」などといった記事まで書かれています。毎日新聞さんもえげつないことです。いまさらこんな記事にニュース性があるとでもいうのでしょうか。堤氏逮捕にひっかけての関連内容がこれではお粗末です。もし、道路についての不正に触れるなら、長野五輪誘致時期に反対派と誘致派が運動や論戦を繰り広げているときに書くべきです。あの時期、書くべきことは多かったはずです。プリンスのリゾート開発地−早い話がホテルや別荘地へのアクセス道路が税金で整備されていたのですから。もちろん五輪を名目にしてのことでした。

 ほかにも長野誘致に向け、IOC理事への運動費20億円の不透明性なんか怒りさえ覚えます。この運動費を拠出したのは大手ゼネコン5社でした。で、五輪施設のうちの大型施設建設を請け負ったのもこの5社です。長野五輪は、コクドと大手ゼネコンが自分たちの利益のために仕掛けたものです。結果、長野県には巨大な環境破壊と巨額の負債が残ってしまいました。一体誰のための五輪であったのか、日本国民は厳しく問いかけるべきです。湾岸戦争や現在進行形のイラク侵略が、アメリカ産軍複合体の利益ための戦争であったことは周知です。それに対する批判も轟々たるものです。なら、同じような長野五輪に対する批判も同様に大きな声にするべきです。というか、毎日新聞も五輪開催当時において、こういった記事を書けば立派だったのですがねえ。


 この3月から半年間にわたって実施される愛知万博もふざけたイベントです。“自然の叡智”をテーマにしながら、巨大な環境破壊を恥ずかしげもなく行っています。“すでに破壊が始まっている愛・地球博!どこに愛が?”の画像をご覧ください。
 識者の間では、経済波及効果などないとの考えが一般的です。
 「経済が健全でない現状では、利益は建設業界に吸収され、投資額に対する効果は一倍以下」
 「公共事業などの経済効果が落ちており、有効でない」
 などの指摘が為されています。もちろん県や協会の試算は夢のような数字が並んでいるわけですけど。予想入場者数が根拠もなく大きく、結果は悲惨なものに終わるだろうというのは予想できることです。


 話を堤氏に戻します。私が長野五輪がらみで最も問題だと思うのは、JOC会長を堤氏が務めていたことです。直接的な利害がある人物が公的な職にあることを、当時の識者はなぜ非難しなかったのでしょうか。堤氏がどうしてもJOC会長を務めたいなら、コクド・グループの会長職を離れるべきでした。昔、自民党の旧河本派会長の河本敏夫氏は、三光汽船の社長職にありながら衆議院議員を務めていたのと同じです。これって、何故許されるのか私には理解不能です。イギリスでは、選挙に出馬する者は必ず民間の職を辞す必要があります。ジェフリー・アーチャーの「めざせダウニング街10番地」を読むと、そのあたりのことが小説上の重要なプロットとして扱われています。

 長野五輪は、利害衝突の問題があからさまになったケースです。自己の所有するリゾート施設の利益のために五輪を誘致し、さらにはインフラ整備まで税金でやらせたのです。このようなことが白昼堂々と行われたのです。
 マスコミには、堤氏が逮捕された後にあれこれ言うのでなく、五輪誘致あるいは施設やインフラ整備時期に声を上げて欲しかったです。
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百七拾八 いくつかのケリ(2005/2/27)
 堤義明氏の逮捕は、先が見えてきたようです。これで在宅起訴だの不起訴だのになったら、不公平感は世を覆うでしょう。
 芸能人の“あびる優(私は不明にして知りません)”が番組中で喋った内容が問題になりました。
 「ちょっと前に、(時効の問題が!と突っ込まれ言い直して)ものすごく前に、店の倉庫から食べ物や飲み物とかを集団(5〜6人)でダンボールで運び出してたんですよね。あとは友達とかに配布してました。それを半年ぐらい続けていて店は潰れちゃいました(笑)」
 この発言のため、警視庁の事情聴取を受けています。まだ時効になっていないため、視聴者から「立件しないのか」との抗議が寄せられたそうです。木っ端娘の犯罪を見逃さないのなら、数十年にわたり市場を欺きつづけた堤氏の犯罪は余りにも重大です。きっちりケリをつけて欲しいものです。

 週刊誌では、かつての女性部下が愛人契約を結んでいたとかの告発記事が載っています。人間落ち目になると歯止めが利きません。TVでは経営評論家の針木康雄氏が堤氏の経営手法を非難していました。針木氏も堤氏が会長時代に批判すればいいのに。異性がらみの告白記事は、ここ10数年来の流行でしょう。宇野元総理や山崎拓氏の愛人の裏切りはドラマチックで、彼らの政治生命そのものに止めを刺しました。遡れば、“蜂のひと刺し”の榎本美恵子さんが思い出されます。榎本さんは、疑獄事件の証言ですから毛色が違います。それでも愛人の肩書きで世間の表舞台に登場した初例でしょう。元愛人の告発はなにも女性ばかりではありません。松田聖子や石原真理子なんかも、元愛人に詳細な愛欲生活を語られていました。今は、なんでも金に替えられるなら金にしようという気風が満ちています。まあ私なんか、そもそもそんな艶っぽいネタに無縁ですから安心ですけど。


 カナダはMD導入を断念しました。国内世論の反対が強いためだそうです。日本政府にも、カナダの決定を機に再考を願いたいです。先日TVインタビューで石破前防衛庁長官がミサイル防衛システムがいかに必要不可欠であるかを述べていました。なかなか説得力ある話でした。ただ、肝心の実効性についてはいっさい触れていませんでした。おそらく石破氏は、迎撃実験のデータが惨憺たる内容なのは承知でしょう。もともと彼が長官時代にアメリカと協議を進めた経緯があります。TV番組のコメンテータに突っ込んで欲しいのだけど、彼らには荷が重いのかなあ。


 WBA世界L.ヘビー級タイトルマッチにおいて、ファブリス・ティオゾに挑んだ元WBO王者ダリウス・ミハエルゾウスキーが6回TKOで敗れました。本来なら負ける相手じゃないなのですが、やはり加齢からくる衰えは逃れようがないのですね。同じL.ヘビー級のロイ・ジョーンズが無残な2連続KOを喫したのに歩調を合わせるかのような成り行きです。この二人はL.ヘビー級で圧倒的な強さを誇っていたのですが、世代交代の時期に来ていたのでしょう。むしろ、二人とも潔いばかりのバトンタッチです。
 ミハのあの雄大なボクシングがもう見られないのは残念です。恵まれた巨体から繰り出されるジャブは痛烈でした。ジャブだけで相手の頭をのけぞらせていました。相手の動きが鈍るや、一気呵成に右クロスで止めを刺します。ボクシングの見所はいろいろあるにしろ、やはり強打の魅力が一番です。最近少ないタイプだけに惜しまれます。


 H2A打ち上げ成功はめでたい話です。あとは静止衛星を軌道に載せられるかだけです。ところで、日本の宇宙開発は目的が曖昧です。核を持たず、戦略ロケットを所有しない国で、ここまでのロケット開発をしている国はほかにありません。いえ、軍事転用をしないのは見識ではあります。ならば、商用ロケット開発かといえば、これはもう完全に落第です。商用ならば、既存安定技術を使用すべきです。そうやってコストダウンと安定運用を図ればいいのです。中国のロケットがそうです。ところが、宇宙開発事業団は新規技術に拘っています。これは軍事転用を前提にした戦略に適した方向性です。識者の云う、方針の曖昧さはこの点でしょう。

 北朝鮮の核保有と弾道ミサイルの整備は、韓国と日本の核開発とロケット開発を誘引してしまいます。それを恐れるのは中国です。ですから、中国が北の核開発を許容するはずがありません。もっとも北朝鮮にその技術はありませんけど。大きな声では言えませんが、私は北の核開発を密かに期待しているのです。理由は上述しています。日本の宇宙開発も極めて明確になるでしょう。かつて清水幾太郎氏は「核の選択」を著して、日本の自立は核の所有なしにはありえないと主張していました。氏の主張は当たっていると思います。そういう状況になれば、MDがいかに有害なものであるかが実感できるでしょう。MDに対してリアルな判断ができないのも、核に対する不感症のなせるわざなのでしょう。私の文章に疑問を感じた方は、ABM(弾道弾迎撃ミサイル制限条約)がいかなる趣旨のものであるかを調べてください。説明が面倒ですので。
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百七拾七 エージングとテラーク(2005/2/20)
 私はスペアナなどという高価な機材は持っていません。スィーブ信号を流し、聴感で判断しています。
 ツィータのレベルがかなり高いので、念のためチェックしたところ、かなり高域レベルが高くなっていました。コンデンサ交換時と大違いです。これが今後収まるのか、高いままなのかは不明です。様子をみるしかありません。多分、エージングはまだまだ時間がかかるのでしょう。

 と同時に、あることに気づきました。どうにも最近のこと、重低音や超低域が薄いのです。高域のエージングを促進するため、それ向きのディスクばかりかけていたためでしょう。そこで一転、ウーファを鍛えるべく、試聴ディスクをテラークに切り替えました。私のテラーク・コレクションは下の4枚です。オーディオ・マニアの方ならよくご存知の名盤ばかりです。テラークの録音はあらためて言うまでもありませんが、空間に広がる音をワンポイントで捉えています。分厚く、豊かな響きをもち、しかも鮮度の高い録音です。また、ダイナミックな曲を選択しており、超低域まで高レベルの音が格納されています。ウーファを揺り動かす目的にぴったりです。
    

 テラークのCDといえば、下の2枚だけです。実は、「1812年」についてはアナログ・レコードも持っていたのですが、CD購入を機に友人に譲りました。そのとき一緒に、「THE DARK SIDE OF THE MOON」やマイク・オールドフィールドの「TUBULAR BELLS」や「HERGEST RIDGE」も譲りました。その頃はアナログに見切りをつけていたので、惜しくもありませんでした。でも今になって、アナログ・プレーヤーを更新したこともあって、惜しいことをしたと後悔しています。だって、これらのディスクについては、どう考えてもCDよりアナログの方が音がいいと思われるのです。「1812年」の内周の大砲の咆哮部は、溝がうねっていますもんね。
 「ROUND-UP」は西部劇関係の曲ばかり集めています。なかでも「Big Country(大いなる西部)」や「The Magnificent Seven(荒野の七人)」は大好きです。他にもTV劇の「Bonanza(ボナンザ)」「Rawhide(ローハイド)」「Wagon Train(駅馬車)」「The Lifleman(ライフルマン)」なんかの子供の頃夢中になった懐かしい西部劇のお宝です。若い方は知らないTVドラマでしょう。もちろん音は最高です。
 

 ピンク・フロイドの「THE DARK SIDE OF THE MOON(狂気)」は、学生時分にオーディオ・チェックディスクとして活用したものです。これについては、明らかにアナログが優っています。
 マイク・オールド・フィールドはレコードをたくさんコレクションしています。ロックとクラシックの融合ともいうべきプログレッシブです。マイクが19歳のとき、姉の協力を得て一人で作曲と演奏をこなしたデビュー・アルバムが「TUBULAR BELLS」です。このA面冒頭の部分が映画「エクソシスト」のテーマ曲となったのです。天才としか形容のしようがありません。
  
 当分はテラークのディスクを主に鳴らしつづけます。テラークのディスクは中高域も鮮烈ですから問題ありません。
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百七拾六 MDの怪談(2005/2/12)
 政府は2007年からMD(ミサイル防衛)を配備するそうです。またまた怪談話が始まりました。配備するっても、現実にそのようなミサイル防衛システムは存在しません。イージス艦のSM3が中距離弾道弾を迎撃できるなんて話は初耳です。アメリカの迎撃実験で、5回中4回成功したとの発表は眉に唾すべきです。詳しくは「米国弾道ミサイル防衛計画とイージス艦配備」をご覧ください。原水禁のページとあって、拒否反応を示される方もいるかと思いますが、アメリカ軍の発表が大本営発表と大差ないことをご理解ください。昔からアメリカのミサイル迎撃実験は政治的色彩の強いものでした。軍としては当然の行為でしょう。予算を確保するために、粉飾した実験結果を公表しているのでしょう。
 パトリオットの迎撃実効性も疑問符でしょう。上の参照ページにPAC3の迎撃実験結果が記載されています。10件中9件成功(ミサイルの迎撃は、6件中5件成功)としていますが、ミサイルの迎撃成功は事実上6件中2件だけです。国防省自体が実験結果の悪さを認識していて、生産計画の延期を決定していたのです。それを政治的背景(産軍複合体)から強引に「有用な軍事システム」であるとして配備が進められた経緯があります。こんなシロモノに1兆円を超える税金を投入しようというのは、アメリカ産軍複合体への朝貢でしかありません。湾岸戦争でも、イスラエルに配備されたパトリオットの迎撃結果は悲惨でした。もっとも空自のオペレータは、アメリカ軍の担当者より優秀との話は聞いたことがありますが。

 MDとくれば、SDIを思い出します。以前にも 九拾壱  スティーヴン・スピルバーグの「TAKEN」 でSDIの実態について触れています。MD構想は、過去にもアメリカ議会で蹴られた経緯があるはずです。やたらソ連の戦略核の脅威を煽っていた頃、米軍は報告書でこれへの対処としてMD構想をぶち上げました。あれなんか産軍複合体による税金ブン捕り構想にしか見えませんでしたもん。さすがに費用対効果から批判されました。さて、日本の国会において、この実効性という観点からの検証が為されるのでしょうか。もっぱら迎撃命令の承認や目標の脅威判定などの実施要領に話が移っているようです。財務省も自衛隊の予算縮減に血道を上げるなら、なによりMDを的にして欲しいものです。SM3(イージス搭載迎撃ミサイル)の新規日米共同開発にしても、日本側は金銭的負担をしているだけでしょう。ライセンス生産できるといっても、肝心のシステム部分は買い取りのはずです。また重要部分の技術内容について、日本側への公開は為されないはずです。で、供与されたSM3が使い物にならなかったら泣くに泣けません。どうもそのような結果になりそうです。

 小泉改革も、こと対米政策となると、改革どころか典型的な守旧派です。
 おっと、肝心なことを忘れていました。MD配備の目的は、いわずとテポドン要撃です。つい先日、北朝鮮は「核兵器を製造した」と発表しました。恐れることはありません。そのような証拠は一切ありませんから。また今の北朝鮮にそんな余裕はないでしょうし、もし本当に核兵器開発を完了したのなら、中国が黙っちゃあいないでしょう。中国を怒らせたら、北の破滅ですから。
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百七拾五 SY-Λ88U賛歌(2005/2/6)
 コンデンサのエージングはまだ進んでいるみたいです。日時の経過とともに、微細な響きがさらに増しています。高域のきつさは和らいだものの、まだ若干のうるささが残っています。現状で音圧バランスを整えるとすれば、ミッドを+0.5dBに、ハイを-0.5dBにして丁度いい具合です。ただ、今後も音色が変化すると思われますので、もう少し様子をみます。

 アナログに対する不満は迂闊な判断でした。よくよく考えると、まともなコンディションでの試聴をしていません。プリアンプのSY-Λ88Uはアイドリングに時間がかかります。最近はCDから音楽を聴き始めます。そして興が乗ればアナログを鳴らすスタイルなので、アナログに時間をかけていませんでした。これではSY-Λ88Uの実力が発揮できていません。そこで昨日のこと、アナログの現状を完璧に把握するため、たっぷり時間をかけました。
 まず、機器すべての電源を入れておきます。2時間くらい経つとアンプが暖かくなっていました。そこでレコードを適当に鳴らしながら、BGMがわりに別の用事を片づけていました。鳴らし始めの音はお粗末です。レンジが狭く、ベールをかぶっています。それが時間の経過とともに、徐々に音質が向上していきます。2時間が過ぎたあたりで本番試聴を行いました。レコードは「古代ギリシャの音楽」です。音質の上限を見極める目的であれば、これに優るディスクはありませんから。このレコードの録音は、広い教会でワンポイントによるものです。おかげで残響やエコーが素晴らしいです。また、教会の外の音も、遠くから僅かに聴こえてきます。鳥の囀りがそれでしょう。

 レンジが広く、瑞々しいばかりの鮮度です。印象的だったは、古楽器の響きが徐々に消えてゆく様や豊かなホールエコー、壁や天井に反射するエコーをきっちり聞き分けられたことです。以前のHS-530(大改造)では、反射エコーまで聞き分けることはできませんでした。MONITOR2000改造の甲斐がありました。見事な分解能です。アナログが物足りないなんて、馬鹿な決めつけをしていたものです。
 その一方で音場はHS-530に及びません。音がスピーカー周辺にまとわりついて離れません。HS-530であれば、目を瞑ると鳥の囀りが遠くから聞こえてきます。逆に耳元や足元で音が鳴ってぞくっとさせられることもあります。とにかくスピーカーの存在を忘れさせてくれます。
 音像の高低配置はよくなっています。ちゃんと男性が女性より高いところに位置します。つまり低音が上に、高音が下に位置するわけです。やっぱ、これでないとね。ただし、これが実現するのはワンポイント録音だけです。

 スピーカー改造の結果として、アナログもまた十分聴き応えがありました。その陰では、SY-Λ88Uが大きな役割を果たしています。数時間のウォーミングアップ後の音質は素晴らしいのひとことです。レンジはどこまでも広く、分解能も高く顕微鏡的に微小な響きまで拾い出します。音色はどこまでいっても無色透明で癖のないものです。ただ、この音を得るのに数時間のウォーミングアップを要するのは問題です。とてもじゃないけどやってられません。

 今、このプリアンプを発売すると一体いくらになるでしょうか。優秀なイコライザーとMCヘッドアンプ内臓ともなれば相当な高額が予想されます。1981年当時の販売価格265.000円にしても、利益度外視の安さだったのですから。もちろん今製造するとなれば、ボリュームやスイッチはもっと高品質なものが必要でしょうし、筐体強度やシールドにも意を砕かなければならないでしょう。そうすると、おそらく100万円コースに突入するんじゃないかなあ。

 結論として、アナログは決してCDに負けていませんでした。と同時にカートリッジの限界も把握できました。レンジのもうひと伸び、もうワンランク上の解像感を得るためには、もっといいカートリッジが必要でしょう。候補はいろいろ考えているところです。
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百七拾四 法の行われざるは(2005/1/30)
 コクド元会長である堤氏の去就が注目されています。この状況は不可思議です。もし、中小企業関係者、あるいは堤氏ほどの影響力のある人物でなければ、とうの昔に逮捕されているでしょう。このような不公平な取り扱いは、ボディブローのように社会規範の健全性を蝕んでいきます。これって、見つからなければいい、隠しおおせればいい、裏から手を回してごまかせればいい、といった意識を社会に蔓延させてしまいます。
 日本に限らず、一部の社会構成員の犯罪に対して不公正な扱いをするケースは多いものです。むしろ日本はマシなくらいでしょう。だからといって許容すべきではありません。遵法精神の涵養は、トップに対して厳しく臨んでこそ醸成されるものでしょう。

 富士通の秋草氏(前社長)の『週間東洋経済』での発言もまた根っこは同じでしょう。。
 「くだらない質問だ。従業員が働かないからいけない。毎年、事業計画を立て、そのとおりにやりますといって、やらないからおかしなことになる。計画を達成できなければビジネスユニットを替えればよい。それが成果主義というものだ」
 こんなトップがいたら、下の者は間違いなくやる気をなくすでしょう。

 前出の堤氏も似たようなものです。
 「社長を決めたら決算報告以外は見ません。社長がまずかったら取り替えればいいのですから」とか
 「頭脳のいる仕事は外部に求めればいい。頭のいい連中は、忠誠心とは関係なくお金さえ払えばいくらでもいい知恵を出す」は、中内功氏との対談での言です。この考え方は、次男の堤清二氏の手法とまんま同じです。「漂流する経営」(立石康則著)には、元会長である堤清二氏のセゾングループに対するワンマン経営の実態が赤裸々に描かれています。初出は昭和61年頃の『諸君』に連載されたものであり、毎号の発売を楽しみにしたものです。私はグラフィック・デザインに関係しています。すると、昔からセゾンやパルコの斬新な手法を称揚する記事を読まされつづけてきました。そういうものを読むたびに「なに寝言を言ってやんでい。デザインがどうとかでなく、もっと大事なことがあるだろうが」と毒づいてきました。

 堤氏の対談相手の中内氏にも似たような話がありましたね。数年前の年頭の挨拶で「仕事に対して、社員一人一人の個人責任を問う」旨の発言をしました。これを聞いた従業員は、全員漏れなく心の中で突っ込んだことでしょう。
 「責任をいうなら、あんたが一番に問われるべきだろう」ってね。

 全国の都道府県警で裏金が問題になっています。ことが警察ともなれば、うやむやになる可能性が高いです。なにせ捜査の主体そのものですから。実は私の所属する地方自治体でも、会計の不適切な処理が問題になりました。この件に関しては、該当処理分全額を職員全員で分担して返還しました。私のようなヒラでも数万円を負担しました。正確な金額は覚えていませんが、幹部職員は大変な額を負担しました。
 昨年、世間を騒がせた社会保険庁のでたらめな会計処理なんか、地方自治体であれば職員全員で返納させられたでしょう。県警の裏金の件も、同じ県でも知事部局の問題であれば、問答無用で具体的な返還手続きにかかっている筈です。まあ、警察組織というものは理解の範疇を超えていますので判断がつきかねます。噂によると、都道府県警のトップたる本部長は警察庁から出向してきます。彼らが異動で帰るとき、警察全職員から餞別を集めて渡すそうです。これが事実なら、一体いかほどの金額になるか。多分、数百万円は下らないでしょう。トップがこれでは、下の者に服務規律をとやかく言っても効き目ないでしょう。

 昭和50年代半ばより、日本社会のアノミー状況が取り沙汰され始めました。以後、無軌道ぶりひどくなるばかりです。すくなくともトップにある者が悪事を逃れて平気な顔をしているようでは、状況が好転することは永久にないでしょう。
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百七拾参 報道と作為(2005/1/23)
 NHKと朝日新聞が揉めています。従軍慰安婦問題を扱った企画番組は、報道とは毛色が違いますが、とりあえず報道番組としておきます。今回の件に関しては、おそらくNHK側にも朝日側にも後ろめたい点があることでしょう。NHK側にすれば、朝日の取材を受けた際に安部氏の意見表明があったことは話したのですから、これを政治介入と受け取られる可能性は承知していたはずです。NHK関係者が政治介入と感じたかどうかの議論は水掛け論で意味ないでしょう。

 朝日記者の記事構成については、作為はあったでしょう。というか、取材する時点で記事構成や方向性をあらかじめ念頭に置くものでしょう。2時間の取材を受ければ、記者の意図は汲み取れたはずです。政治家の介入はなかったとの趣旨を伝えたければ、その点を強調すればよかったのです。松尾氏の会見内容は、後出しじゃんけんの趣ですね。同じマスコミの報道分野に携わる者ならば、取材側の意図は判ったはずです。今になって、歪曲されたとかの会見は見苦しいです。
 で、本田記者もまたお粗末です。本田氏は特集番組の再編集が気に食わなかったのでしょう。そこで、政治家の介入のために、番組が本来の内容から乖離したとの主張を繰り広げたかったのでしょう。しかし、やり過ぎましたね。ジャーナリストとして、明らかな勇み足でしょう。自分が展開したい結論に無理があると判明した時点で方向転換すべきでした。安部氏や中川氏による編集権への介入を非難するとなれば、具体的な指示内容まで披瀝する必要があります。証拠の提示ができないなら、せいぜいNHKの表現の自由に対する姿勢を非難するくらいに留めておけばよかったのです。


 私は朝日新聞の虚偽報道については、いまさらどうという感興もありません。朝日新聞に限らず、マスコミの虚偽報道なんか当たり前くらいに理解していますから。むしろ朝日のまずい点は、NHKに対して「提訴を想定している」などといった言辞を弄していることです。報道内容について議論している最中に、ジャーナリズムの雄たる新聞社が議論に正面から応えず、裁判を匂わすのはいただけません。まあ、この点についても驚きませんけど。昔から、うるさい相手に対して、提訴の脅しで封殺してきたのは常識ですから。
 NHKにしても、虚偽報道についてはえらそうなことを言えたものではありません。松本サリン事件のKさん(冤罪被害者)なんかに言わせれば、目糞鼻糞でしょう。また、誤報の白眉といえば、教科書検定における「侵略→進出」の大騒ぎが思い出されます。私はあの件を興味深くウォッチングしていました。収束後の板倉由明氏による、各マスコミの対応レポートは最高でした。興味のある方は調べてください。多分、どこかから出版されているはずです。そのときの板倉氏のレポートのタイトルは「新聞が大きく育てた小さな誤報」です。言うまでもなく、これは新聞週間の標語「新聞が大きく育てる小さな意見」を皮肉ったシャレです。ちなみに板倉氏は、その当時は一市井人でした。教科書問題がきっかけになって、後に南京問題に深く関わるようになりました。今は故人です。
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百七拾弐 エージング完了間近(2005/1/16)
 SOLENコンデンサのエージング情報は事実でした。この1週間というもの、BGM代わりに優秀ディスクをかけ続けました。おかげでうるささが取れ、繊細で透明な音を奏でています。テレサ・テンの「別れの予感」は、いろいろ思い出があって好きな曲なのですが、今まで歪っぽい悪い録音だと思い込んでいました。いえいえ、いい音です。いわゆるハイファイには程遠いものの、歌姫の透明な高音には一点の歪もありません。また、分解能力は見事なまでです。オフ・コースの「Yes-No」を聴いてて気づいたことがあります。「ウ〜 ア〜 ハ〜」のバックコーラス以外にも、微かなハモリ・パートがありました。「君を抱いていいの 夏が通りすぎてゆく」の部分です。今回初めてこれに気づきました。こんなことを書くと、今までのお前のシステムがお粗末なだけだと言われそうですが。

 音像の輪郭線−いわゆるエッジは、私にとっては不要なものです。生の音に輪郭線があるとは思えないのです。塊としてのソリッド感がある場合でも、アウトラインそのものは感じられないのですがねえ。いえ、オーディオは生音とは別の再生テクノロジーですから、好みの音を作り出せばいいいのでしょう。で、私の好みは輪郭線のないフラットな音像です。それだと、より透明度が高く感じられるのです。下図は、音のイメージを私なりに視覚化したものです。
(1)  (2)
 (1) はエッジが効いたイメージです。(2) はエッジがなく、フラットなイメージです。以前使っていたHS-530の改造スピーカーは、まったく輪郭線のない透明感あふれる音像を提供してくれました。MONITOR2000もオリジナルの音は、結構エッジが効いていました。ところがコンデンサ交換後の今は、かなり(2) に近い音を演出してくれます。

 昨日、優秀録音盤を聴いたところ、音の高低がかなりほぐれていました。オリジナルの状態では、高音は上位、低音は低位に位置して不自然でした。今は低音が上に、高音が下に位置するケースもあります。聴取距離が3m強と、距離が取れていることもあるのでしょう。もっと広い部屋なら、劇的に空間定位が良くなることと想像されます。

 「脅威のコントラバス・マリンバ」を大音量でかけたところ、部屋が震えました。このディスクには高レベルの重低音が入っています。超低域もそれなりに記録されています。部屋が振動したのは初めての体験です。腹に圧力がくるものですね。いやあ、快感でした。

 エージングが完了したか、まだもう一歩の進化があるのかは、今後さらに鳴らしこんで様子を見ます。
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百七拾壱 エージング(2005/1/9)
 ONKYOのMONITOR2000のネットワークをやり替えて10日余り、変更当初と比較して、かなり音色が変わってきました。今は派手目できつさやうるささを感じます。オーディオ関係サイトを調べると、SOLENのコンデンサはエージングを要する旨の記述がありました。Let's Enjoy Audio! の掲示板に記載されています。およそ250時間のエージングが必要で、最終段階で高域にうるささを感じ、それが収まるとレンジが広がり、繊細な音まで聴こえてくるそうです。とすると、私のスピーカーはエージングが相当進んでいるということなのでしょう。さもありなんです。MONITOR2000のカタログデータでは、出力音圧レベルが90dBと低めです。以前使っていたHS-530は92dBです。比較すると2dBの低下です。カタログ・スペックはともかく、聴感上はもっと差があります。同程度の音圧を得るのに、アンプのボリューム・ポジションで5dBくらい上げています。しかも大音量とあって、エージングは早く進んでいることと思われます。
 アナログが穏やかすぎて物足りない件も、今は派手な音とあって問題なしです。いずれにしても、エージングが終了して音調が定まってから、中高域の音圧減衰量を確定したいと考えています。

 エージングは車でいうところの慣らし運転です。エンジンの慣らしは大切です。ピックアップを良くしたいと思うなら、スロットルを空けたり閉じたりを積極的にすべきでしょう。高回転域でよく回るエンジンを希望するなら、これまた積極的に回すべきでしょう。また、常用域のトルクを太らせたいなら、当該回転数をできるだけ使用すべきでしょう。で、スピーカーも同じことが言えると思います。私は、透明で繊細な音を好みます。そこで昨日から、それに見合ったディスクばかり演奏しています。クラシックを中心にした優秀録音盤です。クラシック以外では、「鳥の楽園 セイシェル」と「クリスタリーナ・グラス・ハープ」です。この両ディスクは繰り返し何度もかけています。どちらも透明感は最上のものです。まるで妊婦の胎教気分です。
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百七拾  国家の自立2年目(2005/1/1)
 昨年は日本という国家が自立への道を歩き出した初年度だったと思います。


 いろいろ姑息な説明をしながらではありましたが、自衛隊が戦地へと赴きました。サマワは非戦闘地域だからOKなどと馬鹿な話です。オランダ軍に護ってもらうなどと恥ずかしいかぎりです。でも、一歩一歩踏み出すしかありません。前防衛庁長官の石破氏は軍事オタクでした。オタクという言い方は失礼ですね。国防通として、軍事面の知識は議員中随一でした。彼だからこそ為しえたのであり、また小泉首相がバックアップしたなればこそ実現した派遣だと思います。私はイラク派遣に賛成しませんが、国防について正面から取り組んでいる点は評価しています。
 スマトラ沖大地震の津波被害に対して、日本はアジアの盟主に相応しい行動をとっといます。スリランカやタイに救助や医療、援助チームがすでに入って活動しています。国際的な援助チームとしては、日本がもっとも早かったそうですね。一国民として誇らしい気持ちです。さらに、国際的な協調支援体制を米国と日本、インド、オーストラリアの4ヶ国を中心に構成し、他の諸国が協力することで協議が進んでいます。ここで注意していただきたいのは、中国には支援体制も資金もないということです。台湾大地震のときも、日本は手厚い支援を実施し、市民レベルでの信頼を得ました。対して、中国は碌な支援もせずに、日本国内向けに義捐金募集をやったくらいです。これって詐欺でしょう。
 日本の支援はごく自然に受け止められています。別な言い方をすると、日本という国家がアジアの中で盟主たる地位にある証拠じゃないかな。今回、護衛艦が捜索、救援活動を行っています。言葉を変えると、他国の駆逐艦が領海内で自由に活動するということです。もし、中国が同じことを申し出たら、アジア各国はどう応えるか興味があります。多分、うまい言い訳で、丁重に断るんじゃないかな。


 現防衛庁長官の大野氏は、当地選出の議員です。私も2度ほど酒を酌み交わしたことがあります。っても、向こうにとってはその他多数の一票にしかすぎませんけど。話してみると、確かに頭の切れる方です。大野氏には、石破氏に負けぬ業績を期待しています。
 自衛隊も財政縮減を受けて、人員の大幅減を提示されました。陸自としてもなかなか飲めない調整案でしょう。確かに北海道の第7師団は対ソシフトだけに、削減案の対象になるのは判ります。しかし、機甲師団なしの陸軍なんて、陸軍じゃないぞ。今後、日本がアジアの、あるいは世界の安全保証に貢献しようと考えるなら、陸自削減は大問題です。対外的にだけでなく、駐屯地そのものもかなり廃止しなければならず、災害復旧活動にも差し障りがでてきます。また、日本の安全保障理事国入りとも関連する話ですし、米軍の世界的な再編にも関わることです。


 今年は北朝鮮との関係においても、より明確な方針を打ち出さざるを得ない状況になると思います。小泉訪朝前までは、北朝鮮についてまともな対応をしていませんでした。マスコミも朝鮮総連が怖くてまともな報道をしてこなかったし。北が拉致を認めて以来の変化は目覚ましいものがあります。金正日は今ごろ拉致を認めたことを激しく後悔していることでしょう。へたをすれば、この件で立場を悪くしている可能性もあります。はたして権力の世襲ができるか怪しいものです。多分、彼が権力を手放した後に、スターリン批判と同様のことが行われると思います。
 中国へのODAも、より縮小を進めるでしょう。少し前に、野中氏が訪中を取り止めました。氏は対中利権を握る中心人物です。小泉首相は頑固なまでに橋本派の利権構造を壊そうとしているように見受けられます。靖国についての件も、橋本派を困らそうとしてるんじゃないかとさえ邪推してしまいます。


 李登輝氏の入国に関しても中国は恥を晒しました。政治亡命をするわけでもないのに干渉するなんて愚かです。こういうことは、やればやるほど自分の立場を悪くするのにねえ。ただ、これも小泉内閣でなければ、中国の言いなりになったでしょう。あるいは田中真紀子氏が外務大臣のままであれば、やはり北京の言うがまま入国拒否したことでしょう。李登輝氏には懐かしい日本観光を楽しんでもらいましょう。


 北京オリンピックが東アジアの状況のターニングポイントになるのではないでしょうか。台湾問題、中国の経済問題、北朝鮮の体制問題、いずれも中国が鼎です。オリンピック開催を選択したことが、中国にとって果たしてよい結果をもたらすかどうか、私は疑問に思っています。中国の実力や民心の実情を勘案すると、パンドラの箱の観があります。オリンピックによる盛況を内陸部の国民がどんな気持ちで観るのでしょうか。下手をすると内陸部の暴発を誘引しかねないと危惧します。


 近い将来の東アジアの変化に対して、日本は国家として確固とした行動をしなければいけません。今の日本にはまだまだ無理です。自立した国家として、少しずつ自覚と自信と実行力を身につける必要があります。今年はそのための里程2年目の歩です。
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百六拾九 スピーカー完成(2004/12/28)
 ついにスピーカーが完成しました。遅くなったのは、うっかりミスでコンデンサを一ヶ注文し忘れていたためです。下のSOLENの錫箔フィルムコンデンサ2.2μF 400V(1,797円/個)です。今回SOLENのコンデンサを選択したのは、各所で評価が高いためです。例えば、JBL S9800はマイナーチェンジによる音質アップが高く評価されています。で、その高音質化の秘密は、ネットワークに用いられたSOLENのポリプピレン・フィルムコンデンサであるとされています。カタログを読むと、メーカー自身がその点を強調しています。
 私が購入したのは、そのコンデンサと錫箔の2種類です。錫箔フィルムコンデンサは高価なため、JBLでさえ採用していません。私は2.2μFと1.5μFを買いました。ずしりとくる重さです。これをウーファとミッドレンジに使用します。

 同僚は最適音圧レベルが予想し難いので、当初の設計値から-0.5dB、-1dB、-1.5dBのうちどれかを、接続子を差し替えることで変更が利くように細工してくれました。下図は各種抵抗にファストンを圧着する直前の写真です。


 完成図です。抵抗から出ている線材に接続子が圧着されています。あまりにも贅沢なネットワークです。コンデンサ代が2万円強、線材が約7,000円、抵抗が約2,000円。接続子や圧着端子やらチューブやらが数百円です。合計で3万円を超えています。
 この超強力ネットワークでどれほど音が変わるか、興味津々です


 拡大図です。ファストンで抵抗を差し替える設計です。


 帰宅後、すぐに組み込みました。音出し一発で違いが分かりました。
 スピーカー購入以来、音の変化が一番大きかったのはヘッドアンプ導入時です。MCカートリッジをそのままMM入力で受けていただけに、変化はかなりのものでした。ところが、今回の改造による変化は、それをブッチギル大変化です。
 低域方向へのレンジの拡大は凄まじいまでです。おかげで暗騒音までリアルに再現し、夜なんか気味が悪いくらいです。まるで眼前の空気を叩くような低音です。
 中域は歪の無さが印象的で、ボーカルはリアルそのものです。しかも分解能がただごとでなく、楽器が多数重なっても一切混濁しません。錫箔コンデンサの威力をまざまざと見せつけられました。
 高域はとてつもなく延びています。不思議なものです。周波数特性自体に違いはないでしょう。でありながらの延び切り感は、異様でさえあります。しかも繊細でクリアです。


 これまでいい音といえば、優秀録音盤によってのみもたらされると思っていました。事実そのとおりだったのですが。しかし、これを書いている今も、あれやこれやのディスクをかけながら気づいたことがあります。必ずしも録音の良くないディスクであっても、いい音に聴こえるのです。特に、私の好きな50〜60年代のオールディーズを聴いても心地よいのです。「STAND BY ME」 なんか最高です。おかげで楽しみが増えちゃいました。

 これはもうMONITOR2000とは別物です。オリジナルのかけらも吹き払ってしまいました。オーディオ評論家の長岡氏によるMONITOR2000評は次のとおりです。
 音はスピード感がある。全域に渡ってハードでシャープでダイナミックで、切れがよく、透明度が高く、輪郭鮮明。大口径ウーファーでこれだけスピード感のあるものはめったにない。直接音は鮮烈、間接音もよく再生し音場も広いが、奥行きはもう一つ。直接音、間接音ともアルコールで洗ったようにさっぱりしていてもやもやがない。ソースによってはもう少しもやつきが欲しいと感じる時もある。
 ここで指摘されている欠点は、まったくそのとおりです。しかし、今や陰影や立体感がこれでもかと再現されています。
 また、長岡氏が繰り返し述べていた「ネットワークは必要悪である」を痛感しています。今回の改造でピュアさが相当増し、ユニット本来の能力が発揮されているわけですが、そもそもネットワークが無ければいかほどの鮮度なのかと考えさせられます。

 抵抗は最初に改造したときより、ツゥイ−タ、ミッドレンジともに-1dBの減衰にしています。これで最適ともいえませんが、そもそもソース・バランス自体がディスクによって異なっているのでよしとします。

 どうも以前と違って、CDの方が音がいいです。アナログは明らかにスピーカーの能力に追いついていません。さてさて、そうなるとプレーヤーとカートリッジを更新しなきゃならんのかなあ。区切りのない泥沼とはこのことです。


12/30追加
 周波数ポイントごとの信号やサイン・スィ−ブでチェックしました。下は20Hzから再生されます。25Hzの信号音であれば、それなりのレベルが得られています。典型的なダラ下がりの低域です。これだけ再生できれば文句ありません。もちろん、テラークのパイプ・オルガン曲(サンサーンス)や自衛隊の「富士総合火力演習」ともなれば全然不十分ですけど。

 アナログ・プレーヤーに対する不満は、音が大人しくなりすぎたことです。今の具合だと、ヘッドアンプはオリジナルの状態でちょうどいいくらいです。私のヘッドアンプはコンデンサをSDOLENに変更しています。これによる変化は好ましい方向だったのですが、むしろ当初のダイナミックさが欲しいところです。ダイナベクターに依頼すれば、コンデンサの再変更に応じてくれます。でも、それはやりません。別の対応策としてはカートリッジ変更も有力でしょう。カートリッジについては慎重に機種選択をします。まあ、来年の課題ということで。
 とりあえず現状の機器で対応を試みました。Victor QL-A70は35cmの巨大なターンテーブルを使用しています。アルミダイキャスはかなり鳴くので、標準のゴムシートの上にJP-501(パイオニア製シート)を重ねていました。これは音をなまらせている可能性があります。そこで本日、下図のように標準シートを除けました。大正解 !! それなりに鮮度が上がり、生き生きとしてきました。なんとか光明が見えてきたので、もう少しQL-A70の可能性を追求してみます。
 標準シートがないと、ターンテーブルのでかさが目立ちます。アームの高さ調整は冷や汗モノでした。一番下まで下げた状態ですけど、あと0コンマ数ミリ余計に下げたいところです。
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百六拾八 年末読書三昧(2004/12/26)
 前回触れた「隣の成果主義」は渾身のレポートでした。読んで以後、暇さえあれば人事評価制度についてあれやこれやら考えさせられています。未読の方は是非にも。


 「暗黒のシステムインテグレーション2」 森正人著 IDGムックシリーズ
 ご存知「システム管理者の眠れない夜(柳原秀基著)」と並ぶ名著です。「月刊ウィンドウズ・サーバ・ワールド」に掲載中の人気コラムをまとめた書籍です。内容は、本屋で立ち読みしているので知悉のものです。私はこの二つの連載を必ず立ち読みしています。IT系コラムとしては双璧じゃないかな。今回も「そうそう、こんなネタもあったなあ」と、懐かしみながら読み進めました。これも未読の方には、是非ともお薦めします。


 「囮弁護士」(上下) スコット・トゥロー/二宮磬訳 文春文庫
 トゥローは明らかに品質低下をきたしています。百六拾参 秋の夜長にミステリ に書いた「死刑判決」も若干の不満を覚えましたが、「囮弁護士」は駄作です。駄作というより、素人並みの文章です。叙述(視点)が出鱈目なのです。
 主人公(弁護士)を弁護するジョージ・メイソンが叙述の語り手です。つまり、メイソンの一人称になっているわけです。ところが、他の登場人物の視点で語られる部分があります。例えば、『べヴァリー・ヒルズね、とイーヴォンは思った』式の叙述があちこちに散見されます。きっと、メイソンはテレパシーが使えるのでしょう。
 もっとひどいのは、メイソンが語っているから、当然メイソンはその場に居るものと思っていたら、存在していないのです。自分が見てもいない場面を、どうして詳細に語ることができるのでしょうかねえ。もう完全に小説として破綻しています。こういう破綻は、えてして素人が小説を書くと陥りやすいポイントです。ベテランのトゥローが何故こんなミスを連発したのか不明です。


 ここ数日中に買ってきて、年末年始の楽しみにと積読状態なのは次の本です。

 「痕跡」(上下) パトリシア・コーンウェル/相原真理子訳 講談社文庫
 ご存知検死官ケイ・スカーペッタ シリーズです。ここ数作は完全な駄作オンパレードで、Webでも読者の怒りが炸裂しまくりです。私も、とうの昔に愛想が尽き果てていますが、惰性で読み継いでいます。
 前作「黒蠅」では、主人公がなんと若返っています。作者は主人公のケイをなんとかモテモテ女にしておきたいのだけど、さすがに50歳を過ぎたおばちゃんにその役は荷が重過ぎます。そこで、いきなり何の脈絡もなく若返らせたのです。ケイ以外の登場人物は年をとってるのにも係わらずですよ。さらに死んだはずの恋人が生き返ってくるわの大騒ぎ。もう無茶苦茶。ところがこのシリーズは、1,000万部突破の超ベストセラーです。理解に苦しみます。と言いつつ、私自身シリーズ全作(13作16冊)を買いました。未読の方は手を出さないようにね。著者に対する怒りのために、血圧が上がりますよ。
 新作も読むのが少々怖いのですが。


 「烈風」 ディック・フランシス/菊池光訳 ハヤカワ文庫
 フランシスの美点と欠点については、「興奮」にぶちまけています。シリーズが打ち止めになれば、もう読まなくてすむからとその日を待っていました。で、この「烈風」がラス前です。文庫版最終作「勝利」は来年の刊行でしょう。いよいよ競馬シリーズとの別離が現実のものとなりました。
 フランシス・ファンにとっては断腸の痛みでしょうね。私ゃ、どうでもいいのですけど。
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百六拾七 能力主義と成果主義(2004/12/19)
 高橋伸夫氏の「虚妄の成果主義」(日経BP)が評判です。さらに、城繁幸氏の「内側から見た富士通」(光文社)は現在のところベストセラーにランキングされています。その光文社ペーパーバックスから、続編ともいうべき溝上憲文氏による「隣の成果主義」が出版されました。私も読んでいる最中です。この本には成果主義の人事評価制度を導入したあらゆる企業がケーススタディとして挙げられています。サラリーマンにとって必読の書でしょう。成果主義は他人事でなく、いずれあらゆる人間に降りかかってくる災厄です。それも天災などでなく、確信犯的な人災です。


 昭和50年代、企業は“社会に対する貢献”だとか“文化やスポーツを通じて地域や社会に貢献する”だの“人(従業員)にやさしい企業”などのソフト路線にベクトルが向いていました。これを狂わせたのはバブルの狂騰です。バブル期、金融機関や証券会社において、従業員を家畜扱いするが如き熾烈な勤務実態が報じられました。他業種においても似たような話がそこここに転がっていました。バブル期の凄まじさについては、高給で報いる見返りがありました。そのため、必ずしも大きな非難には至りませんでした。それが、バブル崩壊とともに苛烈さだけが残ってしまいました。そんななか江坂彰氏(経営評論家)は、人を育てることの大切さを繰り返し訴えていました。この時期の江坂氏の主張には頷かされました。その江坂氏も、今は能力主義を強調しています。江坂氏の言う能力主義は、むしろ成果主義のことでしょう。


 「隣の成果主義」の分析には、眼を開かされること頻りです。私も考え違いをしていました。著者の溝上氏は、日本型年功序列制度とは、むしろ緩やかな能力主義のことであるとしています。なるほどです。言われてみれば、年功序列といいながら、長年月の間に能力に応じた職階に振分けされています。また、職務に対するスキルは勤務年限が長くなれば、それに伴って向上するのが一般的であるから、年功序列は必然的な制度であるとしています。対して、現在企業が導入している成果主義は単年度、会社によっては半期ごとの結果(成果)を問うものだそうです。つまり、従来は長いスパンで得ていた評価を短期で下すのが肝のようです。これで人間が幸せになれるわけありません。

 成果主義導入の目的は人件費(固定費)削減以外の何ものでもありません。その証拠に「内側から見た富士通」によれば、人件費の総枠及び部門、部署ごとの枠があるそうです。つまり、所詮予算に合わせた調整をしているだけです。それも人件費縮小の方向においてです。成果主義など、体のいい言い訳にしか聞こえません。まして年棒制度導入のケースでは、福利厚生や手当類を年棒への一本化に収斂しているのですから、実質給与の削減にほかなりません。


 そしてなにより、人事評価の難しさは誰でも理解しているところです。目標値設定ったって、割り振られた業務の難易度は一定でないし、同じ部署でさえ性格の異なった業務をこなしていることがあるでしょう。こんな不公平な前提を前に給与が上下して納得できる人間はいないでしょう。個別業務の差異を評価者に補正しろったって、そんなの絶対不可能です。


 もともと人件費削減を目的に導入された(あるいは導入しようとしている)成果主義は、もし言えるチャンスがあるなら声を合わせてNOと主張しましょう。一度でも変更されたら最後、もはや従来の年功序列制に返ることはないのですから。
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百六拾六 眩しいコンデンサ群(2004/12/15)
 本日、テクニカルサンヨーに注文していたコンデンサが届きました。眩いばかりの逸品ぞろいです。
 まずは、SOLENのポリプロピレン・フィルムコンデンサ/10μF(775円/個)と3.3μF(397円/個)です。
 
 同じくSOLENの錫箔フィルムコンデンサ/1.5μF(1,455円/個)です。

 続いてASCのポリプロピレン・フィルムコンデンサ/5.6μF(2,069円/個)です。本当はSOLENのモノが欲しかったのですが、当該容量のモノがありませんでした。2ヶで組合わせても若干の誤差があり、クロスへの影響が予測できないので諦めました。


 そして今回の贅沢品はウーファ用に並列に入っている電解コンデンサです。100μF/50Vが2個なので、47μF/100Vを1個にします。これを思い切ってフィルムに置換えます。東一電気製メタライズドポリエステル・フィルムコンデンサ(3,307円/個)です。こんな贅沢をしちゃっていいのかなあ。さすがに工作は面倒そうです。最悪の場合、基盤への穴あけ作業が必要になります。また、うまくいかなかったときに備え、SME製電解コンデンサも準備しています。
 

 取替え作業は、当然のこと同僚にお願いします。すぐにも掛かって欲しいのだけど、面倒くさがっています。さて、どうやってご機嫌をとろうかな。
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百六拾五 混沌(2004/12/12)
 ウクライナ大統領選は泥沼状態に陥っています。前回の選挙で不正があったと最高裁が認定した以上、その事実はあったのでしょう。さりとてユシチェンコ元首相(野党候補)が勝つ公算があるわけでもないし。彼の体内から高濃度のダイオキシンが発見されたの報には、台湾総統選での陳水扁氏に対する狙撃を髣髴させられます。
 ウクライナの政治情勢の基本として、親欧州派と親ロシア派の綱引きの趣があります。またこれに呼応して、欧州とロシアの潜在的な介入もあるのでしょう。歴史の知恵として、国内の政権基盤を固めるのに外部の影響力を利用するのは決して良いことではないと思います。まあ、当事者にとって、背に腹は替えられないのでしょうが。


 そのロシアですが、最近のこと北方2島返還が領土問題の最終決着地点であるとの意思を表明すると同時に、公式に再確認しました。私は結構なことだと思います。4島返還に固執するのは愚の骨頂でしょう。4島返還を主張する限り、領土問題は未来永劫に解決せず、日本に益するところがありません。たしかに択捉、国後は価値があります。であるならこそ、返還されるわけもないことです。私は昔から、4島返還論はばかげていると言い続けていました。大体、択捉と国後に居住しているロシア人をどうするのか、解決策なんてありゃしません。

 橋本政権時代の川奈提案などふざけた提案です。「北方4島の北方に国境線を確定すれば,わが国は当面,施政権や管轄権を求めない」としたものです。外務省も本気でこんな提案が受け入れられると考えたわけじゃないでしょう。むしろ非現実的な対応こそが外務省の望むところじゃないかなあ。今回のロシアの2島返還意志にしても、現実にその線で話を進めるとなると、対ロシア、対国内に向けて難しい調整をこなさなければなりません。きっと外務省は、そんな面倒なことをやりたがらないでしょう。外務大臣にしても、自分の任期中には勘弁してくれと2島返還論を歓迎しないでしょう。その気持ちは理解できますが、嫌なら大臣を受けなければよいだけのことです。北方領土に対する日本国民の意固地さは、竹島や尖閣に対するそれと若干異なっているように見受けられます。竹島に対しては冷淡というか、関心が低いでしょう。尖閣については、中国の侵略的な振舞いを許容しているのかとさえ錯覚させられます。

 北方2島が返還されたら、うまい海産物がもっと食べられるかなと期待しています。こういう理由で2島返還を唱えるのは不謹慎ですね。実は私、ここだけの話ですけど毛蟹の卵を食したことがあります。これは禁猟品ですから、捕っても、食べてもいけません。しかし、なににつけても禁猟品こそが美味かったりします。まったく絶品の味でした。一度っきり、今後も二度と口にすることはないでしょう。
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百六拾四 ネットワーク大失敗(2004/12/4)
 オーディオいじりから足抜けできるかと思ったのもつかの間、ネットワークで大失敗をしでかしました。
 アッテネータをスルーする設計は同僚にお願いしました。同僚はもしものときのために、抵抗値を変更する予備回路を設けてくれました。以前のスピーカー改造時にも体験しましたが、アッテネータそのものを除外、あるいは変更した場合、音の変化には極めて大きいものがあります。最初の計算どおりの音圧が得られるとは限りません。信号系路上の関所が無くなったり、ハードルが低くなることによって、音の勢いは増す傾向があります。

 市販抵抗の規格の関係から、若干抵抗値が高め(減衰は大きめ)になっていました。これはむしろ好都合です。さらに同僚は念を入れ、減衰量を大きくする余地を残してくれました。下図の22Ω(金属皮膜)がそれです。
 改造に至る過程での試聴の中心はアナログでした。完成後もアナログばかり聴いて、いい具合だと喜んでいたわけです。ところが、CDを聴いて愕然としました。ミッドレンジ、ツィータともに明らかに音圧が上がりすぎていました。ディスクによっては聴き難いほどでした。そこで、上の左図、より減衰を得るように、抵抗を切断することにしました。で、私の無知から、お馬鹿をやらかしました。22Ωは同じでも、セメント抵抗の方を切っちゃいました。右図の方です。これだと音圧が0.6dbくらい上昇してしまいます。つまり狙いの逆をしでかしてしまったのです。これを聞いた同僚は、完璧にキレました。
「なにをあほなことをやっとんじゃ。これやきん、あんたには任せられんのじゃ !! わしはもう知らん。勝手にせい !! 」
 ごもっともです。

 ところで、音圧は上昇しているはずなのに、聴感上は低下しています。多分、金属皮膜抵抗のおかげでしょう。クールタッチというかクリアな音色です。とはいえ、やはり中高域の音圧が高すぎます。なんとか同僚のご機嫌を取って、もう一度再工作をお願いしました。で、ここまでくれば毒喰わばです。コンデンサも全部取り替えます。U-Station21 の店長には、安くてお薦めのコンデンサを教えて頂きました。ただ、今の私の心境はヤケクソにまで至っています。もう思い切ってSOLEN のポリプロピレンか錫箔のフィルム・コンデンサを購入します。フイルムが10ヶ、電解が4ヶです。全部で一体いくらになるか、まだ計算していません。ま、年末ボーナスのささやかな小遣いということでいいか。

 こういうときにΛが製造されていれば迷うことなんかないのですがねえ。ところで、調べてみるとTAITSU(太陽通信)は今もコンデンサを製造しています。オーディオ用もあるみたいですが、さてどんなものでしょうか。これを使っているという方の話を聞いたことがありません。試してみたい気もするし、人柱は嫌だし。
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百六拾参 秋の夜長にミステリ(2004/11/28)
 アメリカのリーガル・サスペンスは、読者に新しい刺激を与える段階に入ったようです。猫も杓子もというか、現役法曹関係者による創作活動があまりにも拡がり過ぎました。そこで出版社やエージェントは、著者に他との差別化を課題として与え始めたのではないでしょうか。
 最近読んだ新作は、いずれも従来のものとは異なった風味で処理されていました。


死刑判決/スコット・トゥロー
 トゥロ−の新作ですから面白くないわけありません。死刑囚が『人身保護令状』による再審請求で無罪を勝取る話です。この難しい裁判に、公選弁護人である主人公が挑む内容です。で、冒頭に書いたように、従来のリーガル・サスペンスとはずいぶん趣の違うラストです。
 不満点は本筋と無関係ですが、主人公がかなり年上の女性に夢中になることです。いえ、年上に恋するのは結構ですが、47歳だと話に説得力がありません。まるで、パトリシア・コーンウェルの馬鹿話みたいです。コーンウェルは間違いなく、自作「検死官シリーズ」の主人公ケイ・スカーペッタに自らを重ねています。「警告」で、ケイ(40代後半)にイケ面捜査官(20代)を夢中にさせたりしています(あれは読んでてグロテスクだった)。トゥローは弁護士の特別利害だとか道義だとかを描いたはずなのに、今回の年上女は再審関係者です。ですからしらけてしまうのです。要は読者を上手に騙して欲しいものです。


財産分与/ペリー・オーショーネーシー
 これは「女弁護士ニナ・ライリー」シリーズ4作めです。といっても、私は初見です。
 この作品のラストも変種です。なにもここまでひねらなくてもいいのに、などと思います。まあ、現在のアメリカ出版社の判断なのでしょう。訴訟の内容も変わっています。カリフォルニア州においては内縁関係が認められず、財産分与が行われないそうです。また婚約不履行は違法でないそうです。この点をドラマチックな物語に仕上げています。法廷場面、陪審審議いずれも面白い展開です。こんなに面白い内容なら、変にいじらずスカッと仕上げて欲しかったです。上の「死刑判決」同様に、法廷戦術では勝ったものの、主人公の人生は負け犬のそれを暗示させられます。


 上に書いたような、リーガル・サスペンスに見られる変化はあまり嬉しくありません。かつて70年代に入って、ハード・ボイルドが変化しました。作家たちは、既成のスタイルに囚われない独自の主人公像を造形し始めました。今、ハード・ボイルドの歴史を振り返ると、その時代の作品にあまり魅力を感じません。リーガル・サスペンスについてもこの危惧が当たらなければ良いのですが。


 最近の映画の「ミステリック・リバー」にも同様の変化が窺われます。本来なら、事件が解決してめでたしめでたしのところを、敢えて人の苦悩をより深くしています。映画に関して言うと、いっときの単細胞ドンパチが席巻していた時期よりはマシですけど。
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百六拾弐 新・大改造(2004/11/21)
 本日は電子系の同僚が訪ねてきました。ちょうど屋根修理を終え、漆喰の後片付けをしていたときです。先の台風で雨漏りがひどかったのも当然です。見事に瓦が落ちていました。元に戻して、漆喰で固定しました。それ以外にもかなりずれていました。

 同僚に来てもらったのは、プレーヤーのコンデンサ交換のためです。
 今回はハンダ吸取り機を準備しています。


 新しいコンデンサを組みつけて完成です。
 電源部以外の制御関係のコンデンサにも問題がありそうですが、面倒くさいのでスルーします。オートリフトアップとオートストップが効かない状態ですが、演奏に問題はありませんのでこのままにします(たまに正常動作することもある)。
 アースは難しいことになっています。前回、トランス・ケースにもアースを引いたところ、ハムが余計に出ました。そこで除いたところ、通常音量でもハムが出るようになりました。なんで? 仕方ないのでもう一度アース線を繋ぎました。

 ここ数日、暇さえあればスピーカーを鳴らしています。どんどん馴染みが進んでいる模様です。今日は一日中鳴らしていました。夕刻、アンプが熱いくらいになると、まさに妙なる音色を聴かせてくれました。今は充分満足しています。この9ヶ月間苦労の連続でしたが、その甲斐がありました。とりあえず、オーディオは一段落とします。
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百六拾壱 続・大改造(2004/11/18)
 修理に出していたウーファがエッジを張替えて完調になりました。販売店側のエッジ張替えの際の不手際ということで、送料のみの請求でした。U-Station21 には、いつもお世話になっています。
 ついでにSPケーブルも3m追加注文しました。下のようにネットワーク周りの線材の長さは想像以上でした。
 4芯の太いものをSP端子と基盤との接続に使い、2芯のものをそれ以外の部分に使用しました。線材が太いので、適当な接続子(ファストン)を探すのに苦労しました。いえ、例によって同僚にすべてお任せしました。この線材は、8Nの高純度銅線です。見るからに音が良さげでしょう。
 中高域のコンデンサはマイラーでした。本当は変更したいところですが、ご覧のように線材が錯綜しているだけに、高さや脚の幅がうまく処理できるか疑問です。
 上の写真にあるアッテネータはパスしました。替わりに2.5Ωの抵抗を挟みました。基盤の下方にある白いケースがそれです。
 これを再度組みつけて完成です。音質の素晴らしさは、あらためて言うまでもありません。予想どおり、歪のない、透明で繊細な音を奏でています。以前と同じ音量で聴いても、静けささえ感じます。中高域のユニットに耳を近づけても、以前にはあった荒さやきつさが皆無です。しかも分解能も向上しています。特に中低域において顕著です。ですから、低音楽器の響きやニュアンスが豊富です。

 ONKYOのMONITOR 2000は、今もエッジを張り替えて多くのユーザに愛されているでしょう。でも、これほどの低歪で鳴っているMONITOR 2000は他にないんじゃないかな。DS-505(ダイヤトーン)、S-955V(パイオニア)、NS-2000(ヤマハ)ら、当時のライバルは20万円クラスです。この改造MONITOR 2000は10万円クラスながら、それら20万円クラスのスピーカーさえも凌駕していると自負しています。

 このスピーカーを開発した当のONKYOの技術者でさえも、これほどの音で鳴るとは知らないでしょう。不思議なことに(実は不思議でもなんでもない)、以前改造したLo-D(日立)のHS-530の音と極めて似通っています。比較すると、中高域はHS-530の透明感が際立ち、低域の再現性はMONITO 2000が優っています。また、解像度はMONITOR 2000、音場再現性は圧倒的にHS-530です。甲乙つけ難しというべきか、それぞれにメリットがあり、必ずしも価格に比例しないのが面白いところです。


 コンデンサを替えれば、さらに音の鮮度が上がることでしょう。まあ、今のところはどうこうするつもりはありません。あと、SP端子が課題です。SP端子の裏ネジに丸形圧着端子を挟む要領です。ここはSP端子に直接接着したいところです。いつか不満が出たときに、コンデンサともども考慮します。
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